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沖縄戦で、米国は戦死者12,520人、 戦傷者 72,012人の未曾有の損害を出しています。
東京や大阪を焼き払ったのと同様、B29で沖縄を焦土にしなかったのは何故ですか?
沖縄大空襲といえば、昭和19年10月10日の空襲を指すことから、沖縄戦での上陸前空襲は規模が少なかったように思います。
待ち受けている10万人の日本軍がいるのに安意に上陸してしまった作戦に問題があったのではないでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

ベトナム戦争で、アメリカ軍はいわゆる「北爆」をしました。

北ベトナムに対して爆撃を行ったのです。その爆弾の量は約200万トンといわれ、実は第二次大戦で対日爆撃の10倍を超える量なのです。ちなみに、北ベトナムの面積は約15万平米で、日本は37万平米になります。日本の半分以下の広さのところに、日本より10倍の量の爆弾を落としました。
しかし、結局そこまで激しい爆撃をしてもアメリカは北ベトナムを屈服させることはできませんでした。

第二次大戦前にドゥーエという軍人さんが「戦略爆撃で敵国を屈服させることはできる」といったのですが、その後第二次大戦から1980年代頃までの戦争の経験を経て、「爆撃だけで戦争に勝つことはできない」という結論にほぼ至っています。ですので、圧倒的な爆撃を行った湾岸戦争のときも、最後は陸上部隊が攻めていって決着をつけたのです。

また太平洋戦線でアメリカ軍は何度も敵前上陸作戦を行っていますが、タラワ、ペリリュー、硫黄島、沖縄のそれぞれの戦いを見ると、「要塞化された陣地に対してどれだけ砲爆撃をしても基本無意味」ということが判明しています。タラワにしてもペリリューにしても硫黄島にしても、アメリカ軍はものすごい数の砲撃と爆撃を行っていますが、周到に準備された日本軍の陣地に深刻なダメージを与えることはできませんでした。
沖縄戦の場合は、日本軍もそれまでの戦訓を取り入れて、上陸前の艦砲射撃が激しい海岸線での防衛作戦は行いませんでした。というのも、サイパンでは極端な水際防御戦術を採用したところあっさりアメリカ軍にやられてしまったからです。ペリリューではその戦訓を取り入れてやや内陸に陣地を作ったらアメリカ軍はどえらい苦戦を強いられました。そのペリリューの戦いの戦訓をさらに強化したのが硫黄島です。硫黄島の戦いはアメリカ軍にとって悪夢以外のなにものでもなかったでしょう。
また沖縄戦では、日本軍は直前で最精鋭の部隊を台湾に取られてしまったせいもあって、北部の防衛をほぼ放棄して、沖縄南部に部隊と陣地を集中させて持久戦をする体制にしました。そのため、激しい上陸戦を覚悟していたところ海岸に日本軍はおらず、当初は「日本軍の奴らはどこへいきやがった」的な展開になっていたのですが、やがて前進して日本軍の防衛陣地にあたるとどえらい目に遭ったというわけです。その血みどろの戦いも南部に集中しており、北部では散発的な戦闘があった程度で極めて平穏だったようです。
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大空襲というのは、軍事設備への攻撃ではない。


軍事設備への空爆は意味が無いことは意味が無いことを米軍は知っております。
まだ原爆は開発されていませんでしたから。

空爆では意味が無いので、爆撃よりも破壊力がある戦艦の主砲での艦砲射撃をやっております。

東京や大阪は家屋密集地帯だったので、焼夷弾の効果が上がったのですが、まばらな沖縄では効果がない。


ちなみに戦略爆撃は効果的でないというのが戦後のアメリカの調査でわかったのですが、それは政略的にまずいということで、公表されませんでした。日本の産業を潰すのに効果的だったのは潜水艦攻撃だったそうです。

戦略爆撃の能力を世界で唯一もっているアメリカが戦後に優位に立つための宣伝でもあります。
※ 潜水艦による通商破壊は、第一次 第二次世界大戦でドイツもやっていますし、ソ連も対応可能。戦略爆撃に関しては、ソ連は対応機種をまだ開発できないでいましたので。
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 要するに,なぜ多大な犠牲を覚悟で沖縄上陸を敢行したかという趣旨のご質問みたいですが,当時の米軍が作戦を急いでいたことは否めないと思います。


 既に,1945年2月のヤルタ協約で,ソ連軍が北方から日本に侵攻する作戦が決まっており,連合軍(実質的にはアメリカ軍)の軍事作戦が長引けば,その間にソ連軍が北方四島のみならず,北海道や東北地方などにも侵攻を始め,日本に対するソ連の影響力がますます強まってしまう危険があり,戦後処理の構想として,日本を共産圏に対する「不沈空母」として活用することを考えていたアメリカとしては,ソ連が本格的に介入してくる前に,何とか決着を付けたかったという思惑があったのでしょう。
 ただし,沖縄戦に限って言えば,単純に日本軍の陸戦能力を軽視していた面も否定は出来ませんが。
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 それまでの島嶼戦で、日本軍の戦術は大体わかっていたんですよ。

つまり、地下壕・地下要塞を拠点にした篭城戦。

 実は、通常爆弾ってこうした地下施設にはほとんど効果が無いんですね。爆発威力は上向きの逆円錐状に向かいますから。他の方がおっしゃっているように、効果が見込めるのは主に地上施設(ちなみに東京空襲は爆弾じゃなくて焼夷弾中心でしたが)か、遮蔽物のない平原に部隊がうろうろしているケースくらいです。
 今でもこの傾向は大きく変わっておらず、アフガンやイラクでも地下施設用の特殊爆弾が多用されていましたよね。

 したがって、沖縄線で大型爆撃機から通常爆弾や焼夷弾をばら撒いても効果は無い、最も効果があるのは何だってんで、単発機による急降下爆撃と艦砲射撃が主に採用されたわけです。前者は命中精度が高いですし、後者は撃速が高く、ともに地下施設にそれなりのダメージを与えることが可能です。

 仮に沖縄戦でB-29での通常爆弾攻撃を採用していたとしたら、おそらく日本軍の地下施設のほとんどは被害を受けず、史実よりさらに大きな被害を連合軍側に強いたんじゃないでしょうか。

この回答への補足

ありがとうございます。
焼夷弾で家屋を焼き、田畑を焼けばダメージは大きいと思います。
島ごと丸焼き作戦です。時間はかかりますが、
帰る家もない、学校もない、お寺も神社もない、工場もない、食料もない、海上は封鎖されているとなれば精神的にまいるでしょう。
戦国時代なら兵糧攻めの部類ですが、米軍は作戦を急いでいたのでしょうか。

補足日時:2012/07/13 13:56
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戦争は陸軍が占領して初めて勝利と言えるもので、いくら爆撃してもそれだけでは足りません。


また、爆撃で焦土と化すことが出来るのは「都市」だけです。B29による日本本土爆撃でも、当初の戦術爆撃による飛行機工場爆撃などは非常に効果が薄く、ルメイという悪魔の将軍が指揮官になって初めて「戦略爆撃」と称した都市無差別爆撃が行われたのです。これは、その後のベトナム戦争で、B52が幾らジャングルに爆弾を落としても、戦略上は何の効果も無かったことでも分かります。
沖縄で歳と言えば那覇くらいですから、那覇を焦土にするには、艦砲射撃で十分であり、郊外に設置された日本軍の陣地を攻撃するのに大型爆撃機では効果が薄いのです。
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沖縄戦の段階ではマリアナ諸島は戦闘中であり出撃すべき基地がないしB29もまだ量産段階に入っていないから。


さらに言えば空爆すべき対象が少ないからでしょう。
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