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死んだら人間はどうなるのでしょうか?ただ死ぬと全てが消滅するだけなら生物が存在する意味が分かりません。私は3つの考えがあります。
1つ目は・・・天国や地獄があり、死んだ家族とも再会し、永遠に楽しく生活していく。
2つ目は・・・『生まれ変わり』があり、全く別の生物や人に魂が生まれ変わる。
3つ目は・・・『無』になり、全てが無くなる。

私は大好きな家族と永遠に生活したいので1つ目だと信じたいです。3つ目は絶対に嫌です。皆さんの考えを教えて下さい。また、実際に亡くなる手前までいった方も大歓迎です。

もし、1つ目であればそれは自分だけの妄想なのでしょうか?

A 回答 (16件中1~10件)

死後の世界のことは科学的に証明不可能なことから、無に帰すものである、と答えるのが利口なのでしょう。


私はあえて利口ではない答えを用意しました。
自由にお受け止めください。

1つ目
再会は可能かもしれませんが、永遠は無理です。

2つ目
生まれ変わる場合と、そうではない場合があります。

3つ目
完全な無はありません。


2つ目の、そうではない(生まれ変わらない)場合が一番のポイントです。
生死を超えた永遠の真理の世界に入ることをいいます。
現実の世界は永遠ではないように見えますが、見方を変えれば、永遠なる真理の現れであり、その一部でもあります。
自分も自分以外のすべてもそうです。
鳴いている蝉や、小鳥や、空に浮かぶ雲も永遠の一部です。
大切なのは、永遠の一部を授かり、知る機会を得た、ということです。
生きているうちに、そうした世界に入ってしまう人もいれば、死んでから入る人もいます。
自分や家族や、身の周りの自然について、貴重でかけがえのないものだと思った時が、その世界の入口に立っていることになります。
現実にあるものの尊さを知ることが、永遠の真理の尊さを知ることになります。
生きているうちに、そうした事に気が付いた人は、死後生まれ変わることはなく、永遠の真理とともに永遠の安らぎを得るとされています。
その事を、涅槃に入る、ともいいます。

ご質問者さまの、大好きな家族の愛情も永遠の真理の一部です、別物ではありません。
家族にも、永遠の真理にも見守られている、という気持ちでお過ごしください。
そうすれば、死後のことについては心配ご無用です。
ご参考にしてください。
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人間は死んだら 体はタンパク質などの塊になり 精神や心は消えてしまいます。



残るのは生きてる間にやったこと それが永遠の未来に因果していきます。
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中学生ですか。


自分の子でも、孫でもない、人様の子の、
この種の質問に答えるのは。
余計なことをする者は、何もしない者に劣る(釈迦)
結果になりかねない危険、あやまち、になりかねません。
まだ、自分で考える、知恵=哲学、は無理な年頃ですから。

私は3っの考えがあります。と書いていますが。
何も考えている事にはなりません。
みな、人から聞いたり、本に書いてあったり、の話であり。
あなたが考えた事、ではないのです。
だから解らない、迷う、のです。解らない事は解らないまま保留しておく
のは、知恵、と言えます。人の話は、信じたり、疑ったりするものではありません。
いずれ自分で気づく、考えられる時がきます。
遅いほど、深い答え、考えに近づく意味があるのです。
もうすぐ、か。既に、か。もっと解らない、迷う、事があなたの内側から
起こってきます。そしたら。死後のこと、などは、考えなくなります。
考えるゆとり、がなくなる。否応なしに、答えをつけなければならない。
保留し、後回しに出来ない、多分に人にも相談出来ない問題に遭遇する、
とも言えます。
昔ですが、中学生の姪っ子が、「人間も犬や猫も同じ、じゃない」と言って
いましたが。目覚めたか(性に)と思いましたが。
「だから勉強をして大人になるんでしょ。」と言いましたが。
肯定するのも、間違い、否定するのも間違い、本人への影響を考えると
答えてやれないのです。

死期について、あえて答えますが
1っめの、死期の世界があるか。
       ありません。 心が求め作り出す、空想、です。
2っめの、生まれ変わりがあるか。
       生命体は世代交番、生まれ変わり、によって。存続してゆくものです。
3つ目の、 死は「無」でありすべてが無くなるか。
       「無」という言葉の意味を考えましょう。
       あなたが認識している。すべてが無くなる。
       A×0=0  B×0=0 というような事象は現実には起こりません。
       東洋思想、老子や釈迦の考え方での「無」とは
       実体のないもの、実体あるものと一体「×1」になっている、不確定な
       能力、方向性、のことです。
       あなたの心、実体ある、肉体と一体となってる、老子の「無」。仏教では「空」
       なのです。肉体×精神=人間 であり
       肉体+精神=人間 と捉えるから
       肉体が死んでも、0、になっても、霊魂=人間、として存続し得る、という妄想が
       起こるのです。
       すべては縁によりて起こる。
       あなたの、心、は朝、目がさめた、という縁と、昨日までのあれこれを
        あれこれを思い出す、という二つの縁によって、朝の心が想起し、
       次には、その心を縁として次の心が想起するという連続であり、心という実体が
       ある訳ではない。今のあなたの心は、私の文章を読む、という一方の縁によって
       想起しているのです。
       想起する心にも二つあることは解ると思います。
       知恵と感情や欲球の総体としての、心、です。
       知恵、は意識出来ません。自己と関係ないことを考えているからです。
       あなたが、自己と関係ない数学の問題などに集中している時、は、意識、に上がらない、
       心、が起きていないはずです。
       心×知恵=一定  心を滅するなら、知恵、が起きている。
       知恵が滅すると、妄想、空想に取り付かれる。
       ということを、考えてみられてはどうでしょう。  
       昔インドのブッダ(目覚めた人)と呼ばれる事になった。
       釈迦族の王子、ゴータマ、シッダルータ、が知恵=哲学、を求め
       国も、妻も、子も、捨て。修行の旅に出たのは、29歳の時だった
       そうです。30歳ぐらいまでは、普通、無為自然(老子)が一番、
       哲学はそれから、(自分の素養を見極めてから)ではないでしょうか。
       
       そしたら死期についての、4っめ、の考えが出てくるでしょう。
       
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こんばんは。



ホーキング博士の膜宇宙論


リラ・ランドール博士の五次元宇宙論
http://www.youtube.com/watch?v=arKlj3pJQnc&featu …


http://yogananda.cc/nature/5_dimention.html
等により宇宙が解明されれば、
1つ目、神を信じる人
2つ目、因果律を信じる人
3つ目、自分を信じる人
誰が正しいか分かるかもしれません。

そして、超弦理論も証明できるかもしれませんよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E5%BC%A6% …
(笑い)
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好なくとも、1の永遠の地獄は、とてもあやしいですね。



有限の一生のうちに、過ちがあるからといって、
永遠に苦しみにおくのは、サドマゾの世界です。

そのような不健全さは、なににおいてもあやしいです。

また、地獄におちるぞ、といって脅迫まがいのことも
おきてしまいます。

つまり、永遠の地獄は、倫理に反しすぎ、ということ
で×です。
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死んだら火葬されて骨と灰になります。

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進化論は全ての科学の規範になりつつあります。


その根本の世界観は徹底的にランダムで非目的なものです。この宇宙に生物の存在する意味などありません。
「種の存続」というのは一昔前に流行り、学問的に今は否定し尽くされている論説です。生物の進化は、偶然に適応度合いの高い個体の遺伝子が広まるという、超近視的な変異の偶然の積み重ねに過ぎないのです。

ただし、
あなたのように単純な実体二元論ではなく、
哲学の最先端では、
二つ目の説と三つ目の説は深く検討されています。
三つ目の説だと「発生」に巨大な謎が生じてしまうため、その謎を回避するために二つ目の説を採用する、というのが現在の流れのようです。
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量子論的世界像において、有限的存在性は、観察される事に


よって派生しています(無限不確定性からの、自我仮説(記憶=
時間的流れ)と空間仮説(予測=空間的広がり)の相補分化)。
つまり、観察点が消失すれば、無=無限不確定に還ります。
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>ただ死ぬと全てが消滅するだけなら生物が存在する意味が分かりません。



生物の存在を理解するには、個体と種の関係を理解する必要があります。
貴方は人間の個体ですから、個体の死の前に子孫をのこせば役割が終わります。死んでもよいのです。
種が生存(サーバイブ)するためには、個体に依存するのではなく、累々たる個体にリスクを分散しながら、そして多くの個体を消費しながら種を保存してゆくのがストラテジーです。

たまたま人間は、個体の知能が高くなり、個体としての存在(および死)に関心を持ちますが、これは種のストラテジーからみれば意味のないこと(ナンセンス)なのです。

癌に例えれば貴方はひとつの癌細胞にすぎません。この癌細胞一つが死のうが生きようが問題ではなく、癌全体として消滅しないように次から次へと細胞を分裂しておればよいのです。
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こんばんは。



少し分かりづらかったので説明しますと。
私は、次のように考えました。

たとえば、犬でもいいですが、犬は本能で食べることと
交尾することは知っています。

1)だから、獲物を捕まえ食べておなかを満たし生きることができます。

2)人間に飼いならされた犬は、人間から餌を得ることを認識します。

ここで、(1)と(2)の世界に別れます。

人も意識(心)により次々に認識します。

元の世界は、不確定な(波)の世界です。
1)お腹がすいた何か食べよう。

2)何かを食べるには、お金が必要だ。

3)お金を得るには、働かなければならない。

4)空を飛ぶには、翼が必要だ。

5)飛行機を考えた。空を飛ぶことができる。

(1)、(2)、(3)、(4)、(5)の世界ができました。

同じように、1つ目、2つ目、3つ目の世界ができたのです。
それは、人の意識(心)により出来ると判断したから、見つけることが
出来た世界なのです。
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