No.8ベストアンサー
- 回答日時:
三成を嫌いな人は多いと聞きます。
それはやはり、10m10mさんがおっしゃるように
"極悪人"として市内を歩かされたからだと思います。
その理由は、勝利者であった家康の敵であったから
ではないでしょうか?
勝者としては、敵を処刑するというのは
当然のことでしょうし、また、juyjuy さんの
おっしゃるように家康も彼を評価していましたから、
それはなおさらだと思います。
>また、石田三成が好きという方は
彼の魅力について教えて頂けると嬉しいです。
わたしは、三成が好きで、いろいろな本を読んでいますが、
その中のひとつに、こういった逸話がありました。
(うろ覚えですが……
『人々はお茶を回し飲みしていた。
回し飲みをしていた一人、 三成の友である
大谷刑部はハンセン病であった。
そのため、他の者たちは、刑部の飲んだ後の
茶は飲んだフリをして他の者にまわすことが多かった。
ある日、刑部の鼻水がお茶の中に入ってしまった。
そのままお茶を回すことをためらい、
お茶をまわすことができずにいた。
それを見ていた三成は、
「拙者は喉が渇き申した。
刑部殿、早くお茶を回してくだされ」
とお茶を受け取るや、それを一気に飲んだ。』
このあとの記述にもあったのですがこのことから
三成と刑部の友情がうかがえます。
人々から嫌われているというのに
こんなことができるとは……友情最強!
とわたしも思わず拍手をしてしまいました。
この逸話はあまり有名ではないかもしれませんが
わたしが一番好きな逸話です。
(長文失礼致しました。
No.7
- 回答日時:
歴史と言うものは勝者が作るもの、負けた方は悪者なのです勝った方が自分の都合の良いように残すもの
だから疑問を持つ事が大切、思い込みで負けたのが三成!皆んな太閤に恩があるからとまさか裏切られるとは思っても居ない(司馬遼太郎の関ヶ原が面白いですね)読んでみてはどうですか?三成の逸話として引廻しの途中のどが乾いたので白湯を所望したら、警護の兵が無いと答えたその代わり柿を渡そうとしたら三成曰く柿は胆の毒いらぬ!兵は笑って(今から首をはねられる者が体の毒とは、)それに答えて三成は(将たる者!自分の首が落ちるまで次の手を考えるものだ!最後まで分からぬのが人生で有る)と聞いた家康は流石三成とつぶやいた。関ヶ原での圧巻は薩摩の島津義弘。家康の目の前を1500の兵で敵中突破しかも家康に向かい(戦にこれ利無く故郷に帰る追いたければ追ってこい!)と言い放つて行きましたこれが西軍最後の花でしょう
No.6
- 回答日時:
>また、石田三成が好きという方は
>彼の魅力について教えて頂けると嬉しいです。
三成が優秀な行政官である事は、他の方が書かれているので別な面から
清廉潔白、私利私欲が一切無かった人
関ヶ原の合戦後に東軍が三成の居城・佐和山城を占領したのだが金銀財宝どころか城の壁すらも満足に手入れされていない貧疎な城しかなかった。
(同時代に三成を口汚く罵った武功派であっても、秀吉の権勢をかさに着て私利私欲を蓄えていたとは非難していない。)
秀吉の小姓だった時代に、自分が戦場で武功を立てられないからと、当時豪傑として有名だった渡辺勘兵衛に、自分の500石の知行全てを与えて雇った。
秀吉が「それではお前はこれからどうするのだ?」と問うと、「勘兵衛の家に居候になります」と答えたとか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA% …
島左近に対しても、所領4万石の内の2万石を与えて雇っています。
(他の家臣への分を考えると、自身の所領は殆どの無かった筈…。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B8%85% …
仁義の人だった
秀吉への忠義を最後まで貫いた人であるが、豊臣秀次失脚時には秀吉の怒りを買うのを覚悟しながら、最後まで秀次の助命に動き、秀次の家臣であった前野忠康ら若江八人衆はその三成の姿に感激し、以後、三成の麾下に加わった。
No.5
- 回答日時:
石田三成の実績、人柄等は既に今までの回答者様が書いておられますので別の視点から・・。
彼は「武将」というより、典型的な「官僚」の元祖でしょう。権力者(この当時は武将)の機嫌を取りながら自分が作りたい世の中を(彼の場合は中央集権的な「近代」国家だったと思いますが・・)作っていこうとした人だったでしょう。
日本の税制の基礎になった「太閤検地」、今の日本の治安の良さの根本である「刀狩」など、官僚でなければ出来ない政策を次々に打ち出しています。
しかし、「官僚」というのはいつの世にも嫌われるもので、石田三成も「秀吉を利用した」、「無謀な戦争(関ヶ原)をした」とかいわれ、とくに後世のひとから嫌われました。徳川家康に抵抗したからです。
しかし、「秀吉」「家康」は彼の能力を買っていました。
家康は彼の能力を買っていたからこそ処刑しました。また家康の側近は彼の悪口を散々触れまわしました。
ちょっと事情が違いますが、実力があるのに「金の出所が疑問だ」と言われ世間の非難で「悪人」とされている某元幹事長に対する民衆の感情は、関ヶ原で負けた三成に対する当時の民衆の感情と似ている気がしますが・・。
No.4
- 回答日時:
戦争に負けた敗軍の将として、市中引き回しの上獄門というのは当時としては当然の刑ですからね。
関ヶ原で西軍が勝っていれば家康が同じ目にあっていたはずです。もっとも、家康の場合は関ヶ原で負けたとしても遅参した秀忠が率いていた軍勢がまだ残っていましたから、関ヶ原で負けたとしてもそうなったとは思えませんが。石田三成の魅力というか歴史上では彼の汚点になってしまったのは、実務家なんですね。あの当時求められていた武将ではないんです。本能寺で信長が討たれ中国で毛利軍と戦っていた秀吉の中国大返し(驚異的な速さで反転し、光秀との戦闘に参加)ができたのは三成が先行して戻りながら、要所の農民に食料などを用意させた結果ですし、歴史の教科書でも秀吉の功績とされる太閤検地は三成がいればこそできたことですから。
時代が三成を受け入れるのには、早過ぎたんですよ。もしくは秀吉が政権を固めるために後10年余裕があって家康を抑えておくことができていたら評価は完全に逆転しているでしょうね。
また、石田三成は地元では名君として知られ、関ヶ原で負けて敗走し、領民に匿われていたのですが、家康が三成を差し出さなければ領民を皆殺しにするとお触れを出しても匿い続けようとしたとされます。
武将としての評価は関ヶ原で負けたこと、北条氏との戦いでは三成の担当した忍城での戦いでは水攻めに失敗し、先に小田原城が陥落したことなどから戦下手と評価されていますが、最近の研究では忍城の水攻めは地形から判断して水攻めは無理と進言したものの秀吉がそれを遮って水攻めを命じた手紙が見つかっていること、関ヶ原の戦いでも家康との直接対決で意外に強固に戦い、家康が評価を一転させたことが最近になって判ってきています。
政治手腕が高すぎて、軍事能力が低く評価されてしまったという見方もできるでしょう。
最近の見方は秀吉に忠実であり過ぎたために、その才能を殺してしまったという見方をする人が多いです。
No.3
- 回答日時:
それ本当?
これが歴史を見るときの必修態度。
なぜか、ほとんどわからないからで
1割わかればすごい。
そんなもんですよ。
どこかで聞いたりみたりしたものを
そのまま信じる。(笑)
ただ、今も,昔もそうだけど
強いもに従う、命がかかるものなら、なおさら。
人間の行動心理は、変わらない
確かに、関が原で家康側と三成側との戦闘があって
三成側が負け、京で殺されている。
それぐらい、そのほかのことは
信憑性のある、資料が出てきてからの事
自分でいろいろ調べてみたらどうかな。
車も携帯もコンビニも舗装された広い道も
水洗トイレも紙もシャーペンもカップめんも
学校もなんにもない。
その背景で見ると、君なりの答えがでるかな。
No.2
- 回答日時:
>石田三成について教えてください!!!
↓
Q:石田三成はなぜ"極悪人"として
市内を歩かされるような事になったのでしょう?
歴史は勝者に都合良く変色されたり改竄されるのが常である。
石田三成は豊臣家への報恩に律儀であり、信義を重んじる人でしたので、関が原の戦いに於いて、勝算を追求するには、秀頼の出陣や毛利輝元総大将の出陣を淀君や毛利一門の消極姿勢とか駆け引きの前に果たせず実質の関が原の西軍大将として指揮する事になる。
しかし、小大名であり、実戦経験の少なさと朝鮮出兵や補給の不満、撤退時の連絡の不備等から苦戦を強いられた武将との軋轢蟠りがあり、統率力や駆け引きの巧みさで東軍家康には及ばず味方の離反や不戦様子見の中で敗れ去った。
そして、敗軍の責任者であり、市中引き回しの上、惨殺された。
しかし、
◇秀吉の抜擢逸話
「美濃の国のお寺の小姓の時に、秀吉が立ち寄り、茶を所望されて、熱めのお茶を少し、ぬるめのお茶、ちょうど飲み易い適温のお茶をタイミング良く出してくれた→頭が良く気が利く小僧だと感心し見出して側近に取り立てる。」
◇信義と秀吉恩顧に忠実で友を同志を信じ頼り過ぎた逸話
「大谷吉継がらい病(現在ではハンセン病)に冒されていたが、当時は移ると思われていたので、お茶会で大谷氏の飲んだ茶碗を誰も口にしなかったのだが、親交のある石田三成は、ただ一人躊躇なく飲み干したと言う、それ以降の友情で家康追討の戦いに望んで諌めたが最後には視力を尽くし共に戦ってくれた」
◇親友・同志
「また、才を知る者どうしの信頼の絆が深く、上杉家の直江兼次と家康の豊臣家への逆心・天下争奪の下心を糾弾し挟撃する形で戦った、その他にも小西行長や宇喜田直家等の文才商才の仲間が多く、武闘派の加藤清正・池田輝正・福島正則には先頭に於いては適わなかった」
◇甘さ(純粋さ)と軍略の机上論であり、未熟さを露呈
「一方で、縁戚関係や友誼を信じて疑わなかった細川や秀吉の甥っ子でもある小早川秀秋や豊臣恩顧の多くの大名・武将には期待を裏切られた、欲と煽てと恫喝で使い捨てる家康と人身掌握術で見劣りした」
「しかし、引かれ者となっても、天下の不忠者、家康を詰問し糺す姿勢、最後のチャンスや僅かな可能性を追求するエピソードとしての、喉の乾きに薦められた柿を腹を冷やすからと辞退した逸話は彼の純粋さ一途さを伝える話として評価しております」
「実践派の島左近や経験豊富な味方武将の夜討提案や東軍内応疑惑部隊への備えに、机上論や正義の戦いとの甘い感傷&拘りが強く、戦場では硬直した作戦指導で敗色を強めた」
しかし、小大名&成り上がり者(秀吉の抜擢での立身出世)の為に一族郎党が少なく人材にもあまり恵まれなかった。
とはいえ、治世の公正さや改革的な制度の実施等の声望、豊臣家への忠義、裏切りの連続と疑心暗鬼の代に、まっ正直に生き戦い死んだ彼の人生・処世・統治が近年、再評価されつつある。
私は、時代感を持ち怜悧でありながら、最後には愚直に豊臣家に恩義に殉じた一途さ、至誠を義に生きた出処進退を哀れに思い、可哀想な性格的には好ましい人物と評価しています。
http://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0% …
No.1
- 回答日時:
徳川に楯突いたから
江戸時代の徳川時代に
徳川の敵はほとんど悪評まき散らかされた
今川家もかなりひどい扱い
義元が馬に乗れないとか大嘘ばかり
好きな点
あまりに愚直に豊臣の世を守ろうとしたところ
豊臣子飼いの将達でさえ皆、家康に尻尾振っている状態で
小臣の身で全力で家康に挑んで散っていった
処刑される少し前、柿は体に悪いといって笑われたときの話と
腹を切らずに無様につかまったといわれたとき
大願ある将は死の最後まであきらめないと言った事
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