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音楽の再現について

人と、遊びである曲を歌ったときに、下や真ん中のパートも再現して歌ったら、少し驚かれたことがありました。

頭の中で音楽を流せるなら、それを意識的に出すことができるはずではないでしょうか。主旋以外のパートや、背景の音楽もです。

「今、頭の中であの音楽が流れている」などとよく言うし、誰もが体験していると思います。
しかし確かな音として取り出すことができない人も多いことを知り、一体皆の頭の中で、音楽がどのように流れているんだろうか、と疑問に思いました。まさか単旋で流れているわけじゃないと思うのです。CMの曲とか芸能人の曲とか、ほぼ実際の曲どおりに、流れているのではないのでしょうか?

頭の中では無意識のレベルでの再現があり、実際に音を取り出そうとするとできない領域は、確かに存在すると思います。
しかし、二重、三重くらいならできるはずだと考えてしまいます。

他の人が頭の中で音楽を流しているとき一体どのように流れているのか、また、もし皆が同じように頭の中で再現しているが、確かな音として取り出せる人とそうでない人がいるなら、その理由は何でしょうか?

A 回答 (5件)

貴方はどこかに仕舞い忘れた物を探しているとき、目の前に在るのにそれが見えなかった経験をしたことがありませんか。



あるテレビ番組で紹介されていたのですが、ある交通事故で頭に障害を負った年配の男性の方が、別居している自分の息子さんの顔を識別出来ない。だからその息子さんがお父さんの家を訪れると、玄関先で追い返されてしまう。ところがそのお父さんは息子さんの声は識別できる。そこで息子さんは追い返された後、側の公衆電話から電話をかけてお父さんに事情を話し、も一度そちらに行くが今度は目を瞑って私の声を聞いてくれと言って、やっと相手も判ったそうです。このことから学者さんは大変重要な事実を発見しました。そのお父さんは普通に生活が出来ているのですから、外界をきちっと見えているのです。ところが息子さんをいつまでたっても識別できない。実は見ると言う行為には、外界を映画や絵画の背景のように感じている部分と、そのどこかに焦点を当てて見ていることを意識している部分があり、それぞれの部分は脳の別な場所が司っている。そしてそのお父さんは後者の部分を交通事故で傷つけてしまったので、見えてはいてもその認識が出来なくなってしまった。

更に、生物は進化の過程で先ずはじめに見る部分を手に入れ、後に突然変異などで、見たものを認識する部分を手に入れたことも分かるようになった。今でも爬虫類以下の多くの動物は見えるけれども認識出来ないそうです。

このように私達の脳味噌は外界をそのまま認識している訳ではなく、進化や個体の違いに基づいた多くのフィルターを通した結果を認識しているのです。だから、鼓膜が振動しているのに聞こえなかったり、光が網膜に到達しているのに見えなかったりすることに何の不思議はなく、ましてやそれを脳が再生するのに、いろいろな部分を落してしまうのは当たり前なことです。
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この回答へのお礼

遅くなり申し訳ありませんでした。
皆様ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/29 21:02

 どのような仲間の中での経験なのか知りませんが、貴方がまったく音楽的な訓練をしていないにもかかわらず、そのような能力があると言うことは、話を聴いただけでも、確かに驚いてしまいます。

また、貴方が相当な訓練をしたことを仲間が知っていたとしても、目の前でそれを見ればやっぱり驚くでしょう。
 しかし、その場面が初めてでなく、似たような状況をこれまで経験しなかったのでしょうか。例えば、貴方が、今回の経験をする以前は、周囲の人もまったく貴方と同じような能力を持っているように思い込んでいたのでしょうか。私は、貴方がその経験をするまで誰でもその様な能力を持っているのだ、と思い込んでいることに驚いてしまいます。生まれながらに持っている音楽的な能力はすごいものだな、と感心してしまいます。確かに、世界的な偉大な音楽家の多くは、子供の頃から信じられないようなセンスと能力を持っていたことを伝記などで拝見します。おそらく、貴方もその類かも知れません。他人が貴方の能力におよばないことを怪しむにはおよびません。凡人では、普通のことだと思います。貴方は、自らの能力を大いに活用して、大成することを祈念いたします。
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こんにちは


頭の中で音をどのように認識されているかは、私もわかりませんが、
頭が音を認識する能力には個人差があります。
その理由は、音を認識する訓練を行っているか・いないかの違いです。
1点、前置きがありますが、音は全ての人が聞こえています。
当たり前なんですが。
音としては聞こえているが、脳の中でその音を処理する部分が
訓練によって変わってきます。
能力について具体例を上げたいと思います。
1)チューニング(音の高さの違いの認識)の能力
これは、2つの音を聞いてその2つの音の高さの違いを認識する
能力になります。
スピッツの泣き声とブルドッグの泣き声の音の高さはだれでも
認識していると思います。
楽器の調整・演奏ではこの能力を伸ばさないと上手く合奏できません。
たとえば、音程の変わる楽器(ピアノは固定です、バイオリンとか)
・声を使用して他人と合奏する場合には、他人の音の高さに自分の
音を合わせます。
2)複数の音の認識
例の2個目ですが、ピアノの有名な練習曲にバッハのインベンション
とシンフォニアというものがあります。
この練習曲は、左手と右手で、似たような旋律を小節をずらして
演奏します。(一人で輪唱(はるかな木陰の森のなかかから・・みたいな)
する練習です。))
これもトレーニングを積むと、上達していきます。
ちなみに、インベンションは2声(2個の旋律)、シンフォニアは3声
(3個の旋律)です。

お話は、再生の内容とはなりますが、上記の録音(聞いている)の内容と
似ているとは思います。

余談ですが、私はインベンションも練習しましたが、普段頭の中で再生した
音楽は、イメージとしては1個(1声)しかありません。
それは、多分音を解析している脳の部分は最終的には1個のある部分で
処理しているのだと推察しています。
1個の部分に、複数の音が混じって再現されていると思います。

ご参考までに
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理屈は説明できそうだけど、他人にもわかる説明ができるかどうか自信は無いがチャレンジ。




>しかし、二重、三重くらいならできるはずだと考えてしまいます。

下や真ん中のパートを再現したってのは、要するにコード(和音)のことじゃないかと。

ソーソラソソソミ ドドレミレ。(夕焼け小焼け)
これCコード。
副のパートを歌う人はミーミファミミミド ララシドシ って歌えば和音になるわけです。

シンプルな曲調でいい場合は、Cコードで推移していたら、基本三度下げた音を歌えばいいわけです。

三度下げた音階で歌うことは誰でもできるが、主旋律を聞きながら3度下げた音を自分が出すってのは、結構難しいかも。
でも 結局慣れ。

よくそうやって遊んでいたら、どんな曲でも即興でできるようになるが、慣れてないとできない。

で、普通な主旋律をカラオケで歌うので、なかなか和音で歌うって機会は少ないわけです。
中学校ではやりますが、その時くらいじゃないですか。

だから 誰でもできるわけじゃないんです。
慣れてできる人からすれば、なんでできない? となるでしょうけど。


オーケストラの演奏を聞いていて、主旋律じゃなくて、他の楽器のパートに注意をして聞くこともあります。
そのメロディーを歌うこともできますが、別のメロディーを取り出せない人がいたとしても、別段おかしいとは思わないです。
音楽が好きだからよく聞いていたので、主旋律以外の音も取り出して聞ける耳になったんだと思う。

大人になっても訓練すれば出来なかった人ができるようになるかというと わからない。
もし それができるのなら、小さい頃とっくにそれができるようになっていて、取り出して楽しんで聞いていて、大人になっても、取り出して楽しめていたはずなんじゃないかと思う。


最近 あっって思ったことがあります。
私すごく字が汚い。笑
サクサクやらないと気がすまない性格だからだと思っていた。
ゆっくり書けば綺麗にかけるって。でもゆっくり書いても汚い・・・・。

で、テニスを1年間習ったけど、どうしてもラケットの真ん中に当てることがほとんどできなかった。
人の倍練習してもできなかった。
考えてみれば球技類全滅。
マラソンも短距離・水泳など他のスポーツは得意だけど、球技だけは全部駄目。

車の運転取得も結構時間がかかった。笑
何ができなかったというと縦列駐車で時間くっちゃった。笑

さあ、考えてみましょう。これに共通する能力とは?

       空間把握能力。


先天的に空間把握能力が欠如しているので、それに関することは苦手となるわけです。
そして練習すれば習得できるレベルの欠如ではなく、先天的に欠如しているので、鍛えても伸びなかった。
ヘタだから当然おもしろくなく球技類に興味を示さなく、あこがれで興味を示したテニスだったが、駄目だった。
このケースの場合、空間把握能力が深く関わっていますよね。

音を認識する能力。
オンチの人がいて、どんなに練習しても 音が外れてしまっており、本人に外れていると言っても本人は聞こえるとおりの音で歌っていると言う。

機能的なもが原因だと思う。

感音性難聴。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E8%81%B4# …

『感音性難聴とは、内耳もしくはそれ以降の神経系の障害に起因するタイプの難聴のこと。症状が比較的軽い場合は、聞こえる音量に関してはさほど問題ないが、雑音との聴き分けが出来ない、言葉が聞き取れない、間違って聞こえてしまう、多人数での会話が難しい(話の中身が聞き取れない)などの症状が見られる』

伝音性難聴 ってのもあって、小さい頃中耳炎になったりすると、音の伝達がうまくいかなくなる。
歪んで聞こえた音を真実の音だとして聞こえた音の通りに発声するからオンチなわけです。

こんな感じで、訓練すれば能力を開花させることができる人もいれば、機能的な問題で鍛えても開花しない人もいる。

自分ができる=他人もできる、 他人ができる=自分もできる ではないと思わないと、できない自分に腹をたてたり、他人ができないことに奇妙さを感じてしまったりすることになるかも。

みんな誰しも何かしらの障害がありますからね。
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 音楽が頭の中で鳴るときは、そのまま再現されますよね。

特に、印象に残っている一部分のフレーズが。

 しかし、それも全てを再現した音ではなく、せいぜいボーカルの声と旋律と効果音などでしょうか。

>確かな音として取り出せる人とそうでない人がいるなら、その理由は何でしょうか?

 それを音符で表せる人なら、音符で取り出せるんでしょうね。

 耳コピーなら、楽器を弾ける人なら取り出せるでしょう。

 音符も知らず、楽器も演奏できないなら、取り出せないと想います。
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