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旦那の友人の父親が第二次世界大戦中サイパンで日本人兵の認識票を遺体からとってきたらしいのですが、その旦那の友達はできれば持ち主の家族に返したいといっているのです。

ネットで探そうとしたのですが、まったく手がかかりがなくいったいどうしたらよいのか…。

できれば彼の願いをかなえてあげたいとも思うのですが、まったくもってお手上げです。

なにか、こういったこと詳しい方ご存知の方に意見を聞きたいです。

認識票には2つの番号が彫られています。

「第二次世界大戦の認識票」の質問画像

A 回答 (3件)

 まず、「二六八六」というのは、太平洋戦争時の日本陸軍の部隊通称号といって、部隊の固有名の代わりに番号でよんだものです。



 で、この部隊の固有名は「高射砲第25連隊」で、正式通称号は「備第2686部隊」というものです。

 同連隊は、1942年(昭和17年)4月大阪の信太山で編成されたのち、同年7月三個大隊編制となり中国東北部(旧満州)へ渡り牡丹江、鞍山に配備され防空任務に従事し、転用令により1944年2月中旬満洲を出発し、朝鮮釜山に集結し3月初旬輸送船に乗り、分散して中部太平洋方面へ出発しました。そうして主力(第3中隊はトラック島)は3月から5月にかけサイパンに上陸し、第43師団長の指揮のもとアスリート飛行場およびチャランカノア地区防空任務に従事し、米軍上陸後は地上戦闘に参加し7月5日付けで玉砕となっております。

 「二六八六ノ二」の「二」は、同連隊の第1大隊(第1~第3中隊)の第2中隊を示します。なお第2大隊は第4~第6中隊からなりました。

 現在のところわかるのはこれぐらいですが、玉砕部隊関係の資料はほとんどないため、個人名までの追跡は至難のことと思われます。

 資料:戦史叢書『中部太平洋陸軍作戦 <1> 』朝雲新聞社
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この回答へのお礼

詳しく教えていただきありがとうございます。
まず、こちらを翻訳して本人にどうしたいのかを相談したいと思います。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2012/11/21 07:36

日本軍の認識票は世界でいう認識票とは違います


部隊内整理票でしかありません

出撃時に部隊長が帳簿に『happyneb-ね125号』を渡したと記録しただけなんです
戦闘終了後に返却し、戻された札=生存者を意味します。当時、戻らなかった札は戦死又は行方不明者とカウントされます
世界の認識票は死体が誰なのかを調べるものなのに対して、日本軍のは生存確認する為の道具なのです

厄介なのが帳簿は戦闘部隊が管理するもので、個別識別番号として連隊区司令部が管理するものではなかったという点です
この番号は整理番号でしかないから、部隊が全滅すると誰の者なのかわからなくなります

サイパンはほぼ全滅ですので、おそらく帳簿は残っていないと思われます
お勧めとしては地元ないし歩兵部隊があった場所の護国神社に奉納です
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この回答へのお礼

なるほど。
厚生労働省の返答はまず遺留品を郵送してくださいとのことでした。
親族が見つかる可能性がないようですので本人にどうしたいのか確認して見ます。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/21 07:34

軍人恩給のため、旧帝国陸海軍の人事記録を保管している厚生労働省の援護局に照会されては、


記録の残っている兵士の記録と、認識票番号から調べてくれます。
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この回答へのお礼

そんなところがあるなんて知りませんでした。
さっそく問い合わせをして見ます。

お礼日時:2012/11/16 07:22

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