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最近三国志にハマっています。
西暦280年頃の本らしいのですが、その頃はどういう形で発刊されていたのでしょうか。
当時は印刷技術なんて無いと思うので、書いて売ってたなんて事は無いですよね。
作者の趣味で歴史研究の資料か何かだったんでしょうか。
あとその三国志は現存するのでしょうか?
現存しないとどの様に現在まで三国志が伝わったのかが不思議です。
宜しくお願いします。

A 回答 (3件)

三国志演義のことなら原本は残っておりません。


原本を本流とした支流により成り立っており日本による三国志演義の原型はおそらく吉川英治さんの三国志でしょう。
まぁ本場中国の三国志演義との違いはほとんど無く、忠実は翻訳小説になっていますが。

歴史書のことを言っているのならば、現存しています。
正史『三国志』です。
中国では昔から歴史書を残す文化があり各王朝が自身の王朝の歴史を書いてそれを正史(正統な歴史書)と呼んで継承していました。
一番最初の史記から宋までをまとめて十八史略としてまとめられていたりもします。

ちなみにこの正史三国志の翻訳本が日本でも販売されています。
ちくま訳三国志で検索すれば出てくるはず。
ちなみに魏志倭人伝も三国志の中の記述なので載っていますよ。
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 三国志の著者の陳寿は、三国志を編纂する前から武帝(司馬炎)の命令で、益州の地方史や諸葛亮の文書集を編纂しています。


 当時の中国の第一級の史家として認識されていたかと。
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E5%AF%BF

 上記の実績を元に三国志(当時は、魏・蜀・呉で別々の書だったのを後の世に一つに纏められたとの説も有りますが…。)編纂が始まりましたので、決して個人の趣味の書ではありません。

 また国家事業の一環として編纂されていた物の中で、出来が一番良かったので、繰り上がりと言った形で恵帝の時代に「正史(国家によって公式に編纂された王朝の歴史書)」に成りました。

 正史ですから、国家の管理下の元で、必要に応じて、当時の役人がせっせと手作業で竹簡に書き写していました。
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E7%B0%A1

 それ以後の史家達も、この書を基準とし、自分の独自の研究結果を加味しながら歴史研究とする事に成りますので大変重要な物です。
 (中国には各時代毎に二十四史あり、基本的には王朝が変わった後に後の王朝が編纂する。なお、現在の中華人民共和国は国家清史編纂委員会を立ち上げ、清史の編纂中です。)
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81% …

>あとその三国志は現存するのでしょうか?
 陳寿が記載した物は、現在残っていません。

 新疆ウイグル自治区トルファンと敦煌で、晋代の写本の一部が発見されていますから、これが一番最古です。

 ある程度纏まった形での最古だと、紹興本(1131~62)と紹熙本(1190~94)になります。
   http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
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wikipediaより。



>>三国時代のことを叙述した歴史書が、元蜀の家臣で後に西晋に仕えた陳寿(233年 - 297年)によって『三国志』と名づけられた

>>なお、『三国志』以外の彼の著作物は現存していない。

わからないので調べてみました。
現存するようなので見てみたいですね。
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