準・究極の選択

余裕を持って望むこと。切迫すること。
どちらが良いんでしょうか?

何かの目標があって、それに対して毎日地道に自力を重ねつつ、余裕を持ってその機会に望む。
きっとコレは、確実に行けるでしょう。
でも、まわりの目や体裁。自分の置かれた状況に不安や焦りを感じたりします。

かと言って、切迫して行くこと。
所詮は付け焼刃。いくら叩いても、地金がダメなのであれば、ふとしたおりに簡単に折れます。

目の前のエサを見据え、確実に失敗しない方が望ましいのでしょうが、まわりの目がね・・・
遅れながら私、仮面浪人をして3年目になります。
お金は無いので、宅浪です。進路再考に備え、毎日バイトもしています。

高卒時に、志望校への点数は足りず、浪人はお金が掛るから認めないという親の意志から、近場の大学にせざるを得ませんでした。
大学に入ってからは、もう社会人だから。これからは自分で選択するよう言われ、半ば何も考えずにノリで、新しい進路への援助は無しという条件で、もともとの志望先に進路再考することにしたのです。
まあ、考えも何もかもが若かったワケでして・・・

休学して1年は、勉強を取り敢えずしてました。金銭的に厳しいので、バイトを始めました。
でも、どこかで本気じゃなく。大学の資料も、センター後に集める始末。
点数が足りていなくて、2次試験は諦めて、来年に頑張るぞ!といった感じ。

2年目は、お金が無いからバイト三昧。
それで勉強もしてれば良かったんですが、お金が無いから。バイトが忙しいから。と、
それを建前口上に勉強をあまりしないでいたら、取り返しがつかなくなりました。
どうしようも無くなった次第です。

そして3年目。
社会に出て、社会にしごかれて、精神的に落ち着きました。
高卒時には見えなかったことも、たくさん気付くことになりました。
親の世話になって、親に迷惑をかけて、本当に申し訳ないと思います。
このまま迷惑を残したままでは酷いにもほどがあるので、早く恩返しが出来るようになりたいです。
大学を目指して、ズルズルと足を引きずった数年。
志望校への入学をターニングポイントに、人生を精一杯生きたい。と思いました。
でも、気付いた時には、今年の試験も危うい状況です。
まだセンターまで100日以上はあるので、「死ぬ気」で頑張れば、何とかなるかもしれません。

「死ぬ気」で頑張る。なんて、どこの若者でも使ってそうな言葉ですけど・・・

それで不安が伴いました。
死ぬ気で頑張ったって、如何せん付け焼刃。いずれ折れたり、そこから取り返しのつかない挫折をするかもしれません。
それよりだったら、しっかりと毎日地金を鍛えていった方が良いでしょう。

私の好きなマンガで、チャンピオン連載の相撲マンガ、「バチバチ」というのがあります。
ケンカの強い筋肉質な主人公が、死んだ父親の背中を追って、相撲会に挑戦するのですが、
筋肉質な身体から肉が付かず、日が経つにつれて、勝ち続けていた自分が負けるようになります。
一度打ち負かした同期の相手にもパワー負けしたり、自分の必殺の突進も全く利かなくなるのです。
まわりは段々と身体が出来てるが、自分は筋肉質で身体が出来ない。という状態。
若干、ヒステリーにもなり、限度を超えてまで稽古に励み、ご飯も食べました。
結果として、それはストレスとなり、更に身体の筋肉を萎めて、身体を壊す結果となりました。
それで兄弟子の独りが諭すように言うのですが、
プロの力士って言うのは、しっかりと勝てる能力が必要。身体にしても精神面にしても。
ムリをしても、すぐには結果は付いてこないだろうし、身体を壊したり挫折して、取り返しが付かないことになったら大変。
別に、今すぐに結果が伴わないとしても、例えば3年後。
3年後にしっかりとプロを目指せる能力を身に付けれるよう、今はしっかりと積み重ねて行けば良いんじゃないか?と。
それで精神的に落ち着いた主人公は、取り敢えず、今与えられた稽古ややることをやって、身体は着実に出来てきたという話です。

また、ドラゴン桜の桜木先生は、焦って点数を上げようと躍起になる生徒に、
今は平均点を確実に取れれば良い。と言います。
取れるものを当り前のように取れるようにし、尚且つ、その当たり前に取れる点数をコツコツと上げて行く。

いずれにしても、付け焼刃で切迫しても、それはギャンブルで大金を稼ごうとするようなもの。
続ければストレスが溜まり、ふとした折から挫折するように、
何かしらのキッカケで負け続けて、負のスパイラルにハマることもあります。

結果に真剣に取り組むのであれば、勝ちを確実に取るのであればこそ、
一夜漬けのようなことはせず、日々の積み重ねを重視するのです。

まあ、言い訳がましいのですが、私は自分で思うに、
今から地道に勉強を重ねても、今年の試験には、しっかりと勝ちを取れません。
或いは、死ぬ気でやれば、ギャンブルの勝負に持ち込めるかもしれません。
でも、そんな軽い気持ちやその場限りの感情ではなく、
確実に合格を取りたいです。
もしかしたら、その失敗から、挫折や妥協することも考えられますので・・・

だからこそ、来年を視野に入れるのですが、まわりの目が気になって気になって・・・
同年代で既に職に就いた人もいますし、子供を持った人もいます。
第一志望に入れずに妥協して適当なところに行った人も、もはや卒業です。
そんなことを考えると、自分は人生に失敗してるのではないか?と思い、焦ってばかりです。
目標を持ってしっかりと頑張ってる人よりも、無難でも、安定してる人の方が、世間体が良いワケでして・・・

長く生きれば、その時のことは良い経験になるかもしれません。
無難に生きたけど、あの時、こうしても良かったかな?と思うこともあると思います。
ですが私の場合、経過途中にあるので、それも確認出来ずに、毎日が不安です。
地道にコツコツやって行く人。切迫しつつも、当たって砕けろで挑戦する人。
一体、どちらが良いでしょう?
皆さんの意見をお聞かせ下さい。
お手数ですが、ご回答お願いします。

ですが、よくよく考えれば、私のように結果が伴わずに日々を過ごしてる人もいるんですよね・・・
全く売れない芸人。売れなくなった芸人。
不登校の学生。鬱病。
この人たちが、それをどうやって脱したか?また、振り返った時、自分の暗黒時代はどのように見えるのか?
気になるところです。

A 回答 (2件)

>一体、どちらが良いでしょう?



一般的には、普段から地道にこつこつやったほうが
いいにきまっています。

しかし、人生いろいろある中には、
十分に準備できずにことにあたらざるを
得ない時がありますが、

そんな時でも、泰然自若として、
ことにあたる太い神経と、
失敗してもくじけない精神が必要です。

質問者さんの場合、それ以前の問題で、
ろくな準備もせず、とりあえずやりたいことを
やりたいようにしようと、
金も貯めずに大学を辞め、バイトをしながら、
中途半端に受験勉強と。。
それじゃ当たって砕けて当然です。

当たって砕けろは、失敗を恐れてチャレンジ
しないことへの戒めの言葉ですが、
無謀な挑戦を勧めているわけではない。
ということを再度確認しましょう。
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俄かには結論の出ない問題ですが、私はいつも余裕を持った気持ちで事に当るのが大切だと自分に言い聞かせています。

物事にシャカリキになると周りが見えなくなり、大局観を誤ることになります。引き時を見失うことにもなりますよね。
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