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年配者に対しては無条件で敬意を払うべきか?

敬意を払うべき→苦労や失敗の経験を含め、年配者には無条件で敬意を払うべきだ。

敬意を払う必要無い→ただ単に長く生きているだけに過ぎない。とくに堕落者などには敬意を払う必要はない。


あなたはこの点についてどう思いますか?

A 回答 (21件中1~10件)

人によりけり。

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どちらかといえば、「年配者には敬意を払うべき」と考えます。



私は、30代女性です。
もともと、体力はあまりない方ですが、最近、10代、20代の頃と比べ、明らかに体力が下り坂にさしかかっていることを痛感しています。
勤め先では新参者の立場であるため、皆が敬遠したがる肉体労働を率先して行ってはいますが、その後の本来業務(デスクワーク)で、定時まで集中力を維持することが難しいほど、心身ともに衰弱してしまう現実は否めません。
加えて、ひと晩眠れば、昨日の疲労がウソのように消え去っていた、若い時分と同じ回復力を保てなくなりつつあります。

自分が20代の頃は、職場内にいた年配の上司や先輩社員が、何かにつけ、「肩が痛い」「首が回らない」「膝が上がらない」「手の指先が思うように動かない」「老眼がつらい」「耳が遠くなった」「若い頃は、こんな風じゃなかったのに」「昔はよかった」「若い人にこそ頑張ってもらわなきゃ」等々、愚痴るのを耳にするたび、イラッとした時期がありました。

年功序列なんて、とんでもない。
そう考えていた時期もありました。

しかし、自分が30代後半という微妙な年代を迎えた今、生きる上では否応なしに経験するであろう「老い」という逆境に立ち向かえるかどうか、不安を感じ始め、それまで、傍若無人としか解釈できずにいた年配者の言動の真意を、初めて、慮りたい心境に立たされたのです。

尊敬の念を抱く気にさせない年配者は、確かに存在しますが、その敬遠したくなる挙動や態度の根幹にあるのは、生き長らえる限りは逃れようのない「老い」に対する虚無感…諦め、怖れ、哀しみ、拗ね、寂しさ等…だったりするのかも知れないなぁと、考えるようになったんです。

若い頃は、当たり前にできていたことが、だんだん、当たり前にこなせなくなっていく。
自分の心身を、自分の意のままに操れなくなっていく。
そうした戸惑いに直面したとき、果たして、どれだけ、「人格者の自分」でいられるか、私は自信がありません。

40代、50代、60代なりの苦悩は、その年齢を身をもって経験していない自分にとっては、想像しかできない世界です。
だから、私にとって、自分より年齢を重ねた人物は、「未知の世界を乗り越えた経歴を持つ人間」という意味で、敬うべく存在なのです。

どんなことにせよ、理想論を語るだけなら、いたって簡単で、所詮は、想像の範囲でしか「年配」を語れないのに、その試練を実体験した人生の先輩を、「歳とってるだけの人間」などと見下してみせる若輩者に対しては、「そう語るあなたこそ、若さを言い訳に、年配者の心を傷つける発言をいとわないのか」と、疑念を抱かずにいられません。
歳を追うごとに実感する自身の限界に向き合う勇気、加齢ゆえの危うさ弱さ脆さを素直に受け容れる心意気、そうした試練を乗り越えるまでは、誰しも、人知れず自分なりの涙を流しているのかも知れないわけですから。

加齢の問題に限らず、相手にとって反論しようのない弱点や欠点をあげつらい、ネチネチとあら探しすることを正義とするような風潮には、いささか辟易します。

年齢の上下にとらわれた価値基準を差別意識とするなら、それを打破したいがゆえに、優遇される側(年配者)の人格否定に甘んじてしまえる価値基準は、逆差別意識だと思います。
こうした逆差別意識は、時として、差別意識より厄介に感じます。

人間、誰もが歳をとる中で、多かれ少なかれ、加齢に伴う大変さを順送りで経験し合うわけですし、「非のうちどころのない優等生」でなくとも、「一分の隙も見当たらない立派な人生」を歩んでいなくとも、生き長らえたということそのものを制約条件なしに称えてみせる、そんな器の広い人間社会が、許されてもいいじゃないか。
私はそう思いました。
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理想は「敬意を払うべき」に、したいですが「無条件で敬意を払う事は出来ない」です。



質問として、極端に分けられたんだと思いますが、これではどちらかを選択する事は出来ません。

「無条件」では「甘やかす、勘違いさせる、怠けさせる等、悪い方向へ傾く事も多くなります。」

「条件付き」とは、「自分が敬意を払われて、当然と思い込んでいる年配者を除外する。」

これまでのご苦労、ご経験は敬意を払われて良いものだと思いますが、(過去の功績として)
現在は?どうでしょうか?未来は?どうでしょうか?

周りに迷惑をかけるわがままな年配者もいます。高齢社会が、この先ずっと続く事を考えれば、社会の中に高齢者は、たくさん存在します。今と違い昔はそんな考え方が理想で、それで良かったのかもしれませんが、現代社会では、無理ではないでしょうか?人口比率で考えても、今の高齢者の方達にも、いろいろと出来る事を協力して頂くためにも、「無条件」では敬意を払う事は難しいです。
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本当は年配者には《無条件で》敬意を払えれば良いのでしょうが‥それは中々難しい事です。



正直、年を取ってる事を免罪符にし過ぎる年配者に対しては《無条件で》敬意を払えないもどかしさがある。

『私はもう年だから若い人達だけでさぁ頑張って』なんて言われると とっとと仕事辞めやがれって言いたくもなる。
だからといってこれまでの功績を否定するものではない。

要するに上手くいかない事をグダグダと年のせいにする言い訳は聞きたくないものだ。

逆に年のせいにするでもなく ただひたすらに自分のすべき事を懸命にしている年配者を見ると何故か手を貸してあげたくなるものだ。
この場合は《無条件で》手伝ってあげたくなる。

私が年をとるなら後者の年配者になりたいと切に思います。

年配者には無条件で敬意を払うべきだ。とするのは些か無理が生じる。
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 年長者であるということは少なくとも時間だけは多く生きているので、敬意を払うべき存在である可能性が高い。

何も知らない条件であればまずは敬意を持って接するのが適当であろう。ある程度つきあった上で敬意を払う必要が無いと判断したのなら態度をあらためればいい。

 まずは無条件で敬意を払うのが無難であるが、それを継続しなければならないかというとそうではない。
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年配者を敬うのは当然のこと



でも、歳が寄るほど人間の思考は「へんこ」になります

この前、配達中にクルマを歩道まで乗り上げすぎました

電動車いすの爺が

「通られへんやないか(怒)!!」

といきなり吠えてきました

こういう爺は敬意云々の前に「人格者としてちょっと...」と思いますが、基本敬うべきです

「しわの数だけ苦労している」と教えられて育ちました
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NO.9です。

 少し補足させてください。どうもあらぬ方向に行ってるようなので…。

私(40代)の両親は、ほぼ高度経済成長の中、死に物狂いで働いてきた方々の一員と思います。その方々(私の亡父・亡母も)のおかげで、自分たちが現在それなりの国際社会も含め生きていける…それについては心から敬意を払わなければならないです。そうでなければ自分たちが産まれてすら来ない…。

ただ一方で、ご自身の苦労や虚栄心・慢心・尊敬できない心情の人には、どうしても若年はついていけない部分があるのです。これは人それぞれの価値判断基準なのでなんとも定量的評価が出来かねますが…。その中で、前回私の申した事を含めどのような方でも、基本的心情での尊敬を捧げます。

しかし、この意味は、だれでも、時代を担って苦労し頑張ってきた方々への感謝と、個人の尊敬の念とは全く違うと言うことです。

今後、私たちの世代は、親を含め高齢者の方々と接し慈しみ感謝しなければならないと思います(私の両親は既に他界してますが)。この理念は基本かつ絶対条件と私は自負します。一方で、安楽で言いたいこと言ってるだけの言葉が過ぎましたが『老害』と思われる発言・行動の方には、社会的な節度での敬意はしますが、それ以上の感情はないと言うことです。(但し、認知症・他ご病気の場合は、人生・生命にかかわるので、事情はは全く違います。)。人は誰でも老いていく…子供に帰っていく…そんな中で後世の人間は人間的倫理で介護は後続の若者たちとしては必須と思います。でも、敬意とはどこかちょっと違うと思います。その方がどんなに学術的であっても、ステイタスがあっても、別問題。

http://anond.hatelabo.jp/20111107174845

それだけ、近年の老年の方々の発言は理にかなう一方、???もあると言う風に感じる時がありました。これは私だけの主観ですが…主観的になりすぎ客観的、定量的な会話にならない…。私もそういった世代になっているのでこんな生意気なこと言ってはいけないのですが…。

俗にいう年配者も、若者も、どこか考えを見直さなければいけない?プライドや心情も含めて…そんな心になるこの頃でした。

私情が過ぎましたので、これは、一介のおっさんの愚かな戯言の一つと解釈してください。 失礼しました m(__)m
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>年配者に対しては無条件で敬意を払うべきか?



基本的に一人前の社会人ならよほど気心の知れた仲間でない限り、特に初対面なら年上年下問わず敬意を払うべきではないでしょうかね。
「あ、こいつ、おれより格下だな」、とか露骨に顔に現したり、若い女性などには最初からタメ口で応接する人間が居ますが、私はこういう人間はこわいですね。要するに子供と話するのと似ていて、何を言われるか?という恐怖があるからです。やはりまともな社会人としてどこに出しても恥をかかない人間は、相手を見る(相手のなりなどをみて態度を変える)ということはしないでしょう。これは最低の礼儀だと思います。

なぜそういった礼儀がひつようなのでしょうか?
多くの人間は自分に対して過剰なプライドを持っています。ですから、特に若い人間からタメ口で応接されると歳寄りはひどく傷つくのです。その結果は多くの場合貴方に返ってきます。
子供でもレジで子供だと思われてぞんざいな対応をされたら傷つきます。年配者がどんなに傷つくか、若い貴方は想像できますか?あなたが年寄りになったら分かりますよ。
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年長者には敬語を使う文化って結構好きなのですが。

なのに若く見せようとしたりして年齢不詳になって敬語使っていいのかよくわからなくなったりします。

この質問は自分と年長者として聞いていますが、自分と若い人と読むと皆の答えが変わるんじゃないでしょうか。

つまり、私たちよりも実力がある、立場が上の、富裕層の若者には見下されて敬語も使われずにタメ口を聞かれていいのか、です。

見た目だけで上下関係や実力がわからない場合は、とりあえず年配者には敬意を表するって便利でもあるんです。

ヨボヨボの高齢者には優しく、です。昔はバリバリ日本を引っ張って行ってくれた人たちですから。
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敬意というのは「人生の先輩」ということかと思いますが、中には(認知症ではなく)思考や言動がおかしな人もいます。


これは若年者のおかしな人と同様です。
そういう人に対してまで、人生の先輩というくくりで尊敬しなければいけないかといったら、ちょっと疑問に感じるところはあります。
人生の先輩にもかかわらずそういう言動なの?ということもあります。
そういう人を見ると、情けなくなります。
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