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なぜ藤原氏は天皇とならなかったのか。

僕は作家の井沢元彦という人の本の愛読者です。
井沢さんの代表作である「逆説の日本史」の4巻の第2章、「良房と天皇家編」では
藤原氏がのちに強大な権力の握る礎を解説しています。

そこで井沢さんは以下のように問題提起をされています。

藤原氏は摂関政治という政治システムを構築し、
天皇家から権力を奪うことに成功します。
しかし、藤原氏の権力の元になっている摂関政治ですが、
その権力構造は生物学的な条件に左右され、決して盤石のものではない。
では、なぜ藤原氏は天皇を飾り物とするだけの
強大な権力を手中に収めたにもかかわらず、自分自身が天皇とならなかったのか。
他の国の歴史を見れば、そのようなことはいくらでも起こっている。
自分が天皇となれば、権力は安定した形で藤原氏のものになるではないか。

そして、それの答えの布石として、2章の最後を次のような文章で締めくくっています。

「それを解く鍵は、意外かもしれないが、日本の誇る大長編小説の成立と深い関わりを持っている。」

それで次の章を読み進めていくと、
日本は顕幽分離主義であり、源氏の怨霊鎮魂のために
紫式部は「源氏物語」を書いた、と書いてあります。

この章を読むことで
源氏物語の存在自体が当時の日本としては奇跡的なものであり、
なぜその奇跡が起こりえたのかについても知ることができます。

ただ、
藤原氏はなぜ天皇にならなかったのか、という謎の答えと源氏物語の関連については
記述がないように思います。

そこで質問ですが、
なぜ藤原氏は自分自身が天皇にならなかったのでしょうか。
源氏物語との関連がわかる方は、そのことも絡めて教えていただけると、ありがたいです。
また、
この質問は、のちの朝幕併存の問題とも本質的には似たようなものだと思うので、
「なぜ幕府は天皇家から完全に権力を奪わなかったのか」に答えていだたけるのも、ありがたいです。

A 回答 (7件)

井沢説による解釈


日本では権威と権力が分離する。権力が顕であり、権威が幽である。幽は現れないことによって続くことができる。天皇家はひたすら隠されることによって権威となる。
で、源氏とは天皇家の後裔であり、天皇(=源氏)を権力の場から葬っているので、鎮魂する必要がある。その鎮魂が源氏物語なのだ。


しかし、権力の保有者が一気に権威のトップになるというのは、
「他の国の歴史を見れば、そのようなことはいくらでも起こっている。」
というが、日本的な展開のほうが世界史的には普通だと思う。中国が易姓革命で合理化したのが例外的。

中東を見れば、アッバース朝は、ムハンマドのおじさんの家系で750年の建国から、正式にカリフが剥奪されるのはオスマントルコによって1518年
ちなみに、ヨルダンの王様はハーシム家
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC% …
草原地帯ですと、チンギス統原理ってやつで、ハーンはチンギスハンの男系でないとならないとされ、チムールは、ハーンではなくアミールです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%B3% …

イングランド王家も、なんやかんやで、829年から途中休みを入れて続いている
フランスも751年のカロリング王朝からとりあえず繋がっている
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お初です


源氏物語云々は分かりませんが、天皇を廃して自分たちがトップに立つ事は考えなかったと思います。天皇より位階の授与があって今の地位がある訳です。また、逆賊(逆臣)と呼ばれない為の策だったような気もします。クーデターを起こすより、影で糸引く方がまだ楽です。鎌倉時代、承久の乱後に北条氏は朝廷側の首謀者を流罪にしました。この後武家政権は朝廷に対して口出し出来るようになりましたが、潰すまではしませんでした。
ただ、日本には中国歴代王朝に見られる「禅譲」という概念があったかどうか・・・

この回答への補足

>天皇を廃して自分たちがトップに立つ事は考えなかったと思います。
これは、そもそもその時代には、
権力を握った者が新しい王(?)になるという概念自体が
なかったのでしょうか。
それとも天皇を利用することによって得られる利と
自分たちが新しい王になる労力とを比較して考えた結果の実利的行動でしょうか。

>天皇より位階の授与があって今の地位がある訳です。
藤原氏は私腹を肥やすために、荘園制度なるものをつくっています。
(この荘園制度の解釈は、
井沢さんの本からだけの知識なので
間違っていたら指摘していただけると助かります。)
その荘園制度は国家財政を揺るがすほどの影響力を持っていたと言っています。
そんなに勝手なことをできる程の権力を得た藤原氏なら
法体系を改変して、位階の授与権も天皇から奪うことはできなかったのでしょうか。

ちょっと違う質問ですが、
藤原摂関政治が始まってからは、
天皇はただのお飾りになってしまったというような書かれ方がされていますが、
その時でも、位階の授与権は天皇にあったのでしょうか。

補足日時:2010/06/08 23:29
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日本書記や古事記を読むと天皇と藤原氏は同族で弟、兄の関係ではと思えます。

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あまり学術的裏づけはないのですが、日本人のメンタルに権力者が権力を持つことに対するアレルギーがあるんじゃないかと思います。

その典型が今の小沢一郎氏じゃないかと思います。彼が、キングメーカーとして黒幕的役割をするのは比較的容認しますけど、もし彼が本気で総理大臣を狙ったら「それは嫌だ」という日本人が案外に多いんじゃないかと思います。
後の時代から見ると、鳩山政権も「政権交代につながる選挙の勝利の立役者は小沢氏で、小沢チルドレンと呼ばれるような勢力を作ったのなら鳩山氏をないがしろにして首相になれたのもたやすかったはず」と見えるのではないでしょうか。

古来より我が国では名目上の元首と、実際の実力者が別というのはよくある話でした。江戸時代には天皇家は徳川家によってギチギチに締め付けられ、天皇家の存在そのものが京都の人たちにさえ半ば忘れられていたにも関わらず天皇を廃してしまおうとはしませんでした。形式上は「徳川家は天皇家の家臣」です。

現代政治においても、前述の小沢氏を始め、野中氏など黒幕として君臨しながら表舞台にはほとんど出なかった人たちが何人もいます。「実際に実力を持つものが権力者であり元首になる」というのを日本史上最もストレートに実現しようとしたのが織田信長で、彼は「高転びに、あおむけに転ん」でしまいました。大久保利通も暗殺され、鹿児島では地元にも関わらず不人気な人物です。
そういうものがあるのではないでしょうか。
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一民衆の立場で考えてみよう。



貴方は長らくお世話になった領主と、見ず知らずの新たな領主、どちらに税金を払いますか?
民衆は信用がある方へならば税金を払う。

民衆よりも少し上の官僚でも似たようなもの。
信用と実績があるほうに人は従う。

政権を取れるような人の心を見抜ける人間が、これに気付いてないとすれば余程の愚か者。
より多くの支持を得るには、相手がこの人ならば従う。という存在をヨイショすることだよ。

天皇にならなかったのは、それだけ政治力が高かった証拠だよ。
従わぬからと虐殺して人口を減らして喜ぶのは敵だけさ。
人口を減らせるほど日本の人口は高くなかっただろうしね。
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No.2です。


>これは、そもそもその時代には、
権力を握った者が新しい王(?)になるという概念自体が
なかったのでしょうか。

権力を握った者が新しい王(?)になるという概念・・・この事を中国では「禅譲」と言います。前政権から権力を委譲された、といった意味合いですが、実際には前政権を滅ぼして建国するという事です

>天皇を利用することによって得られる利と
自分たちが新しい王になる労力とを比較して考えた結果の実利的行動でしょうか。

その通りだと思います。だから、結果として天皇家及び天皇制が現代まで存続できたものと思います。

>藤原氏は私腹を肥やすために、荘園制度なるものをつくっています。

少し違うと思われます。もともと荘園は三世一身法や墾田永年私財法の延長線上にあり、中央貴族だけではなく、寺院や神社、地方の旧豪族なども開発領主となったので、藤原氏の独占、という事ではありません。後に「寄進地系荘園」が増え、税を免除される荘園が増えた事で朝廷の財政悪化の原因となった事は事実です。

>権力を得た藤原氏なら
法体系を改変して、位階の授与権も天皇から奪うことはできなかったのでしょうか。

あくまで極論ですが、天皇家以外全て藤原氏であったなら可能性はあったと思います。しかし、藤原氏以外にも有力貴族はある訳ですし、あまり勝手なことは出来なかったのではないか、と想像してます。また、「慢心は滅びの元」のように考えていたかもしれません。藤原の栄華の大本は「慢心が故の」蘇我氏を滅ぼして成り代わった大職冠中臣鎌足ですから。ただ、現実には幼少期に即位した天皇では実質政務に携わる事はないでしょうから、取り巻きが決済していたものと思います。

>藤原摂関政治が始まってからは、
天皇はただのお飾りになってしまったというような書かれ方がされていますが、

参考までに後三条天皇以降名門藤原氏は求心力を徐々に失います。

>その時でも、位階の授与権は天皇にあったのでしょうか。

ありました。
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天皇をめぐる誤解や短慮の多くは、


近代的な価値観で天皇を説明しようとする為に生じています。
そんな理屈では、天皇の謎は解けません。

古事記をどう解釈するか、特に、神話時代の伝承についてどう解釈するか、
戦前は、これを天皇の神格化に利用し、戦後は、絵空事として無視してきました。

縄文時代について学べば、学ぶほど、「縄文の心と魂」は、
古事記の物語の中に、
そして天皇の御心の中に、
脈々と活き続けていると思えてきます。

天皇は、縄文と弥生の結び目に位置する存在。
そう考えながら、古事記を読み解くと、新しい解釈ができます。

奈良盆地における縄文時代の末期に、開拓者として入り、
周囲の縄文人達と協力関係を築きながら、
水田稲作を広めた中心人物が、初代天皇とされる神武天皇だったのでは。
縄文の心と魂を、水田稲作の技術や文化に融合させることに成功したからこそ、
水田稲作の適地にも非適地にも影響力を広げていけたものと推察します。

縄文と弥生の結び目に位置するからこそ、
天皇は、古代から広範な部族に支持を広げることが可能だったに違いなく、
現代においても、国民統合の象徴に最も相応しいと考えます。

だから天皇は、一見、庶民から最も遠そうな存在でありながらも、
逆に、庶民の心に最も近く、
庶民の心の奥底にも鎮座している「縄文の心と魂」に寄り添っていらっしゃる。
東日本大震災の被災者を見舞うお姿にも見られるように、
誰よりも、庶民の心に寄り添う事がおできになる。

人類史の中でも、奇跡的な存在でいらっしゃると思います。

もし、天皇を追放しようとするものなら、
まわりじゅうを敵に回してしまったでしょう。
実権から遠ざけ、祭り上げる事くらいが、せきのやまだったものと考えます。

<参考URL>
縄文の心と魂 http://web01.joetsu.ne.jp/~dimen/page047.html
古事記の解釈・編纂方針と背景 http://web01.joetsu.ne.jp/~dimen/page048.html
古事記の解釈・神代 http://web01.joetsu.ne.jp/~dimen/page049.html
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