誕生日にもらった意外なもの

教科書などで調べても、日本とドイツがコミンテルンの活動による共産主義の拡大に対処することを目的として組んだ協定などとしか書いてありません。泣

どうしてこの協定を組んだのかや、日独防共協定の背景や締までを詳しく知りたいです(T_T)

どなたか回答お願いします!泣

A 回答 (1件)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%8B%AC% …

これだと細かすぎるなら

ざっくり言えば、19世紀の終わりから20世紀の前半まで日本の外交の基本は
「中国利権を確保しましょう」
というもの
1894 日清戦争
1902 日英同盟
1904 日露戦争
1907 日露協商→ロシア帝国崩壊まで続く
1914 第二次世界大戦 山東省のドイツ利権確保
1918 シベリア出兵
1931 満州事変

で、中国と長い国境を接している国とは ロシア=ソ連であり、これとどう折り合いをつけるかというのが、実は対中国政策での大きな鍵になります

選択肢としては
親露方策
反露方策
このどちらか

ロシアの目線が西(ヨーロッパ)に向いているときは、親露でもOKだが、ロシアが東(アジア)を向くと、反露にならざるを得ず、1928-1932の第一次五ヶ年計画によって、ロシアは経済的に蘇り、外に出ようとしてきた。
その中国での動きが
1937年 中ソ不可侵条約と第二次国共合作です。つまり、中国市場で競合 1900年ころの日露関係といっしょです。

日本目線で考えると、1902の日英同盟のように、ロシアの西側に同盟国が必要です。つまりヨーロッパの中の強国が対露戦略での同盟国が欲しい。だけど、イギリス アメリカとは うまくやれない。

ドイツ目線で考えると、対ソ戦略と中国市場対策を考えると、蒋介石支援で動いていました。1936年には、中国の貿易額の17%が対ドイツで「英国を抜いて日本に並び、3位となった。」
ドイツ=中国(蒋介石)でソ連に対抗しつつ、中国市場を取り込もう(場合によっては、日本を叩け)と思っていたら、中ソ不可侵条約で、中国がソ連とくっついた。
ということで、対ソ戦略上、ロシアの東側に同盟国が必要になった。

という利害の一致でできたのが 日独防共(ロシア対策)協定となります。
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