この間、ここで出家について質問して
質問がとんでもない方向に飛躍してしまいました。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6996217.html
質問の返信では神を拝むのは本来の目的から外れるとのこと。
そこで色々と検索してみて、どうもその通りらしかったのです。
しかし、調べている間に仏像を拝むのはどうかと疑問がわきました。
自分でもかなり抽象的な質問かなと思いますが、
ご意見を持っている方がいれば書き込んでください。
No.11
- 回答日時:
釈迦の教えそのものとは無関係ですね。
偉いから、ありがたいから、輝いているから、などと如来の色身を拝むことさえ意味がなく、
人は自分自身が苦しみから解き放たれるようになれと教えを説いたのが釈迦でした。
教会のキリスト像やマリア像は美術品ではなく模像です。木偶(でく)に写し身を見出すものです。
写真が存在したなら写真を祀ったり持ち歩いたりしただろうといえるでしょう。
また、仏閣を装飾する神々は装飾です。建築様式に要請されているものです。
仏像は仏教美術の作品であり、これらと見どころが違うと思います。
家の仏壇に置くようにと売られているものは美術品の典型を縮小コピーした大量生産品といったところなんじゃないでしょうか。
あれらが仏の写し身だとか御真影の立体版だと思って拝むことなどあるんでしょうか。
純金製とか純銀製とか作家物とかであったりと、別の付加価値が、ありがたかったりします。
仏像に手を合わせるなら、彫り出した人の心を無視することはできないと思います。
近現代の彫刻家でも仏像を彫る方々がいますが、
何を彫ろうとしているのかということを深く考えさせられます。
美術館に置いてあると手を合わせる気分にならず、寺に置いてあると手を合わせる気分になるなんてこともありそうですが、
それは美術館というのが罪深い機能を果たしているからですし、美術館に慣れた近代人の目は、観光寺の仏像だって対象化・モノ化して鑑賞してしまいますね。
でも、そんな物象化文明に濁らされず、心から仏像の前に手を合わせる人は幸せな気がします。
仏像とゆっくり向き合って、仏師の心と同席していたり、大勢の人の祈りの心と調和していたりするのだと思うからです。
そういう、心の総和、波紋のように広がる繋がりが、自我に照射している様態が仏教には自然に備わっていると思いますから、
そんな心があるなら、仏像を拝もうと拝むまいと、偶像をとおしてイエスと共にとかマリアと共にといったような按配にならなければ、釈迦は何も言わないんじゃないでしょうか。
ご回答有り難うございます。
仏像は偶像であるが、それを作った人の想いと
同調するという意見ですね。
大勢の人の心の調和というのは本質的にそうだと思います。
No.13
- 回答日時:
追加します。
仏像を拝むことの実際についてです。
仏像は信仰の対象であることは勿論ですが、その内面に少し入ってみたいと思います。
あるご住職が言われた言葉ですが
見事な仏像であっても、きれいすぎて拝む気になれない、ものもあるという話でした。
美術工芸品として価値は高くても、信仰の対象としては失格である、という事のようです。
拝むのは、見た目がきれいだから拝むのではなく、仏様だから拝む、ということなのでしょう。
仏の智慧や慈悲心を感じさせるものが仏像なのでしょう。
深い智慧の美しさや、慈悲心の優しさを理屈抜きで与えてくれるものです。
そこには仏師が伝えたかったものが込められていると思います。
仏は衆生と共にいる、という象徴が仏像なのだと思います。
私は仏像を拝むことに何のためらいもありません。
それは仏様に近ずくことだからです。
仏像が羯摩曼荼羅という仏の確かな表現であるという裏付けがあることを知れば尚更といった気もします・・・
既にご存じかもしれませんが私の好きな仏像を書いてみます。
どれも素晴らしい仏像だと思います。
向源寺 十一面観音像
中宮寺 菩薩半迦思惟像
広隆寺 菩薩像
二月堂 不空羂索観音像
No10様ですね。再度のご投稿有り難うございます。
豪華な仏像を大切に思う心は物欲のなせる業だと思います。
ただ、No11様のご回答を見て、何となく分かった気がします。
作ったものの心、それこそが大事なのだと。
No.15
- 回答日時:
へたのすけさんの挙げられた仏像もふくよかでうるわしいですが、
しばらく前に、橋本平八(1897-1935)の仏像をまとめて見る機会があって胸打たれるものがありました。
命を見つめる歪みない精神性が好ましいものでした。
40歳に満たず早逝されてしまったので、
それが仏師ならみな通る若々しい道の途上であったのか、平八なりの成熟だったのかわかりませんが、
小動物の彫刻にさえ、思わず手を合わせたくなるような気持ちがしました。
橋本平八さんのお名前は初めてお聞きしました。
30歳だと当時では自分の世界観ができていたと思います。
もし、もっと長生きしていればどのような作品を残されたか、
興味が尽きないところですね。
No.19
- 回答日時:
あちらにて
魚の目というのは、
あぐりぱぱさんの対物の捉えかたではなく、その魚みたいな目の光のこと。
軟らかさのない精神活動の現れた、目の光。
聞く耳はないかもしけれないけれども、
徹底して仮定を排除する過程を明晰にするようにと
謹んで進言します。
No.20
- 回答日時:
yasyatengu さま こんにちは maggaです。
パーリ語仏典を学んでいますが、問題ないと思います。
端的に言えば単なる物質ですからね^^
好きにすればいいと思いますよ。
拝むという体の行為が八正道にそむくことだということもないですし戒律にもなかったと思います
どのような「見解・思考・思い・感情」でするかは問題でしょうけどね^^
言葉をつぶやくなら言葉も。
ご回答有り難うございます。
実は肯定、否定の意見は久しぶりですね。
確かに拝むという行為は戒律にないですね。
対象が物ではなく仏や法ならば良いということですね。
この件に関しては大分明確になって来ましたよ。
でも、現実的には色々なしがらみがありますね。
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