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出雲神社の参拝の仕方。


首都圏在住の女です。
縁結びのためによく出雲大社の東京分祀にお参りにいきます。
その際、どこかのサイトで見たやり方でまず自分の住んでいる氏神様のところ
参拝してから分祀に行きます。

詳しくはわからないですが、氏神様の神社は天照皇大神も崇めているようです。
でも御祭神?は違うようです。

出雲大社の成り立ちを見てみると大国主様を祀っているようですが、天照様とは仲が悪いのな
なんてことを考えました。あるサイトで、天照様と大国主様を両方参拝すると相殺しあうなんて
噂も書かれてました。

そこを踏まえますと。出雲大社の分祀を参拝するとき、氏神様に先に参拝するのは間違いでしょうか?
出雲の神様を逆に怒らせてしまったら意味がありません。

A 回答 (3件)

神社本庁系の神道の基本的考え方では、個人の神様は当人がどこへ行と、生まれた地または氏族の氏神です


他所の地の神(神社)にお参りをした場合、氏神に連絡が行って協力してくれるという考え方ですので、他の神様におまいりしてもよいわけです

ただ神社本庁に属していても、神社独自の教団、教派を持つことがあります
出雲大社は独自の教団を持つ神社で、神社職員は出雲大社教と出雲大社の職員を兼務します
出雲大社のしきたりに拘るのであれば、出雲大社に聞くべきでしょう

>天照様と大国主様を両方参拝すると相殺しあうなんて

個人的意見ですが、宗教、特に日本の神道は参拝者・所有者(庇護者・地方領主)・教派教団の都合でころころ変わってきた存在
神道自体曖昧で、仏教やヒンズーの影響を受けて変質したり、仏寺と習合・混合しています
祀神をコロコロ変えたり、付け加えたりしてます
厳然たる教義や戒律を持たない原始宗教でもあり、ある意味いい加減
参拝される方の考え方次第と言えます

歴史的には、朝鮮半島系渡来人の集落(国・勢力)の神社とする説が有力で、朝廷とは異なる有力勢力であったと考えられています。
天皇家よりも100年以上も古い家系と言われている千家氏が代々神官を務める神社であり、分家として北島氏が14世紀に出て両家で祭祀を分担してきた神社
千家氏は、出雲大社経を主催し宮司を務める。北島氏は出雲経を主催し、両家とも出雲大社を基点とする
古社にはこのような古い神官家が代々神事祭儀を行っている例がいくつか見られますので、恐らく、元々、系譜を重んじ、氏族の宗教を重んじる大陸・半島系の渡来人の神を祭る神社でしょう
独自の獣や肉を捧げる神事を行うケースがよく見られます
大和朝廷を中心とした中央集権体制に取り込まれる過程で、神道化されたものと思われます
境内の昔の柱の跡を見ると、恐ろしく巨大で、元々この神社の大きさは、今の数倍もの大きさの巨大な神社であったことが容易にわかります

神社の様式は、古代キリスト経及びユダヤ経を含むオリエント地方の宗教の影響が伺われれる様式であることから、恐らく紀元前から中国に定住していた西方人(ペルシャ人やユダヤ人商人)文化の影響を受けた景経(古代中国で大流行したネストリウス派キリスト教)を信奉する(影響受けた)氏族勢力が建立した神社と思われます

祀神の大物主は、大黒天です。大黒天はヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラです
豊穣と財運をもたらす神であり、縁結びや商売の神様とされる所以でしょう。
主神の天照大神は、大和朝廷に取り込まれる過程で、天皇家の始祖である天照大神が据えられたものと思われます

同じ中四国の金比羅宮も大物主=大黒天を祭る神社で、古来から商売と安全祈願・海運の神として信奉されてきた神社
こちらは、学術的にインド・ガンジス川流域のワニ姿の神クンピーラーが元々の神でクンピーラーが訛って「こんぴら」になったとされています
大物主=大黒天ゆかりの神社とされていることは、元々外来の神を祀る神社であることを示している証拠です
大陸由来の「うどん」の発祥地でもあることから、大陸文化が色濃く伺えます
大物主=大黒天ゆかりの神社は、密教ゆかりの神社であることも示していて、同じく大陸文化由来の傍証になります

古来からの由緒ある神社で、天皇家・将軍家・地方領主からも厚く遇された神社の場合、祭神縁起が幾重にも重なりますので、深堀りしたら切りがありません
基本的に、日本神社の神様はおおらかですので、細かいことや形に拘る必要はありません

スピリチュアル的には、特に悪い感じ、不吉な感覚、違和感がない限り、そして失礼が無い限り特に拘る必要はありません
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
詳しく書いていただいてありがたいです。

今日氏神神社に聞きに行きましたら、天照様は別に祀ってありませんでした(汗
なのでやはり氏神様にあいさつをしにいってから分祀へと参りたいと思います。

お礼日時:2010/09/12 23:22

補足です



■神社本庁
 役所みたいな名前ですが、神道系の一宗教法人です。
 元々戦前の国家神道の一環として国の中にあった神社の統制業務と政府系外郭団体が行っていた業務は、
 占領軍(米軍)から国家の関与が禁じられた為、民間の宗教団体として神社本庁が設立され業務を継承したものです
 設立の経緯から、神道の世界では加盟神社数も多く圧倒的な勢力です
 非加盟神社にも大きな影響力があります
 伊勢の神宮を本宗と仰ぎ、全国8万社を傘下におきます

 加盟する神社でも独自の教義宗教や独立した宗教団体を設立していることもあります
 出雲大社は明治~戦前に国家神道と相容れない教義を持っていたため冷遇されてました
 その影響で、未だに神社本庁とは溝があると言われてます

 神社本庁に属さない有名神社には、伏見稲荷大社、靖国神社、日光東照宮、鎌倉宮、日光二荒山神社
 神社本庁は明治神宮の隣、代々木口にありますが、明治神宮自体が2004年に離脱し衝撃を与えました
 しかし、本年2010年8月再び明治神宮は、神社本庁所菅に戻りました。

■天皇家と千家(せんげ)氏

 奈良・平安時代の出雲国造は、その代替りごとに朝廷に参向して『出雲国造神賀詞』を奏上する儀礼
 を行っており、千家氏が代々出雲国造の地位についていることから、千家氏が政祭一致のこの地の
 支配者であった可能性が高い。(出雲王朝説、京都近くまで勢力圏であったとされる)
 儀礼は出雲の国が独立国家ながら、朝廷に臣下の礼をとった服属儀礼と見られていて、
 他の国造には見られない儀礼である
 現在も、皇室の者といえども出雲大社の本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。

 第83代国造千家尊祀は、国造を継いだ翌年の昭和23年6月、宮中に参内して出雲玉造産の御統玉
 三種一連を献上し、古代以来の神賀詞奏上を行った。
 また第80代:千家尊福は、司法大臣・東京府知事等を歴任している。

 各地の神社、関東東北でも出雲系の人々が来て、神社などを建立する指揮支援をしたと言う
 伝承が残っている。建築技術を持った大陸半島系技術者集団とする説もある
 出雲大社の祭祀者である出雲国造家(千家氏)は、意宇の熊野大社の祭祀も行っていた

 和歌山熊野の熊野神社は出雲国造家が創始したとも言われていて、熊野の山は出雲の熊野大社に
 由来すると言われる
 同じく出雲の須佐神社(須佐大社、スサノオミコトを主神とする)があり、あの江原啓之が
 日本最強のパワースポットだと述べたことで知られる

■古代の出雲大社

 出雲大社は式年遷宮とは別に、何度も倒壊しており、度々立て替えられている。
 かっての出雲大社は、東大寺よりもはるかに巨大であったと言われ、当時としては破格
 伝承によれば空に向かって延びた何本もの柱の上に社が建つという不思議なものであり、
 高さが96mも合ったとされる。
 そのような建築が可能か?と言う疑問があるが、古代の柱跡が見つかっており、現在の本殿支柱
 断面の数倍の巨大さであることからミステリーとなっている
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この回答へのお礼

さらに補足ありがとうございます。

お礼日時:2010/09/12 23:23

出雲神社でお尋ねください。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/09/12 23:19

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