プロが教えるわが家の防犯対策術!

パニック障害と診断されています。
満員電車でも映画館でも美容院でもパニック発作は起きません。
唯一定期訪問しているお客さんの前だけ起きます。

他のお客さんは平気なのに・・・

大事なお客さんなので平常に接したいのです。
私のメンタル不調を知りいろいろ手助けしてくれるのです。

訪問中なのでペーパーバックも仰向け呼吸も出来ない状況です。

訪問直前、入室後、逃げ出したくなります。

このようにどうしようもない状況で、みなさんはどう発作に対応されていますか?

是非教えて下さい。お願いします。

ちなみに薬は定期的に服用しています。

A 回答 (5件)

パニック発作が起こる原因は皆同じです、その原因は『パニック発作を起さないようにしよう』と言う心構えや、心の在り方です。



パニック発作が起きない場合では、『パニック発作が起きても良いや』と言う開き直りの心があります。

どうしても『パニック発作を起さないようにする場合では』必ず起きます。その理由は『パニック発作を起さないようにする事によって、パニック発作が起きていて、更なる、起こらないようにする強い意志が、更なるパニック発作として固定されてしまうからです。』

パニック障害は神経症の一種ですので、神経症と言うものを深く学ぶ時、少しは『心のシステムが分かるかも知れません。』心のシステムが本当の意味で分かる時は、神経症の外にいます。

と言う事で、症状は違えども、神経症になると云う事が『様々な症状』となって現れてしまう『心のからくりや、システムを説明します、』終わりに、治る事、治らない事、そうして神経症に何故なってしまうのかを書いてみます。

始めに神経症とは何なのかの説明です。神経症とは『意識する事によって、無意識的や、無意識に出来ていた事が出来なくなってしまう事』です。

その発症する原因は、『個人の性格基盤』にあります。その性格基盤とは『意識性が強い事』です。言葉にするなら『神経質な性格や、不安になり易い性格』です。

普通の正常な生活が送られている場合では、『意識する自分』と『無意識でする自分』との二つの人格の、交替制によって営まれています。この事に気が付き難い場合、不安になり難い性格と言っています。

詳しい説明をするなら、『メンタル面が弱い』と言う説明が、分かり易いです。メンタル面が弱いという意味は、『自我意識のみがでしゃばってしまって(引っ込めなくなって)無意識の自分の出番を失っている状態』の事です。

逆の『メンタル面が強い』と言う説明でも、分かり易いです。オリンピック等や優勝が掛かった一打を打つような、プレッシャーが掛かった時(本当の意味では、プレッシャーなど掛からなくともですが)プレッシャーに強いという意味は『自我意識が出ないで、無意識の自分に交替する事が出来た場合、や或いは、無意識の状態のままでいられる場合の事です。』

意識性が強く出てしまって、無意識の状態に入れない場合を『メンタル面が弱い』といいます。この場合の意識した内容を『症状』といいます。人間には様々な個性が有り、様々な状況において『意識する場合がありますので』症状の原因は、意識する事によっていますが、その症状は『千差万別です。』

『意識する』と云う事も、意識性が強い人の場合と、意識性が弱い人の場合では『意識する』と言う意味には、はっきりとした違いが生じています。

意識性が強い人の場合では、意識した内容に『違和感を抱く場合があります。』この違和感が問題になります。その意味は『何処から押し寄せているのか分らない、得体の知れない不気味な、心的圧迫感』が伴うからです。この感覚を『忌み嫌う場合に』神経症としてに『症状にまで発展する場合があります。』

この違和感の正体が分かる時『神経症は完治します。』

この心に掛かる得体の知れない圧迫感(違和感)を、身体機能の一環として感じた場合を『自律神経失調症を始めとする、身体的な機能障害』と受取る場合があります。そうしてその違和感があってはならないと『心に決めた場合に。』そういった症状は確立して固定されてしまいます。是が自律神経失調症や難治性の身心症や、過敏性の腸症候群等に発展します。或いは交感神経や副交感神経の異常感になる場合もあります。

この心に掛かる得体の知れない圧迫感(違和感)を、行動する場合の異常と感じた場合に、神経症としての症状と感じてしまいます。そうして症状として日常の生活が脅かされるに到って、更なる、異常感の追い出しを図る事になります、ここに到って神経症としての症状が確立されて、固定されてしまいます。

この心に掛かる得体の知れない圧迫感(違和感)を、感情面や心理的な内容として感じた場合に『心を病む』と思ってしまいます。この事を原因として『精神科医や心療内科』の門を叩く事になります。

この違和感(漠然とした不安=違和感)の正体が分かる時、今書いた三つの障害としていたものに『完治』が訪れます。それが『悟り』です。

そのシステムや原理を書いてみます。人間の脳内には『意識する自分=自我意識』と言う機能としての脳の働きと、『意識してない時の自分の身体も心も支配している、無意識と言う自分』と言う機能を持つ脳の働きによって成り立っています。この二つの機能が上手く連携プレー出来なくなる現象によって、この三つの障害が引き起こされています。

心に感情が湧き上がるシステムとも関連しています。二つの意識は脳梁の神経細胞の中で(意識の根底で)情報交換しています。『無意識の自分=右脳の意識』は、言葉を持っていません。ですので情報交換する内容は『言葉以外の情報によっています。』

高い所に居る、と言う情報の場合では『恐いという情報と共にその高さの情報を事細かく詳細に、直感的に殺気や空気として送っています。』

狭い場合も、広いところの場合もです。鋭い刃物を見た場合もです。身の毛もよだつという体験の場合では「その、身の毛をよだたせている者」として働いている機能をしている脳です。

ここに参考までに脳卒中になったために、普段は順調に交替制が行なわれていた、脳科学者が、その障害によって、左脳一辺倒になったり右脳一辺倒になったりする動画を動画を載せて見ます。

この動画によって学ぶ事は、自我意識は、もう一つの意識との連携プレーで正常な毎日が送られている事です。

又人間の正常な毎日は、意識している時間は全体の20パーセント以下と言うアメリカでの研究成果が発表されています。

漠然とした不安は、『無意識の自分からの交替要請』です、もう一つの意識(右脳の意識=無意識の自分)は、その本来の機能は『命そのものを働かせる機能』で出来ています。言い換えるなら『生命の維持装置』としての機能です。

無意識の自分との連携プレーが出来ないという意味は、二つの意識が仲違いしているという意味になります。自我意識が交替しようとしない事に対して『無言の圧力を加えています。』是が『漠然とした不安や、違和感の正体です。

言葉を替えて言うなら『心の矛盾』の正体が、漠然とした不安感です。自我意識が『自分の命の働き』から加えられている無言の圧力を、『生き難い想い』として受け取っている事を意味します。

神経症の治し方です。神経症は『感情を湧かせている者の情報を、好きと嫌いと言う分別する心で受止めている事を意味します。』言い換えるなら、情報の受け取りを拒否している事を意味します。

パニック障害や、恐怖症の場合では、感情を湧かせる者と、その情報とを別個にか、或いは同時にか『忌み嫌っていて受取ろうとしていない事が原因で、更に同じ情報を『送る者は、受けとって貰えていない事が分るために、拡大して大きくして再送しています。』


従がってパニック障害が起こる場合の初期の情報は『小さな不安』です。この小さな不安と言う情報を素直に受取る場合では『只の小さな不安』のままですが、受取りを拒否した場合では、小さな不安を拡大した恐怖と言う形で再送されて来ます。恐怖にまで拡大された情報に接するために『パニック』になっています。

ですので、神経症の場合では、不安や症状に振回されていますが、本当の対処方法は『不安を受け取りはするが、その不安の相手をしない』と言う対処方法が一番賢いやり方です。

もっと言うなら、神経症の完治を望むなら、『症状の相手をしないやり方です。』是は言葉を替えて言うなら『湧き上がる感情に右往左往している事』が原因で神経症が発症しているという意味になります。

神経症が治る場合では『症状らしきものを相手にしない生き方や考え方』を意味します。』神経症が治った場合では『症状が有っても無くともどちらでも良い』と言う心境になれることを意味します。

症状を忌み嫌って自分の心から排除しようとする事が原因で発症して、この発症した症状によって生活が邪魔をされるために、更なる、心からの追い出しを図る事によって、今度は強固に固定される事を意味します。

始めの情報とは『小さな只の不安』でしか有りません。只の小さな不安と言う情報を、受取ろうとしない事が、人間の心が湧き上がる自然の摂理によって、拡大されて『意識上に上って』意識地獄に入ることになっています。

是は『異常ではない事柄までも』受取りたくないという判断によって、異常と言う症状にまで押し上げています。この勘違いによって普通の感覚を『症状にまで高めています。』

心からの追い出しを計る心が『症状を発症させて』更なる追い出しを図る心が、その症状らしものを、硬く固定させています。

従がって治る場合では、症状らしきものを『心の底から受け入れる事』が必須条件になります。そうして症状らしきものを改善しない場合です。

もし治らない場合では、『一生懸命になって症状の改善に励む場合です』症状の改善を望む場合のみに治らない事が保障されます。この保障は、症状を強く望む場合に、はっきりと治らない事になります。

神経症の場合では、症状が治らない事を受け入れる場合に『完治になっています』神経症の場合では、治す必要が無かった事が、判った時に完治になります。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

あるがままに受け入れることは、頭では分かるんですが日常行動に落ちないんです。
発作も不安も大したことではないと思いながらも、つい真面目に受け取ってしまうのです。

もう少し楽に生きていきます。

皆様アドバイスありがとうございます。

お礼日時:2012/08/31 08:25

そのお客さんに対してだけ異常な緊張があるからだと思います。


お客さんが気を遣ってくれる優しいところが逆にプレッシャーとなってパニックを起こすのだと思います。
下手なまねしないようにしないようにと考えるからじゃないでしょうか。
優しかったら甘えてしまってもいいんじゃないですか。
優しい人は何をされてもあまり苦にならないものですよ。
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再度、お邪魔します。

補足読ませて頂きました。

心療内科での診察ではそのお客様への恐怖の原因を掘り下げるような話は出来てないのでは?

少し話を聞いて薬を処方してという形だと思います。

質問文からですと薬の効果もイマイチのようですのでカウンセリングの方が有効ではないかと思い、先の回答となりました。

パニック障害にせよ、うつ病にせよ、根本的な原因は病前性格にあります。

同じ事をされてもストレスに感じる人、気にしない人がいるのはそのせいです。

自意識過剰、完璧主義、強い自己愛などが偏った思考をしてしまい、ストレスを感じてしまい神経症的疾患を引き起こします。

そのような物事の捉え方を少しずつでも変えていくと症状は軽くなり、或いは消えていきます。

その手助けをするのがカウンセリングです。

心理学を独学で勉強する事も可能ですけどカウンセラーの協力があった方が近道だと思います。

また、さし当たっての対処としてそのお客様に関わらないというのも決して逃避ではないと思いますよ。
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あくまでも素人判断ですので、ご参考までに。


私もパニック障害の経験者ですが、ご質問だけで判断すると診断結果に疑問を感じますね。。
心の病は変遷しやすいですし、パニック障害で症状が和らいだからといっても、今もパニック障害とは限らないのでは。。と。
私は一人の主治医のもとで、パニック障害→抑うつ神経症→うつ病と診断がかわっていきました。
パニック障害が分類される不安障害の中で、パニック障害と症状が類似する社交不安障害というのもありますし。。
一度主治医に、今の症状の特徴はこうですが。。と思い切って言われてみるのはどうでしょうか。
私のパニック障害の対処方法は、頓服を飲んでひたすら落ち着くのを待つ、大丈夫大丈夫そのうち治まるからと言い聞かせていました。
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経験者ですが発作とは闘わず、そのまま受け入れ、慌てず開き直る事で寛解しました。



あなたの場合は特定の人という事ですので果たしてパニック障害なのか?疑問です。特定恐怖の一種ではないでしょうか?

その人との間に何かトラウマになることがあったのか?または大事なお客様ということで極度の緊張によりその様な発作が出るのか?

その原因を突き止めないと難しいと思います。

カウンセリングの方が有効のような気がします。

この回答への補足

捕捉させて頂きます。
2年前は電車に対する恐怖等もあり、パニック障害だったとおもいます。
自然とそれらに対する恐怖はなくなり、そのお客さんの前だけ残っています。

そのお客さんはあまりにも優しい方で・・・
何かトラウマになるようなことはされておらず、むしろ下手なまねをしては失礼だと考えてしまっています。

医療内科にかかっていますが、それとは別のカウンセリングが必要なのでしょうか??

補足日時:2012/08/24 12:21
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