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心理相談をしている者ですが、家族療法に興味があり、勉強しています。
家族療法のある本を読んでいたら,次の内容が書かれていました。

◎クライエントを変化させる2つの鉄則
 クライエントが少しでもP(ボジィティブ)要素の強い状態に移行できるお手伝いをすることが、心理面接の最大の目的である。クライエントのP要素を引き出す作業。
 セラピストの一番重要な技法は「肯定的意味づけ」。
 これによってクライエントは自己肯定感を高めることが最大の目的。
コミュニケーションを通して「あるがままのクライエントでよい」と絶対肯定することです。
この「肯定的意味づけ」が全技法の土台。

 以上の内容の中で、 理解できないのは、
「あるがままのクライエントでよい」と絶対肯定するという箇所です。
これによれば、例えば、
 児童を虐待している親も絶対肯定するのでしょうか。
 これも肯定したら、クライエントは満足して、何も変わらないのではないかと思うのですが。
その辺のところを,おわかりの方、お教え下さい。

A 回答 (2件)

私はその本を読んだこともないですし、臨床については座学レベルなのですが、昔の講義の記憶を元に、こういう意味では? ということで書いておきます。



肯定といっても行動を促進するだけではなく、例のようなケースではむしろ適応的な意義を見出すといった意味合いの方が強くなるように思えます。
虐待というと普通は否定的なイメージしかありませんが、その親個人にとってはポジティブな面があるということも考えられます(日常生活の憂さ晴らしなど)。
その場合、虐待する親を最初から否定して「やめなさい」というのではなく、虐待のメリット(憂さ気晴らしという機能)に着目して受け入れ、虐待以外の行動にその機能を置き換えることができれば、問題は改善されるでしょう。
これもクライエントを肯定するということになると思いますが、いかがでしょうか。

また根本的なことですが、クライエントは問題を解決したいからこそ、セラピストのもとを訪れています。
ですから、たとえ仰るとおりの意味で虐待をそのまま肯定したとしても、少なくとも「満足して」ということはないと思いますよ(そんな人ならそもそもこないでしょう)。
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「Yes,but」の法則なのではないでしょうか・・。



児童虐待をしている親をクライエントだとしたら、

「アナタは我が子を愛しているのよね。」「イイ子に育てたいと思っているのよね。」

それに対して「それは素晴らしい。」と絶対肯定。

「でもイライラしちゃって、虐待しちゃうのよね。イライラって誰でも起こるし、無理もないわよね。」

・・そんな感じでの「まず、絶対肯定」じゃないのでしょうか・・。

イライラするのは間違ってない。いい子にしたいと思うのは間違ってない。


「でも どれだけイライラしていても、殴るのはどうかな。」

つまり、その先にButをよこすんじゃないでしょうか。

「イライラしてたから、殴ったのよね。」を丸ごと肯定するってわけじゃないと思います。
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