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伊達政宗、真田幸村、直江兼続、前田慶次郎、山本勘助・・・・過大評価の戦国武将(架空人物ふくむ)は、後世の人間が人物像を捏造したらしいですね?

織田信長が、今川義元を初対面の一撃で撃破。上洛軍で、近畿管領代の六角をたった1日で撃破。違いすぎるな。

秀吉が、本能寺の変から、たった8年で天下統一。秀吉は、農民出身で、唯一の天下人。

家康にいたっては、豊臣10万の大軍相手に、長久手で、森・池田の豊臣主力を壊滅。さらに、天下分け目の関が原をたったの半日で勝利。

違いすぎる。

A 回答 (13件中1~10件)

山本勘助は実在の人物ですが、詳しくはわかっていません。

別のところに書きました(↓)ので、

  http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7686413.html

をご覧ください。
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ANo11への追記・訂正です。

真田幸村の子供(男子)で生き残ったのは次男の守信だけだと書きましたが、三男、四男(いずれも側室の子)も生き残ったようです。しかし、真田姓を受け継いだのは守信だけだったようです。くわしくは、ANo11で引用したウィキペディアをごらんください。
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>幸村の娘が嫁いだのは、仙台の片目の武将の参謀の片倉氏だったと思います。

現在、子孫はいるのでしょうか?いたら、莫大な土地(知行)をもった大地主(戦後の農地改革)で没落か?で蔵を持ち、以外に、幸村の資料のお宝が眠っているかもしれません。

真田信繁(幸村)のウィキペディア

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0% …

をごらんください。幸村にはごらんのようにたくさんの娘がいてそれぞれいろいろの家に嫁いでいますが、仙台藩に行ったのは、片倉重長に嫁いだ阿梅と片倉氏にかくまわれた幸村次男の守信(正妻大谷氏の娘との子供)の二人です(長男は大阪夏の陣で死んでいますから、男子はこの次男だけが生き残った)。重長と阿梅との間には子はなく、そこで真田の血は切れることになりますが、次男守信は仙台真田家の初代当主になったと伝えられており、この家系は現在まで続いているはずです。上のウィキペディアの片倉守信のところをクリックしてみてください⇒真田守信にリンクします。

ベストアンサー率が高いとお褒め?をいただきましたが、これまで「歴史」の分野ではほんの2,3しか投稿したことがありませんし、「歴史」でベストアンサーをもらったことはありません。ベストアンサーはすべて「英語」「数学」「経済学」の分野でもらったものです。歴史の分野での回答はたとえばこれ(↓)

 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7510936.html

ベストアンサーをもらうどころか、質問者を怒らせています。

歴史は大好きで、司馬遼太郎の歴史小説はほとんど読んでいると思いますが、とくに真田が登場する「関ヶ原」「城塞」は大好きな作品です。同じころ読んだ池波正太郎「真田太平記」もたいへん面白く、まだ読んでおられなかったお勧めの作品ですが、大部分がフィクションでしょう。(真田太平記はNHKのドラマにもなっていて、DVDをビデオショップで借りてきて見ましたが、よくできています。NHKの大河ドラマで面白かったのは、この「真田太平記」と「伊達正宗」で、この2つが出色です。)

この質問は歴史上の人物の「過大評価」と「捏造」が主題のようですから、真田幸村についてはこのぐらいにしておきます。
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statecollegeさんは、さすが歴史に詳しく、ベストアンサー率が高く知識がありますね。

私は新参もので、ベストアンサーまだ1件ですので、この投稿者がベストアンサーを出すまで、statecollegeさんと議論しようと思ってます。幸村の娘が嫁いだのは、仙台の片目の武将の参謀の片倉氏だったと思います。現在、子孫はいるのでしょうか?いたら、莫大な土地(知行)をもった大地主(戦後の農地改革)で没落か?で蔵を持ち、以外に、幸村の資料のお宝が眠っているかもしれません。また、私はお恥ずかしながら、「竜馬がゆく」は8巻家にそろえてますが、まだ時間がなく読んでいません。ですから、内容をとやかく言える立場ではないのですが、歴史小説というものは、作者の主観8割、古文書等の時代考証2割という説を聞いたことがあります。(本当かはわかりません)。ところで、私が小中学校のころ教科書で江戸時代の田沼意次や水野忠成は商業を発展させる改革をしたが、賄賂をもらった悪人であると習い、悪いやつだ!と認識しましたが、現在の政治家も努力はしているものの、昔からなんの変わりはないと大人になって知りました。井伊直弼は安政の大獄で、吉田松陰らを殺し、悪いやつだ!と教わりましたが、それなりの理念を持いたための粛清とも考えられます。歴史は光と陰があると考えます。そこら辺を教科書を検定する文部科学省や、教諭は認識していないか、あるいは教え方を間違っているのではと思いますが、いかがですか?議論してベストアンサーを競いましょう
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・真田幸村が存在したことはだれも否定する人はいないでしょう!(ただし、本名は信繁で、幸村という人がいたかどうかはまだ明らかではないでしょう!)ウィキペディアによれば、幸村の子孫も仙台藩にいるらしい。


・坂本竜馬の名前が出てきましたが、この人こそ過大評価の人物だったような気がします。司馬遼太郎が「竜馬が行く」を書くまでは、ほとんど無名のひとだった。この人はもちろん実在の人物で、師匠の勝海舟の日記には登場しますが、明治のころは誰も知らなくて、明治天皇の皇后の夢にあらわれたというので、はじめて一部のひとに知られるようになった存在です。
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真田幸村の幼名が「源次郎」で兄のはずの信幸の幼名が「源三郎」で、幸村はもしかしたら信幸のお兄さんか?という説もあるようです。

大阪夏の陣に、たしかに幸村が存在したという古文書は島津家の「後編薩藩旧記雑録」というのが、有力な証拠らしい。まあ、私はとても古文書は読めないから、想像するしかないですが、祖父の幸隆、父の昌幸ともに智謀に長けた人ですからお宝で「真田家秘伝兵法書」なるものが存在するかもしれない。少なくとも幸村は高野山に幽閉されても、出家せず、武士としての散り際にこだわったのだから、根っからの武士だったのでしょう。しかし私の想像ですが、戦上手の主戦派としてのみ伝わるが、高野山で、真言密教を極めて、大阪夏の陣以後の日本の未来像を坂本竜馬のように考えていたかも知れません。小説にする?
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真田幸村(信繁)の大阪冬の陣、夏の陣の働きは過大評価ではなく、本物でしょう。

記録があるでしょう!ただ、大阪の陣で突然現れるまでは、ほとんど無名で、前半生はほとんど知られていないのは事実です。しかし、逆に、歴史上の人物で、生涯がよくわかっている人ってどのくらいいるのでしょうね!
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真田幸村は確かに捏造ですね。


真田信繁がいつのまにか後世の人により、真田幸村になってしまいました。

信繁が幸村の名を使用した文献は未だ見つかってません。
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真田十勇士は信じますか?後世の人が考えたと思いますか?武田信玄と上杉謙信の一騎打ちは?大将たるもの前線にはまず行かないと思うけどね。

でも、本当にあったと考える方が、歴史にロマンがあっていいんじゃないかなとするのが私の考え。細かいことが疑問なら、司馬遼太郎のように1000万円かけて神保町の古本屋で古文書を調べる(真筆かの鑑定ができる)くらいじゃないと、本当かはわからない。古文書を読んで歴史小説家になることをお薦めします。
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あの 織田信長と今川義元は桶狭間が初対面じゃないです 笑


もしかして知らなかった?笑

六角滅ぼすのに1日もかかった信長 弱すぎ 笑

秀吉はたった8年で天下統一 時間かかりすぎ 笑

小牧長久手の豊臣軍は10万じゃありません 笑
しかも 森 池田は主力ではない 副将です

どんだけ捏造ネタ好きだよ 笑

補足の回答反論にもなってないし まぁ そうだよね
あなたの言うことは間違いだから反論のしようなんかないんだし 笑
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