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こんにちは。
私は修士課程を修了し、某商社に勤めてます。
数か月ほど前、久方ぶりに研究室の恩師(教授)に挨拶をしに行った際、当時当方が携わった研究内容のその後:今現在の進展等で盛り上がっていた折、やる気があるなら『社会人ドクター』の道もあるぞという話を戴きました。しかし、今の私の職環境・業務内容とその研究室の研究テーマ(生物系:ウェットな実験を専らやっている)は全く接点も関連もありません。現職場の時間的な余裕の有無といえば、週休二日がきっちりしていて、その二日は確実に学業に充てられる事と、ある程度フレックスなところがあり、ある一日が夜遅くまで残業のような形になった場合は他の日に早退する事が許され、その分の時間が確保できる程度です。実際、週5日中3~4日が超過勤務になりその代り、他1~2日に早退する事が多いです。この程度で『社会人として』学業にも勤しむ事が出来るものなのでしょうか?
私が学生の頃には存在しなかった他の研究スタッフの方(助教)に言わせれば、働きながらの研究活動は邪魔な存在である以外の何者でもないから大反対であるという批判も喰らい、確かにそれもそうであるとも思います。この方は社会人枠でなく、普通のドクターコースで頑張ってきた人たちの内の一人であり、彼にとってはおそらく『バカにするな』と言いたいのかもしれませんが、このラボのボスである教授こそがむしろ勧めてきたので実際はどうなのだろうかと思ってます。ただ、本当に機会が得られるのであれば、やれたらいいなと思ってます。    当方の情熱はまだ残っているようなので。

A 回答 (7件)

社会人ドクターです



私も同じような状況で、修士の時の担当教授に社会人ドクターに誘われて、去年から社会人ドクターしてます。
結論は、今のところ入学して良かったと思ってます。修士では学ぶことができなかった、研究の立案や提案書の作り方が学べますよ☆

ただ、社会人ドクターとして、誹謗中傷は受けますね。。。研究室内でも、社内でも。
入学当初は、社内では、ドクターなんて持ってても意味がないと言われ、研究室の一部の人達からも、研究をなめてるウンヌンと言われました。まあ一年たった今では 社内での理解も得られ、研究室のみんなとも仲良くやってますけど。

人より抜きん出ようとすると必ず中傷や嫌味攻撃は受けます。
でもそんなことでめげてたら、人生、なにもできないまま終わっちゃいますよ〔笑〕
世の中にでたことない助教や、税金使うだけの学生の言うことなんて、聞かなくてよし!社会人ドクターは所得税おさめながら行くんだからさ。
自身持って、頑張りましょう♪
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大学院の教官です。



さて、自分も書き込んでおいて何ですが、
はっきり言って、社会人博士課程の指導等は

「各研究室の指導教官に依る」

ことなので、ここで、あーだこーだ言っても意味が無いと思います。

なので、もし社会人ドクターに行きたいのなら、
その志望するところの教官に聞かないと、
どういう指導になるのか、研究はどういうスケジュールでするのことが可能なのか
わかりません。

という前提を踏まえて、私が渡ってきた数々の研究室での経験から一言。

・ボスは実験室でほとんど働かない(実験しない)政治家(コーディネーターといった感じか)

・助教はバリバリ実験する実動部隊(研究者ってこっちのことかも)

この2つをまず認識して下さい。

ボスは「研究室を構成することが仕事」なので、勧誘はあまりよく考えずにします。
なので、研究室に入った後は、「じゃー頑張ってね」とある意味無責任なニュアンスがちょっとあります。

一方、助教などは実際に「毎日毎日、会社で言う定時などなく研究をしてしのぎを削り将来を掴みとろうとしている」者たちです。
研究する時間をまずは確保していかないと競争に勝てないということを、身にしみる程知っている者たちです。

なので、

ボス「社会人ドクターってのもあるんだよね(のほほん)」

助教「働きながら(研究に対する絶対時間が少ない)の研究活動は邪魔な存在である以外の何者でもない」

どちらも、それぞれの立場から、ごく普通に出てくるコメントだと思います。

あとは、自分次第、研究室次第です。
志望する研究室に応じて考えて下さい。
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大学の教官です。


社会人博士、大賛成です。
研究の価値を社会で確認し、再び大学で研究する。これが本来の研究だと思います。温室で育っている研究者は(学部生も含めて)社会の荒波を知らない、研究成果も机上の空論かも知れない(それでも良いけど)、研究価値を眺め直すために、インターンシップなどを設けている現状があります。

貴方には二つの道があります。
課程博士を目指す社会人入学
研究生として論文博士を目指すコース。

社会人は大学の研究室を使わなくても、今の仕事で研究が続けられる環境であれば助教の存在は気にしなくてよろしい。今の仕事が研究に従事できていないようであれば、何処かで集中的に実験をする(不定期の実験で良いかどうかは解りませんけど)

博士は本来人に頼ることを考えてはいけない。一人で孤独な作業で研究をしながら教授から時々助言を頂き軌道修正する。
社会人はあれもこれもと成果を狙う事をしますが、中心は博士論文の完成です。中心点を定めて実験をすれば掌中に修めることは可能。実験が人に手を必要とする場合は日程調整は重要ですけど。でも学部生や修士学生の協力で充分。あなたが修士や学部生の指導も担えばお互い様となります。もしかしたら教職としてのお誘いもあるかも。社会を知っている教官が教員になって欲しいとの願望も私にはあります。

社会人の強みは不屈の精神ですよ。目指せ!博士!
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No.2の再訪です。

年越しの質疑応答になり,あけましておめでとうございます 笑。

>社会人博士課程などと単に軽はずみな事を言われているだけなのでしょうかね?

誤解していたらすみませんが,「言われている」の主語は,あなたの旧指導教員でしょうか? だとしたら,その可能性もあります。あなたの旧テーマがなお発展する可能性があり,実験室としても人手がほしければ,実際の問題をよく考えずに「途中でやめるのは惜しいなあ。やってみたらどう?」と無責任な誘いをする教員もいるかもしれません。ぼくの教え子にも「惜しいなあ」という修士修了者は何人もいます。しかし,「ドクターまでがんばれ」とけしかける勇気や権威は,ぼくにはないです。それぞれの道に巣立っていき,その世界で地歩を固めつつある人ですから。あなたがぼくの回答に不満なら,そういう小人物の意見として聞いてください。

理系でぼくが知る社会人院生の例は,すでに書いたとおり,「いまの手持ちのネタで論文博士になれる」くらいの業績がありました。そのような状況であれば,「前書き」と「考察」に必要な理論武装とか,複数の既刊論文を1本の学位請求論文にまとめる方法を,机上で指導すれば学位に到達できます。いまから試験管を振ってデータを出し,学会誌に投稿して受理されて・・・という時間があなたにとれるのか,ぼくには不安があります。  

>まあ、研究活動は学生の頃相当熱中してたので、いざやれるとなると嬉しいとは思いますが。研究者か学生という身分でないと研究活動が出来ないのが厳しいです。

就職してから,「研究一筋のころがなつかしい。仕事はつまらない」という修了生はいます。でも,プロフェッショナルを目指す博士課程の厳しさに耐えられるのか,ぼくは自分の経験を通じて,やはり不安なのです。

修士号は,内輪の修士論文だけでも取得できます。しかし,博士号は公刊されたレフェリード・ペーパーが何本も求められます。あなたも,まず修士論文を学会誌に投稿することを試みてはいかがでしょうか。レフェリーからボロクソに叩かれても「もういやだ」という思いをしなければ,博士課程に進学してもいいと思います。心から応援します。

ぼくは,1本書くたびに「もういやだ。でも業績がほしい」を繰り替えして馬齢を重ねてきましたからね 爆。それがプロフェッショナルであるということだと思います。

この回答への補足

二年間にわたるご指導ありがとうございます。
「いまの手持ちのネタで論文博士になれる」くらいの『業績』が予めしっかりあって、必要に応じてフォロー実験で追加結果を出してゆけば…というような感じの事なのですよね。一からやっていく事は自分自身でもまず不可能であると思ってます。もし私がやるとすれば、修士の時に出した結果を中核に回していく私なりの案(修士の時にやりきれずタイムオーバーになったものが多々)があるので、それをベースにやっていくのでしょうね。
「プロフェッショナルを目指す博士課程の厳しさに耐えられるのか,ぼくは自分の経験を通じて,やはり不安なのです。」とはとてもお優しい表現ですね。私自身に言わせれば、働きながらという『中途半端な』身分で学位を狙った事をやっていくことが他の辛酸苦汁を味わってきた方々に失礼というかバカにしている様に思えてなりません。
ただ、話が少し反れるかもしれませんが、博士課程云々関係なく、査読付学会誌論文投稿(当然英語)は是非やってみたいと学生の頃から思い続けています。

補足日時:2011/01/03 01:20
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この回答へのお礼

再度のご意見ありがとうございます。

お礼日時:2011/01/03 01:19

大学のテーマで研究するのに、助教の協力が得られないと、教授の高配で優秀な学生を手先にもらっても所詮学生なので、Drコースのあなたが動かないと、研究は進みません。

理論の立て方やシミュレーションの仕方、何を確認するために何を実験で確認するのか、その実験結果の考察の仕方など、あなたが望むレベルのものは、放置した学生からは生まれません。

単純に考えて、理論展開やシミュレーションはあなた自身がすることなので出来るとして、実験の準備は誰がするのでしょうか?あなたの実験はあなたが大学に行く時に直ぐに始められ、帰るときに直ぐに撤収できるのでしょうか?実験のとき誰にも迷惑をかけずに支援を受けずにできるのでしょうか?

アカポスの厳しい生存競争中の助教は成果出すために毎日夜遅くまで頑張っています。その中であなたの「おもり」をするのです。助教に「忙しいのでしたくない」と思われたらそれまでです。「研究の邪魔」という言い方は少し言い過ぎで普通なんだかんだと手伝ってくれますが、助教は敢えて厳しい態度で接して、今のあなたの覚悟を問うていると思います。

みんな苦労して博士号を取得し、研究を生業にしています。単に取れたら良い「足の裏のご飯粒」という思いのあなたと、その「ご飯粒」を取って研究者のスタートラインを切り頑張っている人の思いの違いだと思います。あなたの「情熱」がその方々以上なら、あなたの希望は成就するでしょう。

この回答への補足

単に取れたら良い「足の裏のご飯粒」という思いのあなた…
という物言いは聞き捨てなりませんね。
もし当方が本気でやっていくとしたら、「実験の準備、実験のとき誰にも迷惑をかけずに支援を受けずに行う」事を当然の事と考えてますよ。さもなくば、実験の意味が無いでしょう?
助教の力を『当然お借りして』研究活動をしていく事が前提に話をされていらっしゃいますが、むしろ『おもり』は不要です。そんな事が必要であるくらいならはじめからやる気はありません。ラボ内のルールはまだ覚えてますし、小さな変更点は修士や学部の学生さんに聞いてもよろしいのでは?

補足日時:2011/01/01 03:19
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>今の私の職環境・業務内容とその研究室の研究テーマ(生物系:ウェットな実験を専らやっている)は全く接点も関連もありません。



あなた個人にとっては,ドクターをとれば自己満足にはなるでしょうが,いまの仕事を遂行するうえでプラスにはならないでしょう。アカデミズムにとっては,あなたの博士課程での仕事が独創的または先端的なものであれば,プラスになるでしょう。冷静な損得勘定をしてください。

>やる気があるなら『社会人ドクター』の道もあるぞという話を戴きました。

社会人の特別措置というものがあり,土日や盆休みなどに集中して個人指導をおこないます。博士課程でも少しは演習・特別講義の必修単位があり,指導教員と日程を調整しなければなりません。これは教員にとっても超過負担となり,あなたの指導教員に対してこそ「やる気があるのか」と聞きたいですね 笑。

ふつう社会人が博士課程に入ってくるといえば,修士修了後に企業で積み上げた研究業績があり,それをそのまま博士論文にまとめられるような場合です。論文博士という道はいま狭められていますので,3年間の授業料と博士号を引き替えにするのです。あなたは,これには該当しないようです。

この回答への補足

社会人博士課程などと単に軽はずみな事を言われているだけなのでしょうかね?まあ、研究活動は学生の頃相当熱中してたので、いざやれるとなると嬉しいとは思いますが。研究者か学生という身分でないと研究活動が出来ないのが厳しいです。(というようなセリフを吐いてる自分が甘いのでしょうか)

補足日時:2011/01/01 03:25
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/01/01 03:25

大学の教員です。


率直なところで言えば、ラボの雰囲気とあなたのテーマ次第だろうと思います。ご承知かと思いますが、博士課程はいわゆる「授業」はありません(本当はあるのですが、指導教官との議論で代替ができます)ので、自らのテーマについてドクター論文を仕上げるまでの仕事が出来るのであれば、それで良いのです。

そこで問題なのは、あなたの物理的な時間がそのテーマをこなしうるだけのものであるかどうか、という点です。生物系:しかもウェットな実験系ということですと、なかなか難しいだろうなという気はします。同じ理系でも工や化の場合は土日に集中して実験をこなすことも可能でしょうが・・・。

次にラボの雰囲気の問題があります。「働きながらの研究活動は邪魔な存在」という批判は世間知らずの阿呆な若造助教の寝言だとしても、実際問題として一人で実験をするのでも無い限り、ラボの雰囲気で協力態勢はかなり変わります。

兵隊が使えない環境ですと、やらなくても良い仕事を自身でこなす必要が出てきます。時間に制約のある人にはつらいことです。社会人ですからその点は「練れている」としても、やはり孤独なもので相当強い精神を持っていないと段々ラボから足が遠ざかります。

こうしたことを覚悟の上で「やる」というなら、ボスの支持もあることですから頑張ることは可能だろうと思います。ただし、3年間で博論提出などと欲張らず5年程度は時間をかける気持ちでいる方が良いのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

お早いご回答ありがとうございます。
『物理的な時間がそのテーマをこなしうるだけのものであるかどうか』がネックであるのは間違いないですね。ラボの雰囲気の問題…ex:阿呆な若造助教(図星?)の存在云々、諸々作法のよろしくない多くの世間知らずさん達の非常識な行動は覚悟しないといけませんね(学生の頃にずいぶん見てきた故、鍛えられました(笑))ちなみに、孤独さはどうでもいい、むしろその方がやりやすいです。

お礼日時:2011/01/01 03:40

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