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総合格闘技のK-1の前に、異種格闘技がありました。
プロレスこそ最強を証明するためのものだったと思います。しかし、その後、内部抗争が起きて、プロレス人気は低迷していったところに、K-1が出てきて訳の分からない内部抗争に嫌気がさしたファンがK-1に転向。取り返すべきレスラーも参戦しましたが、かえってK-1の引き立て役になってしまったようです。

プロレスが一番を叫ぶ猪木がいた時に何故プロレスの地位向上をアシストせずに内部抗争にあけくれたのでしょうか。選手達は何が不満であったのかが分かりません。それとも猪木さんは事業意欲が旺盛でプロレスの利益を自分の事業に使ったと聞いたのですが、それが要因なのでしょうか。

それから、プロレスは60年の歴史があるのに、新興勢力のK-1に人気をとられてしまった理由は他にあるのでしょうか。

A 回答 (4件)

やけに古い話ですな。


K-1グランプリは1993年からでしたね。その当時の猪木の動向を考えると、
中途半端に政界進出した事が目立ちますね。また、それまでは競技者だった
としても、年齢による衰え、敗戦もあり、さらには自身の後継者を育成して
いなかった事が一因ではないでしょうか。

まあ、とっくにK-1も下火ですがね。
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内部抗争は力道山の時代からずーっとあるので、


人気の低迷とは関係ありません。
また、各種競技者は競技内の優劣を競うのであって、
他競技との比較など考えませんよ。

また、
歴史が長いことと人気とは関係ありません。
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まず総合格闘技はK-1ではなくPRIDEです。



そしてあなたがおっしゃっていることは殆どが事実誤認です。

プロレスの人気が低下したのは国民がショーよりリアルファイトを求めるようになったからであり、そのキッカケとして猪木が利用されただけの話です。
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 流れとしては


・猪木→UWFの格闘技志向→三派に分裂
  →うちリングスと正道会館が提携→興業ノウハウ吸収→K1 
  →日本とは無関係にUWC開催→PRIDE立ち上げ

 となります。猪木はガチもやりましたが、プロレスラーなのでガチを嫌ってました。プロレスの地位向上は、さらなるエンターテイメント化(アメリカではスーパースターと呼びます)か、ガチ路線のアスリート化しかないと思いますが、日本のプロレスはどちらでもなく、中途半端でした。そうしているうちに、趣味や娯楽が多様化し、総合格闘技も始まり、両方からパイを奪われ、そして不況が追い打ちをかけた、というのがプロレス没落の図式です。K1や総合格闘技に、元来対応できないプロレスラーを送り込んだのは猪木の金銭欲でしょう。K1人気は、興業(キャラ立て、テレビ)ノウハウとガチ(怪しい試合もたくさんありますが)が組み合わさった良質な娯楽番組として成立した、という点が革新的でした。
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