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時代劇を見ていると、ある程度身分ある武士はいわゆる武家言葉でしゃべっています。
一方、奉行所の同心や下級の御家人、浪人者などは町民と同じ江戸っ子口調が多いです。
時代劇の考証が正しいのかがまず疑問ですが、実際の江戸時代でも階級によって武士の言葉遣いは違ったのでしょうか?
その場合どのくらいの身分で分かれていたのでしょうか?
時代劇の金さんや鬼平みたいに、身分が高くても個人的好みで江戸っ子口調の人もいたんでしょうか?

A 回答 (3件)

西郷さんは自分のことを「オイは~」と言いますね。

これは薩摩方言です。
また真偽は別にして龍馬が切られたとき暗殺者は「こなくそ」と伊予方言で叫んだと言われます。
つまり、武士というのは普段の生活では武家言葉を話さないんです。

武家言葉で話すのは武士同士があらたまって話す場合です。武家言葉というのは半ば人工的な言語で
日本中から集まった武士がお互いに意思疎通するためのものです。

と云う訳で江戸住まいの侍は普段は江戸の言葉を使いました。国元の侍は普段お国ことばで
話しました。ですから同じ藩の藩士でも言葉遣いや訛りが違うこともあったようです。

江戸住まいの侍が江戸言葉でしゃべったと言っても「べらんめえ」とは限りません。
高級武家は比較的、山の手風の上品な言葉遣いをしていたようです。
その言葉が基本になって後の標準語が作られています。

なお同心というのは本来足軽です。本当の意味の武士ではありません。ですから町人がお金を積んで
自分の息子を同心の養子にして同心の跡継ぎにすえるといったことも普通にあったようです。
仕事上普段から町人と接触していましたし、町人出身の場合もありましたから下町言葉を使っても
おかしくはありません。

それと、当時遊ぶと言えば吉原ですが、ああいった場所では武家言葉を使うとモテないのだそうです。
江戸の男たちは女にモテることばかり考えていましたから、くだけた武家でしたら
普段から町人言葉を話しているほうが自然のように思います。
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「音声を記録する技術が存在しない時代に、どのように喋っていたか」


というのは、通常は「分かりません」となります。

例えば、戦国時代から江戸時代にかけては、西洋人が日本にやってきて「日葡辞書」なる「日本語とポルトガル語の辞書」が作られました。ここで、当時の日本語の発音が西洋人によって記録されたために、限定的ではありますが「16世紀末から17世紀初頭の日本語の発音」について判断できます。

とはいっても、「日葡辞書」からは、当時の武家、公家、平民がどのように喋っていたのか、までは分かりません。時代劇では「分かりません」では済まないので何とか「武家言葉」「公家言葉」「平民の言葉」を作り出して演じ分けますが、ここでの言葉遣いの根拠は「歌舞伎や人形浄瑠璃」だと思われます。

歌舞伎や人形浄瑠璃では、武家・公家・僧侶・平民などが登場しますが、江戸時代から技術の伝承が途切れていませんので、ここでの「武家言葉」は、かなりの程度「江戸時代後期の武家言葉」を保存していると思われます。

※ 歌舞伎は庶民の芸能であり、庶民・歌舞伎役者・歌舞伎狂言作者(台本作者)のいずれも公家とは無縁でしたから、歌舞伎の公家言葉は信用できません。

また、江戸時代を知っている歌舞伎役者のセリフ回しを、19世紀末に実用化された蓄音器に保存したり、江戸時代に文字に起こしたものは存在するはずです。

現代の時代劇の「武家言葉」は、そういったものをベースにしていると言われています。

江戸時代の武士は、明治時代以降も生存していた訳ですが、そういった人たちが「武家言葉とはこういうものだった」と記録したものが存在するとは聞いたことがありません。江戸から明治に移った頃は、話し言葉と書き言葉とは完全に分離しており、「言文一致運動」とか「話すとおりに書く」「小説の中に会話文を入れる」といったことが行われるようになったのは、明治の半ば以降だと思います。

人が五十歳くらいで死ぬのが珍しくない時代ですから、明治の半ば以降に作家になって
「言文一致体で、会話文がある」
「江戸時代の武家社会を描いている」
小説を書いた人はほとんどいないと思います。江戸時代の武家社会を、言文一致体で小説にしたと言える森鴎外でも、江戸時代が終わった頃にはまだ子供ですから、武家言葉が実際に使われる現場に居合わせたとはちょっと思えません。

また、現在放映している大河ドラマ「八重の桜」ですと、会津藩士は会津弁、薩摩藩士は薩摩弁と、それぞれその地域の「現在の方言」を用いています。

江戸時代に武士だった人が明治時代になって書き残した文章の中に
「田舎から出てきた侍同士が意志を通じるには、芝居(歌舞伎)の言葉を使った」
と書いてあるようです。当時、芝居で武士が使う言葉が一種の標準語だった、ということです。
逆に言うと、同じ藩の武士同士では、方言を用いていたのでしょう。

これは、山田洋次監督による藤沢周平原作の時代劇「たそがれ清兵衛」などでの時代考証とも整合します。なお、江戸で育つことが多い殿様や、江戸屋敷で生まれ育った「定府」の藩士が、「標準語」で話すのも、恐らく時代考証として正確です。

その点から言うと、ドラマで、例えば会津藩士と薩摩藩士が話す時には、お互いに「歌舞伎の武家言葉」を使うのが時代考証としては正確である、となるでしょう。
薩摩藩士の西郷吉之助が会津藩士に向かって「おいどんは」「でごわす」などと薩摩弁を使うことはなかったと思われます。

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「時代劇の金さんや鬼平みたいに、身分が高くても個人的好みで江戸っ子口調の人もいたんでしょうか?」

こういう人は
「もともと、歴とした旗本の生まれだが、事情があって、江戸の庶民と交じって生活していた(江戸のヤクザ者と交遊していた)」
という設定ですね。

そういう設定なら「武家言葉と、庶民の言葉のバイリンガルだった」ということは有り得るでしょう。

あくまでも「そういう設定」ですから、実際にそういう町奉行や火付盗賊改がいたかどうかは分かりません。いなかった可能性の方が高いでしょう。

※ 「長谷川平蔵」も「遠山景元」も実在の人物で、火付け盗賊改め、町奉行を務めていますが、実際はごく普通の旗本だったようです。
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1。

  時代劇の考証が正しいのかがまず疑問ですが、

    これがまず問題ですね。明治の日本語さえ「現代訳」を求める今、その前は時代考証を正確にやると(まやれると仮定して)と観衆には誰も分からない、だから「武士の匂い」をちょっと加えた現代語が使われているようです。

2。  実際の江戸時代でも階級によって武士の言葉遣いは違ったのでしょうか?

    恐らくそうでしょう。

3。その場合どのくらいの身分で分かれていたのでしょうか?

    僕には分かりません、文書に記録が残る階級と言うのはごく一部で、上の方でも。下っ端でも書き残すのは、公式の文が多いと思います。


4。  時代劇の金さんや鬼平みたいに、身分が高くても個人的好みで江戸っ子口調の人もいたんでしょうか?

   事情聴取に当たる人は相手のことばを話し、理解する必要がありますから、今の刑事物の被疑者取り調べのシーンと同じよう、警察の偉いさんに報告するときとは、違うと思います。

    金さんや鬼平も、ちゃんと使い分けの出来るバイリンガルだったのでしょう。
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