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人権作文を以下のように書きました。
以下の内容で大丈夫でしょうか。
中3です。


人権とは、弱者が自己を正当化するために生み出した、世迷言です。自身の置かれた窮状から自力での脱却を諦め、他力本願による救済を求めるさもしい性根が根底にあり、他者の足を引っ張ることにより自己の立場の浮揚を目指すための詭弁です。
元来、生物は弱肉強食の世界を勝ち抜いたものだけに繁栄が許されてきました。人類の祖先も何億年もかけて地上を跋扈する捕食者から身を守りつつ、その時代ごとに環境に適応し、火や道具を使うというような知性、そして文明を手に入れ、現在の「万物の霊長」たる進化を遂げました。その過程で環境に対応できないものや生き抜く力の弱いものは淘汰されてきましたが、それがあったからこそ人類はここまでの繁栄を手に入れたと言えます。
ひるがえって現在の日本、そして世界を見渡してみますと、その社会は資本主義が主流であり大勢を占めています。20世紀に世界を資本主義と二分した社会主義は、民衆に否定され敗れ去りました。社会主義は民主主義を出発点とし、民衆にこそ主権があるという思想であるはずにも係わらず、その主権者たる民衆に打倒されました。このことは民主主義、ひいてはその根幹をなす人権が、最大の恩恵を得る民衆に否定されたのです。そして、かつて社会主義を信奉していた国々は、雪崩を打って資本主義へ鞍替えをしました。
このことから、人類はその生存の場とする社会の運営を、資本主義に委ねる選択をしたと言えます。その資本主義は、かつて人類が文明を手に入れる前に置かれていた弱肉強食の世界と相通じる世界観を持っています。つまり、人類はふたたび己の力だけを寄る辺とし、他者と相食む社会を己の意思で選んだのです。
このような世界にあって人権などというものは、ただただ社会の発展を抑圧する足枷にしかなりません。

実際、法の下の平等などと言いますが、そんなことが眉唾物の出鱈目であることは明白です。一般市民が罪を犯すと、当たり前に警察に捕まり裁判にかけられ罰せられます。しかし、政権与党の実力者は政治家の最低条件とも言うべき政治資金規正法に抵触しているにもかかわらず、起訴されるどころか警察に捕まってさえいません。在日朝鮮人が在日特権を享受し、怠け者が生活保護でヌクヌクと暮らしているという現実もあります。
一方で、朝日新聞などの反日マスコミは表現の自由を盾に、日本の国益を損ない日本人に愛国心を失わせる偏向報道を行い、特定アジアへの利敵行為を平然と続けています。
そして、この資本主義下での競争に敗れた負け組が、努力をすることなく自分達の地位向上を目的に社会権を叫び、企業の国際競争力を割こうとしています。こんなことをしていては、戦後ここまで発展した日本の経済をさらに停滞させることとなり、僅かながらも上向いた景気に冷や水を浴びせる結果となってしまいます。
資本主義社会は誰もが努力の分だけ栄達できるシステムです。負け組は人権を求めて不平不満を言う前に努力をこそするべきなのです。現代においても、かの堀江貴文氏は一代どころか30代そこそこで自ら立ち上げたベンチャー企業を上場企業へと押し上げました。彼は彼なりの努力の末に東大に進学しました。その後は、ライブドアを設立し時代の寵児となりました。
彼は法に触れたため全てを失いましたが、それこそ法の下の平等のような努力し成功したものの足枷となる人権があるため、他者を出し抜くことが「悪」とされたためのことであり、出る杭は打たれるという日本の旧態依然とした社会風潮の被害者であるとも言えます。
また、かつて麻生元首相がその任についていた時に医療費について、「何もしない人の分を何で私が払う」と発言し物議を醸しましたが、これはまさに正鵠を射た発言でした。本来、病気の予防は自己責任であり、その不始末を他人の懐をあてにして、金も出さずに医療を受けようとするのは怠け者の発想です。
年金にしても、いまの高齢者は優遇されすぎています。財産も貯蓄もある彼らを養うために私達若い世代は将来にわたって年金を納め続けなければなりません。しかし、私達の世代が年金をもらう年齢に達した時には年金制度は崩壊しているという話もあります。高齢者は年金が削られると、年金制度の破綻は政治の責任と言い出しますが、戦後の社会は民主主義であり、彼ら自身が選んだ政治家がこのような状況を現出させたのですから、彼らの言い分は天に唾する行為です。

戦後の民主主義や過度に人権を求める社会運動は、社会そのものの停滞や後退を生み出す原因ともなってきました。このことを鑑みると人類の繁栄のためには少なからず人権のようなものは制限されて然るべきものだという結論が導き出せます。

A 回答 (2件)

社会のあり方に対する憤りは理解できるのですが、


出だしから
基本的に「藁人形論法」ですよね?
情熱は伝わってきますけど。
例証は「人権の濫用例」であって
「人権」そのものではないですよね?

「法治主義」における役割が、「人権」の基本的性質かと思いますが、
定義などを冷静に腑分けした上で論理的批判を行わないと、アジテーションやプロバガンダと同じなんじゃないでしょうか?

ぐっとテーマを絞って
「人権の濫用」に対する批判なら、同じ情熱で彫り込めそうですけど?

生物進化は適者生存であって弱肉強食ではないですし、
国民主権や民主主義
への言及には偏りが あります。
もう少し肩の力を抜いて、
地道な努力(勉強)を積み上げないと、
ジャイアントキリング(=人権の否定)には届かないのではないかと思います。
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社会ダーウィニズムからではなく、ホッブス、ロックおよびルソーの社会契約説から民主主義の本質を捉えると「大丈夫」かと思います。

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