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日英同盟が破棄された歴史背景について調べています。
色々な参考書やWebページなどを見てきたのですが、

日英同盟を破棄したのは
・イギリスは望まなかったがほぼアメリカの圧力によって無理矢理破棄された
・日本が急激に成長してイギリスのライバルになりつつあったので最終的に
米英がタッグを組み同盟を破棄
というように、記述のされ方が別れていていまいちわかりませんでした。

イギリスは、
日英同盟を破棄するのは嫌だったのか
ライバル化した日本を切り捨てたのか
本当はどちらなのでしょうか?

私はイギリスによる利己的な破棄だったと思うのですが…。
できるだけ詳しく教えて頂けると嬉しいです。

A 回答 (3件)

 当時の情勢からすれば、英国にとって日英同盟を破棄するポジティブな理由は何一つ有りません。


 (後述する諸々の事情により、同盟を破棄すべしと言う米国の主張に抗う事が出来なくなっただけ。)

 日英同盟の破棄は、英国にとって有名な「ウィスキーを捨てて水を受け取った」と言う言葉に表される様に、害多く益少なしと言う正しい判断が当時からされていました。

 なお、日本にとって見れば日英同盟とは、対ロシア戦略を優位に進める為の一つの策という認識しか有りませんでしたが、英国は同盟にたいして認識が多少異なります。

 そもそも、第一次日英同盟成立にはドイツ(話を最初に持ちかけたのはドイツ。露仏同盟を牽制するのが目的。ただ、ドイツとは話が纏まらず流れただけ…。)がいた訳ですし…。

 日本が日露戦争後に日露協商を成立させ、日英同盟の積極的な意欲が薄れるのに対して、英国は、第二次・第三次日英同盟で同盟強化(防衛同盟から攻守同盟への変更。適用範囲の拡大。中国などでの両国の既存権益の)を積極的に主張し、改定させています。

 要するに、日露戦争でのおそらく予想外の日本の善戦で、英国はアジアに置ける英国の権益保持に日本が使えるという判断(よく言えば、パートナー)をしたと言う事です。
 その為、第二次・第三次では第一次では存在しなかった中国やインドなどの権益に保持および承認[つまり現状維持]を謳う文言が登場します。
 (ただし、第三次ではこの同盟に不快感を持つ米国に配慮した条項が追加されますが…。)

 対して、米国は門戸開放(つまり本音では、参入できなかったら、参入の余地を開放してくれと言う主張)を謳ったように、中国における権益確保に他の列強より大きく遅れを取りました。
 日英同盟のように、権益の現状維持の為に強制力・実効力を持った条約が存在するのは非常にやっかいでした。
 まして両国は巨大な海軍力を有し、且つ米国を東西から挟撃する地勢を有しています。

 ただ、米国が有利な点は、第一次世界大戦で英国は米国に対して多大な借金を負っていると言う事と、国家の支出を抑える為の軍縮を何が何でも実行しなければならない情勢だったと言う事です。
 (日英が米国を挟撃する様な情勢では、米国は容易に軍縮には賛同しかねると主張されると返せなくなる…。)

 また、第一次世界大戦での教訓で、特定国同士の同盟は、国家の自動参戦の連鎖を引き起こし、平和への阻害要素となるとの主張も有りました。
 (それを防ぐ為に、集団的自衛としての国際連盟が設立)

 さらに、都合が悪い事に第一次大戦後に日本の外交方針が、今までの日英友好堅持路線から日米友好の向上にウエイトが大きく振れる様に成ったと言う事です。
 (英国が衰退し、米国が発展したと言う認識。また。大戦後の講和会議でも日本の主張[太平洋のドイツ権益の引渡し]に対して、オーストラリア等の英国の植民地が強固に反対し、英国自身もそれに右往左往させれる事で、英国の権威の衰退を印象づけられた。)

 次の時代はアメリカとの印象を持ち始めた日本国政府にとって、条約と言う公式的な形でアメリカと関係が進められる4ヶ国条約は、渡りに船と言う印象を持ち得たでしょうし、建前上は4ヶ国条約は日英同盟を包括[英国との関係は現状維持]する条約ですから、抵抗感は薄かったでしょう…。

 なお、我々は第二次世界大戦という史実を知ってしまっていますから、米英国がまるで同盟国の様に仲が良いと思いがちですが、実際には両国は仮想敵国として認識し、相応の注意と戦時の作戦計画を練っています。
 (有名なのが米国のカラーコード戦争計画におけるレッドプラン[対英戦]や国境を接するカナダ[英国の植民地]に対する侵攻計画クリムゾンプラン等が有ります。[なお対日戦は、同戦戦争計画内のオレンジプラン])

 米国の廃棄すべしとのプレッシャーの中で、今後100年の利益確保の為に外交をしようとする英国と、現在の状況の好転化を期待して動く日本では話が合わなくても仕方ないかも知れませんが…。
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元々日英同盟は、日本・イギリス両国がロシアを警戒し、組まれた同盟です。


日本はロシアの東方進出を警戒していたし、イギリスはイランや中国のことでロシアと対立してましたから。
しかし、WW1後、ワシントン会議という会議のときに破棄されました。
それは、質問者さんのいうような理由があったのかもしれません。
WW1が終わった頃には、日本・イギリスにとって、ロシアはそれほど脅威ではなくなっていました。(ちょっと語弊がありますが)
WW1では、英露協商を結び、イギリス・ロシア・フランスは連合国として戦っていたし、日本も日英同盟を理由に連合国側で戦った。ロシアは日本・イギリスにとって味方になってましたから。
結果からすると、
日英同盟を結ぶ理由であった『ロシアという脅威』がなくなり、同盟を継続する必要がなくなったから
………と私は教わりました!!
説明が下手ですみません;;
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>色々な参考書やWebページなどを見てきたのですが、



本当ですか。
もう一度、検索してみて下さい。
かなりの情報が出ていますが・・・。
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