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カール大帝及びカール大帝の側近はどのような王国支配を目指していたのでしょうか?
詳しい方いたらお返答下さい(>_<)よろしくお願いします!

A 回答 (2件)

行政機構を構築整備し中途半端ですが中央集権化を目指していたと思います



カール大帝時の中央行政機構は宮宰(マジョールドーモ)は廃止され
次のように改編されました
◎宮廷
・侍従職(ケンメラー)ー事実上の宮廷内の長
・家宰(セネシャル)
・献酌職(ムントシェンク)
・主馬頭(マルシャル)
・宮中伯
◎文書庁
・文書長官ー文書庁の長、聖職者
・書記長ー宗教問題を担当する祭司長
◎王宮裁判所
◎親衛騎兵隊(スカラエ)ー語源は帝政ローマの親衛騎兵連隊

地方行政は
半独立的な伯(グラーフ)と
インムニテート(不輸不入権)特権を有するが、上級裁判権のない司教、修道院など聖職領主
(実際の世俗的行政はフォークト(教会官吏)が行った)
また敵対的な民族に隣接するスペイン、ブルターニュ、ケルンテン、トスカーナなどの地域には辺境領(マルシェ)を設置し
屯田兵(ワクタ)を配置し地方軍(エクスカリティ)に編入していました

彼等を監視するため国王は世俗貴族、聖職貴族各1名からなる国王巡察使を各地に派遣させました

さらに年に3回の定期裁判集会への出席を義務化しました
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当時は、統治機構など無く、ただ、税を支払う代りに、他の勢力から保護してもらうだけです。



そのため、国王や皇帝は、一年中国内を移動して、権威を見せ付けておく必要がありました。
税を支払わない部族は、軍事力で制圧し、他部族と問題がおきれば、それを調停し、他国からの侵略があれば、それを撃破するだけでした。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました(>_<)

お礼日時:2011/01/24 15:40

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