先日75歳の女性の方に伺った話ですが、
彼女の祖母は13歳で結婚したのだそうです。
彼女は「明治だから」といっていましたが、
いくらなんでも早すぎると思い、帰ってインターネットで調べたところ、
明治の民法上結婚できる年齢は15歳でした。
「田舎だから」とも言っていましたが、
田舎では13歳で結婚するのは普通だったのでしょうか?
江戸時代の時代劇で見かける「奉公」みたいなものかなぁと想像してみてますが、
明治でもそういうのあったりしますか?
また、明治時代では読み書きできないのが普通なのですか?
明治でも義務教育はあったようですが、それでも学校に行かないものだったでしょうか?
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
>誕生日
江戸時代までは庶民は自分の誕生日を特には意識する習慣がありません。従って現代人が言う所の正確な「年齢」と、本人が口にする「自分の年齢」には最大で±3年ほどの誤差があるのが普通でした。人によっては10歳近くズレがあったのですが、当時は特にそれでも問題ありませんでした。だって風営法も18禁も無い時代ですから(笑)。
結婚は?と思うかもしれませんが。明治どころか、日本では昭和の前半(戦前、1945年以前)までなら、通常は結婚は当人達の合意では無く。両家の親同士、それも家長である男性(父親ないし、それに準ずる立場の年長男子)の考えのみで決定されるのが普通だったので。やはり当人の正確な年齢とかどうでも良かったのです。
確か明治30年頃に富国強兵(=徴兵制)と言う事で、特に平民男子の正確な肉体的年齢を国家として管理する必要が初めて出て来たので。慌てて日本でも全国的に「子供が生まれたら正確な誕生日を役所に届けるべし」とのお達しが出され、それ以降から日本人に「誕生日」という考え方が一般的になったのです。
昔から日本人がむしろ記録に残して拘ったのは、生まれた日ではなくて、むしろ「死んだ日」です。お墓とかにも誕生日では無く、何年何月に死んだと書く習慣が昔からありました。昔は乳幼児死亡率が以上に高かったので、いちいち子供の誕生日を記録しても無駄になる事が多かったからかもしれません?一応、身分の高い貴族や皇室の方々、大名クラスの武家だと誕生日を記録に残し現代風に祝う習慣がある地域もあった様です。
また非常に重要な事ですが。江戸時代までは仮に本人が正確な誕生日を記憶していたとしても、今の現代人が言う年齢とは違います。何故なら昔の日本では「歳が増えるのは誕生日の時では無く、生まれて何回目の正月かで計算した」からです。さらにややこしい事に、昔は“生まれた瞬間が1歳”と計算するのが通例なので。冬場、例えば12月31日に生まれた赤ん坊は、翌日の元旦には2歳になる計算でした。
…と言う訳なので、そのご婦人の御祖母様が13歳と言うのなら、それ以上の意味はありません。まあ明治20年代以前に生まれたのなら十中八九、実際の年齢よりは1つ~2つは若い可能性があります(つまり小学6年生で嫁に行った!?)。
>読み書き
江戸時代は「読み書きソロバン」と言うくらいに子弟教育に熱心だったのですが。明治時代になって重工業化は進んだのですが、それまではその地域自治体に当たる藩主大名たちが行っていた子弟教育システムが維新によって崩壊してしまったので。東京などの一部を除けば、逆に教育はほぼ壊滅状態でした。
また個人家庭で勉強させていた場合でも、それまでの学問の筆頭であった朱子学などの儒教の教典を暗記する勉強が。明治になって一転、時代遅れのアジア学問という扱いになったため。富裕層でも子弟教育のあり方に混乱が生じていました。
で、教育に関するお触れは割と早い時期に出されるのですが。それは国民皆教育ではなく、あくまでも国家エリートを養成するための教育令だったので。長らく「義務教育」に関して放って置かれました。その後、やはり前述の徴兵制に関連して、戦場で使い捨てる兵卒候補としての幼年学校が必要と考えられ。え~っと確か明治22年?に「小学校令」というのが発布されます。ここから日本に於ける近代義務教育が始まる訳です。
一応、発足当時から男女共学だったのですが。特に農村部では女子に教育は必要無いという考え方が支配的だったので、例文の御祖母様の様に学校に通わせて貰えなかった女子児童も当時は多く居ました。またいわゆる戦後になるまでは、日本の近代女子教育には高等教育が無かったため(大学とかは男子校だった)。将来性が無い女子教育に金を掛けるのは無駄という考え方も一般的でした(そんな暇があったら針仕事の一つでも覚えさせろ!~的な)。
後、これも非常に重要な点ですが。明治33年(1900年)までは日本では、義務教育と言いつつ“有料サービス”だったので、授業料を払えないorケチな親だった場合は当然ながら男女を問わず学校には通わせて貰えませんでした。当時は毎月25銭~50銭を徴収すべしと法令にありました。昔の貨幣価値を現代に換算するのは非常に難しいですが。大体、月々5000円~1万円程度って感覚でしょうか?
逆に1900年以降は小学校が全国無料になったので、当時の資料でも就学率が90%に達した喜ばしい~と書かれています。
あともう1つ、これまた現代人には理解し難い点がありまして。当時の義務教育制度では修学年齢というモノが決めてなかった!つまり今みたいに満6歳になったら小学校へ~的な制度では無くて。あくまでもそれぞれの御家庭の事情に合わせて、好きな年齢の時に入学すれば良かったのです(一応、6歳~14歳の範囲で)。
なのでピカピカの1年生でも、同じクラスの同級生には6歳の子もいれば、妙にガタイの良い10歳の子も居るのが普通でした。後、今と違って義務教育中でも“落第”がありましたので。もう今年で3回目の1年生だよ!~みたいな落ちこぼれも居ました。
で、落第があると言う事はその逆、つまり“飛び級”もある訳でして。優秀な生徒は小学校を最短で4年で卒業する事が可能で(つまり10歳で中学へ進学可能)。逆に落第ばかりの劣等生だと、単位を取れなくても14歳になった時点で強制的に義務教育は終了させられました。
P.S.
いわゆる「ゆとり教育」という言葉が囁かれて久しいですが。明治時代にも言葉こそ無けれど、同じ様に教育の中身に関しては現代以上に行ったり来たりの試行錯誤だった様で。日露戦争当時には「最近の兵士はちゃんとした教育を内地で受けていないのか!?簡単な足し算引き算さえ出来ない馬鹿が多くて困っている!」と言う様な主旨の報告書が、現場の指揮官から送られています(笑)。
とても興味深いご回答をいただけて、大変嬉しいです。
ありがとうございました!
明治時代について、自分はなにも知らなさすぎると痛感しました。
No.4
- 回答日時:
日本の近化は明治時代から始まりましたが、近代化と言っても一夜にして日本中が一瞬にして近代化した訳では無いのですよ。
大都市から徐々に徐々に地方へ広まっていた訳で、明治時代と言っても都市部と地方、初期と後期で全然違いますよ。
地方なんか明治の中期か下手すると後期まで「江戸時代」を引きずっています。
明治になった日本は西欧からどんどん文化や制度を採り入れましたが、そんなものを理解していたのはほんの一握りの知識階級だけです。
例えば、大日本帝国憲法が発布された時、一般庶民のほとんどは理解していませんでした。
中には発布(はっぷ)をお祭りの時に着るはっぴと勘違いして、「天皇陛下がみんなに「はっぴ」をくれるそうだ」と、思っていた庶民も多かったそうですよ。
ですから、民法だの義務教育だの言ったところで、明治時代はその意味を理解していない人が多いのです。
特に、あの時代、地方なんかには学校も先生も存在しません。
中央でいくら近代的な制度を勝手に決めても、明治時代の日本全体は、まだそれについて行っていないのです。
そして何と言っても、経済状況。
農村では小学校の高学年ぐらいともなると、立派な「労働力」でした。
労働力なんだから労働してもらわないと困るのです、そうしないと生活できないのです。
周りが皆そんな状況でしたから、誰も無理して子供に学校に行けなんて言いません。
学校なんて行ける子だけが行ける時に行く、そんな状況が昭和初期頃まで続きました。
昔の日本は、教育というのは「贅沢品」だったんですよ。
結婚にしたって、江戸時代なんか女性の結婚年齢は14-16歳ですよ。
まだ江戸時代を引きずっていた明治時代では13歳での結婚は特に早すぎるという程では無かったようです。
また、当時施行された徴兵制から逃れるために、8歳の女の子と結婚したなんて逸話も残っていますからね。
当時、一家の主たる男性は徴兵の対象外だった為、徴兵から逃げるために子供でもいいから結婚したんですよ。
詳しく教えていただいてありがとうございました!
とても参考になりました。
近代化の制度ができていても、
世の中が追いついてきていなかったのですね。
つくづく、自分は恵まれた世代であると感じてしまいました。
No.1
- 回答日時:
田舎だと一般的だったかはわかりませんが、その方のおばあさんがいつ嫁いだかが問題かと。
旧民法は1898年(明治31)施行。それ以前に嫁いだのであれば、不思議はありません。
遅くとも1886年生まれ。生きていれば126歳。お孫さんとの年齢差は51歳。自然な年齢差です(計算違いをしていたらすみません)。
民法施行後も、13歳で事実上嫁いで、15歳になってから届け出した可能性もあります。
まあ、その方が除籍謄本で確認すればある程度判明すると思いますが。
明治20年前後生まれの人で読み書きができなかった人は知っています。農作業で学校に行けなかったとか。
ご回答ありがとうございます!
13歳で結婚することも読み書きができないことも
ありえることなのだと知れてよかったです。
ちなみに、その75歳の方も読み書きができないとのことで、
「日本は世界でも識字率が良い」と思っていたので、
びっくりしました。
小学5年生までしか学校に行けなかったそうです。(父親が亡くなったため)
今の感覚だと小5まで行けば読み書きくらいはできそうなものですが、
昭和初期ってその程度の教育なのでしょうかね?
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