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倭の五王の朝貢、叙爵にはどのような歴史的背景があったのでしょうか。

A 回答 (2件)

倭の五王時代の資料は少なく、日本書紀・古事記・三国史記などを除くと、中国の史書、(高句麗の)好太王碑文ほどしかありません。

その中で、成立的に五王時代に近いものが好太王碑文・中国の史書・日本書紀(古事記と古さは未定)・三国史記の順に新しくなっていきます。
好太王碑文を見ると、倭が朝鮮半島に度々出兵していることや高句麗と戦ったことががうかがえます。これは鉄資源を求めたこと。半島南部を中心に倭の影響力を増大させることなどが目的であると言われています。このことから倭の五王の遣使を考えると、その求めた官職の中に「百済」「新羅」「任那」「加羅」「秦韓」「慕韓」などの半島南部の「諸軍事」を求めていることからも、半島南部での軍事的影響力を官職の上で中国の皇帝に認知させ、半島南部及び高句麗との戦いで倭の立場の上昇を狙ったとの見方があります。
さらに倭の五王時代は日本において、「稲荷山鉄剣銘文」などに見られるように、大和政権が統一を進め、完成させつつあった時代とも重なります。邪馬台国の遣使以来の中国王朝への遣使によって、中国の冊封体制に入ることにより、中国皇帝により大和政権が倭の統一政権と認知を受けることにより、倭王の権威の増大、統一の促進が図られたとも言われています。

以上、参考まで。
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>倭の五王の朝貢、叙爵にはどのような歴史的背景があったのでしょうか。



当時は、中国皇帝が各地の有力者に「王位」を授けていました。
現在の中国も、未だに「中華思想」を引き継いでいますね。
で、倭の5王(讃・珍・済・興・武)が中国・宋皇帝に「称号が欲しい」と願っています。(宋書・倭国伝)
日本書紀では、「武=雄略天皇」と看做されています。
つまり、豪族が群雄闊歩する倭の支配権をめぐって「他の有力豪族との差別化」ですね。
「俺様は、宋皇帝から称号を貰っている。宋に認められた正統な支配者だ!」とね。
現在でも「俺様は、アメリカ大統領と謁見した首相だ!」と言っているのと同じです。(笑)
中国から、アメリカに代わっただけです。

当時の日本は、実は誰も分からないのです。
日本書紀は、勝者の歴史書に過ぎません。ですから、意図的に6世紀以前の記述を消しています。
(以降は、ヤマト朝廷側にたった記述となる。敗者の記録も、偽書と断定しない方が面白いですよ)
確かな事は(出土品・遺跡から)、当時は有力豪族の合議体制だったようですね。
ところが、5王(倭王)のように「俺様が、単独支配する!」と野望を持つ豪族が現れます。
武に至っては、クーデターで政敵の豪族を滅ぼしてしまった。
雄略系豪族・大王(オオキミ)は、武烈の代で滅亡(系統が絶える)します。決して、万世一系ではありません。

余談ですが・・・。
古事記にも、勝者側の記述が多いようです。
「出雲の国譲り」と、出雲地方の神話は異なります。
出雲地方の神話では、「出雲の国を除いた全国を、天津系神々に譲る」となっています。
その証拠に、毎年10月には「全国から、神々(支配者・豪族)が出雲に集まってきますよね。
支配者が代わった全国では「神無月」ですが、出雲地方では「神有月(カミアリヅキ)です。
天津系神々(大王=支配者)に完全に服従していない?各地の支配者(豪族)が、集まっているのだそうですよ。
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