1つだけ過去を変えられるとしたら?

ちょっとはだしのゲン見る機会あって、思ったのですが。
広島と長崎に原爆落されて、敗戦しました。
ふと疑問に思ったので質問です。
なぜアメリカは原爆の標的を広島長崎にしたのか?
です。
広島の当時の人口は34万人。
長崎の当時の人口は24万人。
標的としては、あまりに人口少ないのですが。
東京都は270万人、大阪市は107万人です。
東京と大阪にもっと早く10発位落して焦土にでもすれば、戦争はもっと早く終結していたはずです。
戦争の歴史に詳しい方、教えてください。

A 回答 (14件中1~10件)

 No.9です。


 福岡は既に大空襲で焼けていました。
 その為に対象から外されています。
 再度書きますが原爆投下は実験ですから、効果が確認できない場所には投下しません。

 8月9日にB29は北九州へ落とすつもりで出撃しています。他の回答者からもありましたように、北九州に落とさなかったのは曇りで投下目標地点が確認できなかったためです。海に落としたら実験の意味がありません。
 もし最初から長崎へ落とすつもりならもっと早い時間に落としているはずです。いくら日本の航空戦力が弱体化しているとしても明るい時間に日本上空にいる事は危険があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/02/12 06:42

もしかして、質問者さんは第二次世界大戦当時、北九州市なんて存在しなかったことをご存じないのか???



小倉(市)、ってどこか、知ってる?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/02/12 06:42

>北九州市は工場の町で、広島より大きく、長崎と広島双方に近い。


>何かあったのでしょうか?

>北九州市と広島市は同じ程度の都市ですし。
>わからんですね。


だから曇ってたんだ、って。俺がうそを言ってるとでも思ったのか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/02/12 06:42

投下地の条件はいろいろあったのですが、その中でも重要視されたのは


効率よく原爆の効果を計るための地形があり、軍需工場地であり、
捕虜収容所がない場所・・・ほとんどの大都市には収容所がありました。
(そして既に瓦礫の山ではない場所)

投下地は広島と京都が第一目標でした。
広島は日本軍の重要補給基地があったものの、収容所があるという証拠が全く出ず
加えて地形がいいと判断されたようです。

それよりよかったのは京都で、空襲の被害も少なく
木が多く軍事施設が隠されているかもしれないという懸念と
地形が理想的であったので強く斡旋されましたが、
京都に落とした場合、日本人はロシア人よりもアメリカ人に反感を覚えるのではという
助言を受け入れ、6月には空襲の対象からも外されました。

長崎に落とされて北九州市に落とされなかった理由は先の回答者さんの通りです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/02/12 06:42

ロシア...ソ連による朝鮮半島全土の占領が見えてきたところでアメリカは朝鮮に兵を送り


朝鮮を分割してソ連は北部を、アメリカは日本に近い南部を取りました。

アメリカはソ連に対日参戦を要求したものの
太平洋をアメリカと日本で挟んで制したいという理由から
(ソ連に渡したら太平洋を挟んでソ連とアメリカが向かい合ってしまう)
日本をソ連に渡すわけにはいきませんでした。

朝鮮半島は日本に非常に近く、原発を落とす場所の選択をした場合
これらのことを考慮したうえで朝鮮半島に近くて
条件のいい所に落としたのだと思われます。

勿論下記にあるとおりこれだけが理由ではありません。
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この回答へのお礼

>朝鮮半島に近くて
というのなら、福岡北九州が一番適切と思われます。
距離的にも飛行機ならすぐですし。
規模も広島より大きいかな・・・どうだろう。
北九州市と広島市は同じ程度の都市ですし。
わからんですね。

お礼日時:2012/02/11 19:34

 原爆を使わなくても戦争を終わらせる事は可能でした。


 日本は日ソ中立条約があったソ連に終戦の仲介を依頼していました。そのソ連が日本と戦争したくて仕方が無かったのですから、真面目に仲介するはずがありません。日本と戦争をして北海道をソ連領にする計画だったそうですから終わってしまうと侵略ができなくなります。
 日本とソ連がそんな話をしている事をアメリカが知らなかったはずがありません。
 アメリカが停戦交渉をする気があればまとまった可能性は十分にありますが、日本との戦争が終わってしまうと原爆の人体実験をする機会は失われますから、戦争を終わらせる努力をしていません。
 あらゆる努力をしても日本は終戦交渉を拒否し続けたので仕方なく使ったのではありません。

 広島は空襲によって焼けていませんから、原爆の威力を確認するには一番です。
 三方が山で、平地が狭い地形は爆発が拡散せず威力を増すと考えられていました。
 原爆投下は実験ですから、投下位置が確認できない状況では実施できません。北九州を長崎に変更したのは天候のせいです。もっとも長崎に落とす事も考慮されていました。
 焼け野原に落としても威力を確認する事はできません。実験としては無意味です。

 あれだけの巨費を投じて開発した原爆ですから、使わないで終わる気持ちは無かったようです。
 原爆が無差別大量虐殺兵器である事を知っていて使ったのですから、どんな言い訳も通用しません。
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この回答へのお礼

大体わかってきました。
東京は政治機能を維持させるため、すでに東京大空襲として十分攻撃していたため、実験としての原爆標的にならなかった。
大阪も日本史では習いませんが、同じような空襲があり、実験するに不十分だった。
なら、まだ手付かずである程度の規模がある広島と、天候上の理由で長崎に落してみた。
・・・北九州市とか福岡市はどうですかね?
北九州市は工場の町で、広島より大きく、長崎と広島双方に近い。
何かあったのでしょうか?

お礼日時:2012/02/11 19:32

東京と大阪は既に東京大空襲、大阪大空襲によって焼け野原になっています。

住民も田舎に疎開しています。原爆投下の目的は、都市の建物、住民に対する実験なのです。何もない砂漠で実験をしたいのなら平時でネバダ砂漠ででもどこでもできます。しかし現実の建物、住民に対する実験をできるのは、大戦末期のあの時だけだったのです。戦争を早く集結させる為ではありません。それは実験を正当化するための口実なのです。アメリカはヤルタ協定によって、ソ連の対日参戦を約束させていましたから、日本がソ連の対日参戦を受けて、すぐポツダム宣言を受諾することはあらかじめ分かっていたことです。もしアメリカが日本に早くポツダム宣言を受諾させたいと考えるのなら、正式の外交ルートでソ連の対日参戦をほのめかすだけで済みました。実際、日本はソ連の侵攻を知ってから、ポツダム宣言受諾で内閣がまとまったのです。どうしてアメリカはヤルタ協定を秘密にしていたのか。それは原爆実験の為の時間稼ぎの為です。もし日本がポツダム宣言を受諾してしまえば、もう二度と非人道的な原爆実験を実施する機会はありません。現在、原爆を保有している国はアメリカの他にもいくつもあります。しかし現実の建物、住民に対して実験をしたのはアメリカだけです。どうして広島、長崎が選ばれたか。それは広島、長崎なら国際世論の非難を交わせるといった計算があっただけなのです。原爆実験の真相は駆け込み乗車です。日本がポツダム宣言を受諾する前にどうしてもアメリカは実験したかったのです。焼け野原の東京、大阪に落としても実験にはなりません。アメリカは実験のデータが欲しかったからです。教科書はソ連の対日参戦もヤルタ協定も教えていないのでしょうか。日本の学校は何のためにあるのでしょうか。
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この回答へのお礼

大阪も東京大空襲みたなものあったのでしょうか?
日本史では教育内容としてありませんね。

お礼日時:2012/02/11 19:27

補足



・長崎は軍需拠点でもなく人口もありませんので、標的にされた経緯など、まったく明記されていません

長崎は軍都と呼ばれていたぐらい、重要な軍事策源地で、特に佐世保港に近く
長崎は、海軍の兵器を支えた三菱などの造船所軍需工場が集まっていた。
真珠湾攻撃で米軍を震撼させた海軍の九一式魚雷を作っていた工場も長崎にあった。



・東京と大阪にもっと早く10発位落して焦土にでもすれば、戦争はもっと早く終結していたはずです。

実際には、実験に一発、広島長崎で使い切り、次の原爆できるのは昭和21年という生産ペース
なので、事実より二年以上早く原爆生産おこなわないと、いけませんが
東京大阪に10発落として、御文庫(皇居防空壕、焼夷弾の流れ火事で宮殿が全焼後は仮御所となった)
も消滅し、皇室政府首脳陸海軍統帥部帝国議会が消滅すれば、国として降伏文書に調印することも
終戦命令下すことも不可能となり、連合軍が上陸してきても、狂信的軍人が何年もゲリラ戦をつづけ、
やがて連合国も 米英中華民国勢力とソ連中共勢力が各自の支配圏拡張をはかり、
自由主義日本と社会主義日本に分かれて抗争続けるという
南北朝や戦国時代のようなことになりそうですね\(^^;)...
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この回答へのお礼

そういう事情はありそうですね。
東京じゃないのは理解できましたが、大阪に落さない理由は何かあったのでしょうか?

お礼日時:2012/02/11 19:26

広島・長崎に落とされた理由は諸賢が説明されていますが、東京に落とさなかった理由は明白です。

東京には政府の中枢があり、天皇がいますので、そんな所に原爆を投下したら、日本は無政府状態になります。降伏させるべき交渉相手の主体が消滅するのですから、これでは早期の戦闘停止が不能になります。連合軍は日本各地に陸軍を送って、停戦命令を受けずに戦い続ける各地の末端部隊を制圧して回らねばならなくなります。そうして制圧された各地に部隊も、納得のいく上(天皇)からの命令無く降伏する事になるでしょうから、当然連合軍にたいする恨みが燻り続ける事になり、戦後統治も困難になる事が予見できます。イラクやアフガニスタンのように、長くテロ活動が横行するかもしれません。ですから、東京大空襲の折も、政府閣僚の居所や皇居の爆撃は慎重に避けられていたのです。
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kusirosiさん



原爆の効果を観察するため、
それまで爆撃されてない、または回数の少ない、
軍事拠点が数箇所、選ばれ、
そこから日本人の心理を配慮し、京都などが除外され、
最終的に、軍事拠点で、かつ兵器の生産移動に重要な
広島、小倉、新潟、長崎が、選ばれ、
まず、広島
次いで天候により小倉か長崎が選ばれ、爆撃された。

マンハッタン計画資料221「一般参謀部J.N.ストーン大佐からH.H.アーノルド陸軍航空隊総司令官にあてた覚書」には、次のように記されている。
------------------<引用開始>
b 広島、小倉、新潟および長崎が目標として選ばれている。
(1)広島(人口35万)は、「陸軍」の都市で、主要船積み港である。大規模な兵站・補給施設や、かなりの規模の工業といくつかの小規模な造船所がある。
(2)長崎(人口21万)は、九州の海運・工業の中心地である。
(3)小倉(人口17万8000)には、最大の陸軍兵器廠・軍需品工場の一つがあり、九州で最大の鉄道工場がある。また、南方に大規模な軍需物資保管施設がある。
(4)新潟(人口15万)は、工作機械、ディーゼルエンジン等を製造する重要工業都市であり、本州にとっての主要海運港である。
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