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冷戦とアフリカへの影響について
帝国主義によって、アジアやアフリカ各国が欧米の国々によって植民地化されました。アフリカには価値のある国が多かったため欧米列強国は長く居座ろうとしていましたが、一体どの時点でアフリカの国民が抑圧されることに異論を唱え、ナショナリズムという概念を知ったのですか?読んだ本によると、戦争に兵士として借り出された若い黒人たちが生き残り帰ってきたときに国中に伝わったと書いてありますがあっていますか?
また第一、第二次世界大戦と欧米で争っている間にアフリカ各国の反乱が拡大していったということですが、ではアメリカとロシアとの間の冷戦はこのナショナリズム運動にどのような影響をあたえたのでしょうか?
何個も質問してしまいすみません。
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

アフリカは広く多数の国があり、植民地をアフリカに持っていた宗主国も複数あります。

それ故にいつナショナリズムを知ったかなどとは一概に言えるものではありません。
それぞれの国によって状況は微妙に違ってきます。

例えばスーダンではイギリスの支配を打破するために、ムハンマド・アフマド・イブン・アブダッラーという人物が民衆を率いて立ち上がり聖戦を起こし、イギリスの支配を脱し1885年にマフディー国を成立させました。ただし、イギリスの反撃でこの国は1899年に滅びます。これはまだ第一次世界大戦前の話です。

ポルトガルはアフリカにアンゴラやモザンビークなど広大な植民地を持っていましたが、第二次世界大戦には中立を保ち参加していません。当然、アンゴラやモザンビークのアフリカ人が兵士として戦争に参加する事はありませんでした。ちなみにアンゴラでアフリカ人による独立戦争が開始されたのは1960年代に入ってからです。

逆にフランスの植民地だったアルジェリアでは、第一次世界大戦に29万人の兵士を参加させました。これによりアルジェリアの人の権利が多少拡大され、地方参政権などが与えられていきます。第二次世界大戦でも24万人が参加しました。

このようにアフリカの国々の歴史は多様性に満ちています。アフリカだからと言ってひとくくりにはできません。
ただ、それでもあえて大まかな事を言うのなら、第一次世界大戦後あたりから徐々に、第二次世界大戦後に大いにナショナリズムが高まったと言えるかもしれません。
これは、植民地支配の中で西欧の教育を受けたアフリカ人が徐々に増加していき、彼らが政治的権利や労働条件における権利を主張し、宗主国もある程度は植民地を平穏にするため、また人権に関して関心が高まってきた事もあり、アフリカ人に配慮を示さなければならなかったため、アフリカ人による政党や労働組合が生まれ、それが後にナショナリズムに発展していったという例もかなり見受けられるからです。
特に第二次世界大戦後は政党や労働組合が数多く生まれ、インドや中東の独立に刺激を受け、独立への道を走り始めたという国が結構見受けられます。
西欧教育によるアフリカ人知識階級の増加と、植民地の貧困・生活苦が、宗主国への不満を高め、ナショナリズムを高まらせて言ったとも言えるかもしれません。

アメリカとソ連はあまりアフリカのナショナリズム運動にはそれほど影響を与えていないと思います。
特にソ連は1953年にスターリンが亡くなるまで、アフリカに対しあまり大きな行動は起こしていませんでした。これはスターリンの「植民地人は自らの手で解放を勝ち取るため立ち上がり戦わねばならない」とする考えによるもので、当時ソ連はアフリカよりも自国の建て直しに必死でした。

どちらかというとアメリカとソ連は植民地のナショナリズム運動が頂点に達し、武力闘争が開始された後に武器援助をするとか、植民地が独立して独立国家になった後、自分の陣営に加えようとか影響を持とうと経済援助や武器援助をしたり、政権をとれなかった政党や組織に武器・資金援助をして政権を武力でとらせようとするというような動きをしていました。
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あまりアフリカには詳しくないのですが、社会主義革命の影響が強かったんじゃないかと思いますよ。

特に中国に社会主義国家が誕生した影響はあったのではないかと思います。当時の中国というのは日中戦争で荒れ果てた貧しい国でしたからね。
ベトナム戦争も社会主義国家である北ベトナムがベトナム統一を目指して南ベトナムへ浸透を図ったものだからですね。

>戦争に兵士として借り出された若い黒人たちが生き残り帰ってきたときに国中に伝わった

それってどこの国のどういう話なんでしょうね?アフリカ独立の時期から考えると第二次大戦かなとも思いますが、第二次大戦に黒人兵はほとんど参加していません。当時は黒人差別が「常識」だった時代です。アメリカのメジャーリーグで初めて黒人選手(ジャッキー・ロビンソン)が生まれたのが第二次大戦後ですが、これが本当に大変だったんですよ。相手チームが試合をボイコットしたこともあったそうです。その差別に耐えたジャッキーを称えて(理不尽な扱いにも耐えられる人格を持っていることもジャッキーが初のメジャー選手に選ばれた理由だったそうです)全てのチームで彼の背番号42は永久欠番となっています。
第二次大戦当時も、アメリカでは黒人の州兵が来ることを嫌がってそれならドイツ兵の捕虜収容所が来たほうがいいと地元住民が反対したこともあります。黒人兵が戦場で戦うことは米軍でも英軍でもほとんどありませんでした。理由は、むしろ叛乱を起こしたり敵に寝返ることの方を恐れたのです。
マレー半島で日本軍と戦った英軍のインド人兵士は、トーチカの中で足かせを付けられていたこともあったそうですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
社会主義革命の影響ですか、それは思いつきませんでした。
詳しく調べてみようと思います。

確か、WW2中1500,000人の黒人兵士が英国とフランスの軍隊にいたそうです。
正確な情報かはわかりませんが、どうなのでしょうか。
確かに黒人差別が常識の中、叛乱を起こす可能性がある黒人に武器を与えるとはちょっと思えませんね。
そういえばコンゴがベルギーの支配下にあった時、白人の下で使役された黒人兵は銃は与えられたものの銃弾の使用数などを厳しく管理されたそうです。
もう一度色々と調べてみようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/28 03:01

1. アフリカ諸国のナショナリズムについて



 19世紀後半の1880年代後半、アフリカ分割の時代に確認できます。
概略は、『ベルリン会議』・『アフリカ分割』などで調べるのが適切でしょう。
 私が知る限りでは、エジプトには早くからオスマン・トルコからの分離の政治思想がありますので、もっと以前から確認できます。WWII以後という歴史認識は一般的ではありません。

2.アフリカのナショナリズムの芽生え
 
 ナショナリズムが
”国家主義”であれば、19世紀末期にならないとアフリカ諸国民に国家概念が存在しえないでしょう。(日本だって国家概念が生まれるのは、19世紀中期です)
”民族主義”であれば、18世紀初頭には、マフディの乱が典型例と考えられますので、WWII以前には存在します。

3.冷戦時代のアフリカのナショナリズムについて

冷戦前期のアフリカのナショナリズムは、共産主義・社会主義革命のイデオロギーによって支えられた宗主国への反乱が主体です。その後、アフリカ諸国が怒涛のように独立する『アフリカ年』1960年までは、冷戦構造によるアフリカ内紛の構造は見られません。
 冷戦構造的なアフリカ紛争は、アフリカ諸国が独立した直後に、独立した国々の資源を巡って発生しますが、アジアの代理戦争のような構造とは若干異なります。
 アンゴラ内戦・ソマリア内戦が典型例です、詳細は検索してください。
内戦構造としては、対立する軍閥を米ソが支援する構造が一般的です。正統政府の地位を巡る戦いの事例が多いようです。
 概して、アフリカ諸国の内戦は、米ソ対立よりも、宗主国との因縁が関わる傾向にあります。
 なお、アフリカという概念は、サハラ以北・以南では別次元とも言えるので、調べる上では、サハラ以北(マグリブ)・サハラ以南は意識して分離するよう考えてください
  
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この回答へのお礼

早々に回答ありがとうございます。
アフリカのナショナリズムや冷戦について色々と間違った知識を覚えていたみたいです。
それぞれの質問が詳しく説明されていて、例まで挙げていただいてとてもありがたいです。
早速もっと詳しく調べていこうと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/28 02:45

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