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がよく分かりません。


速度とは相対的であるから、

Aが走っているのかBが走っているのか分からない。


そうしますと、


Aが光源でBが受光器。

AがBに向かって走っていると甲仮定すると。

到達時間は、AB間の距離÷c


BがAに向かって走っていると乙仮定すると。


到達時間は、甲>乙時間となる。



矛盾していますよね。

A 回答 (26件中11~20件)

No. 5です。


>観測者はB一人です。

いえ、質問の後半の時計は明らかにAのものなんです。
Bの懐の時計はBが止まっていてAが動いている世界に属してます。
Bの懐の時計は質問の後半の測定はしていないんです。

昔はこの辺りはホイーラーの「時空の物理学」を読んでもらうのが
定番だったんですが、最近はどうなんでしょう?
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質問に書かれた例は、べつに矛盾していませんよ。

相対論を持ち出すまでもなく、ガリレオ座標系でも。

たとえば、水面をたたくと、そこから波紋が広がります。
この波紋の速さは、たたいた人がボートで移動していても、静止していても同じです。(波源の速度に依存しない。)
このとき、受信者が近づいてくれば、近い距離で波を受け取るので、短い時間で受信するのは当然です。

タイトルの、「光の速度は光源の速度に依存しない。」についてですが、
前の説明のように、発信源の速度に依存しないのは、ごく普通に見られる現象です。光の性質で特異なのは「光の速度は受信者の速度に依存しない。」ですね。
これについては「マクスウェルの方程式」を使って説明するのが普通です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF% …
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この回答へのお礼

この場所を借りるだけで、皆さんに言いますね。

問題は空気や水などのエーテルがあれば簡単なのですが、

光はエーテルがなくても伝わる性質なので問題が出る。
(光行差が発見されたので水や空気などのエーテルは存在しない。)





光の媒体を仮に、水や空気と仮定するならば、絶対静止系として空気や水を座標とすれば、

前段の質問でBに媒体が静止しているなら、30万kmを1秒で到達し、

後段の質問では AB間の距離÷(C+Bの速度)<1秒となる。

が、光は媒体を観念できないので、問題が出る。




ちなみにGPSは、後段の方法で距離を算出し、三角測量により位置を求めているのは明らか。

と言うのは、地球の地軸を原点とした座標を使っているので、

1 衛星の電波に5時なら5時と暗号が記してあり受信機で5時間1秒で受信したら1秒と判断し、衛星の距
  離を確認する。
2 その時に衛星の位置を座標変換して求める(回転しているので)

したがってあくまでも回転速度を加算しています。(座標変換しているので)
つまりc+B=速度で計算しています。


皆さんが答えた前段の答え、1秒と矛盾しますよね。

お礼日時:2012/01/31 16:51

もう一押し



1.「BがAに向かって走っている」はAの視点
2.どちらが走っているかは区別できない。
3.だから1.は「AがBに向かって走っている」ことと同一

という三段論法が出てきたけど。
「どちらが走っているか区別できない」=「同じもの」
と考えるのはあまりに短絡的。

本やネットを呼んでいて「どの系が静止系なのかは区別できない」
という文章を読んだのだと思うけれど、意味をちゃんと確認しないといけない。
「区別できない」というのは、「物理法則を表す方程式の形が同じものである」ことを指し、
「何らかの系を特別視はできない」という意味に過ぎない。
これは、「速度などの物理量が同じ」であることとは全く別の意味。
運動方程式の形が変わらないことを「共変」
物理量が2つの系で変わらないことを「不変」と呼ぶ

例えば、ニュートン力学において加速度は、慣性系において不変量であるから、
加速度を評価するに当たって、慣性系A、慣性系Bを同一視しても問題ない。
その意味で2つの視点は同じということもできる。

しかし前述の「区別できない」は「共変」であることを意味し、
物理量(時間、位置、速度)を評価するに当たって
2つの系を同一視する理由にならないし、そのように扱うことはありえない。
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 少し観測者のことで注意点があります。



>AがBに向かって走っていると甲仮定すると。

 この記述が意味し得るのは、自分が静止と見做している観測者Bに対してAが接近しているという相対速度です。

>到達時間は、AB間の距離÷c

 

>BがAに向かって走っていると乙仮定すると。

 この記述が意味し得るのは、自分が静止と見做している観測者Aに対してAが接近しているという相対速度です。

 上記でAやBが立場を変えて、相手からどうなっているかを考えるには、ローレンツ変換を使います。これは特殊相対論の基本事項三つを含んでおり、それぞれ「時計の遅れ」「ローレンツ収縮」「同時刻の相対性」と、呼ばれていることが多いですね。
 この中でも、「同時刻の相対性」と考慮しないことによる、さまざまなパラドクス(「もどき」と付け加えるべきかも)があり、特殊相対論のテストで出題されることがあります。
 他に、剛体を使ったパラドクス(もどき)もあります。これは、剛体そのものが特殊相対論的にあり得ないことを示すことで解決することが多いです。ただ、今のご質問とは関係していません。


Tacosan様(A No.9):

>いや, 単に「同時の相対性」などの問題なので双子のパラドックスとは分けて考えた方がよいと思います>#8.

 ご忠告、ありがとうございます。

 仰る通りかとも思いましたが、思い切って双子のパラドクスに含まれる程度の知識をお持ちになられないと、特にそれを解く肝が同時刻の相対性ですし)、本来は一つしかない疑問点から、質問者様にとっては別々に思える疑問点が続出するのではないかと危惧し、、特殊相対論の基本アイデアをうまく押さえている双子のパラドクスをお勧めすることにしました。
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更に連投



<<前段の例と後段の例ではBが表示した到達時間に差がある。と言う結論ですね。


<<相対論はそんなこと言ってませんけど^0^
<<他の時計の時間が遅れるといっているのです^0^


「Bが表示した到達時間に差がある」?

これまで、登場した「到着時間」というのは「到着時刻」のつもりで書いていたのだろうか?
「Bに置かれた時計の針が示す到着時刻」は誰から見ても変わらないし
「Aに置かれた時計の針が示す発信時刻」も誰から見ても変わらない。
相対性の意味をはき違えていないだろうか。

「AからBまで光が旅した時間」は相対的に変化するが
「Bに置かれた受信機が10時を指す瞬間に光を受け取った」という事実は
どのように座標変換しても変わることはない。
同一原理は成り立つ、当たり前だ。

導出法の違いによって「Bが表示する光の到着時刻」が違った、
なんてことになったら、誰もが間違いだと気づく。
指摘されるまでもない。そんな当然の事で間違えたりなどしない。
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もう一つ



<<したがってその場合でも視点はBになります。

これは違う。
この場合、同一原理の意味は「現象Pが誰から見ても現象Pであること」
視点Aから見ても視点Bから見ても、「現象Pが現象P」であることは変わりない。
しかしながら、視点Aから見る行為、視点Bから見る行為そのものは同一ではない。

円筒形をどこから見ても、それは円筒形を見ていることに変わりはないが
円筒形を上から見る行為、横から見る行為自体は、同じ行為とは言えない。
見る角度によっては、シルエットが円にも長方形にも見える。

相対論に例えるならこのシルエットの違いが、視点の違いに相当する。
誰から見ても「円筒形」であるこの3Dの物体は、2次元の住人には想像ができないのと同じく、
また我々が4次元空間の「球」を思い描けないのと同じく、
「時空」の概念上の「誰から見ても同一である現象P」は、
我々の認識の概念の外にある。よって我々の既存の概念を組み合わせても表現は出来ない。
これを理解するためには、前回答で述べた通り、数学的な枠組み、表記が必要。
ご理解いただけたか?
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<<AがBに向かって走っていることと同一なのです。



そう、同じです。
山の頂点は、どこから見ても山の頂点。
AがBに走っているのと、BがAに走っているのは同じ。
相対性理論でもそれは同じこと。
誰から見ようとその現象は同一。決して変わらない。

これまで観測者によって変化する。という表現を使ったのは、
我々が体験する既存の時間と空間という概念への投影だったからこそ。
これは体験的な説明でしか理解できない初心者向けの説明でしかない。

ミンコフスキー時空上の概念では、同一原理は確保されており
一つの現象は常に一つの時空点もしくは時空線で表現される。
相対性理論における同一原理について正しく理解したいのなら
Aから見た時間が~、Bから見た時間が~などと中学生な思考実験をしていても
一生あさっての議論をすることになる。
単に時間、空間を辿っていくだけでは表現できない概念だから。

単なる時間、空間ではなく、より包括的な「時空」の概念について学ばなければならない。
「時間と空間」と「時空」は別物と言っていい。
相対論によれば、我々が認識する空間も、時間も、
「時空」という名の多面体の一面を見ているに過ぎない。
これを理解したければ、
最低限、大学基礎教養レベルの線形空間をマスターしていないと話にならない。
線形代数学の教科書の内容があなたの頭の中に入ってこないならば、
時空の概念はあなたの頭のキャパシティに入り切らない。
線形空間をマスターしているというのならば、
中学生理論を脱して更に高いレベルの相対論を学びましょう。
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いや, 単に「同時の相対性」などの問題なので双子のパラドックスとは分けて考えた方がよいと思います>#8.



「同時の相対性」やらなんやらを踏まえて計算すると
・A が動いていて B が止まっている
・A が止まっていて B が動いている
のどちらでも同じ結論にたどり着きます.

逆に, この質問の状況などを勘案した結果「統一的な『同時』など存在しないんだ」という結論が導かれた, といってもいいのかな.
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 これ、特殊相対論の「双子のパラド(ッ)クス」として有名な話ですね。

「双子のパラドクス」または「双子のパラドックス」で、ネット検索すると、たくさん解説が見つかるでしょう。

 注意点は、「折り返しで加速するから」と説明しているサイトは、難しいところを省略しています。

 これの要点は「同時刻の相対性」を無視しているために起こることで、片道でも、そういうことが起こるということでしょうね。そういうことが分かるようなサイトの説明がいいでしょう。
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光の速度は相対的ではなく絶対的



時間の流れる速さが絶対的ではなく相対的

以上
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この回答へのお礼

そうしますと、貴方の答えは、

一つの現象と一つの時計Bが

前段の例と後段の例ではBが表示した到達時間に差がある。と言う結論ですね。


相対論はそんなこと言ってませんけど^0^
他の時計の時間が遅れるといっているのです^0^

お礼日時:2012/01/27 10:52

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