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お布施についてお聞きします。
お布施の額が遺族から「高いのでは」と聞かされて、「足元みられてるんじゃない?」と私は言いました。親戚に話すと、「最期に亡くなられた方から院号を付けてもらってるから、足元みられてるとかそういのではない」といわれました。もし、院号つけてもらっても、経済状況が不安定の場合それでも言われた金額は払わなくてはいけないのか?私の認識では、次の代で多めに負担すればいいのではないかと思っておりますが、この考えは間違ってるでしょうか?

A 回答 (3件)

お布施とは、寺院や僧侶にあげる(寄贈)金品の意味です。


ですから、本来は「志」で良いのですが、戒名の「院号」は寺を寄贈する程の金品を布施した者に授けられる寺院からの敬意なのです。
ですから、〇〇院の付く戒名には、それなりの額の布施が必要になると言う事です。
昔の殿様は、自ら寺院を建てたりしました。その場合は〇〇〇院殿の戒名が授けられますが、1つの寺院を寄贈した敬意なのです。

戒名を授けるのに足元を見るなら院号は授けません。
院号は戒名では上位になりますから、院号を授けて欲しい人は高額の布施が当然になるからです。
院号の戒名も寺院の格式で布施額の相場があります。
地方の寺院では100万円前後ですが、当家の菩提寺は東京芝の由緒ある寺ですので500万円と言われてます。
院殿大居士の戒名なら数千万円~数億円の布施は必要になります。
戒名とは、そのような性質があるので、次の代は関係ないのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/23 14:47

ご親族さまの宗旨が分かりませんが、戒名{法名}の値段はそれとなくあるようです。


1980年代にも新聞への投稿から、戒名に対するお布施の値段が話題になり、ある種の檀家離れも起きたようです。
日本の仏教界がいまだに解決できていない問題です。というより、檀家制度が江戸幕府によってつくられそれに乗っかってきちんとした宗教活動をしてこなかった仏教界の姿そのもです。
ですから、戦後既成仏教を嫌った人たちが<新興宗教>に流れ込んだんです。

宗旨によって、戒名の値段がおおよそ決まっているみたいです。
特に院号をつける戒名は、本山で決めることが多く、また地方のお寺は本山へ「お布施」を上納して、
あとから手当?が支給される仕組みですので、地方のお寺さんが親族様の足元を見て判断すると言うことはないと思います。

僕は、勝手な<浄土真宗=親鸞>信者なので、死んだ後につける日本特有の死後戒名(法名)が必要なのか疑問に思っています。
阿弥陀仏様は僕が亡くなったらまっすぐに極楽浄土に連れて行ってくれるのに、そういう風に書いていますのに、何故死後に戒名(法名)を付ける必要があるでしょうか?
それは阿弥陀仏様を、親鸞上人を信じていないと言うことでもあるように思います。

ご親族様の宗旨は何ですか?
お布施を多めに払えば成仏できると、経本に書いていますか?或いは、多めに払わないと極楽浄土まで連れて行ってくれませんか?院号を付けないと、亡くなった人は極楽浄土まで行けませんか?
死んだ後も上下を付けたいんですか?

よく先祖供養などと言いますが、仏教には先祖供養という教えはありません。これは中国の儒教を混ぜ込んだせいです。仏様に「誰々の仏様」という区別はないと思います。
死んで<仏様>になってまで、狭い心を持てと要求するのは、生きているもののエゴですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
多分私も、ほぼ同感です。

いくら大金を積んでも、遺族の心からの供養(思う気持ち)がなければ何の意味もないと。

地獄の沙汰も金次第っていうくらいですから・・・おかしな話ですね。

お礼日時:2010/06/23 14:47

お布施にも相場があります。

宗派ごとに違いがありますからURLを御覧なさい。
お願いするのはどなたでもできますが、お礼をどのようにするか考えもしないでお願いするのは了見違いです。
高いと思うなら、お寺さんを頼まない事。戒名にしても故人にはわからないから遺族の見栄だけです。
通常、お寺さんはいくらお支払いくださいなんて、お布施の額を明示しません。葬儀会社は請求書を書いてきます。と、言う事で、相場では100万のお布施でも、10万だけ包んで知らん振りも出来ます。

参考URL:http://www.jp-guide.net/manner/ao/ofuse.html
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/23 14:49

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