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テレビで子供達がおいしそうに給食を食べておかわりしているのを見て、羨ましく思ってしまいました。

小学生時代(昭和40年代後半~50年代初め)は給食が大嫌いで担任も厳しくて食べるまで昼休み中残されたり無理矢理口に詰め込まれたり嫌な思い出ばかりです。今なら問題でしょうが当時は普通でした。

おかわりすると「貧乏だから家で食ってないんだろう!」とからかわれるので好きな献立でもみんな食べなかったですね。

そんな経験から子供達がおいしく食べているのを嬉しく思いますが給食がまずいと感じたのは私の地域だけなのか気になりました。

A 回答 (16件中1~10件)

こんにちは。



その10年後あたりの世代です。
少なくとも僕は美味しく食べてましたね。
おかわりしまくりでした。
「貧乏だから~」てのは、かなりクラス自体の雰囲気に左右される気がします。
リーダー格がおかわりすれば、誰も文句は言わないでしょうし。

味に関しては、確かに特殊ではありましたし、
やけに不味いものもありましたから、
苦手な人はいましたね。
(おかげでおかわりし放題)

「居残り」は低学年の頃はありましたが、
途中から指導方針が変わったようで、
残してもお咎め無しになりました。
「居残り」があるころは、どうしても食べきれない場合、給食室のおばちゃんに謝らなければいけない、というルールまであったのに。

というわけで、「美味しかった」です。
(大分市出身)
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この回答へのお礼

いつの間にかたくさん回答していただいて皆さんに感謝です!

おいしかったんですね、いいな~。何度帰りに給食センターへ食器を返しに行ったことか・・・ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/02 15:59

地域によって違うと思います。

全般に,学校の調理室で給食を作っているところのほうが,学校給食センターの地域よりおいしいと思います。

私が最初に通っていた小学校のあったA町の給食は,学校給食センターのものでした。私は,A町の給食があまり好きではありませんでした。というのもメニューが画一的でご飯は必ず白ご飯(まれに梅干・納豆つき)でした。パンもあまりバリエーションがないし,おかずも画一的な感じがしたし,しかも食べきれない量のおかずでした。当然の事ながら,残すことのほうが多かったです。

ところが,小学校の途中で札幌市に転校して「なんていい給食なんだ」と驚きました。まず,給食にA町ではまったくでなかった混ぜご飯が出ることに感動しました。パンも種類が豊富で,おかずも子供の食べきれる量をバリエーション豊富に出てくるのがうれしかったです。味も前のA町の給食に比べ,断然おいしかったです。札幌市の場合は各校の給食センターで給食を作っています。しかも,給食の献立に子供たちの声を取り入れている感じがして,好感が持てたものです。卒業シーズンには,卒業生のリクエストによって献立が決まったこともありました。

結局,給食がおいしいかどうかは町によって異なるのではないかと思います。もちろん,児童生徒や保護者の要望を取り入れた給食のほうがいい,というのは言うまでもないでしょう。もっとも,いくら要望を取り入れたところで「給食を絶対に残さず食べるよう」指導するような先生がいたところでは,給食が苦痛になってしまうのは仕方ないです。少なくとも最近は,先生方もそういう指導はしなくなっているとは思いますがねぇ……。

最後に,私の小中学生時代だった昭和60年代~平成にかけてのお話です。それより前の世代の方の話も聞いてみたいです。
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この回答へのお礼

私より前の世代は調理室で作っていたみたいですが私の時は完全に給食センターになってました。

本当に残さず食べさせられるのは苦痛でした。特に嫌いだったのは、はるさめの煮た様なものです。臭いだけで吐きそうなものを食べれないと口に突っ込まれるのは生き地獄でしたね。ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/02 16:12

こんにちわ。


SPLINTER さんより 10 年ほど後の
小中学生です。

町によっておいしい・マズイがありました。
#2 さんが言われていますが、
自校調理している学校はおいしかったです。
キバツな(子供ウケしない)献立もあまり
ありませんでした(笑)
給食のおばちゃんや栄養士さんとお話したり。
学期最後の給食は「おたのしみ給食」で
献立表に一切の情報がかかれませんでした。
2 学期末だと、ケーキが出てましたね。
桃の節句にはひし形の水菓子。
でも端午の節句はなかったなぁ。

町が変わり中学校。
卒業前に、自校調理から市一括の
給食センターになりました。
マズクなりました。
面白いおかずがなくなりました。
でもおいしくなかったパンはかわりませんでした。
(筆頭は「白ごま味噌パン」。
ごまの風味と味噌の味のするパンです。)

小学校 3 つ、中学校 2 つの給食から言うと
#2 さんと同じく、「自校調理のほうが美味しいだろう」です。
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この回答へのお礼

「お楽しみ給食」は必ず子供が好きそうなものが出るのですか?当たり外れがあるならロシアンルーレットみたいで出るまでドキドキですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/02 16:19

こんにちは


私はまったくその世代です。
昭和46~52年まで給食。
兵庫県ですが
給食はおいしかったよ!
おかわりもみんなバンバンしてたしね。
今では貴重なくじら肉の献立が
多かったです。
あと、好物は鶏肉のケチャップ煮!
ああ、一度でいいからまた食べたい。
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この回答へのお礼

あぁ~クジラ肉はよく出ましたね。今なら牛肉より好きかも知れません。数少ない好きな献立は揚げパンとデザートのムースでした。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/02 16:26

昭和30年代後半から40年代前半です



給食=まずい です
 
低学年のころ牛乳は大きなポットに入った生ぬるい
のをアルミのお椀に小分けしていました、多分これが
脱脂粉乳をお湯で溶いたものだったのでしょう
 3年生ごろから牛乳ビンになりましたが、水っぽい
まずいもので牛乳嫌いにさせるためにあるようなもので
した
 パンは丸いこっぺパンか食パンで米飯なんてありま
せん、悪名高い先割れスプーンがではじめたころで
普通のスプーンと一緒に混ざってましたが、このほうが
珍しくカッコいいと思われてましたよ
おかずも生ぬるい野菜の炊いたものやカレーもありました
が主食はパンです、たまにミカンの缶詰があったときは
いいほうですね
残った残飯は給食室横のドラム缶にいれておくと
養豚業者が持って帰ってました、それをみると食べる気が
しませんね
 私は好き嫌いは無いほうですが、イヤイヤ食べていましたのでいい思いではありません

 中小の会社が多いところだったので会社の昼食を
給食会社が配達するのを見て、大人もあのようなのを
食べているのかと思ってました
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この回答へのお礼

もしかしたらdemio様は私より給食まずかったのでは!?私の頃も白米はなく味もそっけもないパンが主食でした。今出されたら怒りますよたぶん。

ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/02 16:35

私も10年経ったくらいの小・中学生でした。


私が通っていたところは、給食センターでつくられたものが運ばれてきていたんですが、
隣の大きな市と比べると、どうやらちょびっとだけ豪華だったみたいです。
ご飯は、白米・麦ご飯(カレーの時は必ずこれ)・マメご飯・赤飯(栗入り・栗ナシ両方)・カレーピラフなど以外に豊富な品揃え。
好きだった献立は、「希望献立」と呼ばれる子供たちが好きな構成を考えるメニューでした。
その中でも好きな組み合わせは
・カレーピラフ
・鶏のからあげ
・コーンスープ
・コーヒー牛乳
・デザート
っていうメニューです。

飲み物も牛乳だけでなく、コーヒー牛乳(ミルメイクではなく、ちゃんと最初からコーヒー牛乳のやつ)・オレンジジュース・
林檎ジュース・梅ジュースなんかもありました。
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この回答へのお礼

一世代違うと給食のバリエーションも豊富ですね。特にごはんが普通に出るのが羨ましすぎる!中学で初めてごはんが出た時は、まずいパンを食べなくていいのが嬉しかったです。

ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/02 16:42

48歳です。

長崎に住んでおりました。その頃の給食は脱脂粉乳のミルク!いやー、吐き気がしたものでした。(笑)鼻つまんで飲みました。パンは大きなバットに入れて持ってくるのですが、端っこのは湿っていてグチュグチュになって気持ち悪かったです。皆さんとの時代の違いですかねー。フルーツポンチがおいしかったです。
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この回答へのお礼

噂に聞く脱脂粉乳ですね!周りでおいしかったと言う話は聞いた事がありません。おかずもまずかったでしょうね。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/02 16:49

#6です。



おいしかったか、まずかったか書くの忘れました(笑)
もう「めちゃめちゃおいしかった!」ですね。
もし、今の会社で毎日給食になるよって言われたら大喜びです。
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こんにちは。


私はまさに同じ年代(昭和40年代後半~50年代初め)に小学生時代を過ごしました。
私の場合は、給食ほど美味しいものはないと思っていました(笑)少し大きくなってから、その理由を改めて考えてみたところ、

1.母が料理下手だった
2.共働きで、しかも今のように電子レンジがなかったので、家での毎日の食事は作り置きのものを冷えたまま食べていた
(安全上の理由から一人でガスを使わせてもらえなかった)

そんな理由で、少なくとも母よりずっと料理の上手な調理師さんによって作られたおかずが、暖かいうちに食べられる給食が私にとっては何よりも美味しいものだったんです。
しかし当時のウチの年収は1,000万くらいあったので決してビンボーではなく、母としては子供にできあいのものや外食を食べさせるよりは下手でも冷えていても手作りのものを食べさせたかったんだと思います。
親の心、子知らず...と言いますか(苦笑)私としては「家のご飯より給食が美味しいなぁ」と思っていました。
あと、外食もほとんどしたことがない私にとっては、給食で味わう「ヨソの味」も嬉しかったですよ。

給食がマズいと感じた子供たちは多かったんでしょうが、お母さんがお料理が上手で、毎食暖かいものを食べられる、裕福・貧乏という意外に、ある意味恵まれたお家の子だったのかな、と思います。
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この回答へのお礼

私は暖かい以前に給食の味付け自体が合わなかったです。余りのまずさに「子供に嫌がらせかよ!」と思ってました。昼休み遊びたいのに残されるし最悪でした。ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/02 16:58

こんにちは。


全く同じ世代、北陸の小学校でした。

確かに、まずかったです。
私は毎日、居残りでした。
30分~1時間たって、どうしても食べられないと、パンだけ持ち帰りさせられました。
おいしくないパンなので、家族の誰も食べなくて、そのままごみ箱に捨てられていました。
たま~に、ご飯給食だと、とてもうれしかったです。
あと、鯨の角煮(?)みたいなのは、家庭では食べたことがなく、好きな給食のひとつでした。

私も、給食には嫌な思い出ばかりですが、毎日居残りさせられていたのはほんの数人でしたし、「好きな時間は?」と聞かれて「給食の時間」と答えている男の子もいましたので、あの給食をおいしい、と思っていた子たちもいるのでしょうね~。
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この回答へのお礼

確かにおいしく食べていた子もいたでしょうね。私から見れば信じられませんが。食べれないおかずはパンの中に挟んで机の中へ隠してました。見つかると先生にチクる奴がいたので隠す時はドキドキものでしたよ<笑>

ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/02 17:07

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