プロが教えるわが家の防犯対策術!

こんにちは。よろしくお願いします。

以下、私が実際に抱えている話ではありません。

例えば、子ども(女の子とします)が女の子の友だちを家に招いて遊ぶとします。
連れてきた友だちは素行が悪く、散らかしたり、ものをねだったり、勝手に家にあるものを触ったり
大人に対する言葉も悪く図々しかったり。※←少々大げさに書きました。
何回か家に来てそう感じた時、

子どもが小学校低学年だったら、友だちがどんな風だから困るとは子に言わないと思います。

子どもが高校生だったら、実際に迷惑していること、子に友だちについて付き合うのはどうか?
仲良くしてるけど、そもそもどんな子なのか?など話すこともあるかと思います。
親子のノリは家庭で違いはあるので、相談調子に子に話を振ることもあるかもしれません。

・自分は友だちと仲が良いし好き。
・親はどうも嫌っているようだ。
・親は心配しているようだ。
・親の言い分ももっともだ。
・友だちにも良い面もある。

少々難題かもしれません。
子が小学生だったら、そぶりでそれを伝える方法もあるかもしれませんが、
直接心配や困り事を子どもに話すとしたら、どの位の年齢から話すのがいいでしょうか。

要するに、この件に限らず、人の筋道やマナーなど、周囲との付き合い方について子どもと会話するのは、いつごろなんでしょうか?

漠然としててすみません。

A 回答 (4件)

>人の筋道やマナーなど、周囲との付き合い方について


>子どもと会話するのは、いつごろなんでしょうか?

人と関わりができてくるときなのではないでしょうか。
小さくてダメなものはダメです。
その年齢により言い方は伝わるように変えますが
ダメなものはダメと一貫します。

環境の影響もあるかもしれませんが
結局はその人の持っているものと経験、
経験から学んだ洞察力です。

周囲にいつまで経っても
親の影響とか環境とかの影響っていうのを
言い訳にしている人がいるんですが
ある程度年齢いったら
それは甘えだと思います。
そこで学ばなくても、他で学べることは多いし
学校では同世代との関係性も
年上との関係性も体感できるので
それらから自分なりの価値観を育むことが可能だからです。

そして、
こどもはものすごく色んな事を感じ取っているので
大人が「本音じゃなく建前」でいっていることとか
「自分はやらんくせんにこどもにはやれといっている矛盾」とか
そういうの察知するし狡賢かったりもします。
だからこどもとの関係の前に
自分はどうかっていうのがしっかりしてないと
ブレやすいです。

私は親から「他人に迷惑をかけるな」ということだけ
細かく言われて育ちました。あとは食事などのマナー。
そして親もそのようにしていて
わかりやすいモデルがいた形です。
性格は全く違うし、機嫌の浮き沈みはありますし
愚痴られたり当たられたり押さえつけられたりはあったけど
それはそれとして考えていました。
小学校3,4年生ぐらいで
「大人だから大人とは限らない」
というのが
はっきりして、
親の言うことも他の大人が言うことも
鵜呑みにしなくなりました。
母親はネガティブで人目を気にするタイプで
内弁慶でしたが
私はそれにひきずられることはなく
「それはそれ」として認識していました。
その土壌になっていたのはそれまでの経験だと思います。
家庭内でのことも、学校でのことも、学校外でのことも。

判断する環境を与えられていたわけではありません。
でも生活している上で
自分なりに「善悪」「快不快」はあるわけですから
それが自分の感覚になります。

親がこどもの人間関係に口出しすることはなかったし
また家に連れてくる友達に
素行の悪い子はいなかったです。
だから友達でそういうのを連れてくるということは
その友達よりも
それをいえない自分のこどものその子との関係
の方に興味を持つと思います。
「○○についてどう思う?」はおそらくまめに聞くと思います。
私は親にそういう育てられ方はしていません。
でも自分的にそういう育て方をしてみたいと思うので
そうします。

私にはまだ
こどもがいませんが(そろそろ出産予定)
妹のこども(2歳前と4歳前)
友達のこども(1歳~小学生)には
「それはちょっと」ということは伝えます。

人の筋道やマナーについて濃度は違えど
「ん?」と思ったら問いかけます。
がっつり話せるのは小学生ぐらいになってからだと思うけど
それまでも一方通行かもしれないけど
伝えることは大切と思います。

全体的にコミュニケーションを避けてもやっていけるのが
今の時代のいいところでもあり悪いとこでもあると思います。
自分で判断ができるのに、判断に自信が持てないから
風評に流されたり自分で判断しない人が増えていて
直接その相手と向き合い関わればわかることを知ろうとせず
自己完結で
人間関係を「築こう」ではなく「やりすごそう」とする傾向が強いです。
家庭内ですらそうである人もいるので
家庭外の人間関係はよりそうですね。

心配事とか困り事は
意見を乞うような感じで投げかけてみるといいんじゃないでしょうか。
わからんならわからんというでしょうし。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
(一汗かいてきました)

いいですね。今の私にはいい回答文です。
ちょっと試してみたい方向も見えました。
また機会があればよろしくお願いします。

私は、質問する時に、自分が考えるためのヒントを得たいというか、
自分だけで考えるとワンパターンになるし、決まった言葉しか浮かばないので、
何が疑問なのか固まらないうちに質問することもありますね。(申し訳ありませんが)

愚問調にしたり、熱い主張表明キャラにすることもあります。(たまに。たまにですよ。)

お礼日時:2011/12/10 07:27

あなたの中でオトナ扱い、子ども扱いというのはそれほど違うものでしょうか?



結局は子どもだから、免責される事項というのが何かということなら、子どもでもダメなものはダメだと
どこかで教えておかないと、会社のお金を私有財産と勘違いする’御曹司’もいるわけで、
要は、子どもの’ことば・世界’としてどれだけ、わかるように話すことができるかにすぎません。

痛いことは痛いと教えるに、自分が痛い思いをどこまで普遍化できるかですし、痛い思いをしなくちゃわからない。
お金の価値も自分の身に置き換えて学ぶ。

ソレと、コミュニケーションとして、いささかアナタが間違っているかもしれないとおもうのは、
子どもはえてして、相手の言っていることがわかったとしても、ソレを「わかった」と表現することが不得手だということです。

オトナは、子どもに、話をして、わかったか?と聞きます。
子どもは、わかったと答え、オトナは、どうわかったのか?とさらに聞きます。
要領のいい子は、大人の言葉をフレーズをそっくりリピートすることが出来ますので、オトナは、そうだ、その通りだ、
わかったね?・・・・とおしまいにしますが、コレ、違います。

自分の言葉で咀嚼しなおせない限り、わかってません。
ですので、つっかえつっかえでも自分の言葉としてアウトプットの出来るほうが実際には、自分の内実としていることになります。

子どものインプットと、理解と、理解できたとアウトプットは、直につながってません。
ここ、要注意です。

だから、わかることは、言葉のしゃべれないベビーでも、ちゃんと、わかってます。
ただ、自分はちゃんとわかっている、あーしてほしい、こうしてほしいと、言葉で、話すだけの身体能力が追いついてないだけのこと。

ベビーから、きちんと、’オトナ扱い’すべきでしょうね。
説明すべきはするべきだし、子どもにも、理解を求めることは可能だし、そのようにすべきでしょう。

親の思惑?親が間違っていないとおもいますか?
世間が子どもを育てるのです。
子どもは、そうやって、親以外に世間が、あることを知るべきでしょう。

自宅の前に大きな公園があり、天気のいい日などは、およそのベビーを見る眼福の日です。
ベビーと会話すると楽しいですよ。
「ママと一緒にお散歩ですか?」というと、そばにいる女性を見ないで遠方を見るベビーがいたりします。
手を出したりもする。
ママはアッチだと教えてくれます、そう、公園のトイレにママが行ってる、そばにいるのは、知り合いの他所のママです。
もちろんぜんぜん知らない人たちです。
「そうか、ママはアッチなのか」 「きゃきゃ」ですね。
「もう、アムアムしてますか? おいしいって、してますか? ほっぺほっぺ」等すると、時として、眉をよせて、困った顔する子がいます。
ママが、「まだ、一口二口かな? ミルクのほうが好きでなかなか離乳食が進まなくて」など、結構、多弁ですベビーも。

この回答への補足

みなさまありがとうございました。
また、ご縁がありましたらよろしくお願いします。

補足日時:2011/12/10 11:31
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この回答へのお礼

体裁のいいお礼文を書くよりも、正直に言うと、
言葉の選択だけ取り上げられたような。
「子ども扱いせず」⇒「子ども扱い」「大人扱い」
ニュアンスが伝わらず、別の話題をされた感じがします。
それとも、あなたが話したい話題にされたような。
回答文にシンクロするのが困難です。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/10 11:30

物事の善し悪しを自分で判断出来るようになり、相手の意見を客観的に捉えれるようになってからが良いのではないでしょうか?



私の場合。母が中傷的発言をする人で、仕事仲間の悪口だったり、昔の母の人間関係での悪口を、よく聞きました。
アチラが無理矢理話込んできたワケではなく、聞く機会が多かったというだけ。
しかしながら、実際の日常会話で話すこともしばしば・・・
そうして聞いていく内に、私は自身でも自覚しておりませんでしたが、どこかで「母は正しい存在で、正当なことを言ってる」と思ってました。
また、そういった環境で育ったものですから、母の性格に影響・感化されたところもあり、私自身もそういった性格になりました。
結果として、相手のことを考えないで悪口を言う私の発言は、他人から見たら、良い印象を持たれるハズがありません。
私自身としては勿論、間違ったことを言ったとは思ってませんし、自分の言うことは正しいんだ。という確信さえ持ってました。
まあ、その後紆余曲折を経て、大切な人間関係を失ってから後悔の日々を過ごし、言われてた人間の気持ちを考え、私が感化していく内に、
母の言動や思想に、そうした陰湿な性格を感じ取ったワケです。

それは、当時の私が感じることの無かった不快感でした。
その不快感は、私自身の考え方が変わったが故に生じたものだと思っています。

私が思うに、人の性格って、育った環境やまわりの人間関係に感化されるものだと思うんですね。
とりわけ、親の性格や価値観って、多くの子供が成人するまでに感化するものだと思っています。
例えば、親が常々人の悪口や陰口を言って、他人を邪見にするような人であれば、
その子供は、他人よりも自身が良いものとして捉えるでしょう。行動・思想・発言、何かにつけて、自分の方が正しいと思う、他人よりも優れた自分を意識した性格になると思います。
親が暴力的なのであれば、暴力で解決することは間違ってないと考えるかもしれませんね。
見栄っ張りで調子に乗った発言をするのであれば、子供だって大口を叩くでしょう。
良い面も悪い面も、普段見せない表と裏の面も、そうして似ていくのだと思われます。
まあ、自分の性格が派生した責任を、親に押し付けてると言われれば、それまでですけど・・・

少なくとも、私はそうだったと思います。
そして、そんな私が失った大切な相手の気持ちを考慮した時、そんな親が酷く不快に思えてきたのです。
これは私が、人間関係から得ることの出来た性格だと思っています。

全く関係の無い話をして、すいません。
私としては、そうして親の意見を子供に押し付けるのは、良いこととも思えないんですね。
とりわけ、他人の悪い面ばかり発言してると、他人の悪いところばかり気にする人になる可能性もあります。
そうして人間関係で気苦労を伴うかもしれないワケです。


いつ頃言えば良いかと言われますと・・・
うーん。。。。。小学生でコチラの性格を埋め込んではダメだと思いますし、かと言って、中高生になったら反抗期。コチラの意見を親身に捉えないでしょう。
社会にしごかれて、精神的に成熟した後だとしても、やはり親の悪口と思うかもしれません。
もしかしたら、コレは時期的な問題なのではないのかもしれません。

少し前に読んだ内容で、子供の教育において、必ず最後に「どう思う?」と聞くのが良いと書かれてました。
例えば、質問の例であれば、「あの子は非常にマナーが悪い。」「行動や発言が酷い」と、そのまま押し付けない。
このままですと単なる親のクレームで、子供はそれが絶対的なものと捉え、思考はそこでストップしてしまい、それについて深く考えないのです。
先も述べた通り、そういった環境で育つと、そういうことを言うのが良い。(或いは、悪いことではない)と思って、性格が構成されるワケです。
そうなると、思想に柔軟性がなく、頑固な性格になると思われます。

さて、「どう思う?」の話ですが、これを語尾に付けて話すのが良いとされます。
「(お母さんは)あの子のマナーは悪いと思う。(あなたは)どう思ってる?」「行動や発言が酷いと思うけど、どう思う?」と。。
こうすることで、子供は親の意見を鵜呑みにして思考ストップで終わらず、自分で考えるようになるのです。

これが言うところの、思考的・精神面での二次性徴。
昨今の人は、「分からない」「知らない」で済ます人が非常に多いです。
だからと言って自分でよく考え行動してるワケでもなく、「面倒だから」という理由で、自身のポテンシャルだけで答えることが多い。
そのクセ、キャパ以上の質疑には、「分からないから」「知らないから」と一蹴。
何故こうなのか?どうして、そうなるのか?それを考えようとしないワケです。
それはつまるところ、抑圧された意見を述べられて、思考ストップタイプの性格になってるのだと聞きます。
更にこういう人の多くが、主観的思考にあります。
主観的ですと、客観的に物事を捉えないでしょうし、自分都合に陥ることもあります。
主観的で自分勝手なクセに、自身の都合の悪い問題には現実逃避。
これが、抑圧された会話から育った、思考ストップタイプの人間なワケです。

初めに述べた通り、その物事を客観的に捉えることが出来、物事の善し悪しを考えることが出来るのが理想です。
だとしたら、そういった思考回路・性格を育んだ頃に、そういった質疑を投げかけてはどうでしょうか?
また、人間誰しも一辺倒で独り善がりです。
一方で悪く思っていても、他方ではそうは思われないかもしれません。
だから、考える機会を与えない、自分の考えを押し付ける会話だけでは良くなく、また、発言する側もその問題を客観的に考えてみなければならないのです。
そうして親子が協力して、共に思考的・精神面での二次性徴を遂げるのが良いのではないでしょうか?


関係の無い話をしてしまい、申し訳ありません。
漠然とした問題ですが、人の筋道やマナーなど、周囲との付き合い方を子供と会話する上で、まずは精神的な成長が必要です。
物事を深く考えて思考し、決して「分からない」「知らない」で片付けようとしない性格。
「分からない」「知らない」だと、きっと、よくは考えないでしょうから。
そしてその思考ストップタイプな性格にしないよう、親の側が、問題に対して質問を投げかけて、子供に考える能力を養わせるのです。
決して、親自身の考えや思考を押し付けるだけの会話ではいけません。
そうした抑圧から、思考ストップに陥ってしまいますので・・・


最後に。教育的なことを言うのであれば、子供とは、身体の小さな大人。だと定義されています。
経験量の差はあれど、思考自体は大人のそれと大差がないのです。
子供だから考えれる意見もあるでしょうし、経験が無いから考えつかないこともあります。
また、親だって完璧ではありません。
そうして子供に質問を投げかけ、また自分でも客観的に考えてみる必要だってあります。
偏った考え方としていないか?自分はこういう考えだけど、他の人はどう思うのだろう?それを踏まえた上で、社会的見解。社会的見解を除外した上での正当性。
子供と共に親も考え、成長しなければなりません。
きっと、その過程で、適当な時期とは訪れるものですので・・・

長文失礼します。
参考までに、
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私の父もやたら他人の悪口を言う人だったから解ります。
そこで染まったものを脱ぎ捨てるのに時間もかかりましたね。

今回は、そこまで考えを押し付けることもできないので、ある立場からよその子への関わりになります。
質問文は、伝えようとするあまり極端な表現や場面になってしまうのが辛いところです。
私は例えば、大人の考えや思想を子どもに語ることが悪く作用するばかりとも思っておりません。(良いとも思ってませんが)
本や歌、アニメや映画も個人の考え・主観が表れたものだし、スポーツ指導では明確な方針が必要でしょう。
どっちかと言えば、個人の権利が「嫌ならやらなくてもいい」という方向にばかり行き過ぎのように感じる場面の方が多いです。
自由に考える力を育む環境は、悪く染まったり、怠けたり、耐えずに逃げたりする可能性も与えると思います。

私はそんなに育児・教育本をあさってませんが、仰るように、自分はこう思うから、お前もこうしろよというのではなく、考えを投げて何を感じるか振るのはいいですね。
ある保育士さんが「子どもは自分のために言ってることは解る(伝わる)」と言っていたのを思い出しました。
モヤっと来たら、話さないより話した方がいいんですかね。

子に付き合って欲しくない友だちがいたお母さんと(その子については)私も困るということで話が合ったことがあるんですが、
胸のつかえが取れたような反応でした。
(でもそのケースは、小学校低学年だったので、、小さいと可愛いので悪いこともおおごとに感じないんですよね)

あと、小学校高学年から中学にかけて、他人が良く見えるようになって、自分に合う合わないが解ってきて、
みんな友だち関係も再編成ラッシュみたいなこともありますね。(女の子は特に)
その時に自ら気付く場合もありますね。そう考えるとそんなに隣で大人がハラハラしなくてもいいのかもしれません。

でも、不謹慎ですが面白そうですね。
「あの子って、、こないだ****だったけど、あれってどうかなあ。。ね、どう思う?」なんて。
そうですね。思うより大人と感じることはありますね。
会話は楽しいですよね。

素の感想を雑記形式でここの残し、お礼文とさせていただきます。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/12/10 06:00

事象が起きたその時です。


駄目なものは駄目と伝えます。なぜ駄目だと思うか考えさせます。一緒に考えます。
考えられなければ、そうならないように仕向けます。色々試します。

はい、私も子育て中です。
悩みはつきませんなぁ…。
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この回答へのお礼

前にこういう質問がありました。
職場体験に来る中学生の態度(取り組む姿勢)が悪く嘆かわしい。
そこでは、嘆いているだけで子どもらには結局何も言わなかったようです。

私は真剣に話すことについて、結構、子どもは理解するし傷つかないもんだと思います。
ここでは、友だちのことを親は良く思ってない件にしましたが、
女の子だったら5年生なら、ストレートに話しても良いように思えます。

今は、中学生の職場体験だけでなく、大学生の実習でさえ、
NGがあっても傷つけないよう指摘せず、大げさに褒めて終わらせるようなところあります。

若い人や子どもにいい加減ウンザリして、思わずダメ出して言い過ぎかな?と思ったこともありましたが、
意外に理解したり、態度を改めたりして、結構吸収するもんなんだなと思ったことがあります。

よくよく考えてみると違うよなということだと、直ぐに言うタイミングを逃してしまうこともあります。
でも、あまり好ましくないと思ってる子の友だちっていますよね。
困る子って、結構他でも困る子らしく、そういう子について偶然他のお母さんと意見が合ったこともあります(笑)
でも、あまり自分の子によその子批判みたいな話をすると漏れてその子の親に伝わる可能性もありますね。

親が子が気に入ってるものに対して漠然と嫌っていて、親がどうして自分の好きなものを嫌っているのか解らず迷っている風の子もいます。
自分の好むものに正邪の判定がつかない様子。

仮説を立てて、実践して、検証して、色々試すようになりますね。

すみません。ご回答から響いたものを雑記調に書き感想としました。
モヤモヤを整理中なんです。
お声がけありがとうございました。

お礼日時:2011/12/10 04:30

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