【あるあるbot連動企画】あるあるbotに投稿したけど採用されなかったあるある募集

こんばんは。

暇なうえに、少し気になりましたので。
質問させていただきました。

宗教は、哲学と対等ではなかったのか?
それとも、あくまで自ずから(呪術、占い)で真実を誤魔化し、
哲学に従おうとするものなのか、お教えください。
これらは、単に、自己満足や
人と仲良く付き合う方法ではないのか?

哲学が、やはり、論理的な最高の学問なのか?
(自我意識に目覚めた者の学問であると言うこと)
(哲学から、真実の生き方が生まれると言うこと)

これから、学ぶ者のために、お教えください。

A 回答 (8件)

細○○子が 占術は 膨大な量の故事をまとめた


体系と言ったか統計と言ったかは忘れましたが
そんなことを言ってました。数学に近いそうです。

孔子が言いました。「我々は ややもすれば人間を
超えた存在にたよる気をおこしがちだ。しかし 
まず人間としてやらねばならぬことは何なのかと
考えること それが知だ。」

ゲーテが 「学問と芸術を持っている者は 同時に
宗教も持っている。」 という言葉を残しています。
またこんな言葉も残しています。
「信仰は芸術を復興させたが これに反し 迷信は
芸術を支配し またもやそれを滅ぼしてしまった。」

人の道とゆー高尚な趣味を持っておられるかたが
「アルケーは宇宙の法則であるう」ゆーてはりましたな。

どれが一番やなんて 甲乙つけがたいのんちゃいますか。

ボクは山岳信仰なもんですよって どーでもええのですが
おそらく行きつく先は 「いかに人と仲良く付き合うか」
それにつきる思います。すべての思想がです。

あ~ アルケー あまりに深遠である。

この回答への補足

ちょっと田中角栄さんの名言らしい。

言って良い事、悪い事。
言って良い時、悪い時。
言って良い人、悪い人。

もうひとつ、
人生なんて、良い時もあれば悪い時もある。何をしても上手くいく時もあれば、何をしても上手くいかない時もある。

だから、何をしても上手くいく時には、思いっきりアクセルを踏まなければならない。
一瞬たりとも躊躇してはならない。
一瞬の躊躇が流れを変えてしまうことがある。
エンジンがオーバーヒートするまでアクセルを踏み続けなければならない。

エンジンがオーバーヒートしてしまえば、エンジンを積み替えればいいのです。
物事には何事にも全てタイミングがあります。
http://harumacky007.blog111.fc2.com/blog-entry-1 …
ここからの引用です。

どちらも、いい言葉だと思いました。

補足日時:2011/09/15 16:12
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この回答へのお礼

こんにちは。

がっくんは、若いのに儒学を知っているなんてすごいね。
孔子は、本当にいいよね。
私も、山が好きです。
草木の香りと、景色は最高だよね。

細○○子さんは、占い師だから問題ないよね。
ゲーテが言ってることももっともだよね。

「アルケーは宇宙の法則であるう」は、その通りだけれども
アルケー=万物の根源=神=目が点になりました(笑い)
宇宙の法則、説明して欲しいかも?
宇宙の法則=分からないもの=神
そりゃ~そうで深遠過ぎて、だから何なの?

私が言いたかったのは、呪術や占いを信じる人が、
自分が神というのは、駄目だろうということです。

宗教は、慈悲、慈愛の心で神を信じる人を幸せにすることだと思うから。

がっくんは、文学を美的にとらえることが出来るから、
心豊かな人生が、過ごせそうだね。
文学と自然と孔子、素晴らしいです。

お礼日時:2011/09/15 16:05

>ローマでエクソシストが承認されたとか。


昔から認められていますが。
悪魔祓いと占いは違います。

>ローマ法王は、カトリックらしい。

当たり前です。
カトリックの最高権力者がローマ教皇(法王)
です。
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この回答へのお礼

こんにちは。

カトリックは正規の宗教なので関係ないでしょう。

やはり、悪魔は、増えているんですね。
カトリックでは、エクソシストによる悪魔祓いなのですね。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/09/16 17:11

吉野家で牛丼を食うとしばしば割引券がついてきますが、


多くの宗教にも、占いはほぼもれなく付いてきます。
今晩は、牛丼はつゆだくだくのtaco8chです。

こうした傾向は儒教(儒学)に限らず、神道、仏教、ユダヤ、キリスト教
そしておそらくイスラム教も、例外ではありません。
間違いなく、宗教とオセロ中島は、占いが大好きです。

ユダヤ教の祭司は、占いの玩具を携帯しておりましたし、
お祭りの日や戦争中には、くじ引きや夢占いもしたと聖書に記されています。
キリストの誕生を予言したのも占星術の一種でした。
教典中の数や語句から象徴的な意味を読み取り、
教典をまるで易本顔負けに用いて未来の吉凶を占う行為は、
大なり小なり宗派を問わず行っています。

宗教と占いは、そろそろ厄介事になってきた愛人のように、
切ろうとしてもなかなか切れない関係にあるのでしょう。それは、
宗教もまた占いと同様、――質問者の言葉を借りて――安っぽい、
かつ反社会性を有した行為だからかもしれません。
そのような意味で、宗教と占いの間には一種の親和性があります。

反社会的親和性の一面の現れとして、質問者が言うように
人はよく宗教によって救われたと告白します。
それと同じくらい、占いによって救われたと告白する人もいます。
また、質問者が言うように、占いで身を滅ぼす人は数知れません。
同様に、宗教で身を滅ぼす人も数えきれません。

こうして観ると、もしかしたら、宗教も占いも、
酒やタバコ、博打、パチンコ、ドラッグなどと、
同じカテゴリーに属するアイテムなのかもしれません。
だって、みんな大好きでしょ?人間だもの。
あ、みつを。
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この回答へのお礼

こんにちは。
ご回答ありがとうございます。

そうそう、子供たちは、お菓子を買う時、おまけを見て買うそうな。
いや、違った、大人のマニアがおまけを大人買いするのだった。(笑い)

そうか、おまけが大部分なのですね。
>もしかしたら、宗教も占いも、
酒やタバコ、博打、パチンコ、ドラッグなどと、
同じカテゴリーに属するアイテムなのかもしれません。<
もう、カテが違うようです。
OKWave>趣味▼>宗教▼
なかなか、よろしいようで。

牛丼は、吉野家のつゆだくだくに一票。

泳げたいやきくん、でバカ売れした、タイ焼きは、あれから、
具が変わり、西洋かぶれした。
そして、白いアルビノ種(タピオカ)が突然変異で現われたが
長続きはしなかった。
いま、皮パリパリの日本、西洋ものが出てきた。

これは、タイ焼きの進化であろうか?
いやいや、人間は、少しも進化しておらんだろう。
ならば、その人間が作り出す現象、タイ焼きは。
只の人の、文明進歩のものであろう。
人の欲はタイ焼きにも現われる。
面白い。

ちなみに、パリパリタイ焼きにも一票。

この程度が幸せ。(笑い)

お礼日時:2011/09/16 16:59

旧約聖書の申命記で占いは禁止されていますので


旧約聖書を使う宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)
では禁止です。
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この回答へのお礼

こんにちは。
ご回答ありがとうございます。

旧約聖書では禁止なのですね。
そうでしょう。

もう、3年前になるが、
ローマでエクソシストが承認されたとか。
ローマ法王は、カトリックらしい。
日本でも陰陽師が必要らしい。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/50972718.h …
沢山の、偽の神様に洗脳された悪魔がいるそうな。
世も末かな?

やはり、聖書に書いてあるらしい「右の頬を叩かれたら、左の頬も」
は、自分と相手のことなのだろうか?

お礼日時:2011/09/16 16:14

中世以前は「世界観」として、宗教も哲学も科学も不可分なもの


でした。
宗教者が哲学者でもあり、科学的実験も行い、ていう。
人の自然認識が深まるにつれ、様々な現象の原因としての神の
立場が狭まっていき、宗教が離れました。

それでもまだ、哲学者は科学者を兼ねていましたが、やがて
科学の対象が日常的な現象の洞察から離れ、複雑な器具を
使った実験や、巨大な観測機器を用いたものになるにつれ、
哲学者と科学者を兼ねることは難しくなりました(思索的要素の
大きい理論物理等では哲学的活動をする人が散見されましたが)。

とはいえ、世界を形成する情報に、「哲学」や「物理学」、「化学」
などといった個別のものがある訳ではなく、1つの実体を持って
いながら、人間の認識力のキャパシティによって分けて扱わないと
収拾がつかないだけの話で。

元々、全部の分野をまとめた「世界観」と言うべきものだったのが、
認識の深まりの過程で分断し、現象的に特徴的な対象に対して
「分科」学が派生し、そうした特定の対象が独立した残りが哲学
だと言えます。
哲学者が偉い訳ではなく、“世界観として深める事が大切”なのです。
哲学者が科学を身につけるか、科学者が哲学的思索を深めるか、
いずれの可能性もあります(個人の能力次第であって)。
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この回答へのお礼

こんにちは。
ご回答ありがとうございます。

いつもながらの、素晴らしいご回答に感謝いたします。
哲学も時代とともに、その立場が変わってきたということですね。

お礼日時:2011/09/14 16:40

夢のまた夢



そのまた夢の

またまた夢

てふ てふ。。

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この回答へのお礼

・・・ ・・・

お礼日時:2012/03/12 02:05

胡蝶の夢の中。



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この回答へのお礼

こんにちは。
ご回答ありがとうございます。

そうなんですよ。
胡蝶の夢の中から、お名前をいただいた訳なんですけど。

私が言いたいのは、何故、宗教は、哲学のごとく論理的に
説明をしようと試みるのか?
現実は、現実として、夢は、夢としてでいいのではないかと言うことです。

宗教は、只、信じれば救われるのです。
占いにより説明すれば、するほど、安っぽくなるのではないかと?

実際、現実を見てしっかり勉強し、努力し、運をつかまれる方が
多数なので。
なんか、占いでは、説得力に欠けるかと思いました。
仏性のあられる方のご意見の本当のところは、どうなのかと思いました。

私は、呪術、占いで身を滅ぼされた方を知っていますが。
私も、自分の努力で今があるのですが。

お礼日時:2011/09/14 16:32

たぶん歴史観に欠いているのだと思いますが、


もしかすると認識がめちゃくちゃではないでしょうかね。
どのあたりから整頓したいとお考えなのですか。
哲学・宗教・占い、時代をずらしたら関連を論じることはできませんし、
深く関連した時代である古代と中世とでは、
それぞれに異なる問題意識を持って視座を据えなくてはなりません。

哲学にも歴史があり、宗教にも歴史があり、
そして気をつけなければならないのは、占いにも歴史があるということです。
関連を把握するには、広汎にわたる知識がいります。
金属精錬、空間と時間の合理化、天文学と暦学、神話、農耕と牧畜、都市文明の起り、医学、軍事学、統治についてといった話になります。
質問をいまいちど吟味してみてください。

もし現代社会にとっての哲学や宗教組織へ、問題を切り込むのが目的でしたら、
易経などと儒教の最終科目みたいな書物の名前を持ち出さないほうがいいです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私の質問の仕方が、悪かったようです。

お礼日時:2011/09/14 16:34

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