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「雨に降られた」が可なのは、非能格動詞だからで、
「地震に起こられた」が不可なのは、非対格動詞だから。

といった説明がウィキにあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8B%95% …

この場合、「降る」と「起こる」がどのように違うのか上手に解説してくださる方はいらっしゃらないでしょうか。
文法ど素人ですので、そのへんをご考慮いただけると助かります。
    
  

A 回答 (1件)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%97%E8%BA%AB_ …

によると、日本語には、英語などには見られない間接受身と言うものがあるそうです。更に、間接受身には「迷惑(被害)の受身」、および「持主(所有)受身」と分けられるそうです。そして、「雨に降られる」はこの、迷惑の受身の例だそうです。さらに、文法用語では、元の主語が意志をもって行うことができる(またはそのように考えられる)動詞が非能格動詞、元の主語が意志をもつとは考えられない動詞が非対格動詞に当たるとのこと。

そして、意志を持つと考えられる場合には、迷惑の受身が可能になり、そうでない場合には、迷惑の受身になることが出来ないと書いてありました。

そこで、次の文を考えてみましょう。

雨なんかに降られちまったら大変なことになる。

日本人はこのように表現して、何の不自然さも感じません。従って、上の説明によるの、日本人は雨に意思があり、降るか降らないか決めることができると考えていると言うことになります。まあ、日本人は雨も一種の神様だと考えていると言うことでしょう。

だったら、地震だって神様だ。そんな神様の地震なんて大変な迷惑だ。だから、

地震なんかに起こられちまったら大変なことになる。

と言う表現は誰にも違和感がないと思います。だから、上の文法の説明では、「降る」ばかりでなく、「起こる」も明らかに非能格動詞に当たると言うことになります。ですから、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8B%95% …

で言っていることは、単なる誤植の間違いでしょう。もし誤植ではないと言うなら、日本語や論理を全く理解していない人が、専門用語を弄んで支離滅裂なことを言っていると理解する他ないでしょう。ソーカルさんが批判したポストモダニストみたいなもんですね。

ただ、上の説明で「非対格動詞に当たる」と、妙な「当たる」という言葉を使っていることが私には気になります。私は文法学の専門家ではありませんので、本当の所は分かりませんが、もしかしたら、この非能格動詞とか非対格動詞と言う言葉は、日本語でないどこか国の言葉を分析するために考案された言葉ではないでしょうか。私が専門家で、そう言う認識がもし私にあったとしたら、「非対格動詞である」とは言えずに、私もこのような妙に歯に衣を着せたような表現を使ってしまいそうです。

良くあることですが、自分でものを見付け出したり作り上げたりしたことがなく、外国人のやったことをただ翻訳して、それで物が判った気になっている「学者もどき」とか「学問翻訳業者」と言われる方達は、自分たちの感覚を信じることが出来ずに、外国人の考え方に自分を合わせようとします。たぶん、その文法の先生は、外国じゃあそう言わないから、日本人もそれに倣えってでも言うんでしょうか。

私が、似たような例で思い出すのは、例えば、日本語では主語を最後に言う習慣があると言う事実を知らない、外国かぶれの文法学者が、日本語でも外国のように主語は始めに言うと思い込んでいて、失敗している例です。私はこれを柳田國男の本から教わりました。

確か、広島かどこかの中国地方の言葉だったと思いますが、たしか

(1)行くだなまい。



(2)行くだなんた。

のような表現があるそうです。(1)は親しい間柄で使う言葉で「行くね、お前」すなわち「お前行くね」と言う意味。(2)はその丁寧語で「行きますね、あなた」と言う意味だそうです。その言葉を分析してから、柳田は、「学校に行くわ」などの、東京の「わ言葉」という女性言葉は、元は、「学校に行く、わたし」という言葉の省略形ではないかと言っておりました。ところが、主語は常に始めに来ると言う外国の文法を勉強した日本の文法学者が、日本語にはこのような表現があることを知らずに、無理矢理「わ」を理解しようとして、接尾語とか何とか訳の分からないとこを言い出してしまった可能性はないのか、と言っておりました。当然のことですが、日本語の文法は外国の文法を幾ら勉強しても判る筈がないので、外国の文法は参考程度にしておくべきですよね。
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この回答へのお礼

いつもシビアな cyototu さん、ご回答ありがとうございます。

非能格動詞、とか非対格動詞という名称も初めて知ったようなわけで、文法とは奥が深いというか面倒というか・・・ですね。

>もしかしたら、この非能格動詞とか非対格動詞と言う言葉は、日本語でないどこか国の言葉を分析するために考案された言葉ではないでしょうか。
:たしかに、色々検索していると英語関係のサイトによくぶち当たりました。

>雨なんかに降られちまったら大変なことになる。
:は、「私」が雨による被害者として受身の役を暗黙的に引き受けている、ということらしいのですが、
>地震なんかに起こられちまったら大変なことになる。
:の場合も同様に考えてよいのかどうか。
ということになりそうですが、おっしゃるとおり、自然現象を起こす主としての神を想定すれば、どちらも可とするのが自然ですね。

>単なる誤植の間違いでしょう。
:そういう可能性もあるのでしょうか。
誤植じゃないとする見解と、その理由も聞いてみたいところですね。

柳田國男という人は面白いことを書いた人なんですね。
機会があれば一度読んでみたいと思います。
>東京の「わ言葉」という女性言葉は、元は、「学校に行く、わたし」という言葉の省略形ではないか
:というご見解についても、非常に興味深く拝見いたしました。
  
しかし、cyototu さんは、文系理系を問わず博識でいらっしゃいますね。
色々と大変参考になりました。
因みに、シビアだけじゃないことは存じ上げておるつもりです。^^;
  

お礼日時:2010/10/24 20:50

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