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ベトナム人の方又はベトナムに詳しい方にお尋ねしたいのですが。

確かに米国はベトナム戦争でベトナムに対して宣戦布告はしなかったのですが、実質は米国と北ベトナムとの戦争であったことは明らかですし、米国は多くのベトナム人を殺し、都市を破壊し、枯葉剤で多くの奇形児を生ませました。謂わば、残虐の限りを尽くしました。

この行為に対して、ベトナムは和平協定締結時に補償を請求しなかったし現在も請求していないと聞きました。なぜ、請求しないのでしょうか。的外れのお叱りを覚悟で、請求しない理由をいくつか考えてみました。

(a)ベトナム人は、謙虚、謙遜な国民性なので、賠償請求などということをそもそも考えないから。
(b)1973年の和平協定で損害賠償を放棄したから。
(c)ベトナムにも悪い点があったためにベトナム戦争になった(つまり、ベトナム戦争はベトナム人にも責任があった)ので、反省しているから。
(d)米軍がベトナム内に残したインフラが相当の価値を有しており、それだけで賠償額に充分匹敵するから。
(e)つらかったベトナム戦争のことをもう思い出したくないから。
(f)米国人はいい人だし、米国文化は面白いし、今さら賠償請求する気にならないから。
(g)米国経済に既にどっぷりと浸かっているので、賠償請求して米国の機嫌を損ねると大変な経済的痛手を被るから。
(h)政府高官が米国から賄賂を貰っており、国民の「米国に賠償請求せよ」の声を圧殺しているから。
(i)請求していないという報道は誤りであり、実際には何度も強く請求しているが米国が突っぱねて払わないだけである。

上記の理由は、多分どれも正しくないと思います。

(1)
理由がたくさんある場合はそれを全部教えていただけませんか。

(2)
その中でいちばん大きな理由はこれだというのを示していただけませんか。

A 回答 (9件)

五番からです、一番のベトナ認識は間違いだらけかと。


北と南が戦してたとか―南が弱すぎて米が介入したとか、間違いですよ。
仏軍から米軍介入の流れはどうなのかな?
南ベトナムは米公の傀儡政権の件は?
ベトコン*南ベトナム解放戦線の件は?
これらを簡略に回答してない、一番は回答で無くて質問者の立場ではないのかな?
それとベトナムが如何して米国に賠償求め無いのかなはー―質問者
米軍が南ベトナムから引き揚げる時の映像でブザマな映像が残ってるから米が敗戦の様に映って世間に広まってますが本当に敗戦何ですか、戦闘休戦.引き分けで撤退と思ってましたが、だから賠償も無いし極東軍事裁判らしき戦犯裁判も無いと認識してましたが、
もし、完全勝利だったら南朝鮮派遣軍とか、米軍将校も軍事裁判で二桁.三桁単位で処刑されてたと思いますよ、
枯葉剤散布゛から村々の焼き討ちからラオス等越境攻撃、朝鮮軍の虐殺.強姦.ライタイハン迄、勝ってたら皆裁かれてたと思います、米軍はロシア.シナに考慮しなかったら敗戦は有り得無いと思います、互いに
有る時点での妥協の産物と思いますが?
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この回答へのお礼

たくさんの御回答を頂き有り難うございます。

ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

日本がこれから自力で繁栄を続けるためには、腹をくくる必要があると思いました。
勉強になりました。

お礼日時:2012/09/23 12:32

 最近、ベトナムがらみの質問を見かけるようになりましたが、話題になるようなことがあったのでしょうか。

不思議に思っておりますが、ベトナム戦争は現代史の重要な事件でしたから、忘れさられるよりずっと良いことですね。
 ことにベトナム戦争にいたる経緯はいまなお教えられることが多いと思います。

 ベトナムがフランスからの独立を求めて戦った第一次インドシナ戦争においても、アメリカはフランスを支援していましたが、あまり本腰を入れていませんでした。アメリカは「植民地」というもの自体を否定的に見ていたことと、太平洋戦争中はベトナム独立同盟(ベトミン)と協力関係にあったことがその背景にはあるのでしょう。
 フランスに代わってベトナムに本格介入することが検討されたのはアイゼンハワー政権の時代でした。しかし分析してみたところ、ベトミンは共産主義者に率いられているもののその本質は民族主義であり、かつ第二次大戦のような体制をしかなければ勝てないことがわかって、深入りしないのが長期的には得策と判断しました。

 ところが、その後アメリカで吹き荒れた赤狩りによってオーウェン・ラティモアをはじめとするアジア問題の専門家が国務省から追放され、ケネディ政権誕生時にはアジアを理解するスタッフが極端に少なくなってしまったのだそうです。おかげで、ケネディ政権は現実のベトナムを見つめることもないまま、ただ冷戦のイデオロギーにとらわれてベトナムへの本格的な介入を進めてしまったのです。
 こういう道の誤り方は人ごとには思えません。――という話はご質問とは関係ありませんでしたね。

 ご質問の点についてはすでに他の方も回答しておられますが、アメリカは公式にベトナムと戦争をしていたわけではありません。1964年のトンキン湾事件を受けた議会決議は大統領の軍事行動を支持するものであって、公式に戦争の開始を告げたものではありません。この中途半端な姿勢はベトナムをなめていた証しでもありますが、アメリカが勝てなかった原因のひとつでしょう。
 基本的にベトナムにおいては、アメリカの傀儡国家であるベトナム共和国(南ベトナム)と、ベトナム民主共和国(北ベトナム)と一体となった南ベトナム解放戦線が戦っている、というのが公式見解です。北ベトナムに対する北爆があったり、インドシナ半島全域に戦場が拡大していたのですから、しょせんタテマエでしかないのですが。

 ただ、こういう経緯を辿っているために、1973年のパリ和平協定においてもアメリカは敗北を認めたわけではなく、ただインドシナ半島での軍事介入をやめたにすぎません。北ベトナムにしても喫緊の目標はアメリカの撤退だったのですから、これが達成できるなら賠償云々にこだわる気はなかったのです。こだわって撤退が遅れるほうが損だし、どのみち賠償金は実現しないと判断しました。
 実際、アメリカ撤退後の南ベトナムはあっという間に崩壊したのですから、彼らの判断は現実的だったと言えるでしょう。

 1995年のアメリカとの国交回復にあたっては、行きづまるベトナム経済の建て直しのためにアメリカとの関係(特に経済)を構築することが急務と判断したので、やはり賠償にはこだわりませんでした。すでにソビエト連邦が崩壊し、隣国の中国とは微妙な(敵対的な)関係にありましたから、結構切実だったのです。ベトナム戦争時に指導的な地位に就いていた人たちが引退したという事情も、こだわらない理由になったのかもしれません。
 その後もアメリカに対して賠償を求めていないのは、求めたところでアメリカが応じるはずもないとわかっていることと、彼我の力関係には圧倒的な差があること、すでにベトナム経済はアメリカを抜きにして成り立たなくなっていること、大国中国が隣にいること、などを勘案してのものと思われます。

 あとは、アメリカ撤退以後も中国と戦火を交えたり、カンボジアに侵攻したりで記憶が上書きされているから、という理由もあるのではないでしょうか。国をまとめる物語が「抗米」だけではないということでしょう。
 ベトナムの事情については、現在の日本がアメリカを敵視していないことも参考になると思います。だいぶ事情がちがいますので同列にはおけませんが。

 長々書いてしまいましたが、一番大きい理由はいまのベトナムにとってアメリカとの関係が有用だと、ベトナム人が判断していることだと思います。けっしてベトナム戦争当時のアメリカをありがたがっているからではないでしょう。個人的に感謝する人はいると思いますが、賠償問題は別です。
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この回答へのお礼

たくさんの御回答を頂き有り難うございます。

ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

日本がこれから自力で繁栄を続けるためには、腹をくくる必要があると思いました。
勉強になりました。

お礼日時:2012/09/23 12:33

戦争倍賞というのは、負けた国から買った国が


とるものです。

昔は、勝った方が、負けた方の領土や財産を強奪しましたが、
現在ではそれの名前が戦争倍賞と呼ぶようになっただけです。

米国は負けた、と言われていますが、正確にには
勝てなかった、というだけです。
だから倍賞は請求できません。
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この回答へのお礼

たくさんの御回答を頂き有り難うございます。

ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

日本がこれから自力で繁栄を続けるためには、腹をくくる必要があると思いました。
勉強になりました。

お礼日時:2012/09/23 12:32

質問者さんの認識は根本的に間違っています。

元々北ベトナムと南ベトナムは、歴史・民族・言語・宗教・文化が違います。現代日本人にベトナム人と認識されているのは、キン族(ベト族)で、北ベトナムの主要民族です。キン族は中国南部が起源といわれ、言語はベトナム語、宗教は大乗仏教(中国経由で漢字で伝わった)で漢字文化圏です。歴史的に中国との関係が大変深いのです。

日清戦争のちょうど10年前の1884年~1885年に清仏戦争が起こります。阮朝に進出を図るフランスと阮朝の宗主国である清の対立が戦争に至ったものです。清にすれば朝貢国である阮朝に手を出すなという感情がフランスに対して存在したわけです。戦争の動機も結果も、まるで日清戦争に似ている。その阮朝が北ベトナムの王朝だったわけです。清仏戦争で清が敗れたことで阮朝は1887年にフランスに保護国化され独立を失います。

これに対して南ベトナムには、192年 - 1832年チャンパ王国が存在しました。チャンパ王国の主要民族はチャム族で、マレー系・インドネシア系と系統が近い民族で、言語はチャム語で宗教は、イスラム教が主でヒンズー教、仏教もある。南ベトナムは文化的にインドと近く、漢字文化圏ではありません。

近代に至るまでの北ベトナムと南ベトナムの歴史の詳述は煩雑すぎるので避けますが、北と南はそれぞれ別な歴史だったのです。ところが1832年にチャンパ王国は阮朝に滅ぼされてしまう。こうして南ベトナムの領域が阮朝に植民地化される。ところが、そのわずか30年後に南ベトナムはフランスに軍事侵攻されフランスに奪われ仏領コーチシナとされてしまいます。フランスによる南ベトナム植民地化には清は介入しなかった。なぜなら元々チャンパ王国は清の朝貢国ではなかったからです。こうして清仏戦争の時点では南ベトナムは既にフランスの植民地になっていた。しかし清仏戦争では南ベトナムは戦場になっていません。清仏戦争で戦場になったのは北ベトナムだけなのです。

以上のように元々北ベトナムと南ベトナムは、歴史・民族・言語・宗教・文化が違います。

ここで北ベトナムのキン族に話を戻します。現在、キン族はベトナムの他に、アメリカ、カンボジア、フランス、台湾、オーストラリア、カナダ、ラオス、マレーシア、ドイツ、イギリス、チェコ、ポーランド、日本、ロシア、中国、フィリピン、タイ、ノルウェー、オランダ、フィンランドに居住しています。

最も多くの難民を受け入れたのは例によってアメリカなのですが、まるでベトナム以外ならどこでも良いといった勢いで多くの国にベトナム戦争後、移住していったのです。この事実だけでもベトナム戦争をベトナムvsアメリカという構図で捉える認識が全く間違いであることが分かります。

ベトナム戦争の本質は、ソ連・中華人民共和国の支援を受けたベトナム共産党が起こした赤化統一戦争に南ベトナム支援を名目にアメリカが介入したといったことなのです。朝鮮戦争と同じです。結果が朝鮮戦争と違ったのは、反共を旗印にかかげた南ベトナム政府が弱体だったからです。朝鮮戦争と同じとはいったが、ベトナム戦争を北ベトナムによる南ベトナム侵略と見るのも単純すぎる見方です。貴族(地主)vs小作人の内戦にアメリカが貴族(地主)の味方をして介入したとみることも可能です。この構図は中国の国共内戦と同じです。国民党が地主の利益を代表し、中国共産党が小作人の利益を代表した。

南ベトナムの歴史はどんなものだったか。それはあまり明らかにもなっていない。私が理解するところは、無学文盲のキン族の小作人をチャム族貴族→キン族貴族→フランス人の地主が支配した歴史であるというものです。それが仏領コーチシナ→仏領インドシナ時代にフランス人宣教師がローマ・カトリックを布教することでアルファベットによるベトナム語表記が普及します。いわばベトナム式ローマ字とでもいうのでしょうか。これで無学文盲の小作人にも文字が普及します。これが現代ベトナムの公式文字であるクオック・グーなのです。

文字の歴史で見れば北ベトナムの貴族=漢字、南ベトナムの貴族=チャム文字、南北ベトナムの小作人=無学文盲の時代が、仏領インドシナ時代に漢字vsクオック・グーの2本立てとなり、ベトナム共産党が南北ベトナムを統一したことで、漢字が廃止されクオック・グーに一本化されたといった歴史です。漢字とクオック・グーの関係は、韓国の漢字とハングルの関係にそっくりです。

さて、確認されてください。質問者さんのいうベトナム人とは誰のことなんですか?どの階級のことなんですか?どの民族のことなんですか?

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ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

日本がこれから自力で繁栄を続けるためには、腹をくくる必要があると思いました。
勉強になりました。

お礼日時:2012/09/23 12:32

質問者に逆質問します、ソモソモは仏国の植民地から大東亜戦で日本軍が一時仏軍を追っ払って解放して*日本が善政を引いてたからと古代から貿易で国交が有りタイのような日本人街が有ったからの関係かと思うが親日的*から敗戦で日本軍が撤退したら間髪入れず未来を予測出来ない破廉恥仏軍が米公の援護で逆上陸して、仏に留学してたホーチミン他が独立戦争を起こしたのが始まりです、独立軍は武器.弾薬が圧倒的に不足してるので主戦はゲリラ戦です。


このような破廉恥国は日本が一時解放して善政を引いてた国は何処も似たりヨッタリ、イギリスでもオランダでもベイでも。
だから仏軍と独立軍の戦争で仏がべの峠か山の支配権の作戦*...ビエンフーだったかな*で仏が大敗して撤退即米公が共産主義南下阻止を大義名分にドロ沼戦争に入っていった、外貨稼ぎの為米側で参戦した南朝鮮軍が一番残虐でライタイハンも残して問題になってるし。
だから仏植民地時代から質問して繰れないと、歴史の流れって有るんですから、ポット、北ベトナム×米じゃ無いと思いますよ、米傀儡政権の南ベトナムでのベトコン×米軍から北爆への流れです。
だから東南アジアの戦後の独立には日本軍が敗戦撤退で即欧米列強がスケベ根性出さないで独立を承認さえしてればホトンド血を流さなくて済んでた、北アフリカも同じです。
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ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

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お礼日時:2012/09/23 12:31

bです。

パリ和平協定で賠償金が出されなかったからです。
なぜ出されなかったかというと、アメリカを追い出すことが最優先であって、賠償金問題まで持ち出せるほどの余裕がなかったからです。

CやDなどは全くありません。
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ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

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お礼日時:2012/09/23 12:31

3.謎です。



だから答えは出ません。
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ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

日本がこれから自力で繁栄を続けるためには、腹をくくる必要があると思いました。
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お礼日時:2012/09/23 12:31
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ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

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お礼日時:2012/09/23 12:30

Cですけど…


そもそもベトナム戦争は北ベトナムと南ベトナムのベトナム同士の戦い
それを南がアメリカに泣きついて仕方なく参戦
つまりは小牧長久手合戦の徳川家康みたいなものです

アメリカは賠償を申し出ています
しかしベトナム政府はアメリカと経済協定を結ぶことで賠償を放棄しました

目先の数億円より 長期の経済支援を選んだ賢い国といえます
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日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

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お礼日時:2012/09/23 12:30

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