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ふと思ったことです。
イスラム教とキリスト教は同じような歴史の古さがあるにもかかわらず、キリスト教国の多くは先進工業国で、イスラム教国の多くは資源に頼った後進国のような気がします。

イスラム教国に先進工業国が少ないのは、イスラム教の教義か何かに科学技術の発達を妨げるようなものがあるのでしょうか?
それとも他の理由なのでしょうか?

A 回答 (6件)

あれだけ自爆テロを聖戦として神格化すれば


発展どころの騒ぎではないだろうに。
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『イスラム教』の教義は存じませんが・・・、



『イスラム教』と同根である『キリスト教』においても、『神の教え』に反するというただ一言で、『ローマ・カトリック教会』が、多くの科学的研究を圧殺してきた歴史があります。(有名な所では、ガリレオ・ガリレイの『宗教裁判』等)

キリスト教国が科学的な発展を始めるのは、マルティン・ルター等による『宗教改革』により、『ローマ・カトリック教会』の宗教的&政治的権威が低下して、自由に科学的な研究が行われるようになってからですが、

現在のイスラム教国においては、『イスラム教』の『宗教指導者』が、『政治的』にも大きな『影響力』を持っており、かつて『ローマ・カトリック教会』が宗教上だけではなく、政治的にも大きな影響力をもっていた状態とよく似ていると思います。

そして、『宗教指導者』の多くは、『教義』に忠実であろうとするわけですから、『宗教指導者』が『政治的』にも大きな影響力をもっている場合には、『科学技術』だけではなく、『日常の生活』すべてが、『神の教え』(キリスト教で2000年も前、イスラム教で1400年も前の『神の教え』です)に基づいたものにならざるを得なくなり、科学技術の発展が妨げられるのだと思います。
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たまたま現在そういう状態なのではないかと思います。


千年くらい前は、むしろイスラム世界の方がはるかに進んでいました。
算用数字などはイスラム世界から西欧にもたらされたため、
「アラビア数字」などと呼ばれたりします。
「アルゴリズム」なども元はアラビア語です。

ヨーロッパが先進国化したのは、言うまでもなく産業革命のたまものですが、
他の地域がヨーロッパの技術に触れた時、多くの場合、それを取り入れようと
する動きと、自らの文化を保とうとする動きとの葛藤を生じました。
後者の動きは、多くの場合、地域の宗教と結びつきました。ロシアでは
ロシア正教を強化する動きがありましたし、日本でも、神道を絶対化する
動きがありました。イスラム世界における反近代化・イスラム絶対化の動きも
そのように考えれば、必ずしも特異なものとは言えないと思います。
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 いまの「先進工業国」は、単に「科学・技術が進んだところ」に存在しているわけではありません。

イスラム教諸国が「後進国」であるようないまの状態は、資源と資本と市場が現在のような配置でできあがってきた経済の歴史のなりゆきを考えずに理解することはできません。

 ということで端的にいえば、イスラム教の国に先進工業国が少ないのは、現在いわれる「科学技術」は西欧と米国で主に「先進工業国」をつくったタイプの科学・技術だということです。べつにこのタイプだけが唯一の科学・技術ではないと考えます。

 逆にせまい意味では、イスラム教の考えかたからはキリスト教プロテスタントのようにこの世の富をやみくもにおいかけ他人にまで強要するような独善がでてこないから「先進工業国」にならないらしい、とは言えます。
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その原因は、イスラム教の世界観が「聖俗一致」であることにあります。


イスラム文明はアーウィン・ローゼンタールが指摘するように、「『宗教と国家』がシャリーア(イスラム教の律法)の両面であることを意味する」といった「世俗主義的平等主義的神聖政治」を理想とする世界観を持っています。

キリスト教西欧諸国が近代化に成功したのは、キリスト教文明そのものに内在する聖俗分離の原則、宗敦改革による神からの解放、そしてそれらを基にしたデカルト哲学の完成があったからです。

キリスト教にはもともと「聖俗分離」の世界観を内在していました。(「神のものは神へ。カエサルのものはカエサルへ」マタイによる福音書)この聖俗分離の世界観を内在していたからこそ16世紀の「宗教改革」が成功したと言えます。キリスト教西欧諸国の近代科学技術の発展はこの宗教改革が起点となります。

宗教改革によって、人々は神をこれまでの超越的な存在から内在的な存在へととらえることができるようになり、この新たな世界観によりデカルトの主客対立の自然哲学が生まれます。このデカルトの主観の世界の延長線上に近代の政治思想、社会思想が生まれ、客観の世界の延長線上に新しい近代科学、近代技術が創造されてゆきました。

実在としての産業は思想、哲学と表裏一体を成します。主観は客観なくして成り立たず、客観は主観なくして成り立ちません。それゆえに単に実在としての科学や技術だけの近代化は原理的にありえず、そこには必ず相互に連関する思想、哲学の近代化が付随します。

つまり、産業の近代化には必然的に思想、哲学の近代化、すなわち聖俗分離の原則、主客対立の哲学、そしてそこから派生する近代思想がともないます。この為、イスラム教国が産業の近代化を実現するには必然的に西欧キリスト文明の聖俗分離の思想、哲学を受け入れなければなりません。

しかしそれは聖俗一致の世界観をもつイスラムにとって、イスラムの否定以外の何物でもありません。
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 宗教は関係ないと思います。


最近ちょっと状況は違いますが、
日本や中国も後発でしょ。

 歴史の古さで言ったら、ギリシャなん
かもけっこう古いですよね。でも
工業先進国って感じじゃないし。
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