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太平洋戦争中に帝国海軍の艦船が味方の潜水艦の潜望鏡付近と接触して浸水した事故について
ご存知の方いらっしゃいますでしょうか。私の亡くなった祖父がこの事故の際、潜水艦に乗った
ことを子供の頃に聞いたのですが、最近思い出して調べているのですが見つかりません。
ご存知の方いらっしゃいましたらよろしくお願い申し上げます。

A 回答 (4件)

 質問の内容ではその事故はそれほど大したことのない損害で済んだように見受けます。

帝国海軍艦艇と潜水艦ということですので、ご祖父が乗り込まれていた潜水艦の相手は水上艦と考えていいのだろうと思います。

 戦前の潜水艦事故では駆逐艦「汐風」と伊21号の接触事故や、これは潜水艦対潜水艦ですが伊54と同じく伊55の事故があります。しかしこれらは戦中の事故ではないので当てはまりません。質問にある大戦中の対水上艦事故は私は聞いたことがありません。

 少なくとも事故の大まかな時期や戦域などの情報があれば調べようもあるのですが。ただ事故内容を見れば戦場での事故としてはそれほど深刻な事故ではなく、浸水も潜望鏡付近を損傷したのなら多少の浸水も当然ですので、敢えて後世に記録を残すほどのものではなかったのではないでしょうか。

 また日本海軍の潜水艦を含む戦闘艦船はそのほとんどが残念ながら戦没し、その沈没時期や場所など詳細な記録が残ることのない悲惨な最後が多いのがふつうですので、軽微な事故などの記録もまともに残っている可能性は少ないかと考えます。

 お力になれないで申し訳ありませんが、少なくとも伊・呂・波のどのタイプであったかくらいが分かればと思います。 
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有名な


昭和16年12月13日 ウエーキ島沖 潜水艦ロ66と62が衝突。ロ66が沈没した
不祥事ですね。

多少、詳しい潜水艦史には、必ず出ていますよ

 第二次ウェーク島攻略作戦は22~23日頃に行うことになった。指揮官は今度も梶岡少将である。上陸の際に波が高くて大発をおろせない場合は陸戦隊員を乗せた哨戒艇をそのまま岸辺に乗り上げさせるという荒技な作戦が立てられ、艦艇が銃爆撃を受けても誘爆を起こしたりしないための措置も講じられた。その一方でアメリカ軍も、ウェーク救援のために空母「サラトガ」、巡洋艦「アストリア」「ミネアポリス」「サンフランシスコ」、水上機母艦「タンジール」、油槽船「ニーチス」等からなる第14任務部隊をハワイから出撃させた。指揮官はフレッチャー少将である。

 ところで、ウェーク島の周辺海域では日本側の潜水艦「呂65」「呂66」「呂67」が哨戒にあたっていたが、12日には「呂60」「呂61」「呂62」との交替を命じられた。しかし「呂66」だけ何かの事情でその連絡を受信出来ずにそのまま哨戒行動を続けていたところ、17日に交替にやってきた「呂62」と衝突事故を起こして沈没した。その時「呂62」は「呂66」がまだウェーク付近にいることを知らず(とっくに帰ったと思っていた)、スコールの中に突然現れた「呂66」をかわしきれずに衝突してしまったのであった。「呂66」の生存者は3名のみであったという(註36)。



註36 『戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦1』197~199

http://www.kaho.biz/main/taisen/wake.html
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 分かるとは断言できませんが。

もう少し時期をしぼらないと、探しようもない。
 お名前や所属、階級などのパラメータが分かれば、防衛省へ問い合わせるのも手です。
 ただ、役人は身内のミスは各層とするのが常ですから、公文書になっているかどうか?
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そのような事は公開されていませんので、不明です

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