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大学院で物理学を専攻している修士2年の25歳男性です。修論提出を1ヵ月後に控えて上のように言われてしまいました。1年次の時に行っていた研究で良い結果が得られず、教官のご指示で今年の4月から新しいテーマに取り組んでいました。4月からの研究ですので期間は短かったですが必死に取り組み、その甲斐あって一応実験は終了して解析を行ってみたのですが、結局良い結果が出ませんでした。

そして論文提出まで残り1ヶ月、どうやってまとめようかというお話になり、「結果が出ていないのだから良い結果が出るまで何年でもやるべきだろ。現状では修論としては認められない」と教官から伝えられました。私としては研究への取り組み方に問題は無かったと思うし、なぜ良い結果が出なかったのかをまとめたいとお伝えしましたがダメでした。今の今までこの結果では卒業させないというのは言われてなく、全くもって寝耳に水です。1つだけ甘いこと言わせて頂ければ、もっと早い段階で「この結果では卒業させない」と教えて頂いていたらやり直しもできたのにと思います。

また、私と担当教官とは研究の進め方が異なり、私は研究の結果よりもプロセスやなぜそう考えたか、取り組み方等を大事に考えているのですが、教官は「極端に言うと途中でズルしても構わないから良い結果を出せ」とのご意見です。ですので、もう1年かけて卒業したくても今の研究室にはいられませんし、もし仮に来年度卒業となると26歳で就職ということになり、おそらく私を取ってくれる企業は無いと思います。この先どうすべきか自分で考えをまとめられなくなってしまいました。質問というよりほとんど愚痴になってしまい申し訳ありません。よろしければご意見下さい。

A 回答 (10件)

拝読しました.


指導教官の指導に問題があるように思われます.
ただ,
>また、私と担当教官とは研究の進め方が異なり、私は
>研究の結果よりもプロセスやなぜそう考えたか、
>取り組み方等を大事に考えているのですが
この点は担当教官の意見に私は近いです.ズルすると言って,
大切なところを端折ったり,データ改竄したりするのは,
問題有りですが...
勿論プロセスも大切です,しかし結果があっての研究成果です,
「○○では出来なかった」と言う結論は,結論ではあるけれども,
結果としては価値の無いものだと思います.

しかしその結果を価値あるものにどうにかまとめることは,
修士までだと往々にして認められるとも思います.
結果が出なかった,これを人類の自然科学の歴史の中で
新しい知見,人類共有の財産とするには・・・と,
ここで質問者さまの能力が試されている場面だと思います.

具体的なことは書けませんが,死に物狂いで頑張れば,
それは可能だと思います.私もいろいろ学生を見て来て,
「これはちょっとなぁ・・・」と言うものでも,
急いで補足の実験をするとか,そんなこんなで論文として
まとめさせて来ました.そういうとき,後悔もあります,
もっと良い研究生活を提供してあげたかった,とか,
もっと感動する場面を提供したかった,とか...

>私としては研究への取り組み方に問題は無かったと思うし、
>なぜ良い結果が出なかったのかをまとめたいと

学部生ならまだしも,修士ではもうひとつ先に進めるべきだと思います.
○○の結果はダメだった.
なぜダメだったのか.
その原因Aを避けることで,良くならないか.
良くなることを実際に実験等で検証する.
「○○を行い際,原因Aを避けるべきである.」(結論)

上記,まだ1ヶ月あります,予算もまだちょっとは使えるでしょう,
質問者さまご自身全身全霊使って,でも考えていては浮かばない
こともあります,頭が沸いてしまったら,思い切ってぶらっと
しましょう,ここで気分転換しなければ堂々巡りです,
ただこのとき頭が遊びに専念されるようなことではなく,
例えば散歩とかドライブとか登山とか,そういうとき,ふっと
何か浮かぶかも知れません,それはすぐ忘れるので,
必ずメモを携帯しておきましょう.
そして頻繁に担当教官と相談して,議論して下さい.

私は大学関係ではないのですが,指導を担当しており,
今,卒業する学生さん4人抱えています.
休日も,彼らの論文について頭から離れません.
いまひとつ,その関係で実験をしている状況で,
段々と修羅場となりつつあります.
でも質問者さまは研究の取り組み方には問題が無かった
ようですので,大丈夫です!大丈夫です!
しっかりスケジュール立てて,ガンバッて下さい.

もしも万一,の場合ですが,

>1年かけて卒業したくても今の研究室にはいられませんし、
担当教官の退官や移動等でしょうか,或いは出向先との
期限切れでしょうか,よく分かりませんが,担当教官や
学科と一応良く相談して,念を押しといてみてはいかがでしょうか.
人間のすることですから,どうにかなる場合もあると思います.

>もし仮に来年度卒業となると26歳で就職ということになり、
>おそらく私を取ってくれる企業は無いと思います。
私の同級生や指導学生の経験から言えば,それは問題には
ならないと思いますよ.ただ年齢制限のあるところだと,
条件にひっかかるかも知れませんが.
ただ何故修士に3年いたのか?と問われると思います,
正直に答えれば良いと思います.その際,「こいつは
粘りがあるな,結果も出したな」と思われるようにして.

或いは・・・育英会等の奨学金もありますし,TAやRAもあります,
博士課程へ進学して研究の世界へどっぷり浸かってみるのも
ひとつの選択肢でしょうか.私はそのクチです.ただ,研究の世界は,
企業と比べて,就職は更に厳しいものですが・・・
期限付きのポストは増えていますけど・・・
正直,業績の他,コネと運の世界です.
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。私の研究に対する考え方が間違っていたことに改めて気づかされました。結果を重視しなかった私は研究者として失格です。論文提出まではあと1ヶ月なのですが、昨日までで何を書くかを決定して残り1ヶ月で全てまとめる計画でしたので論文には着手していません。今から実験を行っても結果が出るのかさえ危うい状況で、論文としてまとめるのはまず無理という判断で、論文作成を待たずして教官からの留年通告となった次第です。また、私自身最近の無理がたたったこともあり体を壊してしまいました。教官は「とにかく今は休め」の1点張りで、実験はおろか研究室に行くことさえあまり良い顔をしません。この状態で指導を仰ぐのは厳しいですし、かといって私一人で実験から解析まで100%正確に結果を出せるほどの度量もないことは、今回の一件からしても明らかです。
奨学金に関しては私の大学では留年者(成績不良者)には支給しない取り決めになっているので、残念ながら適用はされません。学費のことを考えるとやはり留年は難しいです。
具体的なご意見ありがとうございました。その中の1つでも実行できれば事態は良い方向に変われるのでしょうが・・・。参考にさせて頂きます。

お礼日時:2003/12/20 17:28

教員歴20年を越す大学教員です。

大学院で指導もしています。この時期に来てそれはない,という気持ちよく分かります。一方,だめなものをだめとはっきり伝えるあなたの指導教員の方針は,正しいと思います。確かに,このまま進めて論文を書かせ,審査で落とすと言う方が時間稼ぎになるかもしれません。また,もっと早くに言ってもらったというのもそうでしょうが,実験結果が出るまで,またあなたが一生懸命やっていればいるだけ,何とか結果がでないかと見守る気持ちになるものですし,あっさりだめだしをするほど教員は無慈悲ではないものです。
 しかし,修士論文といえども,学術研究にふさわしいレベルであることが期待されますし,結果がでないのに論文にすることは,そうした基本的事項が分かっていないという意味で,むしろあなたの評価が下がります。
 あなたにとっては辛い結果で,この挫折をどう受け止めるか,心の整理がつかない状況でしょう。でも,今は辛いと思っているこの状態も,時間とともにだんだん和らぎ,必ず,自分の進路が見つかると思ってください。私の同級生が5人いましたが,研究職につけたのは2人だけで,みな方向転換をし,今は社会人としてしっかりやっています。文章を拝見すると,まじめにこつこつやるし,ものの見方もバランスが取れているようです。研究は,ある意味で,人格のバランスより思いつきや執念といった部分が必要で,研究者に向かないからといって,あなたがだめということではありません。余計なことかもしれませんが,自分を全否定しないで,今は,心と体のエネルギーを充電する時期です。今後のことは率直に指導教員に聞いてみたらどうでしょうか。ある程度,経験のある教員なら,研究者としての適性があるかどうかわかるものです。25歳という年齢は,まだまだ十分に若く,柔軟性があります。そんなに思いつめることはないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。私は特に専攻学問の研究者を目指しているわけではないので、論文によって私の評価が下がろうが特に問題にはなりません。むしろ就職を考えた際に、決められた期限内で卒業できない方が将来にとって大きなマイナスです。しかも、卒業できようとできなかろうと、今の研究室にいられるのは今年度一杯ということはお互いわかりきっているのですから、今この時期にそれを伝える意図が理解できません。期限まで残りたった1ヶ月、されど1ヶ月です。時間ギリギリまで粘って、例えダメでも少しでも卒業に近づけるよう指導するのは、お金をもらって大学に勤務している指導教官の任務ではないでしょうか。

とはいいつつ、今回の一件で私自身も自分の社会で生きていくための能力の無さを痛感しました。周りの院生も他研究室の教官も、そして私の指導教官さえも私の努力は認めてくれます。私が一番多く研究室に詰めていたし、研究にも真面目に取り組んでいた、というのは自分よりも周りからよく言われます。それだけに自分の能力の無さが浮き彫りになった感があります。努力もしないでダメだったなら、もう少し真面目に取り組んでいれば・・・と後悔はしますが、少しの希望も持てます。でも、精一杯取り組んだ結果ダメで、しかも真面目に取り組んでいたことは周りも認知しているということは、もうこれ以上はどうしようもないということを自分自身で証明したことになります。そう考えた結果、これ以上大学に留まることはできません。年末に来年は大学に残る意思の無いことを指導教官にお伝えしました。もう私のことはどうでも良いのか明確な回答は頂けませんでしたが・・・。

愚痴のオンパレードなお礼となってしまいましたことお詫び申し上げます。わかりにくい質問文にご丁寧なご回答感謝いたします。

お礼日時:2004/01/04 13:45

かなり切実な問題だと思います。

私の予想ではそのスーパーバイザーは本当に凄いヒトで、実験すればある程度の良い結果が得られるヒトなのでしょう(これはイヤミではありません)。よってmaxyamabikoさんを含め学生を一人の研究者として捉えているのではないでしょうか。よって国際誌に載るような結果が出ないと満足されないのでしょう。しかし、それは現実問題学生にとっては非常にシビアなことです。どのスーパーバーザーに付いて実験するか、どのテーマを与えられるかによって結果は大いに左右されます。私には一人マスターの学生がついて一緒に実験していますが、一所懸命頑張るよう要求しますが、結果は求めていません。マスターの学生の時は実験や論文の書き方などで色々試行錯誤することが大切です。そして分からないことがあったらはじめは自分で考え、それでもダメだったら周りのヒトに聞けばよいのです。よって私個人的な考えでは修論などは将来論文を書くための練習程度だと思っています。maxyamabikoさんが所属している研究科の先生に自分の考えを主張するべきではないでしょうか。スーパーバーザーとの人間関係はギクシャクするかもしれませんが。私はmaxyamabikoさんの考えは間違っていないと思います。

がんばってください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ございません。
下の皆様が書いておられるように修士の学生とはいえ、良い結果を出さなければならないのは事実のようです。ただ、良い結果で無いから卒業させないと言われたのは、年も押し迫ったほんの数日前の出来事で、そのように言われたのはもちろん初めてです。ですので、それまでは私の担当教官も回答者様と同じように、結果は求めていないものだと認識していました。今後、もし仮に私が教官と同じ立場になることがあっても、甘いだの何だのと言われようが絶対に結果は求めないと思います。

実験結果が芳しくない事に気づかない私が悪いという意見も間違いではないと思いますが、現場で実際に行っている者の意見として、修士でたかだか2年間研究をかじっただけの学生に結果の良し悪しを判断しろ、というのはかなりシビアです。やはりそこは教官の経験の目が必要な部分だと思います。逆に実験の全てを自分で行えて結果にも責任が取れるなら担当教官など必要ないわけで、勝手に論文を作って他学の教授にでも見せに行けば良いという話になってしまいます。修士の大学院生を研究のプロとしてみるのか、それとも練習生として見るのか、その認識の違いが今回の残念な結果をもたらしたのだと思います。ただ、認識の違いというのは双方の食い違いの元に初めて発生するものですので、下にも書きましたがその事で教官を責めるつもりはありません。こちらにも非があります。

実は私も心の中では回答者様に書いて頂いたまさにその通りのことを思っています。思ってはいるのですが、ここで強く出てそれを押し通すのが得策か、別の道(大学を辞めるか研究室を移るかの二択ですが・・・)を探すのが得策か判断に迷うところです。

最後になりましたが、それが正しいか正しくないかは置いといて、お世辞でも嘘でも良いから私の考えが間違っていないと言って下さる方が1人でもおられたこと非常に嬉しく思います。あるがとうございました。

お礼日時:2003/12/23 21:52

こんにちは。



質問者様とは分野は違うのですが、去年度に修士号は取れたのですが、就職となるとまだ定職についていません。(今自分の希望する仕事で求められているレベルを習得している最中です)

つたない経験から回答になるかはわかりませんが、
結果=「論文という形+論文の審査で評価してもらう=修了」と、
自分が論文を作り上げるプロセス(評価対象にならない)とは質的に違うと思います。

結果は絶対的といっていいほどのものです。
やはり誰が見ても、そううなずくしかないほどの証明力を持っていると思います。

他方、私もプロセス(=検討内容について、のた打ち回るほどの格闘)があってこそ、良い結果はついてくるものと思います。
でも、良いプロセスがあっても、必ずしもよい結果はついてこないと思います。
研究者となっている先生方は生涯を掛けて、「よいプロセス→よい結果」に取り組んでいると思います。

もっと効率的にごまかしながらやった方が、前にぶら下がっているニンジン(修士号を得るという結果)は取り易いかもしれません。

指導教官は、そんな「ある意味不条理な事柄があるのだよ」と、ストレートに教えてくれたように思います。


私のテーマは全くといっていいほど今まで検討されてこなかった内容でしたので、とても苦労しました。
いま、去年の今日を思い出すと体の芯までブルブル凍えます。
目の前のニンジンと自分の志向するプロセスとの格闘の日々です。
はっきり言って、もうあんな体験をするのはいやです。

修了してからも、その次の段階の結果(=望む仕事について働くということ)はまだ出ていません。
もっと目の前にあるほかのニンジンにかぶりついた方が世間一般からはいい評価があると思います。
でも、目の前に見つければありそうなニンジンにはかぶりついていません。
そうする自分がいるのは、去年までのプロセスがあったからです。
挫けそうになった時には、あの時あんなにのた打ち回ったのだから、今回はまだましなんだよ、あの経験もあって、いまの自分が生きているんだよ、と思っています。
曲りなりに論文という形に仕上げる結果(ニンジン)があっても、
そのあとの自分の行動を左右するのは、プロセスでの経験だと思います。

論文提出までのこの1ヵ月程度は、いままで格闘したプロセスを胸に抱いて、目の前の結果にどう合わせることができるかを検討してみましょう。

真面目か不真面目かのどちらが自分が好きか、
人のせいにしない自分がどんなに心地よいか、
目の前にぶらさがるニンジンと、自分が持っているプロセスを大事にしたいという気持ちとをどう調整すれば、
今後生きていく財産のひとつになるのかを
他に回答された方々の意見を参考にして、日帰り旅行でもして、
ゆっくり考えてみましょうよ。
こんなに寒い時期なので、温泉でも行くといいかも。

がむしゃらに前向きで、底抜けに楽天的な気分だけを追及して、目の前のニンジンがあればすぐかぶりつくのではなくて、
何か問題だと感じるたびに立ち止まって考える姿勢って、すごく好きです。
私にとって、とても人間的に共感できますよ。^^
人間らしいじゃないですか。そんな姿。

*長くなってしまったので、よくわからない文面です。
 ごめんなさい (><
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなり大変失礼致しました。よくわからない文面だなんてとんでもないです。ご丁寧な回答ありがとうございます。

確かに論文提出まで期限はあと1ヶ月あるのですが、結果が悪かったために論文作成の許可さえ下りない状況でして(勝手に作っても見て頂ける可能性はまず無いので)、タイムリミットを迎えたのと同じような状況です。先に回答頂いた方へのお礼にも少し書きましたが、これが社会人としての仕事なら間違いなく目の前のニンジンにかぶりつきます。ただ、研究ではそういうことはしたくない、という甘い夢物語的な考えが今回の状況を招いたわけでして・・・今更気づいても全てが手遅れでした。

質問文に私は現在修士2年で25歳と書きましたので、もしかしたらお気づきかもしれませんが、大学に入るのに人より1年余計に時間がかかっています。浪人した当時は「それは君に必要な1年なんだよ」とか「現役では得られない何かが得られる」などとよく言われたものです。でも、実際浪人生活で得たものは、ごく普通の大学入学資格とそれを得るために人より1年分多くの時間とお金を費やしたという事実だけでした。悩んだり立ち止まって遅れたりして得ることというのは、結局は負け組みの言い訳でしかないことに、その時初めて気づきました。そんな失敗を2度と繰り返すまいと一生懸命生きてきた結果がこれかと、本当に自分に愛想がちうてしまいました。まして結果が出せていないのに、旅行したり遊んだりなどという自分を甘やかす気持ちにはやはりなれません。

私こそよくわからない文面(というか、これこそ愚痴ですね・・・)でごめんなさい。ありがとうございました。

お礼日時:2003/12/23 21:20

続きを少し、



 研究は、成功か失敗か、それは結果がでるまでは分かりません。だから、実験なのです。験すまでは分からないということです。
 最近気に入っている言葉は、「諦めるから、失敗する。諦めない限り、失敗は無い」というものです。期限が切られている修士課程では、なんの意味もないかもしれませんが、現在のテーマに興味がおありなら、諦めない限り失敗はありません。

 私の場合、遺伝の優性と劣性は、どのようにしてきまるのだろう、というのが謎でした。この疑問に答えを出すのに、15年ほどかかりました。このテーマは、私の専門分野とは直接の関係ありません。

 院の時代の失敗は、有用だと思います。第一に、真面目にやったからといって、うまくいかないという現実を痛感できます。残念ながら、真面目なものが必ずしも報われないのが現実です。ここからが、人としての踏ん張りどころ。ズルに走るか、それでも真面目にがんばるか、です。それが人としての価値だと考えています。
 第二は、人に対する思いやり、暖かさを知ることになるのではないでしょうか。
 maxyamabiko116さんの経験は、長い人生にとって何よりの財産になります。正確に言えば、財産にできるかどうかは、生き方次第です。ずるするような生き方を選ばれると・・・。

 ズルと要領がいいのは違います。要領よくしようと思えば、工夫がいります。たとえば、実験台の上の器具の配置を変えるだけでも、作業の効率が違ってきます。それには、作業工程を考えて配置する工夫がいります。

 留年すると、退学しないとならないのでしょうか。そうでないのなら私のように「見込みがないから修了しろ」よりは、ましな気もするのですが。

 ご質問の中に、「愚痴」と書いておられますが、決して愚痴ではありません。愚痴の場合は、まず指導教官を呪っています。そんな気配は無く、前向きの姿勢だからです。
 今では単なる思い出で、「留年さされかかった」と恥さらしもできますが、「留年しろ」と言われたより「見込みが無い」と言われた時は、さすがにショックでした。
 他のトピにも書き込みましたが、「お前は、研究者に向かん」と言われ、それは当たっていました。それをバネにして、研究に打ち込んだ、というのならサクセスストりーになりかねませんが、「研究能力の無さ」に気がついたのはつい最近のことです。

 冬休みも近いことですし、青春18切符ででも旅行されてはどうでしょうか。「やまびこ」には乗れませんが。気分転換されれば、違った見方もできるような気がします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。下と合わせてお礼申し上げる事お許しください。
私も朝から晩まで真面目に研究に取り組めば卒業できると勘違いしていました。平日に就職活動が重なった場合は土曜日はもちろん日曜日も大学に来ていたので、今年1月~今月までの完全な休日を数えたら36日しかありませんでした。それだけやった自分を本当にバカだと思います。子供の頃からよく”真面目な人”と言われるのですが、それが決して誉め言葉ではないことを実感しました。25年間ずっと真面目に生きることを心がけていただけに、今回の件で自分の今までの全てを否定されたことに耐えられませんでした。私も別に研究者になることを目指しているわけではないので、無理やりでも良いから修了させて欲しかったです。
必ずしも留年=退学というわけではないですが、ただ、おそらく研究室は変わらないといけないので、受け入れ先が無かった場合は退学になります。ただ、研究室を変わっても卒業が2年先延ばしになることを考えると、それがあまり良いとは思えないです。
中学・高校の頃から自分がいわゆる"できない人"であることは自覚していたので、その頃から何か失敗しても人のせいにしたことはないです。私は決して前向きではありません。今はもう生きることすらどうでも良くなってしまいました。こんな時でも逃げることしかできない自分を本当にどうしようもないと思います。そんな救いようのない私に対しても暖かい回答を下さる回答者様に感謝致します。ありがとうございました。

お礼日時:2003/12/20 17:10

 修士論文を審査する立場から言えば、修士論文は学会誌にパスするレベルのものが必要です。

修士は1報でOKです。博士になると、それが4報程度、すなわち1年で1つの論文を書く研究能力が必要です。学部によって違うかもしれませんが。

>なぜ良い結果が出なかったのかをまとめたい
これは、基本的な姿勢が間違っています。研究者はプロです。プロは結果が全てです。プロの選手が、「前日となりの人がうるさくて寝られず・・・」と言われて、納得するファンはいません。「そんな場所で寝たお前が悪い」と思うでしょう。
 教官が「ずるしてでも・・」と言われるのは、ある意味では当たっています。ただ、ずるの内容が問題で、他の人のアイデアを盗むのは論外ですが。

>1年次の時に行っていた研究で良い結果が得られず、教官のご指示で今年の4月から新しいテーマに取り組んでいました。
この文章を読む限り、普通の教官だと思います。実は、論文の作成は、本人の問題もありますが、留年者をだせば教官の評価は、指導能力が無い、ということで下がります。ですから、論文作成が難しいようなら、1年たって別のやや易しい1年くらいで論文になるるようなテーマに変更します。

 maxyamabiko116さんは、まじめな方だと想います。日本と違って、カナダの博士論文を目にしたことがあります。分厚い本でした。研究ノートを綴じるのだそうです。失敗を多く書いてあるとのこと。結果ではなく、プロセス、特に失敗の分析とその克服に重点があるそうで、結果そのものよりそちらのほうが重要だと聞きました。
 日本ですから、プロセスうんぬんは言っても仕方の無いことです。ただ、取り組む方針やプロセスは、研究の飛躍のためには最も重要だと考えています。大器晩成、人生は長いのです。
 
 という私も、修士論文で「お前は卒業ささん」と教授に言われました。そのときは、研究とは、研究室に朝から夜遅くいれば真面目にやっていると、勘違いしていました。
 その1週間後に「これ以上やっても、どうしようもない」と無理矢理終了さされました。そのテーマは、今考えても、その研究室の環境では無理、と判断しています。

 それでも、研究能力のない私を就職浪人として受け入れてくれ、現在の職につけました。修士課程は、どれだけ失敗をするか、それがなによりの財産だとは思いますが、修士の学位の取得となると、あくまでも結果です。

 人生長いのです。私のように、就職浪人したからという場合もあります。
 指導教官と感情的に対立されないように、それだは願っています。
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もう少し先を見て考えるべきではないですか?



 修士号が取れるどうこうも大事ですが
そんな状態では取れたとして
なんか意味あるんでしょうか?

 そんな関係では 就職に関して
担当教官の口添えは期待できないし
変な話研究内容の価値自身も
疑わしいものになってしまいます。

 来年以降どうしたいかを良く考えるべき
ではないですか?

 当たり前の話ですが ある程度の結果のでていない
研究なんて 今後結果を出せば 試行錯誤の
一環として意味は出ますが 現段階においては
単なる失敗であって 何の価値もありません。
 その段階で 屁理屈こねて修士論文とする
のはさすがにつらいと思われます。
(卒論なら可能でしょうが)

 どういう大学で 就職に関してどういう実績がある
ところかしりませんが そういういろんなファクター
を考え合わせ 一体自分はどうしたいのか
を先に考えるべきではないですか?

 あなたは「もう少し先に言ってくれれば・・」と
担当教官を責めますが
 向こうにしてみれば「そんなことは
自分でわかることでしょう」
というレベルの話だと思います。
 要は価値観はちがうし その上
コミュニケーションも取れていないんですから
あまりいい状況でないのは確かですよね?

 担当教官について そこまで洞察できていて
修士号が欲しいんだったら
変なプライドなんて捨てて ずるしてでも
結果をだし 修士号を取りさっさと次の段階に進むべきで
この段階でグダグダ言う話でもないと思います。
 それが嫌なら もっと早い段階で
転身を考えるべきです

 そもそも 院なんですから 自分自身でなにか
やりたいことがあって 入っているはずで
教官の指導でどうこうしたのに
あかんかったから 教官も悪い的な発想は
ちょっとおかしいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。まだ昨日の今日でしたので、先のことが全く見えずにいます。就職に関してはあまり良い実績を持った大学ではないです。教官とのコミュニケーションはボロボロですね。仰る通りもっと早い段階で気づくべきでした。やりたい研究はあったのですが残念ながら許可されませんでした。が、大学の内事情をそれなりにではありますが知ったので、それについて教官を責めるつもりはありませんし、今回の結果に関しても教官に何か責任取れ、などと迫るつもりは毛頭ありません。ただ、研究とは何かということと、将来のことが自分で全く分からなくなってしまったのです。分かりにくい質問文にお答え頂きありがとうございました。

お礼日時:2003/12/20 12:58

確かにmaxyamabiko116さんにとって辛いとは思いますが私も担当教官はそんなにずれたことを言っていないと思います。



十分わかっていると思いますが学部ではないのですからある程度の結果が出て卒業したいところです。私もそうでしたし。社会ではどんなにがんばっても結果が出ないと相手にされません。

逆にそんなシビアな大学院(研究室)ですから評価されると思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
仰る通り社会では結果が全てなのは理解しております。お金を貰って仕事するわけですから、それは当然だと思います。社会人としてなら私も教官の意見に賛成です。ただ、その割り切りを研究に持ち込むことはしたくなかったのですが・・・・。研究に夢を持ちすぎたのかもしれません。卒業するなら研究室を変えるしか手はないのですが、今からまた2年間というのも歳を取りすぎている気がします。ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2003/12/20 12:10

こんにちは。


自分も担当教官の方が正しいと思います。
「結果は出なかったけど課程を評価して貰いたい」なんて考えは甘すぎます。
課程が評価して貰えるのはせいぜい高校までです。
社会では通用しません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
社会では通用しない、私もそう思います。ただ、現在は高い学費を払っている身ですので社会人とは立場が違います。しかも、実験行って100%良い結果が得られるのだったら研究者全員がノーベル賞です。結果だけを求めるなら先人のデータを使えば済む話で、先人の行った研究の検証実験で結果だけを求めるのは、正直やる意味が感じられません。検証実験と書かなかったのは私の不足でした。申し訳ございません。
社会人としてのご意見ありがとうございました。

お礼日時:2003/12/20 11:54

>なぜ良い結果が出なかったのかをまとめたいとお伝えしましたがダメでした。



 そりゃそうでしょう。maxyamabiko116さんの研究を知りもしないで判断するのは危険ですが、良い結果が出ない理由が真理であれば、良い結果は出せるはずです。逆に言えば、良い結果を出し、そのプロセスを明らかにしない限り、良い結果がでない理由は成立しないはずです。

 私も分野こそ違え、大学院で苦しみました。maxyamabiko116さんの担当教官が仰ることは尤もなことです。大変だと思いますが、頑張ってください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。以前、研究室内に同じ研究を行った方がおられまして、それと照らし合わせた結果、私の方が間違っているという事のが教官のお考えです。ですので、その原因も良い結果を生むためのプロセスも解明はされました。そこの違いを書きたい、といいますか、それしか実験データが無いので他に書きようが無い、と考えたのですが・・・。でも、それがダメだとすると実験は100%成功しないといけないということになると思うのですが、そんなこと絶対無理だと思います。私の実験に対する考え方が間違っているのでしょうか。

素早いご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/12/20 11:47

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