dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

先日、生きた魚を子供の目の前でさばきました。

その話を知人(女性:保母さん)に話しをしたところ、すごい剣幕で怒られました。
『命の大事さを教えなければならない親が子供の目の前で生き物を殺すなんて非常識、、』
との事。

ある意味正論なのなのでしょうが、どうも釈然としません。
そういった事を通じ逆に食べ物や生き物への感謝の念が生まれると思うのですが私の行為は間違ってます?

A 回答 (22件中11~20件)

今食べているものは、はじめから死んでいて人間に食べられるためにあるものではありません。



したがって、自分のためにすなわち自分が生きるために、他の生き物を殺しているという感覚はあって間違いはないと思います。

やはり、ある程度から、生と死を実感させた方がよいと思います。
もし、自分が取り返しのつかないことをしたりしても、ゲームのようにリセット効きません。
こういったことも含めて、保母さんの考えは、キレイゴトとしか思えません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
たぶん、保母さんもそういった事はわかっているのでしょうが、ではいつ教えるのか?といいう部分については言及はありませんでした。
たぶん、自分で生きているものを殺したことなんて殆どなかったのかもしれません。
あくまでも推測ですが。

お礼日時:2003/08/27 19:56

こんにちは。


>命の大事さを教えなければならない親が子供の目の前で生き物を殺すなんて非常識
だとは思いません。むしろその方がおかしいと思います。
生きている物には必ず死が付きまといます。
死から目をそむける事は生きることから目をそむける事だと思います。
今日のように命を平気で軽んじる子供たちが出現しているのは、「死」をいたずらに恐怖し、直視することを避けつづけた結果ではないかと思います。
「命の大切さ」は死を隠す事で養われるのではなく「死を見つめる事」で養われるのではないかと思いますが。

世の中何か狂ってるような気がします。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>「死」をいたずらに恐怖し、直視することを避けつづけた結果ではないかと思います。
>「命の大切さ」は死を隠す事で養われるのではなく「死を見つめる事」で養われるのではないかと思いますが。


とても共感できる言葉です。
TVやマンガ、ゲームなのでも死は軽軽しく扱われていますが、そのあり方はいろんな場所で議論になっており、そういった議論自体はある意味必要でしょうが、逆にそんなことでしか死を語る場が無くなってきているのかもしれません。

世の中が狂ってるかどうかはともかく、今の日本人の感覚が=イコール普通
、、かどうかというのは、この件以外にもいろんなものがありますね。
だからといって、この国は嫌いでは無いですが、、

回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/08/27 19:53

わたしの子供の頃第二次大戦の頃ですが、魚は云うに及ばず昆虫、カエル、蛇、野の小鳥までも殺していた時代で、



庭先で飼っている鶏も夕食のおかずにしていました。

そういうことを咎められるようになったのは、オリンピックで国威発揚?し、大阪万博で急に豊かになってからでしょう。

一見優しい気持ちは結構ですが、喧嘩をさせずに痛さの判らぬガキを蔓延らせたり、
挙句の果てにもっと残忍な事件が起きる世の中は戦前の人間には理解できないことですよ!

何処の世の中に自分が殺し、首を書ききって学校の門前に供えるだなんて子供を育てたのは戦後の教育の歪みですよ!

何かキレイ事が持て囃される教育現場の考え方の方がおかしいのではないかと思います。

現実の世の中は、自殺しなければならないほど他人を追い詰めて平気な同僚がいたり・・・社会なんて残酷なんですから!!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼が大変遅くなりました。

>庭先で飼っている鶏も夕食のおかずにしていました。

この光景は、それが「無い」時代より「あった」時代の方がはるかに長く、本来ならばいまそれが殆ど見られなくなってきていることは嘆かなくてはいけないことかもしれません。

>何かキレイ事が持て囃される教育現場の考え方の方がおかしいのではないかと思います。

教育現場というのは、ある意味ことなかれ主義というか、出る杭は打たれるというか、、情熱のある先生ほどその挫折感が強いという話を聞いたことがあります。
教育現場で今問題なのは、教師を現場で教える信念のある先輩教師が減っているせいなのかもしれません。
期待するものはとても大きいのですが、、

回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/08/27 19:45

こんにちは



tottoko-rakutaroさんのなさった事は間違っていないと思います。
確かに子供には酷い光景であったかもしれません。しかし、生きていくために食べなくてはいけません。
殺すなという事は、食べるなという事に通じます。
確かにスーパーに行けばすでに死んでいるので、その酷い光景を見なくてよかったかもしれませんが、それでは「命」を感じる事はできないと思います。
「命」の終わりを知らなければ、命の大切さは分からないのではないでしょうか?

この回答への補足

皆様、たくさんの回答ありがとうございます
一度に多くのご意見をいただけて正直びっくりしています。
御礼が遅れるかもしれませんが必ずさせていただきますのでご了承のほどお願いします。
また、こんな考え方もある、というような視点の違った意見がありましたらぜひ伺いたく存じます。
以上宜しくお願いします。

補足日時:2003/08/19 17:02
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>スーパーに行けばすでに死んでいるので、その酷い光景を見なくてよかったかもしれませんが、それでは「命」を感じる事はできないと思います。

それを見なければ「命」を感じる事ができないわけでは無いとは思うのですが、そういった光景を目の当たりにするというのはそれを考える為の一つの材料としてとても大事な事のように思います。

間違っていないと言っていただけて嬉しく思います。
酷いかどうかという部分は子供がそれを、どうとらまえるかということなのだと思いますが、残酷に見える光景でもいつか別の視点からも見る力が備わる事を子供には期待をしています。ある意味親のエゴなのかもしれませんが、、。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/08/20 23:16

自分たちが生きるために食べることへの感謝の気持ちを強く教えてあげればいいと思います。

だからこそきちんと食べてあげようねって。テレビなどで猛獣が補食するシーンがよく出たりしますが、こんな時にいっしょに考えることをしてみてはいかがでしょうか。話はかわりますが、生きた魚は締めてもらったほうが楽らしいですよ。よく釣りなどにいってバケツのなかに酸欠状態で活かしている人がいますがあれはかわいそうです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「食」の重要性、栄養とかマナーとかそういった部分だけが重要視されその食材がどれほどの苦労を経てここに辿りついているか?という事を親はキチンと子供に教えるべきなのでしょうが、これだけ生活が便利になればある意味それに思い寄せる親御さん自体が減っているのかもしれませんね。
猛獣の捕食シーンですが、とても大事なような気がします。
「食べられて可哀相」と思うことも大事かもしれませんが当然、その裏側には「食べることが出来なくて可哀相」があるのですから。
余談ですが、ジャングル大帝でレオが同じような事を悩んでいるのを思い出してしまいました。

お礼日時:2003/08/20 20:51

こんにちわ。


海のそばで育った私も小さな頃から魚をさばくのを
当たり前のようにみていましたよ。蚊をたたいて殺したりも当たり前でしたよ。

命の大事さは教えなければならないと思いますが
人が生きるために覚えておかなきゃいけないこと、
してもよいこと、いけないことの区別を教えることのほうが大事なんじゃないでしょうか。

都会では魚をさばけない大人が増えているという理由がわかるような気がしました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>魚をさばくのを当たり前のようにみていましたよ。

私は山国育ちですが、同じくそういった光景はごく身近に当たり前にありました。

その「当たり前」が今では「当たり前」ではなくなってしまったのかもしれません。そういった事を嘆くつもりはないですが、この件に限らず日本人は生活の豊かさと引き換えに何かとても大事なものを見失っている様に感じる今日この頃です。

都会に限らず田舎でも同様ですよ。
今回、ご賛同いただける意見を沢山いただきましたが
善し悪しは別として、現実的には抵抗を感じる方は少なく無いように思えてしかたありません。

お礼日時:2003/08/20 20:07

すみません、#3です。


#4さんのご意見を読んで補足を。
私の書いた「虫を殺す」はいわゆる昆虫です。捕ったり買ったりしたもののおもちゃにして殺すようなことの意味で書きました。
    • good
    • 0

間違っていないと思いますよ。



質問者さんがお考えの通り、
>そういった事を通じ逆に食べ物や生き物への感謝の念が生まれる

--と思います。

例えばペットへの虐待などのように「いたずらに」命を奪う行為であれば、保母さんのお怒りも理解できますけどね。性質がまったく別のものでしょう、今回の件とは。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>性質がまったく別のものでしょう、今回の件とは。

まったく同感です
ある意味価値観の相違の部分であるとは思ってますが、この価値観の相違という部分はかなり理解し合うというのは難しい内容なのかもしれません。

お礼日時:2003/08/20 19:51

tottoko-rakutaroさんこんにちは



>そういった事を通じ逆に食べ物や生き物への感謝の念>が生まれると思うのですが私の行為は間違ってます?

間違っているとは思いません。
保母さんは子どもの前では、ハエやゴキブリを殺さないのでしょうか。 花を生けたりしないのでしょうか
    • good
    • 0
この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

>保母さんは子どもの前では、ハエやゴキブリを殺さないのでしょうか。 花を生けたりしないのでしょうか

これはわかりません。
ただ、子供の前ではやらないのかもしれませんね。

お礼日時:2003/08/19 23:49

こんにちは。

元保育士です。
そのお魚は食べるためにさばいたのですよね。
だったらtottoko-rakutaroさんは正しいと思います。
人間は他の生き物の命を頂いて生きているのだと言う事をお子さんに教える大切な経験だと思います。
その保育士はむやみに命を奪う事と混同していますよね。
虫を殺すとか、ペットを飼いきれなくなって処分とかと一緒にしてはいけませんね。
今度会ったら、魚(食べ物)が自分の口に入るまでの過程をキチンと子どもに伝える事も大切です。と伝えてください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

>そのお魚は食べるためにさばいたのですよね。
当然です。
>保育士はむやみに命を奪う事と混同していますよね。

かもしれません。ただしそういった事柄自体の経験も少ないのかもしれませんので一概に責めるわけにもいきませんでした。

以前その方の上司(当時園長先生)が、何かの講話の際に
「子供の前でむやみに草や花を摘む事は止めてください」
的な話が出た時に友人と「花はなんとなくわかるが、草は無理でしょう?」と話した事を記憶しています。
推測ですがそういった上司の影響もあるのかもしれません。
確かに命は大事ですが、、、命を奪う=可哀相、残酷・・で全て済む話でも無いような気もします。
その意味で頂いた回答内容にはとても共感できます。

お礼日時:2003/08/19 23:44

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!