
この間、ここで出家について質問して
質問がとんでもない方向に飛躍してしまいました。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6996217.html
質問の返信では神を拝むのは本来の目的から外れるとのこと。
そこで色々と検索してみて、どうもその通りらしかったのです。
しかし、調べている間に仏像を拝むのはどうかと疑問がわきました。
自分でもかなり抽象的な質問かなと思いますが、
ご意見を持っている方がいれば書き込んでください。
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
ユダヤ教、イスラム教、キリスト教(プロテスタント系)は、偶像崇拝は禁止です。
高度に洗練された宗教は、偶像を崇拝したりしませんよね。
ブッダ=ゴータマは、直接偶像崇拝について何もかたっていませんが、類推できる経典があるのでご紹介
します。
ブッダが、死に瀕して沙羅双樹の下に横たわっていた時の話です。
ブッダを供養するために、沙羅双樹は季節でもないのに花を咲かせブッダの体に降り注ぎました。
そして、天から美しい音楽が流れてきたときのことです。
長阿含経 遊行経より
ブッダ曰く 「アーナンダよ。かかる供養は、まことに如来をあがめ、尊び、供養するゆえんではない。アーナンダよ、比丘もしくは比丘尼、もしくは在俗の信者にして、法(ブッダの教え)をよく知り、よく法に従って行ずる者こそ、如来を最上にあがめ、尊び、供養するものである。さればアーナンダよここに、よく法を知り、法に従って行ぜねばならぬ。と銘記するがよい。」
つまり、ブッダ(如来)を尊び崇める事とは、花や音楽をささげたりする事ではなく、法を知りそれを実践することである。
と言っているのである。
そのことから推測するに、仏像を拝むのは釈迦の教えに反すると思います。
ご回答有り難うございます。
そんな一場面もあったのですね。
その文章を読むと一瞬、如来様を崇めたくなりますよね。
よく読むと逆のことを言って仰っているんですよね。
シロウトはこんな簡単な文章も逆に解釈してしまいます。
高度な宗教は偶像崇拝を禁止。
なるほどです。オウムとかが偽物の証拠ですね。
No.23
- 回答日時:
22です。
祈りと願いの違いを明白にして祈ろうと言うのなら偶像に手を合わせる事は別にいいでしょう。
それはすでに救われている感謝が祈りの内訳であるはずです。
仏である事が大それているとしても、私自身がお救いくださいとお願いされる立場でして、もちろんそんなこと言われてもどうしょうもない。
悟りなさいと答えるならば、それは
救ってあげましょうではなくて、
テメエで何とかしろ。
です。
皆様、色々ご回答有り難うございます。
この機会に宗教について色々調べたら、
何と日本は神道の国だそうですね。
何を今更と言われるかもしれませんが、
仏教の国だとばかり思っていました。
本当に知らないことが多すぎますね。
例の一行文の方も音沙汰ないようですし、
そろそろ締め切りたいと思います。
No.22
- 回答日時:
何かに救いを求めると仮定するならば、神に直接救いを求める、仏に直接救いを求める、そう言った感じでなければならないが、偶像を拝んだだけでフラストレーションを発散するならば、それは神を知らない、仏を知らない、ゆえであるので無効ではないか。
仏教ではこの点は明白であり、自らが仏であれば救いはいらないし、むしろ救う側だとしている。
何であれ救いの訴えは無効だ。
ご回答有り難うございます。
自らが仏というのは大それた見方ですが、
仏に帰依という意味でしょうか?
偶像を拝むのは無効というのは
今までの方々と同意見ですね。
No.21
- 回答日時:
No12です。
すみません。明らかに説明不十分。
言い訳にもなりませんが、なぜかとても云いたかっただけかもしれない。
私事です。御気になさらず!?
癒しグッズの仏像と、
いいご身分な先生とを関連つけて後付けで、急いで理由を考えてみると
拝むという行為は「謙虚な姿勢」からくるもの。
拝んでくれる人の謙虚さに労いやご利益を振舞って下さるような先生方ならいいのですが、
謙虚を受けた先生自らも謙虚を還元させるべきで、
堅気さんからいいご身分呼ばわりされるばかりでしたら
本人はいっそう居たたまれない、どう謙虚を返せますの。
法は存在というものと違う。
法は自由を考え守るために与えたはずのもので
仏像は実在としてあるために何時「羨望の対象、所有物」となり、
果てには厄介者となってしまうかもしれない。
仏像や宗教全体が、芸術的側面で如何に完璧に人々を魅せようとも、
偶像を存在させているだけでは無知を排除する現象には至れないではないか?
無知は原罪というより、自身の予定道理が支配させているかもしれませぬし。
二度目のご回答どうもです。
仏像というものは物欲の対象として見ると
厄介者になってしまうということですね。
皆さんの仰ることはよく分かるのですが、
では、どう行動すればと言われると、
そこには暗闇が現れます。
つまり、私自身どのように振る舞えばいいのか
よく分かっていないということです。
それに私の宗派の教えも正しいのか分かりません。
取り敢えず、物欲に奢らずにお祈り致します。
No.20
- 回答日時:
yasyatengu さま こんにちは maggaです。
パーリ語仏典を学んでいますが、問題ないと思います。
端的に言えば単なる物質ですからね^^
好きにすればいいと思いますよ。
拝むという体の行為が八正道にそむくことだということもないですし戒律にもなかったと思います
どのような「見解・思考・思い・感情」でするかは問題でしょうけどね^^
言葉をつぶやくなら言葉も。
ご回答有り難うございます。
実は肯定、否定の意見は久しぶりですね。
確かに拝むという行為は戒律にないですね。
対象が物ではなく仏や法ならば良いということですね。
この件に関しては大分明確になって来ましたよ。
でも、現実的には色々なしがらみがありますね。
No.19
- 回答日時:
あちらにて
魚の目というのは、
あぐりぱぱさんの対物の捉えかたではなく、その魚みたいな目の光のこと。
軟らかさのない精神活動の現れた、目の光。
聞く耳はないかもしけれないけれども、
徹底して仮定を排除する過程を明晰にするようにと
謹んで進言します。
No.15
- 回答日時:
へたのすけさんの挙げられた仏像もふくよかでうるわしいですが、
しばらく前に、橋本平八(1897-1935)の仏像をまとめて見る機会があって胸打たれるものがありました。
命を見つめる歪みない精神性が好ましいものでした。
40歳に満たず早逝されてしまったので、
それが仏師ならみな通る若々しい道の途上であったのか、平八なりの成熟だったのかわかりませんが、
小動物の彫刻にさえ、思わず手を合わせたくなるような気持ちがしました。
橋本平八さんのお名前は初めてお聞きしました。
30歳だと当時では自分の世界観ができていたと思います。
もし、もっと長生きしていればどのような作品を残されたか、
興味が尽きないところですね。
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