1つだけ過去を変えられるとしたら?

なんでテレビは、血や死体を映してくれないのですか?いつから、ふせるようになったのですか?

ちょっとむかしは刑場などで死体を見ていたようですが、現在は、震災のときでも、それを映さないようにしてます。それこそ自国の事なのに。
ふと不気味に感じます。

綺麗過ぎて、そのせい、なんとなく人間に必要な免疫やあらゆる想像力は衰退するんじゃないか心配します。もはや血をみると思うと恐くてたまりません。イメージが膨張し、根元的な恐怖をかかえています。


解剖学者の養老さんなんかは、もう実に「当たり前」の事をずっと見てきた方なので、なんか在る広さに安らぎを覚えます。

私はこのままだと、そういった根本を忘れて、根なし草、何をしてても実は逃げてるだけのように思え虚しく、鬱になりそうです。こういった傾向って結構あるんじゃないかと思って。精神的には未來に向けて大変重要な箇所だと思います。

放送できないのはナントカの名誉という物でしょうか、もしそれだったら、そんな馬鹿を言ってるよりずっと価値のある対策だと思うのです。抗議はできるのでしょうか。可能性はなさそうですね。

A 回答 (5件)

記憶を抱え生きろですか。



養老さんが何?

今時代に、人の死を語るなんぞ。

先祖に失礼です。
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震災の際の、不自然に血や死体がない映像……確かに不気味でしたね。


あの瓦礫の下には……とか、テレビ局の人が除けたのかな、とか想像してしまったのをよく覚えています。

放送されなくなった時期などについてはNO.1さんの言う通りですね。
また、gengaさんの言う通り、抵抗力がなくなってきているのも事実でしょう。
実際私の学校では抗体検査で採血すると聞いただけで真っ青になっている人がかなりいます。
ただ、これはテレビだけの責任でしょうか?
彼、彼女らはテレビ以前に日常生活ですら、怪我もしなければ血や肉を見る機会もありません。
私の出身校では、あの理科室に定番の不気味な人体模型すらなかったほどです。
魚や鶏の解体ですら見なくなった子ども……いきなり人の死体を見るのは刺激が強すぎませんか?
ここまで来ると逃げとかいう問題ではありません。見たがらないのは立派な自己防衛です。

また、世の中にはそうしたシーンを見てしまうと、精神的・肉体的に激しい症状を引き起こしてしまう人もいます。
私の祖母はもうすぐ80歳になり、太平洋戦争やその後の貧困を経験した人ですが、こういったシーンが非常に苦手です。
先日も東日本大震災特集で津波が町を襲う映像を続けてみていたら気分が悪くなり、食欲を失ってベッドで震えていました。
放送倫理ナントカやPTA等の過剰な主張もあるのでしょうが、こういった病気や症状を抱える者がいるのも事実です。
それを心の弱さというのは簡単ですが、少なくとも好んで見ているとは限らないニュース等では放送しないのが妥当かと思われます。
確実に見たら悪影響がある人、逃げといわれても見たくない人はいるのですから。

ただ、そうしたものも含めて見たいという人、見たくはないが事実なら仕方ないという人、あるいはあえて血や死体の描写が好きな人もいるのかもしれませんが……そうした人たちの目から完全に遠ざけてしまうのはやりすぎだと思います。
もしテレビでは無理ということなら、そうした「真実の報道」をネットテレビ等が補える時代になればと私は願っています。
面と向かって抗議する気力があるのなら、自分たちで新たな王国を作り、そこで評価・判断してもらいましょうよ。
それが一番前向きで、どちらの立場の人も幸せになれる道のような気がします。
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この回答へのお礼

いろいろな人をみておられるのですね。





漠然と、心の弱さだと言ってしまいます。(それは、その人の心が、というのではなく、漠然とした何かです)忘れ去れるくらいなのであっさり慣れるもんだと。本来いつかの自分の姿が死体が刺激物ではないことが子どもの頭には入るはず。no,1さんの回答にありました「反省」の形は、ただ閉塞、拗ね、に、とても近い状況のように感じます。法で定めてるのかとおもいました。
これから開いて行く事に、ひそかに、すべてにかかわる問題だと思うので、ひろいテレビに期待するのですが、そのテレビの肩身が狭すぎだと。よって重荷となってしまうお年寄りはそれを無意識でも感じ取るんじゃないかなと。重荷になるような、そんな意思は持ってないという事が信じるところであります。

<自分たちで新たな王国を作り~、遠回りのようですが、励みになりました。

詳しい回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/05/22 04:44

ご覧になりたいおヒトには御本をお買いになって、ご自分で満足する御自由がおありでしょ?

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この回答へのお礼

<日常>を社会が取り戻すことで円滑になったりする事や、作用が確かにあるとかんがえたのですよ。

お礼日時:2012/05/22 02:25

アフガニスタンでの日本人捕虜を覚えてますか?



首を、、、!!!

他人の死なのか?

観て何を学ぶ。

この回答への補足

死ぬのが悪いとは言ってません。アフガニスタンのは過激で、よその国の話だと思っています。好奇心でもなく、学びの
ための事件じゃありません。記憶です

補足日時:2012/05/21 14:21
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確かに昭和末期から平成初期あたりはそうでした。


当時は過激なニュースを追求するあまりに報道被害が頻発した(その結果起きたのがビートたけしとたけし軍団によるフライデー編集部襲撃事件)という一面もあり、そのことに対する反省から必要以上に刺激的な報道の仕方は自粛するようになったのです。

この辺も参考にどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%99%E7%9C%9F% …

この回答への補足

回答ありがとうございます。
過激なニュースを追求したというより、言論の自由って言葉が、ことばとして、花開き激化してしまうのでしょう。綺麗過ぎる現在の報道と、当時のいやなマスコミはみた感じ違っているけど、本質は変わらないようです。
必要以上でもなく、不足でもない、調度離れた所にある威厳が、失われてる。
調べてみます

補足日時:2012/05/21 15:06
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この回答へのお礼

捕捉ボタンしか見当たらなかったのですがきゅうにお礼ボタンが出てきました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/05/22 02:51

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