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私は神社で参拝するときには神聖な気持ちで臨みたいと思っています。

できれば禊をするときの格好(ふんどし一丁)がベストであると考えていますが、

神社ではさすがに不特定多数の参拝者も訪れますし、どうしようか悩んでいます。

そこでご相談なのですが、たとえば、

白いハチマキ、白い法被、白い六尺ふんどし、白い足袋

という格好で参拝することを、皆さんはどう思いますか?

できれば上記のような格好で、参拝しようと思うのですが、

やめたほうがいいですか?

平日の早朝とかならいいですか?

皆さんの意見が厳しければ諦めようと思います。

是か非か、お願いします。(できればその理由も。)

A 回答 (7件)

まず どうしてふんどしなのでしょう。

 そもそも禊は 自分に着いた穢れなどを落とす行為です。 その格好で神社参拝は ありえません。早朝ならとか言っていますが 何故人目を気にするのでしょう まず神様を意識すべきでは ないでしょうか!!
 そのような 方はまず自分の心をきれいにしてから 神社に参拝すべきでしょう!! 

この回答への補足

まずはご回答ありがとうございます。

神様を意識するが故のふんどしです。

詳細は、No.4様からの回答に対するお礼文の中に記載させていただきました。

補足日時:2012/04/27 13:55
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この回答へのお礼

訂正です。

No.4様ではなく、No.7様からの回答に対するお礼文の中で
説明しました。

失礼しました。

お礼日時:2012/04/27 13:58

それは、非常に失礼になります。



神社参拝は、神様を敬い感謝しお願いをしに行くのです。
神社の境内の御手水処で手を洗い口をすすぐのが、体を清めて禊をする意味に当たりますが、参拝の時には、神様の前に行くのに最高の姿でお参りするのが良いので、一番ふさわしいのは正装です。

白いハチマキ、白い法被、白い六尺ふんどし、白い足袋、というのは、質問者さん独自のこだわりで、たとえ御本人の内面に神仏を敬う気持ちがあったとしても、他人が見ると非常に見苦しいものになります。
それは、お祭りで御神輿を担ぐような時の格好で、神社参拝にはふさわしくありません。
ご自分の考えが一般的には通用しないということを理解されたほうが良いと思います。

神社でお祀りをされる時に、宮司さんをはじめ、巫女さんや神職の方々や、雅楽を奉納される方々はそのような格好をされていないでしょう。
その場にふさわしい礼儀や礼節というものがあるのです。
ましてや伊勢神宮という最も高貴な神社に神聖な気持で参拝したいと思われるなら、正装で行かれることをお薦めします。
正装とは、男性なら、紋付袴、モーニングコート、略式の正装はスーツ姿です。冠婚葬祭の格好です。
服装を整えて、神様に敬意を払い、自らを謙譲して謙るのです。
褌などその格好で行きたいのであれば、自分の我欲を押し通したいという、未熟者のすることにすら感じます。

禊をする姿は、人に見せるものではないのです。
神聖な気持ち=褌の発想がそもそも間違っています。
禊をしたいならば、神社ではなくて然るべき場所でしてください。川や海や山や滝など。

神社に問い合わせて、その格好でも良いとおっしゃってくださる神社がもしあれば出来なくはないと思いますが、一般的には不自然で変で奇妙なことです。



もし本当の意味で神聖な気持で参拝をしたいのなら、もしかしたら自分の中の方向性がちょっと間違っているのかも。
神社参拝の根本的な意味から勉強されたほうが良いと思います。自分の我がとれていって(個性がなくなるということではありません)、信仰とはどういうものか理解できるのかもしれません。

厳しい言葉になったかもしれませんが、ここで他の方々の意見を聞く耳があるのは、救いがあるのかもしれないし、心底の自分が今迄の自分と何か変わりたいのかもしれませんね。


褌姿で毎日ランニングというのも、目撃する人は迷惑だと思いますよ…。

この回答への補足

私がふんどし参拝しようと思ったきっかけを与えてくれたHPや、その中の1シーンを紹介します。

http://wadaphoto.jp/maturi/index.html

http://wadaphoto.jp/maturi/images10/simadati016l …

http://wadaphoto.jp/maturi/images12/godaison114l …

http://wadaphoto.jp/maturi/images12/godaison154l …

補足日時:2012/05/02 11:53
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この回答へのお礼

大変貴重なご意見を、丁寧に回答してくださり、ありがとうございます。

ご回答いただいた内容を何度も読み返しましたが、
一般的にもっともな内容であり、私もよく理解できる内容です。

しかし私は大変思慮深い人間で、最後まで納得しなければ
気が済まない性質です。

もちろん、この場で最後まで納得しようとは思いませんが、
解ける誤解は解いておきたいので、補足させてください。


最後のほうでご指摘のように、私がここで他の方々の意見を聞く耳を
持っているのは、今までの自分と決別し、新しい自分に変わりたいからです。


そこで、「禊」という行為や精神を大切にし、普段の生活に
可能な限り取り入れ、真の幸福を目指そうと思っているのが、
現在の私の精神状態です。

私は若干、宗教や神学、心理、真理、哲学について
勉強したことがあります。
(只今も勉強中・・・・)


以下は私の持論に基づいた、あなた様への意見?も含んでいます。


・人間が作ったルールやマナーはとりあえず置いておいて、
 神様の前に出るときに最もふさわしい状態は「素」の状態、
 つまり「素裸」であると私は考えます。
 神様は人間に服を着るように要求したことは一度もありません。
 人間が神様の言いつけを破り、罪を犯したため、隠すように
 なった、つまり服を着るようになったと考えられます。
 (聖書のアダムとイヴの話が元になっています。)

・ですから、神様の前での一番ふさわしい「服装」は無く、
 裸です。お祭りで裸の文化が残っているのはまさにそのためで、
 現在でも蘇民祭など、素っ裸で参加する文化が残っています。
 性器を露出すると人間社会のルールの違反となるため、
 「ふんどし」を着用するようになったと言われています。

・神社における宮司さんや巫女さんたちの「正装」は、
 神宮司庁が人間社会のルールやこれまでの人間の歴史を
 鑑み、決めたものであり、神様が決めたものではありません。

・参拝者の格好は、誰も決めていません。何となく誰かが
 勝手に「決めつけた」だけであり、社会のルールとまでは
 言えないと思います。
 (ですが、個人には紋付袴など、すばらしい服装だと
 思っていますので、誤解なく。)

・お祭りで神輿を担ぐ時の格好は、まさしく神様を前にするときの
 格好であるから、神社参拝においても、まったく同様に
 あてはまります。ふさわしくないとは理論上、言えません。
 現に、年初めの行事などで、その年の年男が、ふんどし姿で
 海で禊をした直後に、そのままの格好で神社に参拝するという
 伝統行事が存在する地域があります。

・ふんどしの格好で神社に行くことを「我欲」とか「未熟者」とか
 おっしゃいましたが、上記のような理由で、「我欲」ではなく、
 本来のあり方を深く深く探究しようとしているのだということを
 あなた様に知っていただきたいのです。
 (もちろん、他の方々にも。)

・「神聖な気持ち=褌」の発想は、「神聖な気持ち=全裸」が一番
 なのですが、これでは一般社会の中ではNGなので、譲歩した
 (配慮した)格好、ということで「神聖な気持ち=褌」と
 表現しました。説明が足りなくてすみません。

・私は2年ほど前から滝行を定期的にしており、もちろん褌一丁です。
 ですから、すでに、しかるべき場所で禊をしています。
 (しっかり、手順をふんでいるつもりです。ふざけ半分ではありません。)

・じつは伊勢神宮の神宮司庁に「ふんどしで参拝してよいか」聞きました。
 回答は予想通り「ご遠慮ください」でした。当然です。理解できます。
 神宮司庁と戦うつもりは一切ありません。なぜなら、神宮司庁は、
 一般的なマナーに鑑みて回答したからです。私も社会人ですから。

・したがって、先日の伊勢神宮参拝では(じつはすでに行ったのです)、
 キチンと上下を着て行きました。(笑)

・ですが、じつは伊勢神宮に行く前に、戸隠神社(奥社・中社・宝光社)で
 参拝したのですが、そのときの格好はまさに「はちまき・法被・ふんどし・
 足袋」でした。奥社では多くの人とすれ違いましたが、何の問題も
 発生していません。「スゴイ」「気合入ってますね」「写真撮っていいですか」
 などと言われましたが、皆、あいさつを交わし、気持ちよく、参拝を
 終えることができました。中には嫌悪感を感じた方もいらっしゃるかも
 しれませんが、私は自分の「心持ち」を一定程度、示せたと思っています。

・自分の中の方向性が間違っているのかも・・というご指摘ですが、
 私は一応、社会人として、「皆がどう思うか」は分かっているつもりです。
 でも私の「心意気」は決して間違いではないと思っています。
 大切なのは、そういうことを現代社会とどう折り合いをつけていくか、
 ということだと考えます。

・神社参拝の根本的な意味は私も理解しているつもりです。勉強もしました。
 信仰とはどういうものかも、あなた様と同様、理解しているつももりです。

・「厳しい言葉になったかもしれませんが」とおっしゃいますが、そんなことは
 ありません。感謝しています。

・ふんどし姿のランニングは、時間帯や場所など、できるだけ人通りの少ない
 状態を選んで実践していますが、これまで3~4回、職務質問をされました。
 身分を明かし、なぜ褌なのかも説明しました。
 今ではパトカーにすれ違っても素通りで、何も言われません。
 (警察も私が不審者でないことを確認したからなのか?笑)
 
・警察の話では、単に褌で走っているだけで捕まえることはできないそうです。
 ただ、通報してくる人もいるので、その場合は対応せざるを得ないが、
 隠すところを隠しているので、罪には問えない、せいぜい事情を聞くだけだと。

・ご指摘の通り、目撃する人は迷惑だと思う人も中にはいると思いますが、
 わざわざ車を止め、声をかけて応援してくれる人もいます。
 個人的には「見た目」も重要ではないかと考えています。
 上半身裸はさすがに抵抗がありますが、上着を着て、足袋を履いて、
 それなりに気合の入った雰囲気を醸し出すよう努力すれば、
 ある程度は許されるものと考えます。

・世の中、いろいろな感じ方・捉え方があります。100人いれば
 100通りの意見があり、祭りでのふんどしも、「不快だ」と思う人は
 必ず存在します。だからと言って、やめるには相応の理由が必要です。

・私は、国民の権利である「表現の自由」と、軽犯罪法第4条の権利を
 ある程度主張したいと考えますが、具体的には、3分の2以上の人が
 不快であると判断するならば、やめようと思います。
 (それを測定する方法はありませんが・・・・)

・最後に、この類の相談は、必ず誹謗中傷する人がいるのですが、
 私は真剣であり、あなた様も時間を使って真剣に回答してくださったので、
 とても感謝しています。

私のこの返信が、あなた様にとって、大変不快なものと
なったかもしれません。その場合は、大変申し訳ありません。

以上
 

お礼日時:2012/04/27 13:50

特に服装にこだわる必要もないと思うのですが、


ただ、ふんどしは、下着というイメージしか持っていない私のようなものには
神々の前に下着姿というのはどうなのか?と疑問に思ってしまう次第です。

また、鳥居をくぐる前には服装の乱れを整える。
あるいは、参道の真ん中は歩かないといった考え方から
襟を正すような心境とは違うように思えるのです。
参拝というよりお祭りという感じ?

ニ礼二拍手一礼。
これだけで十分なのではと思ってしまいます。
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 是、です。



 何であれ、こだわりがあり、こだわりを持つのは素晴らしいことだと思います。

 しかし、そのこだわりが服装であるということは、なかなか難しいと思います。衣食住のうち、衣と住はほとんど欧米化されており、現代日本の標準的な衣装が洋装でしょう。

 あなたの質問文に、ふんどしという言葉が出てくるだけで、現代日本人ならば、あなたを自己顕示欲の強いという印象を持つ人が多いように思います。

 あなたが意図している、文化の問題としての質問文というよりも、イデオロギーを前面に出した人のアジテーターの印象が強いと思います。

 もし、実行されるならば、あなたの姿を見た参拝者は、どこにテレビや映画のロケハンのカメラがあるか、頭を巡らすでしょう。

 そして、カメラが無くて、ご自分の意志で為さっている方だと見受けると、決して近寄らないでしょう。それほど、現代日本では、あなたが考えている格好は違和感があります。

 ですから、もし実行なさるならば、宮司さんの了解を得て、1年間以上同じ時刻に同じ神社にお参りするなど、一過性の参拝でないということが条件ではないでしょうか。
 少なくとも、真夏と真冬両方に耐える衣装であるか、真夏の格好と真冬の格好が統一感のあるものでなくてはならないでしょう。

 また、疑問が一つあります。
 そこまで、衣装を決めてしまうと、頭髪が難しいのではないでしょうか?
 西洋的な頭髪は似合わないと思いますが、どのようなスタイルなのか、興味があります。頭髪によっては、全てぶち壊しになるような気がします。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

私は毎日、ふんどし姿で早朝ランニングしています。

普段はキャップを被り、今の時期は長袖シャツを着て、

足元は足袋です。

このスタイルで(夏は半袖ですが)2年間、続けています。

今回行こうとしている神社は伊勢神宮で、私の居住地からは

相当離れているので、毎日一定期間、参拝に通うことはできません。

でも、できることなら、そうしたいです。

なぜ私がふんどしにこだわるのか、自分でもよく分かっていませんが、

きっと、前世に由来するものだと思っています。


ちなみに、頭髪は長くも短くもない、ふつうの髪型です。

ご回答いただいた内容は、私にはよく理解できる内容でした。


大変ありがとうございました。

補足日時:2012/04/24 07:05
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はい、辞めた方がいいです。



大きな理由はそれはあくまで禊の姿だから。
昭和初期や中期の装束をみてもそのような格好で参拝する事はありません。するとすれば祭事のときのみです。
神にもうでるとき、特に祈願をする場合は、水垢離で身を清め、訪問着などに着替えて行ったものです。
普段立ち寄る程度の参拝ではなく、目的があっていく場合や初詣などではそのようにしている写真も多いです。

昔の地方の庶民は一生に近いほど着たきり雀。改まった服装など無い。だから汚い服に戻るよりは禊のまま行った方がマシだから、あの風習が生まれたようです。

貴方が着替えすらない、服を洗ったら乾くまで布団かぶって裸でいるしかないというのなら別ですけど、着替えがあるなら着替えるのが正しいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

納得する部分が多かったです。

普通に考えたら、やめたほうがいいのでしょうね。


しかし私は、普通の日に、一般参拝者が禊の格好で参拝してはいけない

理由はないと認識しております。


究極は、「神様だったらどう思うか」の視点なのでしょうね。

でもそんなこと、なかなかわかりませんが・・・・


今回はありがとうございました。

お礼日時:2012/04/23 23:48

見かけたらたぶん距離をとります。


そして関係者に「何者ですか」と聞かれると思います。
というかそれワイセツなんたら罪とかになるんじゃないですか?
鳥居の真ん中を通らないなどきちんと決まりを守ってれば格好は奇抜でなければいいと思いますけどね。
気持ちですから、要は気持ち。
どうしてもというなら参拝前に禊してください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

純粋な子供たちが、そういう、ふんどしの格好をした人を見かけたら、

やはり距離をとるでしょうか。


ちなみに、ふんどしで参拝しても何の罪にも問われません。

せいぜい、変態に見られ、「頭のおかしい奴」と思われる程度です。

そのへんは、自分でもよく分かっているつもりです。



今回はありがとうございました。

お礼日時:2012/04/23 23:18

祭りの日に神輿を担いで神社入りだったらいいですが、普通の日では誰も人のはみ出たケツなど見たくともありません。

もし、あなたが女性なら、膝小僧が見えるか見えないくらいのスカート丈が限界です。巫女さんや神主さんが身体を露出して程度に近づけるのが、基本です。

アフリカの奥地の奥地の裸族のの神社だったら、六尺ふんどしより越中ふんどしだけのほうをおススメしますが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ふんどしは祭りや相撲のときは良くても、普通の日はダメなんですね。

どうしてなんでしょうかねぇ。

今度は、それについて相談してみます。

今回はありがとうございました。

お礼日時:2012/04/23 23:06

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