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日中戦争時、中国大陸に侵攻した日本軍の兵士のうち、
朝鮮人兵士はどの程度割合だったのでしょうか?

参考に中国のサイトでは以下のような文章がありました。

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不管南京大屠杀中的日军宪兵里是不是40%都是韩国人,侵华日军中有非常多朝鲜人(韩国人)是事实。
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URL http://bbs.house365.com/simple/b699/1053369.html

「日中戦争時、日本軍における朝鮮人兵士の割」の質問画像

A 回答 (4件)

 太平洋戦争前(~1941年)の中国大陸における朝鮮人将校及び兵は非常に少数で、前線から遠く離れた兵站部隊に輸卒隊として配属されたいわゆる兵補・軍夫には千~万単位の数がいたようです。



 その理由は、軍属や兵補・軍夫と称する軍隊に付属する者は、大正時代から既に多く採用されていたものの、兵は1938年(昭和13)に至ってようやく志願制度が整備され、その採用基準も厳格であり、かつ朝鮮人兵の模範となるよう下士官に昇進させる育成を行なったため、前線に出る数も限られたからでした。

 いっぽう、軍属や兵補は後方勤務の安楽さもあって、占領地区あるいは満洲において日本軍の威を借りた様々なトラブルを引き起こしていました。中国軍の兵が階級章をつけてなかった例から見て、一般民衆は同じカーキ色の服を着ている彼らが軍人か軍属かの区別はつかなかったことと思われます。

 開戦後は、

 1943年(昭和18)8月1日施行の『法律第四号兵役法中改正』にて「第二国民兵役は戸籍法又は朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受くる者にして ~ これに服す」(第九条第二項)および「戸籍法又は朝鮮民事令中戸籍に関する規定の適用を受くる者にして ~ 年齢二十年に達する者は本法に別段の規定あるものを除くの外徴兵検査を受くることを要す」(第二十三条第一項) (原文はカタカナ)

 つまり同年8月1日をもって兵役の義務が課せられ、昭和十九年度検査から朝鮮の京城、平壌、羅南、咸興、大田、新義州、春川などの兵事部の管理の下に在朝鮮師団(留守師団)へ続々入隊することになりました。

 当時は戦時中ですから、通常の二年兵営教育などの余裕はなく、入隊後すぐ現地部隊へ送られそこで教育を受けたケースも多かったはずです。

 終戦までに朝鮮において管理編成(動員)された師団は、第19(羅南)、第20(龍山)、第30(平壌)、第49(龍山)、第79(羅南)、第137(羅南)、第150(京城・大邱)、第160(平壌)、第320(京城、大邱、平壌、咸興)で、一個師団総員1.5万名のうち約1/3が半島人だったといいます。そのほか高射砲部隊や後方勤務の各種部隊、あるいは内地編成の部隊にも配属されています。その数約7~8万名ぐらいでしょうか。終戦直前朝鮮人兵が集団逃亡する事件が多発した例もあります。(45年7月航空総軍からの報告~半島人の徒党離隊に関して)

 うち、激戦地に派遣されたのは師団に限って、第19・第30(フィリピン)、第20(ニューギニア)、第49(ミャンマー)となっており、開戦後も中国大陸へ派遣された朝鮮人兵の数はそう多くなかったと言えそうです。

 
 例えば第20師団は、さきの志願兵の多くが下士官兵になって勤務しており、ニューギニアの密林で斬り込みにより8発身に受け重傷を負った崔慶禄という兵を師団参謀長が見てこの男を殺すな、と後送させた逸話があります。崔氏は生還し戦後駐日大使を務めることになりました。


 資料=『偕行』平成6年12月号

この回答への補足

>中国大陸における朝鮮人将校及び兵は非常に少数で

兵士と呼べる朝鮮人は少なかったようですね。

>兵補・軍夫には千~万単位の数がいたようです。

なるほどこれはかなりの数ですね。

>日本軍の威を借りた様々なトラブルを引き起こしていました。

いわゆるニ鬼子、高麗棒子ですね。

>開戦後も中国大陸へ派遣された朝鮮人兵の数はそう多くなかったと言えそうです。

朝鮮人兵士の多くは南方に配属されたのですね。

補足日時:2012/01/03 08:33
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

現代の韓国人がどの程度彼ら自身、日本の侵略戦争に
加担していたと自覚しているのか気になります。

お礼日時:2012/01/03 08:37

よーやく1992年に中国と国交が正常化しました。



すなわち、
中国人は韓国を殆ど認めていません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93% …

良く調べましたね。
中国人は差別が大好きなんです。(^_^)


二鬼子。高麗棒子。

ただ、文句は中国人に言えよ。

この回答への補足

>ただ、文句は中国人に言えよ。

誰が文句を言うのですか?私ですか?

あなたの回答は回答になってないので
お礼はしません。

補足日時:2012/01/01 17:29
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No1様に同意です。


徴兵された者は、訓練中に終戦を迎えています。

また、回答をもとめるなら、訳文くらいは載せてください。

>朝鮮人志願兵だけでも1943年時点で、30万人以上いました。

自分が出した資料くらいは、読みましょう
その資料によれば、30万人は志願者数であって、そのうち採用された人数は6,000人です。

他にも資料では、
>朝鮮人の軍人軍属は24万2,341人であり、そのうち2万2,182人が第二次世界大戦で死亡または不明となり帰国していない。

とありますが、軍人(兵士)と軍属は違います。
また彼らは、日本人より優遇されており、朝鮮人は後方勤務にまわされています。
前線に出されたものは極小数です。

後方に回されたのは、兵士として使い物にならなかったからだという説もあります。 動画参照

捕虜収容所の職員になったものもいましたが、連合軍捕虜からの彼等の評判は非常に悪かったらしいです。
志願兵ですら↓のような有様では、意に反して徴兵された彼らが何をするかわかったものではありません。

グレゴリー・クラーク(多摩大学学長)
オーストラリア兵捕虜のほとんどは、収容所の番兵だった朝鮮系日本人に対する憎悪があり、日本兵は捕虜をなぐるくらいだったが、
朝鮮人はありとあらゆる陰湿で執拗な残虐行為を行っていた。日本兵は朝鮮系に比べはるかにましだったことは、連合国捕虜の間では常識だった。

元仏の雑誌Paris Match特派員 アルフレッド・スムラー著 『ニッポンは誤解されている』日本教文社 (1988)
「別に日本人戦犯の責任を軽減するつもりはないが、占領地域で最も嫌われたのは、このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だったことに注意しておかなければならない」
これらのChosun人BC戦犯を擁護する行動を、日本の左翼がしていた事が信じられない。
Choson人が日本人に比べて、ずっと残酷だったことは、連合国の捕虜の間では常識だった。

■中国人 謝永光著 『日本軍は香港で何をしたか』
(朝鮮人は)一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりももっと凶暴だった。
民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、ほとんど日本人の手先となって悪事を働いていた朝鮮人であった。
当時香港住民は日本軍に対するよりももっと激しい憎悪の念を彼らに抱いた。

■仏誌Paris Match元特派員 アルフレッド・スムラー著 『ニッポンは誤解されている』
別に日本人戦犯の責任を軽減するつもりはないが、占領地域で最も嫌われたのは、このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だったことに注意しておかなければならない。

■オーストラリア人ケニス・ハリスン著『あっぱれ日本兵』
彼ら(朝鮮人)は(日本人に比べ)大型で、顔は平たく、知性に劣り、日本人が与えた屈辱を我々に転嫁した。
どんなに試みても、我々は彼らと本当の付きあいは確立できず、体罰となると、日本兵よりも彼らをはるかに恐れた。

■ある医師の述懐 『キヤンガン、山下将軍降伏の地』
 山では仲間どうしの信頼関係が全てだ。韓比日の3人で風雨の中、ピークを踏む寸前のこと、小休止のときアンがコリアンと知らないフィリピン人の彼が言った「日本の占領下で最も残虐だったのはコリアンだった。
赤ん坊を投げて銃剣でうけたのも彼らだった。皆がそう信じている。」一気に遭難しそうになったパーティを
何とか支えつつ、私はキアンガンの将軍の亡霊を見たような心持だった。その后も各地でこの噂のような言説をきくたびに、愛国者たるアンの胸中が想われてならない。

■朝鮮軍司令部 1904‐1945: 本: 古野 直也
朝鮮人は李朝末期以降、神に近い特権を持った白人を見た歴史をもっていたがここへ来て、心理的にも白人崇拝の観念は消えたらしい。消えたのはいいのだが、困ったことも起きて戦後まで尾を引いている。
東南アジアから超銭まで捕虜収容所の警備員として朝鮮人三千五百人が従事していた。弱者に残虐性を発揮する民族性のゆえか、軽蔑ついでに相当な白人苛めを隠れてやっていたらしい。敗戦後、個人的恨みで戦犯に問われ、死刑その他重刑を受けた例が少なくない。白人こそ報復と復讐の大家だったのだから。

この回答への補足

>自分が出した資料くらいは、読みましょう

資料を読み間違えたことは認めます。

>不管南京大屠杀中的日军宪兵里是不是40%都是韩国人,
>侵华日军中有非常多朝鲜人(韩国人)是事实。

直訳すると
南京大虐殺中の日本軍において
憲兵の40%が韓国人だったかどうかに拘らず、
中国侵略中の日本軍に多くの韓国人が
いたことは事実である。

補足日時:2012/01/01 17:30
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

中国人が二鬼子と呼んでいた朝鮮人は兵士ではなく
別の役職だったようですね。
ただの民間人もだったかも知れない。

お礼日時:2012/01/01 17:31

ほとんどおりません


なぜなら朝鮮籍への徴兵開始は1944年です
志願兵ならおりますけど、徴兵された兵士はいません

この回答への補足

中国で「二鬼子」という言葉があります。
ネット検索すると多くのサイトが該当します。

補足日時:2012/01/01 14:09
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

朝鮮人志願兵だけでも1943年時点で、30万人以上いました。
この数字をあなたはほとんどいなかったと見做すのですか?

<参考wiki>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE% …

お礼日時:2012/01/01 14:09

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