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渡来人は、いつから「日本人」と呼ぶことができますか。
古代、四世紀から七世紀にかけて大陸(中国・朝鮮)から多くの人びとが日本に渡来し、定住しました。
これらの人びとは、やがて「日本国民」になると思うのですが、戸籍に記載された時点で「日本国民」とすればよいのでしょうか。
なお、戸籍制度がない時代のことは、この質問の対象外とします。

また、戸籍上「日本国民」であっても「日本人」と言えるのでしょうか。
具体例として、奈良の大仏鋳造の大仏師を務めた国中連君麻呂(くになかのむらじきみまろ)は、戸籍に記載されているのかどうか知りませんが、かりに戸籍に記載されているとして、彼は日本人である、と理解してよいのでしょうか。

国中連君麻呂について、あるサイトから引用します。
大仏鋳造事業の総監督は国中連君麻呂(くになかのむらじきみまろ)という人で、この人は百済から渡来した人を祖父にもつ技術者でした。君麻呂の祖父は国骨富という名前の百済の官人で、百済が滅亡した時日本にやってきた仏像づくりの技術者グループのリーダーだったと考えられています。

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

7世紀までは現在と同じ意味の「日本」という概念自体なかったわけですから


当時の人たちが帰化の有無にかかわらず自身のことを「日本人」と考えなかったことは確かだと思われます。
渡来人たちには帰化した時点で「ヤマトの朝廷に身を置くもの」としての自覚、他覚はあったでしょう。しかしそれは今でいう日本人の自覚や他者からの認知とは違ったものではなかったかと思います。

むしろ渡来人たちはそこらにいる「ヤマトの庶民ども」とは一線を画すものとして自身を考えたことでしょう。
帰化した時点で渡来人たちは「ヤマトの朝廷に属する」身分をもつので、その孫の世代は当然ヤマトの朝廷に世襲的に属するわけですが、それを「日本国籍」と考える(貴方が考えたい)ならば爺さんが帰化した時点から「日本国民」です。ただし当時は国民国家としての「日本」という概念がないわけですからそれ自体ナンセンスなお話ですが。

変な歴史の話を持ち出すので混乱しますが、結局、爺さんが国籍を取っているばあい孫は日本人か?という単純な話と考えてみますとこれは孫は当然日本人であるということになります(法律的には)。

また話がそうでなく、たとえば日本語ペラペラで国籍も取得したフランス出身の人がいつまで「ガイジン」扱いされるかというお話であれば全くケースバイケースでなかなか日本人扱いされにくいというケースはあるでしょう。
これがフランス出身でなく違う国や地域であった場合はもっと日本人扱いされにくかったり逆のケースもあるでしょう。

それはさておき、国中連君麻呂であろうと渡来系でない氏族であろうと現在と同じ意味で安易に「日本人」だと理解するのはすこし正確を欠く理解の仕方ではないかと思われます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
よく考えてみますと、なんかヘンな質問をしたようです。
結局、私の質問は「何回混血を繰り返すと日本人と言えますか」ということになり、質問自体がナンセンスですね。
「人種論」のようになってしまいます。
国名を「日本」と決めたときから、朝廷の支配圏に居住する人びとは、意識するしないに拘わらず「日本国民」となる、と思いました。
では、渡来してきた人びとで、「帰化」しなかった場合はどうなるのだろうとか、渡来人仲間で結婚すればどうなるのだろうとか、考えるうちになんだか分からなくなってしまい、質問しました。
まだ回答してくださる方がいらっしゃるかも知れませんので、もう少し待ちたいと思います。

お礼日時:2010/11/04 13:57

おっそろしく極端な説が2つあります。




●7世紀説 = 白村江敗戦後の危機感から倭国内部の改革が急がれ、律令制に基づく古代国家の建設とともに「日本」という国号が定められて日本人意識が確立したとされています。国号が定められたと同時に「日本人」という使い方が定着した説。


●明治時代説 =西欧列強諸国が東南アジアを中心に植民地を広げている社会情勢から、列強諸国に対抗できる近代国家にするため、分権的な幕藩体制の解体と新たな中央集権国家の建設が急がれ、廃藩置県・徴兵令・学制・地租改正などの諸改革を経て国民の意識の統一がはかられ、日本人という定義が成されたという説。



◎戸籍制度 = 大化の改新によって朝廷の支配体制が強化され、各地の豪族が作った戸籍に代わって全国的な「庚午年籍(こうごねんじゃく)」という戸籍が作られ、6年ごとに更新されました。戸籍の原点です。

もう1つの説は1825年に長州藩で戸籍法が施行されました。近代戸籍法の原点とも言われています。




この様に極端な2つの説がありますが、自然に考えれば、日本人という呼称=7世紀始まり説が通常なのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私の質問自体があいまいでした。
要点は、
渡来人の孫(今ふうに言えば在日3世)である大仏師・国中連君麻呂は「日本人」と言えますか、という疑問です。
「言えない」とすれば、何代継続すれば「日本人」と呼べるのでしょうか。

お礼日時:2010/11/03 10:01

一般人が「日本人」としての概念を持つようになったのは明治以降のことです。


それ以前は旧国名である各地方の国の民でしかありません。
渡来人が日本(当時は倭)に渡ってきたころはまだこの国全体が「日本」と言う概念すらありませんでした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
一般人ではなく戸籍制度成立後の朝廷およびその周辺にいた渡来人についてはどうでしょうか。
大陸からの渡来人は、「国家(隋・唐)」を意識していたと思いますが…。

お礼日時:2010/11/03 09:35

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