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 歴代内閣初閣議後の記念写真について                               
 本日(9月18日)の新聞各紙朝刊に、内閣発足後恒例の初閣議後の記念写真(首相・閣僚等が、首相官邸階段を降りきったところで、報道各社等により撮影されるもの)が載っていたと思いますが、首相・閣僚と内閣法制局長官の他に、内閣官房副長官2名が写っていました。
 
 不勉強で申し訳ありませんが、この写真には首相・閣僚と内閣法制局長官のみが写るものと思っておりました。
 
 どの内閣の時から、内閣官房副長官が写真に写るようになったのでしょうか?また、内閣法制局長官が写り始める時期もご存知の方がいらっしゃいましたら、教示いただけますと幸いです。なお、可能であれば、ご回答の内閣発足時の写真のリンクをいただけますと幸いです(また、写真に写っている人物の役職名・氏名の注釈をつけていただけますと、なお幸いです)。


・菅改造内閣発足時記念写真(首相官邸ホームページ 質問時現在、一番最初に当該写真が出てきます)
http://www.kantei.go.jp/

・東条内閣発足時記念写真(昭和16年発足 国立公文書館アジア歴史資料センターホームページ内)http://www.jacar.go.jp/nichibei/negotiation/pict …
 *内閣法制局長官も写っていないことに御留意ください。

A 回答 (2件)

たぶん、ご質問者は難しくお考えになっているから分からないんだと思います。

「なぜ、内閣官房副長官が記念写真に写っているか」の答は簡単で、「官房副長官も閣議に出席したから」です。ご質問文に「初閣議後の記念写真」とお書きになっているではありませんか。

首相官邸 - 歴代内閣閣僚名簿
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/index.html

上記のページからリンクされている歴代内閣の写真を見ますと、ずいぶん以前から官房副長官も一緒に写っています(各写真の人数を数えれば、大臣の人数より多いことが分かる)。したがって、下記は誤りです。


そもそも「副」が付く役職は、閣議後の記念写真には閣僚と共に写る事はありません。おそらく今回の管内閣で官房副長官が写っていたというのは、初めての事ではないでしょうか。

>  「そもそも・・」の段落に書かれておられる内容は、私も同様に感じました


それでは、なぜ副長官が閣議に出るのでしょうか。ご質問者は「次官会議」をご存知ですね(去年民主党に政権交代して廃止されるまで、何十年も続いた)。次官会議は、名目上は内閣官房長官が主宰しますが、実際は出席せず、代わって副長官(事務担当)が取り仕切るのが慣例でした。各省の事務次官が集まって、省庁間の調整をつけて国政の重要事項を決定していました。
閣議が開かれる前に、毎回この次官会議が開かれていたのです。むしろ、次官会議の決定事項を大臣たちが追認するのが、閣議の役割のようになっていました。したがって、次官会議を取り仕切る副長官(事務担当)が閣議にも出席して、円滑な運営を図っていたのでしょう。ついでに、副長官(政務担当)も閣議に出席する慣例だったのでしょう。ただし、大臣ではないので閣議の意思決定には加わりません(説明係みたいなものでしょう)。
官房副長官は3人います(昔は2人)。1人は副長官(事務担当)で、事務次官経験者の中から選ばれます。いわば「官僚のドン」です。他の2人は副長官(政務担当)で、与党国会議員の中から選ばれます。

さて、次官会議は廃止されたわけですが、やはり閣議前に大臣より下のレベル(各省高官や副大臣など)が集まって話し合い、省庁間の折り合いをつけています。そうでなければ、ぶっつけ本番で閣議がまとまるわけがありません(閣議は多数決ではなく、大臣全員一致が原則)。そのような事情から、官房副長官が閣議に出席する慣行が続いているのでしょう。

この回答への補足

 二名の方のご回答に、改めて感謝いたします。

 ベストアンサーですが、直接の回答ではないものの、回答につながる情報をいただけましたNo.2さんに付与いたしたいと思います。ご了承ください。

補足日時:2010/10/15 22:36
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。ご回答がありましたことは承知しておりましたが、リンクされているホームページを閲覧できない状態が続き、御礼が遅くなりました。申し訳ございません。

 首相官邸ホームページに、探しておりました歴代内閣の写真があることは、迂闊にもご指摘があるまで気がつきませんでした。写真があるのは東条内閣よりも後の内閣からのようですが、戦後間もない時期の写真を見ると、「閣僚数=写真に載っている人物の数」でしたので、地道に当たっていけば答えが分かると思われます。

 ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/15 22:33

そもそも「内閣官房長官」は初代総理大臣「伊藤博文」の頃から「内閣書記官長」という名で存在していました。

戦後の第一次吉田内閣の時に、初めて「内閣官房長官」と呼び名が変わり、現在に至っているわけです。

そもそも「副」が付く役職は、閣議後の記念写真には閣僚と共に写る事はありません。おそらく今回の管内閣で官房副長官が写っていたというのは、初めての事ではないでしょうか。「副」付きの閣僚は、閣僚写真とは別に記念写真を撮ります。無論、その中には「官房副長官」も含まれるわけですが、何故に今回の管内閣で副官房長官が一緒に写ったのかが不可思議です。官房長官とは、総理の女房役という役割であり、一般企業で言えば「専務」に当たります。ですから記念写真でも、あまり目立たない所で写るのが慣例です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E4%BB%A3% …   =  歴代内閣官房長官の一覧

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E4%BB%A3% …   =  歴代内閣官房副長官の一覧


ご質問の内容に回答するのは事実上大変な作業ですので、詳細は答えられませんが、それだけ政治の歴史に深く関心が有れば、ご自身でお調べになった方が有意義かと思います。答えにならない答えで申し訳ないのですが・・・
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 「そもそも・・」の段落に書かれておられる内容は、私も同様に感じました(質問が長くなるため省略しました)。内閣官房副長官の位置付けの向上は感じていましたが、閣僚とは一線を画すはずだとは思います。

 最後の段落では、お褒めの言葉をいただいておりますが、おそらくは回答者様よりは、この問題に関心はありません。

 知識があり、なおかつ好意的な方が閲覧されておられると良いのですが・・。

お礼日時:2010/09/18 23:56

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