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科挙の殿試に第一甲で合格した人々には、官職が与えられますが、(状元は翰林院修撰(従六品)、榜眼・探花には翰林院編修(正七品))第二甲以下で合格した人々は、なにか官職が与えられるのでしょうか?

A 回答 (1件)

次の「状元の出世コース」でも回答していますが、科挙の殿試は会試(清の時代はその前に挙人履試、後に会試履試がありますが)の合格者である貢士に受験資格がありますが、基本的には落とすことは無く、順位付の試験の面もありました。

ともかく、殿試により科挙の最終合格者が決まり、その合格者を進士としますが、原則全員が中央勤務か地方勤務かはともかく、何らかの官につくことになります。
現代に日本でいえば、地方自治体の採用試験は無い状態での国家公務員1種試験の合格者(キャリア)以上の価値はあったと思います。進士が一人出れば、一族・眷属が栄華を極め、子孫によ余慶があるとまで言われるほどです。
状元・榜眼・探花の重要ですが、それ以外の進士合格者の中から翰林院の庶吉士という職に就くものが選ばれ、実際は官界で出世すること傾向にありました。ともかく、進士になり、官に就いてもその後の出世は科挙の試験結果によるものではないようですが、進士になった後に就く官職=地方より中央、中央でも翰林院の職に就くことが、その後の出世に影響があったように思います。

以上、参考まで。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございますm(__)m

>原則全員が中央勤務か地方勤務かはともかく、何らかの官につくことになります。

第二甲以下でもなんらかの官にはつけるのですね。そこが気になっていたところでした、ありがとうございます(^O^)

>地方自治体の採用試験は無い状態での国家公務員1種試験の合格者(キャリア)以上の価値はあったと思います。

たとえでなるほど、と思いました。進士になった人が、(もしかしたら例外はあるかもしれませんが……汗)官に就けず没落するということはないのですね。

>それ以外の進士合格者の中から翰林院の庶吉士という職に就くものが選ばれ、実際は官界で出世すること傾向にありました。

こちらでも拙いなりに調べてみたのですが、第二甲以下の進士には、庶吉士という職に就くものが選ばれる試験みたいなものがあったんですね。
たしかに、清朝の歴代大臣は、経歴を見ると「庶吉士」出身が多いです。

>進士になった後に就く官職=地方より中央、中央でも翰林院の職に就くことが、その後の出世に影響があったように思います。


状元・榜眼・探花といった、殿試で優れた結果を出した人でも、官界での出世には影響しないんですね……。


翰林院の職につくことが出世に影響するとは、翰林院というものに興味が出てきました。
また質問するかもしれませんが、その時はよろしくお願いいたします(^O^)。

別の質問へもご回答いただきましたので、このご回答をベストアンサーとさせていただきます

お礼日時:2012/12/24 15:15

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