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一度絶滅した動物を再起させ、自然に還そうとする事に関連した質問です。


例えば、これに該当する一例は、日本のトキです。

これの意義は、理念としてはまぁよしよしと思いますが、「環境保護の倫理」として正しいのか疑問があるのでよろしくお願いいたします。



例えば、「乱獲防止」「絶滅危惧種保護」と言うものは環境保護として理にかなっています。
何故なら、その種が絶滅する事によって生態系が脅かされ、予測不可能な事態が起きるかも知れないからです。



しかし、既に絶滅してしまったものを再起させる事は話が別です。





例えばトキの場合、トキが絶滅して生態系が崩れてしまいました。それが現在の自然環境です。
非常に残念なことです。しかし、今、トキを自然に還しても壊れてしまった生態系は元には戻りません。もう遅いのです。


そして、トキがいなくなった日本の自然は、新たな生態系と変化し、安定を保っているように思えます。

そこにトキを戻しても、かつてのトキが自然繁殖していた当時の生態系と、現在の生態系はまったく別の世界です。そんな中、トキと言う「新種」を自然に還し、もしも繁殖するような事になれば、その新種と競合する生物との生存争いが勃発します。その中にはその争いに敗れ、絶滅する名も無き生物も出てくるかもしれません。



今の例はあくまでもトキだけの限った話ではありませんが、これはつまり、「一部の環境を保護するために、一部の環境を破壊している」と言う事であり、倫理的におかしいと思いますが、どうなのでしょうか?


そう思うのは私だけで、環境保護活動家(支持者も)からすれば全く問題ない行為なのでしょうか?



よろしくお願いいたします。

A 回答 (13件中1~10件)

補足及びお礼を見させていただいたが、簡単に返答しておく。



まず、トキを放鳥する行為であるが、これは生物学的用語を使用して説明すると、トキがいなくなったことによりサギ類によって独占状態にあったニッチに対して、過去にそのニッチの構成員であったトキを人為的に再度参入させるという行為である。

この行為に対して環境保護の見地から警鐘を鳴らす学者は生物学者、環境学者にはいない。当然異を唱える者がいないのであるから、これに対して反論する、すなわち環境的、生物学的に問題がないとことさらに強調する者もいない。環境破壊であるという指摘が存在しないからである。

当然、環境保護活動家などは、大手を振って賛成しているかどうかは知らないが、少なくとも反対しているものはいないということになる。

結論として、人間の目線からでも、動物をはじめとする生態系の見地から見ても、全く問題ないということになる。まあ、ニッチを独占しているサギ類にとっては多少迷惑かもしれないが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


前の回答に関して、ニッチェの事を指していたというのを見落としておりました。

大変失礼致しました。


私はニッチェに認識が浅いので、自分なりに調べてみたいと思います。

お礼日時:2012/05/03 01:02

トキに限った話ではありませんが、絶滅危惧種の保護と環境問題とは間接的に関係することはありますが、絶滅危惧種を従来の個体数量へ戻すこと自体が自然環境の改善になるという考え方はないし、ありえないと思います。


>今、トキを自然に還しても壊れてしまった生態系は元には戻りません
もちろんその通りです。

戻すために環境を改善しなければならないということは当然あると思いますし、それが狙いの一部であることもあると思います。トキをだしにしてその方向へ財力を用いるということでしょう。それによって人間もそこで暮らしやすくなる、(それによって増えたトキが)観光にも貢献してくれるかもしれないという経済効果も期待されていると思います。

多くの場合、種の保護は一部の人間の趣味的な文化活動として位置付けられると思います。環境問題は無関係とはいえない、程度のことです。よい例が東欧の一部で計画されているその山岳地帯に棲んでいたおおやまねこの復活です。インドネシアでのスマトラトラの保護は現地の住民の大反対が言われています。
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この回答へのお礼

補足ありがとうございました。


回答が出ましたので、締め切らせて頂きます。

お礼日時:2012/05/03 01:03

環境保護と決め付けるのは間違いと思う。



http://blog.goo.ne.jp/enndomiru16
トキの繁殖が環境保護では無いだろう。そんな大活動では無いと思う。ト
キ繁殖は生物保護活動のひとつと認識すべきでしょう。もちろん人間側の
トキを繁殖させたいという意思に基づく活動です。その意思を捨てさせる

には悪影響を証明し別の意思を持たせる必要が在ります。共産主義じゃー
無いのですから計画が先では無くて人の意思が優先するのが自由主義とい
う社会体制なんです。】

トキ増殖を否定や非難、批判するならば悪影響の証明が必要です。
証明が無ければ単なる個人感情から出る悪口に過ぎない。環境保護の基本論理
とは悪影響を取り除く事に在る。と認識しています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


ブログ主にもっと詳しい話を聞きたいですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/03 00:58

トキは絶滅してはいない、生息域を狭めただけである。

ちなみに、日本産のトキと中国産のトキは全く同じ鳥である。

日本からトキが撤退(絶滅ではない)したことにより、サギ類が代って生息域を伸ばしたが、トキの代わりがサギになっただけでそれ以外の生態系は変化していない。

その状態から人工的にトキを移入したとしても、基本的に生態系は変化しないので全く問題ないし何の害悪も発生しない。もちろん環境も破壊されない。

>そう思うのは私だけで、環境保護活動家(支持者も)からすれば全く問題ない行為なのでしょうか?

その通り、全く問題ない行為です。

この回答への補足

↓の返答、学者だけではなく、そのような事を分かりやすく著書に載せている本があれば教えてください。読みたいと思います。

補足日時:2012/04/30 01:28
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>サギ類が代って生息域を伸ばしたが、トキの代わりがサギになっただけでそれ以外の生態系は変化していない。
>トキが撤退(絶滅ではない)したことにより、サギ類が代って生息域を伸ばしたが、トキの代わりがサギになっただけでそれ以外の生態系は変化していない。


それがもし本当なら、「環境保護の理念に反さない」と言う事になります。



そして、私の「回答」もここにあります。
(大半の人は意図を読まずに、一方的に私の主張と思い込んでいたが)



生態系が、そんな単純な算盤で成り立つと言うのは知りませんでした。
とは言えいまいち信じがたいのですが、これは世界の環境学者全体的の、共通認識と受け取ってよろしいでしょうか?


もしそうなら、私の「質問の回答」が今回初めて出された事になります。

ちなみに具体的に有名人でも良いので、こんな大雑把な生態系の認識をしている環境学者は誰ですか?(大半の環境学者がそうなら、簡単に例が思い当たるはず)

お礼日時:2012/04/30 01:13

> それは「現在の生態系を守る事」です。



それは「アナタの理念」に過ぎませんね。
真理・摂理ですか?

「生態系が変化する」のは摂理であり、「守る」と言う人為的行為は摂理に反しませんか?
「守った方が良い」と言う根拠は?

やはり質問では無いようですね。
アナタの答えは決まってるようだし。

生態系を守る前に、質問サイトのマナーを守って下さい。
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この回答へのお礼

>それは「アナタの理念」に過ぎませんね。

では、環境保護の理念は何ですか?


「環境保護の理念」=「生態系を守ること」と言うのは間違いかもしれません。

間違っているなら何が理念なのか教えてください。
それか、そもそも「環境保護に理念など無い」と言う衝撃的な事実でしょうか?

お礼日時:2012/04/30 00:59

主観的な回答になることを先だって言及しておく




>しかし、今、トキを自然に還しても壊れてしまった生態系は元には戻りません。もう遅いのです。

『人智が失われた自然環境を再興できない』という見解であろうが、小生は、これについては大枠では賛同する

しかし(完全ではないものの)ある程度の自然環境の再興・部分再生は可能であろうと思う。

問題は、その再興・部分再生によって生じる自然環境への負荷とリスクであろう


>トキがいなくなった日本の自然は、新たな生態系と変化し、安定を保っているように思えます。

小生は以下のように認識・知覚するので質問者の見解とは異なる。しかし、総論としては同じであろうと思う。

自然環境は、恒常的に新陳代謝によって状況変化している。
極めて可変的流動的なものであって、安定的であるものではない。仮に安定的という指摘があるならば、新陳代謝が適切に行われている状態の安定性・・・であろう。


>トキと言う「新種」を自然に還し、もしも繁殖するような事になれば、その新種と競合する生物との生存争いが勃発します。その中にはその争いに敗れ、絶滅する名も無き生物も出てくるかもしれません。

可能性は否定できないだろうし、”すでに自然淘汰される寸前だったトキの存在しない生態系”を思慮する必要性には、同意するし、意見には賛同する


>「一部の環境を保護するために、一部の環境を破壊している」と言う事であり、倫理的におかしいと思いますが、どうなのでしょうか?

倫理的というよりも、目的が目的を成し得ない皮肉があるわけで、質問者の批判には同調するし、同意する


小生個人は、トキの保護活動の真意は、日本の自然環境保護・再生の象徴としての意義しか感じない
しかし、一方で思うのは、『自然環境保護・再生』が全国規模ではなく、局所的であることに人間のエゴを感じなくない


小生も同じ疑問を感じえるが、小生にとっては、人類のエゴだけでしか思慮しないし、そのエゴについて善悪では考える必要性を感じていない。

ちなみに小生は、トキの保護活動さえ否定的である
質問者が指摘する問題点もあるが、”保護活動によって種は保存できる”となれば、その保護活動に依存しかねない人間活動に陥りかねないと思うのである

つまり、
「あの種の生物は人類の自然破壊で絶滅しそうだけど、保護活動で個体維持できるみたいだよ」

となり、自然破壊の流れを停滞させれなくなるように思える。
絶滅する種はそのままにして、その事実と原因を受け入れるのが、あるべき人類のありようだと思うのである


ちなみに、小生は極めて自然に対する畏怖が強いのだが

人類の影響力は大きいにしても、文字通り『自然の自然治癒力』はそれを凌駕しえるものだと思っている

人類が自然を創造・再生するのではなく、人類由来の「自然の治癒力」の阻害因子を除去するだけで十分だと思う

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

建設的な質問だと思うのだが、具体性においては難しい問題がある質問ではある。しかし、個人的には良い質問だと思うのだが・・・・・・・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


>具体性においては難しい問題がある質問ではある

今の所そう思われた方が「全員」ですね;


実は、この質問は「環境保護の理念」に反するかどうかと言う二択で答えられる質問で、(No7さんの回答で説明)環境保護の本来の倫理観や理念などに詳しい人がいれば、結構すぐ終わる質問な気がします。



その意図を本来は、一発目の質問内容事態で理解してもらえるようにすべきなのですが、それは私の文章力が無いから・・・以後気をつけます。

お礼日時:2012/04/28 03:53

答えの無い質問です。



「トキの繁殖によって、生態系に何らか影響はある」までは良いですが、ソレが「良いか?」「悪いか?」など、現時点で知る術はありません。

質問者さんは、「人為的に影響を与えること自体、悪ではないか?」と言う立場なんでしょうけど、
「かも知れませんね」「そうは思わない」など、推量や意見の範囲でしか言えません。

ただ、「まったく別の世界」「全く問題ない?」など極論的な表現を用い、回答を誘引しようとしている様には思いますが・・。
「まったく別の世界」は明らかに言い過ぎだし、「全く問題ないか?」と問われたら、「全く問題は無いとは言えない」としかならんでしょう。

そう言う極論・極限を用いれば、トキの繁殖により、未来に人類が滅亡の危機から免れる可能性だってあるワケですよ。
その可能性の多寡(限り無くゼロに近い)までは言えますが、「可能性はゼロである」と断言することも出来ないのです。

現時点では確実な答えが得られないから、質問者さんにも持論の断定が出来ないワケですが、それは誰でも同じコト。
「私はこう思う」と言う、答えの推測に過ぎないし、それに対し、他人が「違う」等々を言えるものでも有りませんし、言ってもムダです。

従い・・・事実上は意見表明ですよ。コレは。
「私はこう思うのですが、どうでしょう?」に対し、否定したところで質問者さんが納得し得る可能性は無いし、肯定されたところで、質問者さんの持論が正当化されるワケでもありません。

それと、仮に現時点で「良し悪し」が判断出来るとして、そもそも生態系がどうなれば「良い」で、どうなれば「悪い」なんでしょうか?

「人為的に生態系に介入する」ことにより、有る種を絶滅させるのは「悪」と言えるでしょうけど、生態系そのものを変化させるコトの「善悪」「理非」って・・・何ですか?

「人類の繁栄」など、人類にとって良好な生態系を中心に据えた基準?
果たしてそれが正しいのでしょうか???

どう考えても、答えの無い質問だと思うのですが・・・。

でもまあ、演繹法的・究極的な回答としておきますと、生態系、即ち地球は、最終的には消滅します。
超マクロ視点の生態系で言えば、トキの繁殖や滅亡などは「些細・些事」であると言って良いでしょうね。
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この回答へのお礼

>「私はこう思うのですが、どうでしょう?」に対し、否定したところで質問者さんが納得
>し得る可能性は無いし、肯定されたところで、質問者さんの持論が正当化されるワケでも
>ありません。


環境保護の「理念」から考えて正しいか、どうか教えて頂ければ満足です。
「理念」と聞くと小難しく思われるかもしれませんが、簡単です。


「現在の生態系を守る事」それが環境保護の「理念」です。



ただ近年、環境保護が金儲けになる事が判明して以来、「人にとっても良い事」など、人間中心主義が強まってしまい環境保護の拡大解釈が横行しております。


しかし、どんなに拡大解釈が広まる今日でも、理念は単純です。



それは「現在の生態系を守る事」です。
そこに「人にとってよければ」などと言う、人間中心主義は存在しません。



いま回答して下さっている方の多くが、この「環境保護の拡大解釈」を下に、トキを日本の生態系に解き放つ事を肯定していますが、環境保護と言う大きな枠で見れば、その主張は正論です。



しかし私の質問は、その拡大解釈を省いた、そもそもの環境保護の「理念」である「現在の生態系を守る事」に反するのではないか?と言う質問なのです。





*
理念は、極論では有りません。
理念とは、根っこの考えです。


根っこなので、「理念」に反する行為はすべてが違反。それは辞書的に言えば正論かもしれませんが、まさにそれこそが「極論」です。



言い換えれば、環境保護の理念は「現在の生態系を守る事」。それに反する環境保護家は、環境保護家の資格が無い。と言う主張は、現実離れした極論です。

たぶん回答者さんは、私をそのような極論者に見えたのでしょうが、この疑問はそのような事は関係ありません。


例え、トキを自然に帰す事が、環境保護の理念に反していても彼らは環境保護を行ってはいます。しかし、もし理念に反しているなら彼らの行動に疑問を抱きます。

理念に反しているのか?いないのか?
もし反していないなら、何故理念に反していないのか説明をお願い致します。

理念に反していると言う私の考えは、No1さんの回答で書かせて頂きました。

お礼日時:2012/04/28 03:22

うーん、自然環境問題じゃなくて「哲学」カテゴリ向きな質問ですね。


回答に対しての捕捉も観念的なお答えですし。

>>何故なら、生態系の影響が限りなく少ない、「人間が原因の種の絶滅」と言う事例は私の知る限り存じておりません
これはいくら何でも無知すぎでしょう。
人間が原因で絶滅した種なんてゴマンといますよ。
日本だと北海道に生息していたエゾオオカミなんか開拓の際家畜をやられないように、
毒まいたりして、明確な意図をもって絶滅させましたよ。
で、結果、エゾシカが増え過ぎて植林した苗木や成木の皮を食い荒らす食害が問題になってる。

一度絶滅してしまった動物を、他の地域から個体を入れたり近い種のものを野性化して生態系を
戻そうという試みはすでにいくつか行われております。

アメリカのイエローストーン国立公園では一度絶滅したオオカミの再導入とかですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA% …

実際試みられている現状において、見直すべき点もあるがそれなりの成果もある、という状態でしょうか。

トキの事例は、他の回答者の方も仰られているように、
学名「ニッポニア・ニッポン」を冠するトキだからこそ
日本の自然環境に復活させたいという思い入れが強いことは否めませんけどね。

この回答への補足

訂正

アメリカの現在の生態系に狼を解き放つと言うなら、トキを日本の生態系の自然に解き放つ行為同様、環境保護の観点から大変疑問に思います。


環境保護の観点→環境保護の理念

補足日時:2012/04/28 03:25
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この回答へのお礼

>これはいくら何でも無知すぎでしょう。
>人間が原因で絶滅した種なんてゴマンといますよ。

貴方は、読み違えしてます。

生態系の影響が限りなく少ない、「人間が原因の種の絶滅」

と言うのは、人間が原因で絶滅した生物の中で、人間が絶滅に追いやってしまいましたが、その絶滅によっての生態系の影響は限りなく少ないようだ。よって、人間に罪は無い。


そのように判断された事例は私は知りません。

と言う意味です。


仰るとおり、「人間が原因で絶滅した種なんてゴマンといます」。
そしてそのすべてが、生態系に多大なる影響を及ぼし、安定していた生態系に変化をもたらさざる終えない状況に追いやったと私は思います。




多分私の文章が長すぎて、回答者様はささっと斜め読みをして、読み間違えてしまったのでしょう。

長い文章ですが、確りと読んで頂ければ、私の意図がお分かり頂けると思います。





>アメリカのイエローストーン国立公園では

リンク先は読んでいないので詳しい事は分かりませんが、
これをその国立公園限定で狼を再導入するなら、私は良し思います(ぎりぎりの線)。

しかし、かつてアメリカ本土の多くに狼が生息していたように、アメリカの現在の生態系に狼を解き放つと言うなら、トキを日本の生態系の自然に解き放つ行為同様、環境保護の観点から大変疑問に思います。

(トキも国立公園限定で解き放つなら良いです。しかし、空を飛ぶので管理は難しいでしょう。そして逃げたトキが他の地域で繁殖すれば、現在の生態系のバランスが崩れる恐れが出てきます。)

お礼日時:2012/04/28 02:07

トキには象徴的な意味合いもある。



それに、トキが自然に暮らせる環境って人にも他の生物にも決して住みにくい環境では無いはず。

田んぼや小川がコンクリートでなく土手で覆われ、ドジョウやタニシ、メダカなどが其処此処にいる。
餌場の周囲には営巣出来る樹木もある。

トキの為に環境の保全を行う事は、トキだけにメリットがあるわけではなくその他の在来生物にとって生存に適した環境と言えるのではないか?

どれだけの費用が投入されているのか?とか
切り取られたニュース映像に映らない部分はどうなのか?とか

遠く離れた身として知ることの出来ない事も多いようだが、「手遅れだからもう止めよう」とまで言い切ることは私には出来ない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>トキには象徴的な意味合いもある。

これに関しては、質問文冒頭の「これの意義は、理念としてはまぁよしよしと思いますが」と書いてある通り、よしよしと思います。




>それに、トキが自然に暮らせる環境って人にも他の生物にも決して住みにくい環境では無いはず。

はい、私もそう思います。
「かつてトキが生きていたような環境を目指そう」そのような姿勢は大賛成です。


しかし、だからと言ってトキを再起させ、「今の日本の自然に解き放つ事」と「かつての日本の自然を目指す事」とは、全くの別問題であります。

その理由はNo1さんの回答で書かせて頂きました。

お礼日時:2012/04/27 11:57

その辺の線引きは明確にできません。


人間の営みも自然のうちです。
人間が乱獲するのも、ある意味、人間の本能に従っての事なので極めて自然です。
人間によって絶滅するのも、ウイルスに負けて絶滅するのも自然の摂理です。

絶滅種を復活させたいというのも人間の意思で自然発生です。
誰がそう思った?思うというのはどういう事?
どこまで自然でどこから人工という線引きは不可能です。
倫理を考えるのは人間だけです。
他の種はそんな事考えず、本能のままに行動しています(たぶん、そうだろうと、思う)
従って、倫理を考えて行動するのは人工であり、自然ではありません(禅問答みたいですが、)

日本の生態系が安定しているなんて事は有り得ません。
人類が完全に絶滅するのが自然環境には最も望ましいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


その考え方は私も理解します。

宇宙の真理から考えれば、人間や人間社会も自然の一部なのかもしれません。


環境保護と言う定義は、人間と環境(間、工)を区別した、消極的な人間中心主義によるエゴとも言えます。



本来は、人間の環境破壊による破壊行為も、象が森を荒らしまわる環境破壊と同じかもしれません。

違うのは規模だけ。
しかし、この大宇宙。地球規模などどれほどの事か・・・。





と言う考えでしょうか。その考えは意外と私も共感します・・・。



>倫理を考えて行動するのは人工であり、自然ではありません(禅問答みたいですが、

この見解は新鮮でした。

明確な倫理を持った聡明な環境保護活動家ほど「人工的な人間」になるかもしれません。
そして、強欲で自己中心的な開発王ほど、「自然的な人間」と言えるかもしれません。


ここがもし哲学カテゴリーだったら、貴方がベストアンサーでした。

お礼日時:2012/04/27 11:50

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