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エンディングノートなるものが、最近流行っているようですが、皆さんは書きたいと思いますか。

私は、まず「エンディングノート」というネーミング自体が好きではありません。何かほかのネーミングに変えてもらいたいと思います。

それはともかく、いまはまだ書きたいとは思いません。書くことの意義は認めますが、どうも書くのに抵抗があります。

まだ、死を恐れているからでしょうね。

皆さんはどうですか。

A 回答 (9件)

53歳。



いつお迎えが来ても、悔いがない毎日です。

死後、できるだけ家族に迷惑をかけないように、エンディングノートを書いて、家族に見せています。

徐々に身辺整理も。


★病気になった時は、延命措置は望みません。

痛みをやわらげてください。

脳死状態での臓器提供を望みます。


★自身に介護が必要になった時は、すみやかに施設の手配をお願いします。

★財産・貴重品は、すべて妻に。

★葬儀は不要です。
すみやかに焼いて、墓に納めてください。

「お知らせ」のハガキは、書いておきます。


エンディングノートというネーミングも、わかりやすくて抵抗ありません。
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エンディングノートが何かわからなかったのでWikipediaを見てみました。



私は悪くないと思います。
遺書とも言えなくはないですが、臓器提供意思表示カードをもっと範囲を広げたものですね。
家族に言いたかった事、伝えていかなければ行けない事、何でもいいと思いますが、あまり気負わなくても良いと思います。


・書きたいと思うか。

私も書きたいとは思いません。
臓器提供意思表示カードも持っていません。
自分のそれだけ大切な人、自分をそれだけ大切に思ってくれる人、そう信じられる人ができれば、書きたいと思うようになるかもしれません。
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私は興味はありませんが、質問者様が書きたくないのは、


死を恐れているからではなく、死を意識していないからだと思います。
人は必ずいつか死ぬが、まさか自分が死ぬなんて本気で思えていません。
つまり、そのいつかはずっと先であって、現自分とは無関係の事象だ思っているはずです。
誰だって今日死ぬかもしれないことくらいは分かっていても、まさかそんなことが
自分に起こるなんて事をびくびくと思う人はいません(一般的な話)。
しかしもし、あと数カ月で死ぬとわかる状況が来たとき、
人はそう言ったものを書き残そうとうする人が増えるのでしょうね。
そうじゃない人の場合も同じ。死を人一倍意識することで、書く気になると思います。

ネーミング、変ですね。
ランディングノートとかは?
もともと死んでて生まれるので、死はあの世への旅立ちではなく、
目的地、帰着地です。
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 遺言書・・・・よりはいいとは思うけど^^;



 残された人たちへのメッセージとか?長いな。

 書きたいというか、本屋でよく見かけるようになったなあと思いますが。

 日頃からの言動で最後にはどうするべきかは周知するのは必要だなって思います。

 人間致死率100%ですからね。しかも何が起こるかわからないし。

 ネーミングはともかく、

 いざって時に意識がないと困るので、臓器移植への同意とか、密葬でなどの指示は有った方が他人への配慮にはなるでしょうね。

 子供にも言ってあります。
 「もしものときには全部人にあげるからね~」と。
 死んでも誰かの役に立てるならそれほど素晴らしいことはない。死んで役に立てるなら喜んで・・・と答えてくれました。

 死・・・・は必ず訪れるものです。
 恐れても仕方ない。
 考えても無駄っていうか~無意味。

 それよりも、今日の朝「起きられた」事に感謝ですね。
 「お~生きてたか!頑張って一日を有意義に過ごそう!」と思うことでしょうか。
 だから歳を重ねると朝が早いそうな・・・・おちおち寝ていられないらしい。「起きられなかったらどうしよう」みたいに考えるんだって。というよりも残りの人生において一日を長く使おうとしているようで、なんだか笑えませんか?笑えないか・・スミマセン

 震災直後は何を食べても、風呂に入ることすら感謝していた時期がありました。
 今はもう忘れているというか慣れたというか・・・・。人間は恐ろしいですね。

 でも、忘れないようにしたいと思います。

 必ず「塩おむすび」の日になるでしょうね。思い出の塩おむすび。

 ああそうそう。
 最後の晩餐ってあるじゃないですか。
 死ぬって分かっていたら最後の夜に何を食べたいか・・・・。

 死に方は選べないけれど、取りあえずはそこまで精いっぱい頑張ったね!って自分が自分を褒められたらいいなと思います。だれも褒めてはくれないだろうからね^^;

 エンディングノートかあ。考えたことなかったな。いいきっかけをありがとう。

 そうねえ。今のうちに恥ずかしい写真や若いころのノートは焼いてしまおうか・・・・なと。
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わたしは書いています。

書く必要があるような気がしたからです。いえ、身体はいたって健康ですし、忌の時期が迫っているわけでもありません。死を恐れているという実感もありません。でも、エンディングノートなるもの、生涯にただ一度しか書けないというものでもないはずだからです。

その時その時の気持ち、たとえばこれまで大らかに愛し続けてくれた主人への感謝の気持ち、彼に子供を抱かせて上げられなかった女としてのお詫び、そして愛する両親へも…。

そのほかにも書きたいことがあります。生命保険の加入状況、預金や投資の状況、わたし名義の不動産やその他の資産の状況、そのほか秘密のヘソクリのあり場所とそれを取り出す方法などといった細々したことも、日頃はたぶん詳しくは知らないであろう主人に伝えなくてはならない大切なことだからです。

これらのほとんどはワードで作成した活字文書ですが、そのほかに直筆の一枚もあります。それはまさに遺言と言っても通用する書式のもの。でも、今の段階では、大した内容ではありません。子供も居ない夫婦二人きりの生活ですし、豊かに暮らしている兄が遺産相続をめぐって遺留分を求めてくることはまずなさそうですから。

わたしのこれまでの人生はとても楽しく幸せなものでした。ただそのことだけを愛する者に伝えたい、今の時点のエンディングノートとはこうしたものです。

でも、人は誰でも心変わりもしますし、残したいものの状況も年々変わることでしょう。ですから、来年はまた、その時の実情に即した新しいエンディングノートに差し替えるかもしれません。でも、それでいいのだと思っています。いつの年代であれ、こうしたものを書き記すことによって、自分というものがはっきりと見て取れる、それだけだって大変価値があると思えるからです。
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これなら書きたいですけど


http://www.amazon.co.jp/私の死亡記事-文春文庫-文芸春秋/dp/4167217805/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1353886596&sr=8-1
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この回答へのお礼

有難うございます。

お礼日時:2012/11/27 07:01

終活という言い方もそうですが、何だかネーミングが後ろ向きですよね。


大事なのは、“自分が苦しみたくない”“他人を苦しませたくない”という自覚と意識がどの程度あるかです。
死は誰でもやってくるのですが、「その時」になって右往左往したらみっともないし、家族や周りの人に意思疎通できない身体になっているかも知れません。
そのために今から準備するということです。
死がどうのこうのと消極的に考えるよりも、“自分の死を自分でプロデュースする”という意識でやったらどうでしょうか?
流通ジャーナリストの金子哲雄さんが亡くなりましたが、その生前の段取りは見事だったそうです。
彼の場合は若くして病に倒れたのですが、終活は「高齢者の社会的責任」という見方もできます。
“みっともよい死に方”ということです。
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この回答へのお礼

有難うございます。

おっしゃる通りだと思います。
自分でプロデュースするという意識でやると少しは違うかも。
金子哲雄さんは立派ですね。あんな強い人もいるんですねえ。
自分が恥ずかしい。

お礼日時:2012/11/27 06:57

書きません。

死ぬ直前まで商業主義に乗せられていることが分からずにいるなんて恥の極みです。

書こうとすることで自分の死を現実のものとして意識するという部分では意義はあるとは思います。
ある意味では臆病者には書けない、ということかもしれません。

それでも、そんな手段は他にもあるでしょう。
少なくとも流行りモノに乗って死んでいくのだけは避けたいです。

だいいち、改めて書き出さなきゃいけないような人生なんて無かったも同じです。
残された人が故人を思い出すのならともかく、
死んでいく者が「俺の(私の)ことを忘れないでくれ」なんて、それほど見苦しい最後はありません。
それを残された家族もねえ・・・
捨てるわけにもいかずに、友達の結婚式のフォトブックを貰った時と同じくらい迷惑でしょうし。
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この回答へのお礼

有難うございます。

俺は、臆病者です。
でも、家族に忘れられるのは嫌です。
いずれ書きます。

お礼日時:2012/11/27 06:52

確かに、私も同感です。


しかし、なぜか最近流行ってますよね。
まぁ簡単に言ってしまえば、「遺書」みたいなもの
ですからね。
まぁ確かに「エンディングノート」のネーミングが
いささか暗いようななんというか・・・・・。
もう少し、死を暗いものとせず、明るくなるような
ネーミングにすると、少しは抵抗感がなくなるのでは?
例えばですが、「メモリアルノート」、「フォーエバーノート」、
「スマイルノート」などなど。
まぁこういうノートのネーミングでしたら、多少抵抗感なく書ける
ような気がしませんか?
でも、誰しもいつかは、死を迎えるものです。
人生の思いで出来事をつづることは、後世に自分の足跡や存在を残す
ことで、残された遺族にとっては、かけがえのない貴重なものの
ように思います。
でも、私自身は、何か書くとしたら、まだ「・・・・・・」ですかね。
私自身にとっては、非常に難しいノートのように思います。
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この回答へのお礼

有難うございます。

「メモリアルノート」がいいですね。あと、「マイライフノート」なんかも。
死を意識するのが怖いというか、あまり考えたくないことなので、まだ書くのを避けている自分がいます。

お礼日時:2012/11/27 06:48

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