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心療内科に通って5年たちます。

(かつては鬱病
今は適応障害などと言われています)

今は薬も抗鬱剤はいらなく、安定剤だけで済むし、自分の意識が認識できるくらいに治ってきました。

しかし、いまだ毎日常に不安感や恐怖概念が消えません。

何も起きていないのに、心の中がいつもモヤモヤしていたり、焦っていたり、不安になったり、死のうかなと口走っていたり、また死にたいと思ったり、涙もろかったり

対人関係でも、何も起きていないのに(話しすらしていない人でも)
誰かが怒鳴ってきたり
悪口を言っているイメージが沸いてきたり、
親と話すのに(父親)ものすごい嫌悪感を感じたり、人間自体を嫌いだと思ったり。
人が怖いので、友達もいません。

そういうものが、今だ消えません。

病院の先生いわく、わたしは既に鬱病は治っていて あとは心のもちよう、物事の考えかたをカウンセリングによって修正していくしかない ということなのですが、具体的にどのように修正していいのかわかりません。

どうしたら、不安はきえるのでしょうか?

どうしたら、わたしは普通に楽しく生きることができますか?

A 回答 (3件)

不安の正体を見極める場合、不安は消えます。

不安とは『自身の中のもう一つの要素』である、感じさせる方の心からの信号です。

人間の(自分の)心を学ぶ事から解消出来ます。その方法は『禅』の中に存在していますが、なかなかに分かり難いです。

ですので簡単にその解消のメカニズムを解説しておきますが、『自分自身で掴む以外』本当の解決にはなりませんので、終わりにその方法を書いておきます。

不安は『人間の心が二つの要素から成り立っている事』によっています。『自我意識は』心を作っている片方の要素でしかありません。

もう一つの要素とは『無意識』の事です。この意識は全ての生きとし生きるものに備わっているものです。それは『命の働き』と言っても良いものです。この者は『言葉を持っていません』そうして『意識が無くなった時に働いています』

眠る場合には『その者』のお世話になっていますが、毎日お世話になっていながら、誰もその者の事は知りません。その者は『不可知』の者と言う訳です。

眠る場合の心に付いて書いて見ます、眠ろうとする場合、『我』=意識はなくなっています。その時点で身体と心は、『意識する自分』から『無意識でする自分』に、その主導権が移っています。その任された『無意識の自分』が心地良い眠りに入っています。

無意識と交替しようとしない、或は交替する必要なく眠りに付こうとする間違いが『不眠症』と言うものです。

この場合、自我意識は『心のどこかに圧迫を感じている筈です』それは無意識からの抗議です。

貴方が感じている不安も同じ性質のものです。『漠然とした不安、或は何処から由来するか分からない不安』を感じていて、更に生き難い想いがあると思います。

不安とは、その対象が現実に眼の前に在る場合は、誰にもはっきりと判りますが、その対象が目の前に存在しない場合、その不安は『その人が自分の頭の中で作っています』

貴方の場合にも言えると思いますが、不安の対象は『現実には無い物』と思います。ですが貴方は現実に身体と心に不安を感じています。その事を仏教では『妄想』と言っています。

それは貴方が現実には無い事までも想像で作っているからです。その原因は貴方が意識している事によっています。貴方が意識した場合『貴方の無意識の意識が出番を失っているからです』もっと無意識の出番を作ってもらいたいと言う抗議を受けている事に相当します。

無意識にも意識が在ります、貴方が知らないだけです。従って貴方の不安の解消とは『心の矛盾の解消』と云う事になります。その解消方法が『禅』を学ぶ中に存在しますが、難しいと思いますので、簡単に説明しておきます。

不安を解消する方法とは、不安の相手をしない事を意味します。つまり『湧き上がる雑念』を相手にしない人間性になることで解決します。誰の心にも『雑念は』湧き上がっています。

只貴方のように不安になりやすい人、或は神経質な人は存在します。そういう人達は『自分の心に敏感』という性格上の持ち味が有ります。そういう場合、自分の心に湧き上がる内容の内『良い気分』のみを願っている傾向があります。

湧き上がる雑念を良いとか悪いとかを言わないで、素直に受取る練習をすることで解消出来ます。

貴方が目指す方向は、不安の解消です。貴方は人生を何も不安がない心持を持って生きたいと願っています。その究極のものが『涅槃』と言う境涯です。即ち大安心ですが、そこに至る道は、小さな不安をただ受け流す事から始まっています。

只貴方に足りないものが在るとするなら、『沸きあがる自分の感情に良し悪し』を付けているだけです。湧き上がる感情に良し悪しを付けないで「ただ、受け流す事が出来た時」涅槃と言う事を意味します。

その訳は『湧き上がる自分の感情に右往左往しなくなる事』で成就できる問題と言えるからです。

貴方の分別する心が『分別を捨てる事』で解決します。質問があるなら受け付けます。
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幸せは、あなたの心の外ではなくて、あなたの心の中にあると思います。

困難や苦難を、自分を苦しめ傷つける嫌なことと、そう捉えることも決していけないとは思いません。でも、それが唯一絶対のものの見方ではないと思うのです。別のものの見方もあっていいと思いますし、また出来ると思います。例えば、困難や苦難は、僕の魂を成長させるチャンスなんだと。そういうものの見方もあっていいと思うのです。ようし、僕の魂を成長させるぞ! と。
 また、相手を嫌な奴、怖い人と、そう捉えることも決していけないとは思いません。でも、それが唯一絶対のものの見方ではないと思うのです。別のものの見方もあっていいと思いますし、また出来ると思います。例えば、相手は僕に魂を成長させるチャンスをくれている大切な人なんだと。このようなものの見方もあっていいと思うのです。
 このように心のあり方を努力していくと、あなたの心の中で、困難や苦難が魂を成長させるチャンスへと変わっていき、嫌な人や、怖い人が、大切な人へと変わっていきます。そうすると、あなたのまわりには魂を成長させるチャンスと、大切な人たちばかりになります。そして、そのチャンスを生かし、大切な人たちに優しくしてみて下さい。あなたも優しくしてくれた人には感謝して、いつまでも覚えておきたいと思い、また恩返ししたいと思うのではないでしょうか。相手も同じです。相手も優しさや、思いやり、理性がちゃんとあるのです。悪魔やモンスターのような人など本当は存在しないのです。
 幸せは、あなたの心の外ではなくて、あなたの心の中にあると思います。僕は心の修養をがんばっています。あなたも心の修養を頑張ってみて下さい。お互いがんばりましょう!
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>そういうものが、今だ消えません。


一度セカンドオピニオンを考えたほうが良いかも知れません
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この回答へのお礼

ありがとうございます。考えてみようかなと思います。

お礼日時:2011/05/29 12:49

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