この間、ここで出家について質問して
質問がとんでもない方向に飛躍してしまいました。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6996217.html
質問の返信では神を拝むのは本来の目的から外れるとのこと。
そこで色々と検索してみて、どうもその通りらしかったのです。
しかし、調べている間に仏像を拝むのはどうかと疑問がわきました。
自分でもかなり抽象的な質問かなと思いますが、
ご意見を持っている方がいれば書き込んでください。
No.1
- 回答日時:
釈尊の教えには仏像崇拝はありえなかったのは確実なようです
それともうひとつ
仏教は 出家は妻帯禁止です
日本でも江戸時代までは一応守られてきました
唯一の例外は 浄土真宗です これは 宗祖親鸞が妻帯を公認したからです
(釈尊の教えを伝えていると言えるのか疑問はあります)
明治になって、それまで寺社奉行の支配にあった仏教各宗が、寺社奉行の支配を離れ、明治政府は各宗派のことは勝手足るべしトの通達を出しました(各宗が自律することを認めた)
この結果、最初に行なわれたのが妻帯の黙認です(あくまで黙認、戒律の変更を行なったわけではない)
これらのことから、日本の仏教は、仏教ではない、仏教を騙っているだけだと指摘する仏教者も多数います)
ご回答有り難うございます。
妻帯や肉食の経緯は調べている間に分かりました。
俗にいう生臭坊主という奴ですね。
東南アジアの神々も含めて、
神様を崇拝するのは本末転倒ということなのでしょうか。
まずは仏像を拝むのに反対票1というところですね。
No.2
- 回答日時:
しかし、調べている間に仏像を拝むのはどうかと疑問がわきました。
○仏教の本質を外した議論をいくらしてもしようがないということですね。
仏教は、三宝に帰依が基本です。三宝は仏、仏の教え、僧団という順序ですが、最後の僧団帰依の意味は、帰依というより僧団の規約を守る程度の意味しかありません。
つまり、仏教は仏に帰依するところから始まるわけです。仏が肉体を持っている時は仏に手を合わせ、仏が帰天後は仏の姿の仏像に手を合わせる。これにはなんら矛盾はないのですね。
実際に、釈尊在命中に、在家弟子が遠くてなかなか来れないので、と仏像を作り拝むことを申し出て、許されてますから、おかしくはないですね。
仏典には仏陀は神々おも超えた存在、これが天上天下唯我独尊という意味ですから、神々の主に拝むことは極自然のことですね。それが仏像であっても同じ意味ですからね。
鎌倉以降、僧団が強くなりましたが、僧団やその僧との関係は規約を守る程度なのですね。僧に帰依しても仏教になりませんので、お寺には仏陀の代わりの仏像が安置されているわけですね。まあ、初めての人は仏像を通じて仏陀に帰依するということですね。間違っても坊主に帰依してはいけないということですね。
ご回答有り難うございます。
これは仏像を拝むのに肯定派ということよろしいでしょうか。
仏陀に帰依するものであり、お坊さんに帰依してはいけない。
うーん、なるほど、そういうものですか。
まあ、確かにお坊さんといっても千差万別ですものね。
No.3
- 回答日時:
もともとの仏教は自分が解脱することが最終目標ですから仏像を拝むこと自体は無意味だと思います(別に悪いことではないと思いますが)。
ただし、解脱するための修行の一環として仏像を拝むのなら別にいいと思います。
拝む、というは精神を統一する心の行としての意味もあるということもお坊さんから聞いたことがありますし、悟りへ行くための教えを広めて下さった先人(釈尊や仏教に関わる人々)に対して礼を尽くす、という意味合いもありのかもしれません。
まあ、ぶっちゃけた話、解脱とは執着をなくすことと言われてますので、形式自体をそんなに堅苦しく考えないほうがいいのではないでしょうか?
別に拝んだからって何か邪悪なことが起きるでもなし、拝まなかったからといって天罰が下るでもなし。
質問者さんのやりたいようにやればいいと思います。
拝むことに意味はなし、拝まないことにも意味はなし、の心でどうでしょう?
こちらの方も肯定派ですね。
目標とは仏への帰依であり、解脱である。
そのために仏像を拝むのは構わない。
皆さんの言葉を繋げるとこんな感じになりました。
目的はぼんやりとですけど、何となく分かります。
その達成のためなら神々を拝んでもいいような気がしてきました。
ご回答有り難うございました。
No.5
- 回答日時:
こんばんは、疑問はつきませんね。
さてご質問の件ですが、私は仏教には少し興味があるだけの初心者です。以前NHKの番組で、初期の仏教の特集をしていました。元々仏教は哲学で、「いかに生きるべきか」を考える学問でした。しかし、釈迦の死後、有る一定の間、それが守られていました。そのために、釈迦の偶像を作ることはされませんでした。しかし、しばらく経ってから、円を描いた物のような物を描いて、それを拝み始めました。その後、アレキサンダー大王の東征により、ギリシャ彫刻と仏教が出会ったことにより、ガンダーラ美術が出来たのだそうです。その頃の仏像は、ひげを生やしバンダナを巻き、ギリシャ彫刻のようでした。
その後、仏教の中で死後の世界をも扱うようになり、哲学が宗教になっていったというような内容だったと記憶しています。
個人的には、歴史的な見方から、拝むことが間違っている考え方だとしても、拝むことで自分の気持ちが敬虔になるのであれば、良いのではないでしょうか?
ご回答有り難うございます。
こちらも肯定派ですね。これで3:1です。
真理に多数決取っても意味ないかもしれませんが、
シロウトには判断の拠り所となります。
興味深い歴史の紹介も有り難うございました。
時々思うのですが、中央アジアって大帝国でき易いですよね。
No.6
- 回答日時:
釈迦は仏像を拝めとは言っていないですし、三宝(仏、法、僧)を拝めとも言っていないでしょう。
三宝、すなわち、仏と、お経と、僧伽(そうぎゃ)に帰依せよ、つまり、仏と、お経と、僧伽(そうぎゃ)を拠り所にせよと言っただけで、拝めとか崇めよとは言っていません。
人類の英知が凝縮された仏教には、哲学の側面があり、また美術の側面もあるので、これらを哲学の立場、芸術の立場で尊重するのは個人の自由だと思います。私は個人的に仏教建築が好きで、崇めたくなる気持ちがあります。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など”アブラハムの宗教”が絶対神に対する「信仰」がを求めるのと違い、仏教においては三宝に対する「帰依」(拠り所にするという意味)が強調されます。
帰依と信仰の違いが仏教の哲学性を強めてきたと思います。
とはいえ、日本の仏教では、悪人正機説を唱えた親鸞以来、戒律の戒を無視し、肉食妻帯はもとより、今生の快楽を追求するような輩が僧籍をもっているのですから、お釈迦様はもちろん、道元禅師が見たらさぞかしお嘆きになるでしょう。
ご回答有り難うございます。
こちらは否定派ですね。一挙に否定派が増えた感じです。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を
アブラハムの宗教というのですか。
似たところがあるとは聞いてましたが、参考になりました。
今日も色々なサイトを暇を潰しながら見ていたのですが、
快楽は悪なのかというサイトを見てハッとしました。
釈迦が苦行を途中で止めたのも苦行に意味がないことを
悟ったためだとか。どんなものなんでしょう?
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
ユダヤ教、イスラム教、キリスト教(プロテスタント系)は、偶像崇拝は禁止です。
高度に洗練された宗教は、偶像を崇拝したりしませんよね。
ブッダ=ゴータマは、直接偶像崇拝について何もかたっていませんが、類推できる経典があるのでご紹介
します。
ブッダが、死に瀕して沙羅双樹の下に横たわっていた時の話です。
ブッダを供養するために、沙羅双樹は季節でもないのに花を咲かせブッダの体に降り注ぎました。
そして、天から美しい音楽が流れてきたときのことです。
長阿含経 遊行経より
ブッダ曰く 「アーナンダよ。かかる供養は、まことに如来をあがめ、尊び、供養するゆえんではない。アーナンダよ、比丘もしくは比丘尼、もしくは在俗の信者にして、法(ブッダの教え)をよく知り、よく法に従って行ずる者こそ、如来を最上にあがめ、尊び、供養するものである。さればアーナンダよここに、よく法を知り、法に従って行ぜねばならぬ。と銘記するがよい。」
つまり、ブッダ(如来)を尊び崇める事とは、花や音楽をささげたりする事ではなく、法を知りそれを実践することである。
と言っているのである。
そのことから推測するに、仏像を拝むのは釈迦の教えに反すると思います。
ご回答有り難うございます。
そんな一場面もあったのですね。
その文章を読むと一瞬、如来様を崇めたくなりますよね。
よく読むと逆のことを言って仰っているんですよね。
シロウトはこんな簡単な文章も逆に解釈してしまいます。
高度な宗教は偶像崇拝を禁止。
なるほどです。オウムとかが偽物の証拠ですね。
No.8
- 回答日時:
拝む、つまり祈りとは、波動のことです。
何かを求める場合、普通よく神頼みしたりしますが、これは祈ることによって自分の波動で
望みの対象をひきつけることになります。
この宇宙は引き寄せの法則が働いています。
ですので、仏像を拝んでいても、その辺の石ころを拝んでいても、どんな祈りであれ、その祈りが真摯なものならば、あなたからその望みを引き寄せる波動が放出され、その波動が十分な強さになれば、あなたの願いが引き寄せられるのです。
釈迦が仏像を拝むなと言ったとすれば、それは、もしその仏像がなければ自分では何もできないようになるのを危惧して、いわれたのではないかと思います。
本来人間は、自分の祈りの力で、望むものを手に入れることができるのです。
ご回答有り難うございます。
祈りとは波動ですか。。。物理法則なのでしょうか。
全く別の観点からのご指摘で新鮮です。
今、こうして読み返してみると肯定派の方でも
偶像崇拝を本来の目的に据えてはいけないと
限定的であり、否定派と同じ方向性に気付きます。
この辺に回答がありそうです。
波動と引き寄せの法則、参考になりました。
No.9
- 回答日時:
釈迦が死んでからずいぶん経って後の、
勝手に林立した教団がキリスト教の布教方法を参考にして用いた手法が仏像です。
そもそも、実戦哲学者たる仏陀は、教団とは無関係。
でも仏陀の言葉は伝わっていないから、教団の末裔を辿って探し出すほかありません。
仏像を拝む教団か、仏陀研究者の学派か、心注ぐ方向は迷いますよね。
あなたは真摯に世界を見れる人のようだし、ここに書き込まれる勝手な意見になど惑わされず、
ご自分での仏陀への道を探るべきです。
そういうことこそ、仏陀が望む世界観です。
いえいえ、皆さん真剣になって書いてくれてますよ。
勝手な意見などとは思いません。
ただ、質問する度に迷うことが増えるのは事実ですね。。。
それだけ多くの見方があるということでしょうね。
自分で探る、人生の旅人みたいで格好良いですね。
なるべくはそうする積もりですが、やはり限度があります。
ただ、その姿勢と方向性は正しいようなので、
これからも続けて行きたいとは思います。
No.10
- 回答日時:
滋賀の向源寺にある十一面観音像は有名な仏像ですが
そこに興味深い話が伝わっています。
戦乱の最中に、地元の村人が、尊像の破壊や焼失を怖れて
この観音様を土の中に埋めて守った、という話です。
伝説なので真実かどうかは分かりませんが、厚い信仰を思わせる話です。
村人がどのような思いで、観音様を土の中に埋めて守ったのでしょう。
先祖の位牌を大切にするのと同じような、或いはそれ以上の気持ちだったかもしれない
大切な観音様を土に埋めなければならない、という悲しみがそこにはあったと思うのです。
それでも、どのようなことがあっても守りたい、という強い信心がそうさせたのだと思います。
仏像を拝むことは仏教の本来の教えには無い、とかの話は前からあります。
理智的な仏教が本来の仏教であって、感性的な仏教は堕落であるという話です。
また、他力信仰や現世利益の信仰は、救いはあっても成仏はない本末転倒であるというような話も前からあります。
しかし、少し難しい言葉になってしまいますが
信心とは法仏の働きを直接享受する立場を得る、という解釈ができると思われます。
論も行もなくとも、信によって仏の大慈悲心に触れることが可能であるという事です。
それが一つの法門であると言えなくもないと思います。
仏像を拝むことは低レベルである、と決めつけるような見方は狭いようにも思われます。
仏像には、直接的な感性的説法の意味が込められているのだとしたら
やはり大切なものではないでしょうか。
信仰を持つ者にとっては、ただのマークやオブジェではないことは明らかです。
それがどれほど有効であったのかは、既に歴史が証明していると思います。
上述の話も、そうした歴史に因んだ話です。
信心によって守られてきた観音様が今もあるという事実が、何よりもその確かさを物語っていると思います。
参考になさってください。
ご回答有り難うございます。
少し皆さんの回答と違和感があったので考えてみました。
つまり、観音様を守るのが信仰の篤いことの証明になるかです。
諸行無常の観点から言うと誤りのように思われます。
観音様を守るのではなく、無くなればまた作れば良い。
観音様を守るという行為は物欲ではないのでしょうか。
偉そうに書きましたが、実は書いている私もよく分かっていません。
この話は次回くらいの質問のテーマにしてみたいと思っています。
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