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「です・ます」調と「だ・である」調の混在についての質問です。
文章の書き方について習うと、必ずといっていいほど「です・ます」調あるいは「だ・である」調で統一しなさいと教えられます。

しかし、名文家と名高い三島由紀夫のエッセイを見ても、両者の混在がみられます。
彼の著作「不道徳教育講座」は終始この調子で、例えば以下引用します。

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 私はどうもこういう風潮も一概にわるくないのではないかと思う。ルネッサンスのころのイタリーはこうだったのです。大犯罪も人間のエネルギーの産物だから、大いに尊敬された。王侯は毒殺を常とし、天才は同時に悪漢であった。「善にむかっての秩序」と同様に、「悪にむかっての秩序」というものもあるようなので、コチコチ頭の道学者が考えるように、悪が直ちに社会不安と、社会的無秩序を招くとはかぎりません。悪がむしろ、社会秩序をととのえることだってあるのです。
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さすがに、リズムが良いですね。
「思う」「だったのです」「であった」「かぎりません」・・・と「です・ます」調「だ・である」調が混在しています。
三島由紀夫に限らず、両者混在の文章はたまに見かけます。
私が思うに、「です・ます」調は冗長になりすぎることがあるので、「です・ます」調を基本としている場合でも時折「だ・である」調で簡潔に述べる場面があってよいのではと。例えば次の2つの文章、

(ア)「彼は確かにそう言いました。でも、これはちょっと訳しにくいです。」
(イ)「彼は確かにそう言いました。でも、これはちょっと訳しにくい。」

(イ)の文章は混在形ですが、「訳しにくいです」よりも「訳しにくい」のほうが簡潔で日本語として美しいと思います。

皆さんは、「です・ます」調と「だ・である」調の混在についてどう思いますか。

A 回答 (4件)

本来は、「ですます体」「だ体」「である体」って言いますけどね。



さて、こういうことではないでしょうか。

「私はどうもこういう風潮も一概にわるくないのではないかと思う。」
  ⇒ 「私は一人で勝手にそう思っています。」

「ルネッサンスのころのイタリーはこうだったのです。」
  ⇒ 「こうだったのですよ!」と読者に訴える。(「のです」の「の」には強意の働きがある。)

「大犯罪も人間のエネルギーの産物だから、大いに尊敬された。」
  ⇒ そういう事実があった。

「王侯は毒殺を常とし、天才は同時に悪漢であった。」
  ⇒ そういう事実があった。

「悪が直ちに社会不安と、社会的無秩序を招くとはかぎりません。」
  ⇒ 「かぎらないでしょう?」と読者に訴える。

「悪がむしろ、社会秩序をととのえることだってあるのです。」
  ⇒ 「あるのです!」と読者に訴える。(「のです」の「の」には強意の働きがある。)


>>>皆さんは、「です・ます」調と「だ・である」調の混在についてどう思いますか。

読み物であるならば、読者に語りかけたいときだけですます体を用いるのも、かまわないのではないでしょうか。
違和感もないです。
念押しですが、あくまでも読み物であるならば、です。

ちなみに、最近、こんなQ&Aで回答しました。
若きエネルギーあふれる現役大学生さんの質問です。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5968027.html
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございました。
具体的に、よくわかりました。
リンク先のQAも合わせて拝見しました。熱い議論はなかなか読み応えがありました。

お礼日時:2010/07/30 16:12

小学校の作文の時間にです・ます調とだ・ある調のどちらかで統一しなさいと言われるのは、


両者が混同するといけないからなどと言うわけではなくて、形式がまとまっていればリズムも
よく聞こえるだろうし、統一感も出るから、と言うだけの理由で、まさに質問者さんが上げられた
三島由紀夫などプロの作家たちにかかれば語尾に統一を持たせなくてもセンスのよい、耳(目)に
心地よい流れの文章がかけるため、そんな必要性はないわけです。

また、更に言えば、質問者さんがあげてらっしゃった例についていうと、

例文(イ)「彼は確かにそう言いました。でも、これはちょっと訳しにくい。」
は形として正統な日本語であるけれども、
例文(ア)「彼は確かにそう言いました。でも、これはちょっと訳しにくいです。」
は正しくなくはないけれど正統な日本語の語尾の形ではないのです。

だから、おそらく質問者さんも違和感を感じられるんでしょうし、三島由紀夫しかり、プロの作家たちは
ちょっと気まずく聞える(イ)のような用法はめったに使わないように、意識的にか無意識的にか
避ける傾向にあるのではないでしょうか。

詳しく掘り下げると、こうです。形容詞は基本的に文末では「ーしい、ーい」の形で終わりますよね。
その場合、丁寧語をつけた正しい形というのが、また非常に堅苦しく聞えますが、

「ーしい」で終わる形容詞の場合は「・・・しゅうございます。」なのです。
《例》美しゅうございます、苦しゅうございます、楽しゅうございます。

「・・・い」で終わる場合は「い」の前の音に左右されて、
《例》柔らこうございます、もったいのうございます、とんでものうございます、となります。

ものっすごい時代がかってますが、これらの形が正統な形なのです。
あえて、正しくない形と申し上げないのは、言葉は時代とともに変化するものと言うのが学術的にも受け入れられている事実であるため、どれが正しくてどれが正しくないというのは、特にこの例の語尾の形のような経年による変化には当てはまらないんじゃないかと思うからです。

たとえば、可能を表す意味での「食べれる」という言葉、形として正統ではないけれど、みんな使いますよね。だから、正しくないって言い切ってしまうのはなんか違う気がしますが、ただ文章にしてその表現を書き表してみると、そのインフォーマルさが目立ってしまい、なんとなく変だな、質問者さんが例文(イ)に感じられたような、なんかおかしいな、という感覚をその語形が正統でないゆえにもってしまう、ということなんではないでしょうか。

よって、要するに、彼らプロの作家たちは、カジュアルな文章や表現を使っているように見えて、ちゃんときちんとした日本語を熟知しているからこそですます調・である調の混在した、かつまとまった文章がかけるんではないでしょうか。

長/乱文失礼いたしました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございました。
形容詞の箇所はまさに目から鱗でした。
文法的には本来、
×「訳しにくいです」
○「訳しにくうございます」
なんですね。
どうりで違和感があったわけです。

お礼日時:2010/07/30 15:50

外国の人が日本語を習うとき、丁寧形の文型「~です。

」「~ます」から習い、
次に普通型と呼ばれる、た だ である、動詞の終止形などを学ぶ、
何故ならこちらの方が分かり易く、簡潔で、この後に「です、ます」を覚えるのは、
とても困難になるからだそうだ。

殆どの小説や、エッセイにしても、普通型で書かれている。その方が読み手にとって、
明快で読みやすいからだと思う。
 
三島由紀夫も他の小説ではそうしているはずだ。
この作品は「不道徳教育講座」と銘打っているから、読み手に説明し、説得をする
スタイルでかくため、敢えて少し柔らかく、丁寧にですますで書いていると思う。
しかし全体の文章を引き締めるため、あえて、普通型系もを使っているのだと思う。
文章を書くテクニックうが優れていれば、混在しても違和感はない。


私は です ますを入れようと思いましたが、面倒になりました。失礼しました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。
「不道徳教育講座」の例は、説明口調のですます調で書きながら、文章を引き締めるために普通型も取り入れてるんですね。

お礼日時:2010/07/30 16:09

「です・ます」と「た・である」を混ぜるなという教えは、文章を書く上での基本です。

何を習うにしても、最初は基本の型を叩き込まれるものです。
巧い文章だけを見れば、統一しろという教えは愚直で無意味に見えるかもしれませんが、ヘタクソな混在文に一度でも触れる機会があれば、この基本がいかに大事かということも分かると思います(笑)

基本をマスターした上で、必要に応じて型を崩すのは自由です。
要するに、依頼人(学生ならレポートの提出先)に「ですます体で書け」「た・である体で書け」と要求されたら応じられる腕前のある人なら、状況と目的に応じて混在させてもいいでしょう。

ちなみに(ア)と(イ)はどちらが「美しい」ではなく、それぞれ微妙にニュアンスが異なります。
「ですます」体に「た・である」体が混ざる時は、基本的に「そこで口を挟むな!」というニュアンスがあります。その理由は、説明の途中だからだったり、そこを突っ込まれたくないからだったり、いろいろです。
つまり(ア)は「訳しにくい」という箇所に異論や反論が入っても構わない、それは織り込み済みだ、という余裕があるのですが、(イ)は何らかの理由で「ここで異論を挟まないで欲しい」という意志が働いています。前後の文脈があれば、その理由が判別できるでしょう。

「ですます」体に「た・である」体を混ぜない理由のひとつはコレです。文章にメリハリを付けて読者を酔わせ、支持を集めやすくなる一方で、読解力の高い人に自分の文章の弱点をバラしてしまう可能性があるのです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。
混ざるときには、それなりの理由があるんですね。
確かに「た・である」体は断定の口調に近いと思います。

お礼日時:2010/07/30 16:11

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