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これまで私は、仏教とは、仏(ほとけ)=おシャカ様(釈迦如来)=ゴータマ・シッタータといいう、「三位一体説」の一神教だと思ってきました。
ところが、うちの宗派(真宗大谷派)の本尊は釈迦如来じゃなくて阿弥陀如来だと聞いて、よく分からなくなってきました。
しかし、うちの菩提寺のお坊さんは、葬祭の時の説教でお釈迦様がどうのこうのって話をしますが、阿弥陀様がどうしたとかって話は聞きません。
他にも釈迦には、生まれてすぐ立ち上がって唯我独尊と言ったとか、極楽から蜘蛛の糸をたらして悪人を救済しようとしたとか、逸話がいろいろありますが、阿弥陀の逸話は聞いたことがありません。
如来になる前の釈迦がシッタータであったように、如来になる前の阿弥陀はどんな人だったのでしょう?
そもそも、如来って「悟りを開いた仏」のことだと聞いたことがありますが、このほかにも大日如来、薬師如来などいろんな如来があるようです。
また修行中の仏が菩薩で、こちらも弥勒菩薩や地蔵菩薩など何人もいるようです。
つまり、シッタータを初め様々な「仏」がいて、修行してある者は如来になり、ある者は未だ菩薩だということでしょうか? そうなると、結局仏教って多神教なのでしょうか?
あるいは如来や菩薩という称号、それを併せた仏という称号も、キリスト教の聖者(セイント)にあたり、どれも人間である、つまり仏教は無神哲学ということになるのでしょうか?

A 回答 (15件中1~10件)

 哲学も宗教も、先ず「汝自身を知れ」から始まります。


 では、私は誰なのでしょうか。大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。
 では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。
 そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。
 赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。
では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。
  この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。
 私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。
例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。
 テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。
 もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。
 同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。
 この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。
 ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。
 科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。
 私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。
 死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
 生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。

この様に脳と言う物質は、精神である私に刺激を送ります。そうして初めて心が生じ、私は感じることが出来ます。脳と言う物質が刺激を送らなければ、精神である私は何も感じることは出来ません。感じている全体が心です。心は物質と精神のコラボレーションです。物質がなくても、精神がなくても、感じている心は生じません。
ただ、1秒前にこの私の脳が刺激を送っていた精神が、今の私の精神である保証は何処にもありません。精神である私に記憶が蓄えられるのであれば、1秒前の精神と今の精神である私とは同一であることが分かります。しかし、記憶は脳に物質の構造として蓄えられます。脳に蓄えられた1秒前の精神が感じた記憶を、今の精神である私が感じているのです。こう言う意味で、私とは、「今現在のこの一瞬のこの心」です。次の瞬間には私ではなくなっているかも知れません。ですから、この刹那を精一杯生きなければならないのです。
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こんばんは。




>「仏教では、神格化した存在は想定していないと言うことですね。」

そのように思います。


「かくかくしかじかの要件を満たしたから、即ち・・・」でもなく。
(そうしたものではなく)

つまりは「ナマの人間」しか出て来ないもの、と、いうわけで、
・・・現代の心理学に極めて通じる内容を、持ち得ていると思います。
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こんばんは。

 

私は仏教徒ではないので、読み飛ばしてくださっていいのです。が、今日、深いい話を聞いたので、この回答欄に記録として、保存させてください。

私の近所に日本の草花を愛する、年配の方からこんな話しを聞きました。

おそらく日本の神道のような、自然における多神教を信仰していらしゃるかたと思われます。

古き良き時代の日本の人は、自宅の木を切るときは、木を切らせていただきますと、木の前に「お米、お酒、塩」をお供えしてから、感謝の念を持ちつつ木を切ったそうです。

自然を愛する心。 おもてなし精神にも繋がるかと思います。

横浜の関内には情報ライブラリーという施設があり、放送・新聞等を無料で公開されています。

横浜にいらした方は是非ご利用ください。

そこで、私がいつ観たかは記憶は定かでは、ありませんが、日本の仏教が入る前の大昔には巨木信仰があり、そこに霊魂がやどるとされたそうです。

日本に仏教が中国から入ってくると、その思想は仏教に取り込まれ、大きな仏像は巨木を見上げるように見るためとテレビ番組でやっていました。

私の高校の修学旅行で飛騨高山に行きましたが、そこで円空彫りを買いました。そこの、店主のおじいさんに、こんな小さな仏像でも、いいものを買うのなら、下から見上げるように見るものだと教わりました。

私が感じるのは、お寺の本堂では見えませんが、そうすることにより、仏像のはるか、はるか上には青色の「青空」が広がり、更に「宇宙」が広がる、そのようなイメージで昔の方々は信仰し、浄土や天国を考えたのではというのが、私自身が考えでおります。

十五夜の次は十三夜の晩秋の名月。晴れるといいですね。
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>これまで私は、仏教とは、仏(ほとけ)=おシャカ様(釈迦如来)=ゴータマ・シッタータといいう、「三位一体説」の一神教だと思ってきました。


それ程間違ってはいません。
他の回答者の方が延々とご説明されておられるのは、質問者さんが「三位一体説」という、キリスト教で使われている言葉をお使いになられたのと、神教という言葉をお使いになられたためかと思います。

言葉の表現などというのはどうでも良いことで、あまり拘る必要はありません。

>仏(ほとけ)=おシャカ様(釈迦如来)=ゴータマ・シッタータ
この考え方はほぼ合っていますが、ゴータマ・シッタータというのはお釈迦様が出家される前の名前です。
釈迦如来というのは、後年お釈迦様を呼ぶときに使った言葉です。
ご案内の通りシャカというのは古いインドの一族の総称(部族名)です。お釈迦様はゴータマ・シッタと呼ばれていたころにはこのシャカ族の王子でした。
ですから、少し喧しいお坊さんは釈迦牟尼或は、釈尊と呼んでシャカ族とは区別して使われます。
仏とは、仏教では悟りを開いた人(悟った人)の総称です。
つまりキリスト教のような三位一体ではなく、同じ人を呼ぶ言葉が三つあるというだけのことです。

>本尊は釈迦如来じゃなくて阿弥陀如来だ・・・
御本尊というのは、宗派やお寺によって違います。
日蓮宗では、仏像を飾らずに、南無妙法蓮華経と独特の文字でかいた掛け軸を仏壇に飾ります。
浄土真宗でも場合によっては、南無阿弥陀仏と書いた掛け軸だけで済ませ、仏像を置かないこともあります。
禅宗では多くの場合釈迦如来とされる仏像を飾ります。
仏像は手の形でその種類が判るように作られています。(姿形にいろいろルールがあります)

下記参照
仏様の世界、仏様一覧、仏像一覧、神様のお姿
tobifudo.jp/butuzo/mokuji.html

お釈迦様は宗派に関わらず大切にされてます。
お釈迦様に纏わるお話は沢山作られていて、聞いて非常に判り易いお話が多いのが特徴です。この為に宗派に関わらずどこの僧侶もお釈迦様のお話をします。
下手に自分の宗派が大事にしている本尊の話だけを持ち出すと、法事に出席している人の中に他の宗派の人がいるとややこしいことになります。

>如来になる前の阿弥陀はどんな人
阿弥陀様は人であったことがありません、いきなり法蔵菩薩という名前の仏様として仏典に現れます。

>シッタータを初め様々な「仏」がいて、修行してある者は如来になり、ある者は未だ菩薩だということでしょうか? そうなると、結局仏教って多神教なのでしょうか?
ご指摘の通りです。
中には如来になれるのに菩薩のままで、人々の為にセッセと働いている奇特な仏様もいます。

少し違うとすると、浄土真宗の場合には、阿弥陀様のみを非常に大切にします。特に阿弥陀様を信じれば極楽浄土へ連れて行ってくれる。として熱心にお参りします。
この姿がキリスト教とよく似ているので、往々にして間違えられることがあります。

仏教では非常に仏様の数が多く、その上下関係が多様なのは、ヒンズー教の神様が混ざり込んでしまった関係があります。
「天」がつく仏様はだいたいがヒンズー教の神様です。

>あるいは如来や菩薩という称号、それを併せた仏という称号も、キリスト教の聖者(セイント)にあたり、どれも人間である、つまり仏教は無神哲学ということになるのでしょうか?
もと人間であったとされる仏様の数はあまり多くはありません。
キリスト教の聖者に相当するのは、羅漢とよばれますが、キリスト教のように、誰がどの羅漢になったのかという直接具体的な人とは結びつけられていません。
一方で、観音様が色々に姿を変えてこの世に現れて苦しんでいる人を救うという考え方があります。
生前信仰心が非常に厚かった人を(ほとんどがなぜか女性です)を○○観音と呼んで大事にすることがあります。
この延長線上でマリア様をマリア観音として大切にしたこともあります。

>つまり仏教は無神哲学ということになるのでしょうか?
キリスト教と根本的に違うのは唯一絶対神というものを認めないことです。
宗教という言葉が明治時代に作られた時に、その言葉の定義にキリスト教の考え方が入り込んでしまった結果、今日でも多神教や仏教を遅れたもので宗教にはそぐわないものと考える傾向があります。
しかるに、キリスト教的基準で無神哲学というのか、学術的に言うのかでは違ってきます。

以上ざっと書きましたが何かあれば補足などでお尋ねください
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仏教の基本というものは、実のところ極めて単純明快なもので、それは万人に分け隔てなく確実に内在する素晴らしい力の存在を説き教え、更にはそれを自力で発揮させて、その力で思う存分幸福境涯を満喫させるためにあるのです。



これが仏教の基本というか根幹なのですが、ただ当時の人々にとっては、当然のごとく仏教のぶの字も知らないし、自己啓発など知る由も無かったので、釈迦はその内在する力の特性をいろいろと擬人化させて、様々な仏や菩薩等を登場させては解説していったのです。つまり、単に言葉のみで説明するよりは、いろいろな人物を登場させては、その持つ力を誇示させて教えた方が、より分かり易く深く印象に残るからです。この手法は、イソップ物語にしろ、アンデルセン童話にしろ、日本昔話にしろ同じようなもので、やはり、それとなく人々に浸透させるには打って付けなのです。結局、いつの時代も聴衆は、堅苦しく難しい話よりは、物語風な説話に興味を示すものなのです。

それで、その内在する力の特性の詳細を架空の登場人物で人々の心に根付かせて、それで最終的にそれらの仏や菩薩の持つ力は、すべて人々自身の中にこそあると解いたのです。それで、この真意を説いたものこそが法華経、つまり実教であり、そこに至るまでに説いた華厳経や無量寿経、阿弥陀経、大日経、般若心経等々が権教(権=仮の教え)ということなのです。

ところが、後世の人師、論師と呼ばれる者たちが、この仏教の大綱を知らずに権教を自分勝手にこれこそ真意とか、これこそ最勝とか決め付けて広めて行ったのです。もちろん、その大綱を把握した者は、権教を捨てて法華経を宣揚して行ったのですが、その代表が日本では、前者が空海や親鸞で、後者が最澄や日蓮ということになるでしょう。

結局、仏教というものは本来、自身に内在する卓越した力で自在に幸福境涯に至らしめるという自力本願こそが基本中の基本であり、本来存在すらしない架空の仏や菩薩にすがる他力本願は、仏教とは別物と考えた方が良いでしょう。

もちろん、今以って権実の論争や何が真実でどちらが有益なのかは、水掛け論になっているかと思われますが、やはり、その判断は実際に体験されて生活上に現れる現証を以ってして、推し量るのが最も確実かと思われます。いわゆる実証主義ですが、どれだけ長く小難しい論拠や論証を並べられても眼前の一つの現証に勝るものはありませんから。食事もそうですが、人から旨いまずいと、いろいろと言われても実際、自身で食べてみなければ正確な判断は下せないようなものです。

いずれにしましても、仏教と云えば、ただ法華経のみであり、そこにこそ自力本願の方途が説かれている、ということです。

ちなみに自身に内在する卓越した力を比喩的に物語風にした『衣裏珠の譬え(えりじゅのたとえ)』や『長者窮子の譬え(ちょうじゃぐうじのたとえ)』というものがありますので、一度調べられると良いかと思われます。
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後半です。



 前半の方にあげた『悲華経』はお釈迦様の優位性を説くことを目的としてできた経典であるとしましたが、それに対抗する諸仏の代表が阿弥陀仏であり大変詳しく記されています。ただ、阿弥陀仏が王様時代の性格や功績が記されているわけではありません。しかし、その名前が記されている唯一の経典でもあります。この阿弥陀仏の修業時代は『無量寿経』に説かれている法蔵菩薩というお名前ですが、王様だったころの名前は『悲華経』には「無諍念」と記されています。この「諍」という漢字は、物理的なあらそいという意味だけではなく、言葉による争いなどもさす言葉ですから、物理的な争いを含めた差別や不平等のようないさかいを無くそうとした王ということでしょう。そんなすべての諍いを無くそうとした王がなぜ出家をしたか。このことについては、私の友人がこんなことを私に訪ねてきたことがあります。
「無諍念王が世自在王仏にであった時ってどんな顔してたんだろうな?」
言われたときに、私の中でパッと絵が浮かびました。それは王様であるということに満足しているような顔ではなく、何とも悩ましい顔をしていました。すべての諍いを無くそうとしても、なかなかこの世はままならない。争いを無くすために、人と争わなければならないという矛盾を抱え込んでいたのではないでしょうか。だからこそ無諍念は四十八願という本当の意味ですべてのものを救うという本願をたて、法蔵菩薩となってからは厳しい修行を続けて、本願達成する力を得たぞということで阿弥陀仏となられたのではないかと考えられます。まぁ、こんなところが阿弥陀仏が如来になる前のお話です。


>>そもそも、如来って「悟りを開いた仏」のことだと聞いたことがありますが、このほかにも大日如来、薬師如来などいろんな如来があるようです。
(中略)
>>あるいは如来や菩薩という称号、それを併せた仏という称号も、キリスト教の聖者(セイント)にあたり、どれも人間である、つまり仏教は無神哲学ということになるのでしょうか?

 こちらの質問の答えは上述したことをまとめながら書いていきます。
 実際に直接教え説いて導いてくれる先生という意味でのブッダであったお釈迦様が、信仰対象としての救済者としてのブッダになったのはお釈迦様が亡くなった時からでしょう。しかし、そのことはお釈迦様が亡くなる前に阿難尊者に指示しています。『涅槃経』には、

修行完成者のストゥーパをつくるべきである。誰であろうとそこに花輪またはお香や顔料をささげ礼拝し、また心清らかにして信ずる人々には長い間利益と幸せが起こるであろう。

とあるように、自分の遺体をストゥーパにすることですべての人々の心を清らかにできるとしています。ですから、歴史上のブッダであるお釈迦様の涅槃が、救済者としてのブッダ像をつくる切欠となったといえます。
 この後弟子たちは師が亡くなったことを悲しみますが、すぐさまお釈迦様の跡目を相続した大迦葉尊者が、お釈迦様の教えを今一度確認するため第一結集を開きます。ただし、このときはまだ口伝えであり、文献化してはいませんでした。この第一結集は大迦葉尊者が代表となり、戒律は優波離尊者、経は阿難尊者を中心にまとめることになりました。しかし、阿難尊者は当時悟りを開いていなかったので、第一結集に参加する資格がありませんでした。そこで、先に申しあげたとおり大迦葉尊者の弟子となって第一結集当日の朝にやっと悟りを開き、「私はお釈迦様がこのようにおっしゃったのを聞きました」という形で、自分を前に出さずお釈迦様を前面に出していきました。結果、阿難尊者のお釈迦様主義が教団の主流派になっていく過程で、救済者ブッダとしてのお釈迦様像がより強くなっていき、弟子たちを阿羅漢と呼びお釈迦様の固有名詞としてのブッダという使われ方をするようになります。
 しかし、お釈迦様があくまで「ブッダ」であり、原意は「目覚めた人」です。つまり、何か新しい理論をつくったわけではなく、もともとある理に気が付いた人という意味です。私たちにとってブッダはお釈迦様一人であるが、お釈迦様と同じことに気付いた人が過去にいてもおかしくはないということで、お釈迦様の悟った理の永遠性を示すものとして、過去の仏たちが具現化したのが上述の過去七仏です。そして、さきに申し上げた通り、この過去七仏は過去二十五仏にまで増えます。
 そして過去がいるんだから未来もあるだろうと登場するのが弥勒仏です。弥勒仏は現在はお釈迦様も悟る直前まで修行していたという兜率天というところで修行中だそうです。そしてその後、未来物も増えてゆき、賢劫千仏という千人のブッダが未来にあらわれるとされていきます。
 ところが、あくまでこの多仏思想は時間軸のなかでという制限がりました。それはなぜかと言えば、先に申しあげたとおり、ブッダという言葉をお釈迦様の固有名詞化していく過程で「一つの世界にブッダは二人存在しない」と考えられるようになっていたからです。ですから、お釈迦様が亡くなってから弥勒仏が表れるまで、われわれはどうしてもブッダに会えないことになってしまします。ブッダには会えないが悟りを開きたいという人たちは、『ジャータカ』などに書かれている「授記」の物語をもって無仏の時代を乗り越えようとします。梶山雄一氏などの説によれば、無仏の時代には生身のブッダに代わるものとして、ブッダの遺骨や、仏足石が授記を授けると考えられていたようです。悟りを目指しても、その目標となるブッダがいない、そんな時代に「それいでいい。頑張って修行すれば悟れるよ。」という授記の信仰が表れるのも必然だったのでしょう。
 そして、この無仏の時代に授記に対する考えが生まれてきた中で、やはり直接ブッダに教えを乞いたいという人もいました。そういった人たちは古代インドの須弥山という世界観から発展した仏教独自の三千大千世界という世界観をベースにして、お釈迦様の悟った理が時間軸的に広がりを見せるのだから、空間軸的にも広がりを見せるはずだと考えます。これは、先に述べた「一つの世界にブッダは二人存在しない」という原則を変えることなく、今直接にブッダに会うことができるという解決策でした。古い文献から言えば、『増一阿含経』の中に目連尊者が神通力を示すため東の奇光如来を訪ねるというくだりがありますし、大乗仏教の最古の他方仏としては東方阿シュク仏(漢字は文字化けしますので)、続いては西方阿弥陀仏が古く、大乗を自ら名乗った最古の経典である『道行般若経』との比較研究において、最も古いもので紀元前には成立していたのではないかと考えられています。

 以上が仏教のたどってきた遍歴です。つまり、阿弥陀仏にしろほかの仏にしろすべての仏は、お釈迦様の面影が原点にあります。しかも、お釈迦様は自身の亡き後に人々がそういった思いを抱くことを見越して、ストゥーパを立てるよう阿難尊者に言い渡してあるわけです。日本人は仏教を「仏教は宗教ではなく哲学」と理解してい人が多いようですが、これは大きな誤解であり日本の「仏教学」というものの弊害といっていいでしょう。なぜななら、日本の仏教学は西洋的な仏教観を受け入れる形で成立した学問だからです。近代化がイコール欧米化であった日本においては必然であったでしょうが、西洋の仏教研究においてはキリスト教を中心とした一神教との比較において「仏教は宗教ではなく哲学である」とか「仏教は無神論である」という結論をありがたく頂戴しちゃったのが問題でしょう。あくまで一神教との比較の問題だったものを仏教そのものがそうだと思ってしまっています。例えば、お釈迦様は死後の世界の事や魂に関しては「無記」だと主張されますが、古い経典である『スッタニパータ』『ダンマパタ』などには「悪処」として地獄の事が説かれていますし、『サンユッタニカーヤ』の中では「悪魔がでしのゴーディカの魂を盗みに来ているが、悟ったものは魂が輪廻から解脱しているので見つからず右往左往しているのが見える」とおっしゃっています。このようにお釈迦様は無神論者・哲学者などという言葉でもくくれる人物ではありません。無記も考え方の一つにすぎません。逆にそういった理解が解説書などで先行することで「こういった考えは現実的哲学的でもないからからお釈迦様の考えにはなかったはずだ」と約2500年前の人物を現代人に引き寄せて考えるという間違った経典解釈が横行しているように思います。
 つまり、何が言いたいかといえば、お釈迦様はいつも相手に合わせてくていたってことです。お釈迦様は自分が信仰の対象になるのも百も承知で、それをも利用して人の心を清らかにしたいと思って死んでいったんですよ。この姿勢は、仏教の筏の譬というものにあらわれます。

あるとき旅人が悪い人に追っかけられていたとき、川があったので筏を作って向こう岸に逃げた。この時旅人はこの筏は命を助けてくれた筏だから、生涯大切に持ちあるこうとおもった。この旅人は筏に対して正しい対処をしたか? これは間違った対処である。このように自分を悟りに導いてくれた教えでさえもこだわらず捨てなければならない時がある。

大まかに言えばこんな話です。ここでは正しにもこだわるのではなく、人々の心に寄り添って教えを説いていくという仏教の教えの広がりがこのたとえには表れています。ですから、どれが正しいかということよりも、その教えが仏教の中でどのような意味を持って説かれているのかということに目を向ける方が、仏教的な視点であるのかもしれません。

なんか答えになってないし、長くてすみません。
合掌 南無阿弥陀佛 
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 どうも、真宗の坊主です。

この質問は歴史学から宗学まで多岐にわたりますのでながくなりますが、書いてみます。よろしくおねがいします。

>>これまで私は、仏教とは、仏(ほとけ)=おシャカ様(釈迦如来)=ゴータマ・シッタータといいう、「三位一体説」の一神教だと思ってきました。

 これを三位一体とは仏教では決して言わないのですが、あながち間違いではありません。ブッダ(仏)という言葉がお釈迦様の固有名詞として扱われることはあります。しかし、お釈迦様在世においてはどうやらそうではなかったようです。例えば仏教の経典の中で最も古く成立したと目されているのは『スッタニパータ』というものですが、その中に
386(略)それゆえ諸々の目覚めた人々は時ならぬのに出歩くことはない。
とあって、ブッダの複数形であらわされ、当時はお釈迦様以外にも多くのブッダがいたことがうかがえます。また、仏教と同時期にインドで成立したジャイナ教の『聖仙のことば』というものの中には、ジャイナ教以外の聖者のことばもまとめられており、仏教教団の中からも二人がブッダとして紹介されています。その二人はお釈迦様ではなく、お釈迦様が跡取りと考えていたがお釈迦様に先んじて亡くなってしまった舎利弗尊者と、お釈迦様亡き後教団を引き継いだ大迦葉尊者です。この『聖仙のことば』は『スッタニパータ』より古い成立を持っていると考えられております。つまり、仏教を開いたのはお釈迦様かもしれませんが、他宗教から見れば仏教教団をけん引していたのは舎利弗尊者と大迦葉尊者という二人のブッダと考えられていたことがうかがえます。
 このようにお釈迦様在世はブッダという言葉はお釈迦様の固有名詞ではなく、一般名詞として使われていたようです。では、なぜこれが質問者のおっしゃるようなお釈迦様の固有名詞になっていったのでしょうか。その一つの要因はお釈迦様の亡き後教団の主流派になっていったのが阿難尊者の系統であったからと考えられています。阿難尊者の系統が主流派になったと考えられる史料としては、お釈迦様が亡くなったあと百年後におきた第二結集というものの、中心に阿難尊者の弟子たちがいたとされています。この阿難尊者という方は釈迦十大弟子に数えられる方ですが、お釈迦様在世に悟ることができませんでした。お釈迦様が亡くなってから、大迦葉尊者に従って修行し悟ることができます。つまり、ある意味お釈迦様にとっては不出来な弟子だったのかもしれませんが、できの悪い子ほどかわいいなんてことを言いますが長年手元においておいたかわいい弟子であったのでしょう。しかし、そのかわいがられたでありお釈迦様在世はお釈迦様を目指し続けた弟子だからこそ、師であるお釈迦様を唯一無二のブッダと持ち上げていくことになったのではないかといわれています。


>>ところが、うちの宗派(真宗大谷派)の本尊は釈迦如来じゃなくて阿弥陀如来だと聞いて、よく分からなくなってきました。
>>しかし、うちの菩提寺のお坊さんは、葬祭の時の説教でお釈迦様がどうのこうのって話をしますが、阿弥陀様がどうしたとかって話は聞きません。
>>他にも釈迦には、生まれてすぐ立ち上がって唯我独尊と言ったとか、極楽から蜘蛛の糸をたらして悪人を救済しようとしたとか、逸話がいろいろありますが、阿弥陀の逸話は聞いたことがありません。

 阿弥陀仏が阿弥陀仏になる前はどうだったかについてはもう少し後にお話しするとして、まずはお釈迦様という人物について考えてきましょう。
 私たちは仏教の伝承や、手塚治虫先生の『ブッダ』などでお釈迦様の生涯に触れることができます。しかし、「天上天下唯我独尊」とか「四門出遊」とか出来上がった話は知っていても、仏教の経典でお釈迦様の生涯はどのように説かれてきたのかということについてはあまり語られません。この「仏伝」というものを説いた最も古いお経について、ドイツの文献学者ウインディッシュ氏などの仏教学者方の説によれば『大譬喩経』と考えられています。けれども、実は『大譬喩経』に説かれている仏教最初の仏伝はお釈迦様の生涯を語ったものではありません。お釈迦様を含めそれ以前に六人の仏が居たという「過去七仏」の中でも、第一仏である毘婆尸仏の生涯を語ったものです。
 この過去七仏についてはかなり古い段階で仏教の中にあらわれた多仏思想です。中国の玄奘三蔵が七世紀に入ってからインドに訪れた時に、お釈迦様に破門された提婆達多尊者の教団が続いていて過去七仏のうちお釈迦様を抜かした六仏を信仰していたと『大唐西域記』に記していますので、もしかしたらお釈迦様在世から過去七仏の思想は原型として存在していたかもしれません。まぁ、あくまで七世紀の史料ですから可能性としてしか言いようがありませんが、かなり古い段階で仏教の中に過去七仏の思想はあったようです。
 はなしを『大譬喩経』に戻しますが、このお経には第一仏の毘婆尸仏の生涯とともに、過去七仏すべての仏に共通することが七つの項目として挙げられています。この七つの項目を七仏の事項と呼ばれています。
1生まれた時代と名前
2人々の寿命
3カースト
4ゴータマ系の姓である
5悟ったのが共通の菩提樹
6弟子の人数
7二大弟子がいる
8生涯をとおしての待者がいる
9父、母、都
10、(パーリ語聖典にはないが)息子
以上が七仏の事項です。つまり、お釈迦様の生涯において『大譬喩経』ができた当時わかっていたのは、この程度の事しかなかったということです。経典というのはそもそも教えを残すためのもので、お釈迦様の人生を残すためのものではありませんでした。伝記的に記されている『涅槃経』でさえも、お釈迦様が食あたりになってから亡くなった直後の事までしか記されていません。そのためお釈迦様の生涯については、教えに残っている断片的な部分をつなぎ合わせることしかできなかったわけです。また、仏教文献学者吹田隆道氏の説によれば、戒律の中には「お釈迦様がどこでだれに対して教えを説いたかわからなくなった時は、当時の有名な聖地の名前や、当時の有名な王様や弟子の名前を入れておけばいい」というものがあるそうで、この戒律ができた時には多くの事が分からなくなってきていたのでしょう。そこで、お釈迦様の生涯を直接描くのではなく過去七仏のうち第一仏の毘婆尸仏の生涯として描くことにしたわけす。そして、その後『大譬喩経』をベースにして『稀有未曾有経』というお釈迦様の生涯を直接あらわした経典などができてきたと考えられるわけです。つまり、お釈迦様の生涯でさえ、お釈迦様の生涯をベースにしているのではなく、お釈迦様の事でわかっていることの断片をつなぎ合わせて作られた毘婆尸仏の生涯をベースにして作られたものだということで、それ以外の話はあとから付け加えられたものだということになります。

 そして、この過去七仏は最終的には過去二十五仏まで発展していきます。その背景にはお釈迦様の過去世の姿を通して仏教者のあり方を説いた、『ジャータカ』というものの発展に関係します。お釈迦様はその過去世についても長い修業を積んでおられ、なおかつ多くのブッダと出会っていたということが書かれています。この中でお釈迦様と最初に出会うのが燃燈仏というブッダです。お釈迦様が過去世において儒童梵士と呼ばれていた時に、燃燈仏みたいになりたいと思って修行を始めます。すると、それを見た燃燈仏から「未来において、悟りを開き釈迦仏となるであろう」と授記されるという話です。これを燃燈仏授記というのですが、阿弥陀仏という仏もこの燃燈仏授記をベースにしています。
 阿弥陀仏について主に説かれている『無量寿経』には最初に錠光仏というブッダがいたというところから始まりますが、この錠光仏というのは燃燈仏の異訳名です。そしてこの燃燈仏から何代も後になって世自在王仏というブッダが表れて、その世自在王仏にあこがれて一人の王が出家し法蔵菩薩と名乗って修行を始めますが、それを見た世自在王仏がいつかお前は悟りを開くだろうと授記を与えるというように、燃燈仏授記がベースにあることが分かります。

>>如来になる前の釈迦がシッタータであったように、如来になる前の阿弥陀はどんな人だったのでしょう?

 これについては『無量寿経』には出家時代の法蔵菩薩からの話は載っていますが、出家前は王であったこと以外は記されていません。この王であった頃の話は『悲華経』というお経に記されています。この「悲華経」によれば、阿弥陀様が王だったころ、お釈迦様はその国の大臣で、現在他方仏として東や北、南などにいる十方の諸仏たちは王子様であったと伝えられています。そして、この大臣の子供が悟りを開き宝蔵如来(『無量寿経』の世自在王仏)となって、王様一同このブッダに帰依します。そして、最後には出家し修行の末に王は西に浄土を建立し阿弥陀仏となり、王子たちもそれぞれの浄土で仏となって、大臣は娑婆に残りお釈迦様になっったという話です。ですからこの『悲華経』というお経の題名の意味ですが「娑婆という悲しみの世界に唯一残って私たちを導き救ってくれるのはお釈迦様であり、それはまるで汚い泥の中に咲く蓮の花のようである。」という意味で、阿弥陀仏を代表とするほかの仏に比べることでお釈迦様の優位異を説いた今日です。つまり、このお経ができたころに阿弥陀仏の信仰が盛り上がってきていて、それに対してお釈迦様回帰というものを目的として現れたのが『悲華経』ということになるでしょう。

文字数が足りないので後半に続きます。お彼岸直前のため急ごしらえかつ返事も遅くなると思いますがご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀
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No7です。



(1) 釈迦が始めたのは無神哲学、

仏教の教えに、「人を見て法を説け」というのがあります。無神かどうか。釈尊には見えていたものがあるのでしょうが、弟子に伝えてないのでどうなんでしょうね。

(2) その後、弟子たちが釈迦を神格化し信仰する一神教を広めた。

「神」という表現が合っているかどうかは分かりませんが、釈尊を崇拝するようになってしまったのは否めません・・・。

(3) さらにいろんな分派ができて、釈迦以外の架空の存在も信じる多神教に発展した。

仏教に「神」という表現はおそらく出てこないのではないかと思います。ですので「多神教」という表現は本質から乖離している可能性があります。大乗仏教では大日如来が全宇宙の化身、それ以外の12人の如来は全部大日如来の化身、ってことになってますので、大元はひとり(?)・・・。

本人が幸せならいいし、なにを崇めても良いとは思いますけど、実在した釈尊を釈迦如来にして、架空の如来達と一緒にしちゃうってどうよ?!って思います。
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この回答へのお礼

再度の回答、ありがとうございます。
(3)について、つまりそれぞれの分派で信仰している**如来が、その宗派にとって「唯一神」であり、他の仏は一段下にみているということで、一神教に近いということですね。

お礼日時:2013/09/17 21:33

仏教の基本と言う事は『釈迦の教えの基本』と言う意味として答えたいと思います。

仏教に付いては枝葉が沢山に分かれてしまいましたので、夫々の宗派の教えなどが沢山存在すると思いますので、とても学ぶ暇が無いという現実があります。

釈迦の教えは簡単です、その全ては『禅』に集約されています。悟り(見性成仏)を最大課題として、釈迦から弟子に直接的な方法で『心から心へ』手渡しをされてきたからです。

もしその全貌を学びたいなら『鈴木大拙博士』の著作集から学ぶ事が有効と思います、私の場合ではそこからま学ぶ事が出来たと思っているからです。

禅の奥義は『頭の理解=知的理解』では伝える事が出来ませんので、その点は悪しからず、として始めにお断りをして置きますが、それでも何も知らないでいるよりは、よほど生きてゆくための指針になると思いまして書いています。

禅を理解する事は『精神衛生』を学ぶ事になります、又精神衛生を学ぶ事は、宗教の神秘性を学ぶ事になります。この神秘性が『精神衛生』にとっての、最大眼目になりますので、人間の心の正体から書き始めます。

人間にとっての心は、自我意識を指しますが、命あるもの全ては、同じ原理が働いています、その原理を発見した人に『釈迦やキリスト』等がいます。

釈迦の苦しみを、今も味わっている人達がこの日本にも沢山存在しています。その苦しみが『一切皆苦』ですが、是は意識地獄を意味します。いわゆるノイローゼの状態を意味します。

この苦しみの大元を発見した人達と言う意味です。この苦しみの元が『自分自身の命の働き』=『仏性』=『神』と言う事です。

この事を聖書では、『知恵が付いたために神に背く』と表現しています。幼子が天国に一番近い存在としている理由を書きます、その理由は『心が未発達のために、(自分自身の命のと働きと)一つの者として働いているからです。』

人間の脳が機能分化を完成させて、『恥ずかしい、或いは自分は何者か?或いは人生とは何ぞや?』又、他人と自分を比較して優越感や劣等感に悩み始める頃があります。

この契機を『失楽園』と表現しています、中二病と言われ始める頃です、或いは思春期と言われる頃です。この頃から『自身の心の機能が、二つに分かれて争いを始めるからです。』

『心の矛盾』を感じ始めて、今までの生活が出来難くなる場合です。人間の脳内に『機能が違う二つの脳が存在している科学的なデータです。』ウイキペデアから紹介します。


『”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。』


更にこの事実を、自分の脳の障害=脳卒中、によって自我意識と並列して働いている、『もう一つの意識』の存在を確認出来た、脳科学者の動画を紹介してみます。

URL:

この動画で語られてる内容は『宗教体験です。』

つまり『悟りを開いている最中』の描写です、或いはキリスト教に於いては『神と会って和解している最中』の描写と言う意味です。

二つの意識となって分化した心は『見る自分VS見られている自分』と言う構図になっています、実質はもう一人の自分は『無意識や潜在意識』として、自我意識たる健在意識の前からは姿を隠すようになっています。

自分の『意識と無意識』は動画にあるとおり、絶えず脳梁の中で情報交換しています。この情報の内『何がしかの理由によって、自我意識が受入れられないとしたものが』人間の苦しみの実態です。

言葉にするなら『トラウマ、ストレス、症状』等です。こう言った症状を緩和する精神薬とは、『右脳からの情報交換を阻害する薬効が主体です。自分自身の内在する神からの情報をシャットアウトすると言う意味です。』

ノイローゼの症状は、本人が受入れたくないと判断した事柄です。トラウマとも恐怖症とも言って差し支えない事柄ですが、実際には目の前に存在しない不安や恐怖感を指しています。

そうして本人の身体や脳の検査を如何に精密にしても、正常な場合です。この意味は本人の『意識する力が生み出した幻』と言う意味があります。

受入れたくないものを、意識する余り現実には存在していないにも拘わらず、予期不安として実際に頭の中に作り出している、と言う意味になります。是が妄想が沸き上がる実態です、或いは『意識地獄』の実態です。

この状態からの開放、つまり苦しみからの開放を、この動画が示しています。言い換えるなら『釈迦の魂の救い』を説明しているものが、この動画の内容と言う意味です。

かなり分り難い内容になりましたので、要約して置きます。

ストレスやトラウマや苦しみは、苦しんでいる人が本人の頭の中に苦しみを避けたいとする心が予期不安から生じる、安心を得たいとする心が作り出した幻『空想の世界』です。

この現象は『今の目の前の現実の真実の世界を見つめている自分』と、『頭の中で描いている世界が真実と思いこんでいる。』自分自身の心の矛盾(仲違い)が原因です。

この場合の解決『現実のの目の前の世界』と『頭の中の世界観』が一致する時です。

人間でも動物でも植物でも、各種固有の『命の働き』を持っています。

赤ん坊なら不安も安心も恐怖も、生まれた時既に備えている”働き”と言う意味です。高いところに上がった時には『身がすくむ』と言う”生体反応”の事です。

納期が来た時に『気がもめる』と言う働きです。感情や考えが沸き上がる”働き”の事です。

こう言った右脳からの『感情や考えを沸き上がらせる情報(生体反応)』に不安を募らせている事が『恐怖症の引き金』になっています。

是は命あるものとしての人間が、死に行く事による恐怖感、或いは生きてゆく事による将来的な不安感がベースになっています。

この事は、全てに対して予期不安となって、身体の或いは心の奥底からの不安となって、緊張をを覚えさせる場合があります。この解決策が釈迦の教えです。

自分を恐怖に貶めている者(命の働き)との出会いで、全ての価値観の変更をしてしまう体験です。動画にあるとおりです。

その体験以後は『自分の命に対する考え方や、お金や地位や名誉に対する価値観の変更があります。』今まで大事と思っていた事が色褪せてしまって、今までは大事ではなかった事が大事になります。

移り行く価値観や流行を追う事は止めて、永遠の価値のある事柄に興味が沸く事です。自分の事を優先して生きていた価値観から、他人を優先する価値観の変更と言う意味があります。

自分が地獄に落ちても良い、と決心が出来た時、周りは全て天国になっています。動画に在るとおりです。

漠然とした不安感や生き難い想いは、自分の無意識からの交替要請です。眠りつく事の説明で分り易くなると思います。

自我意識は眠る事は在りません、自我意識が眠るのでは在りません、自我意識は朦朧となって行って、『無意識の自分と身体と心の支配権』を譲っています。朝になって目が覚めた時とは『無意識からの交替制が自分に移っています。』

眠っている間、自我意識は何もしていませんので身体も心も軽くなっています。

此処での注意事項は、意識の切り替わりです、自我意識は眠る時、意識が無くなっていますので、交替した事は気が付いていません。何故なら自分が意識が無くなった事を意識出来ないからです。

漠然とした不安感や得体の知れない不安感は、昔では『原罪や業』としていました。何故なら原因が分からないからです。科学が進んだ現在でも同じです。

『心を病む原因は、未だ特定出来ていません、ですが早期治療で良くなります。』のうたい文句が精神医療の看板のようですが、原因が分からずに治療方針のみが専攻しています。

寛快になった原因も悪くなった原因も特定出来ていないと思えます。

如何すればよくなり、如何したら悪くなるのかを試行錯誤の状態で一人一人の対応にしているようです。薬は対症療法に過ぎない事は患者でも医師でも、うすうす気付いているようです。

違和感には大きく分けた場合3種類あります、どちらも『生き難い想いが有りながら、身体にも脳にも異常が見つけられないことが特徴です。』

身体的な健康についての違和感と、行動的な違和感による行動の制限が掛かる場合と、沸き上がる感情や考えに付いての違和感です。

この場合に主に考えられる事は、自我意識VS『自分自身の命の働き』=『右脳の人格』との矛盾や仲違いや分裂と思います。

この解消方法が『釈迦の教え』と思います。究極的な『心の癒しの心理学』と言う側面を持っているという意味です。

現実には無い不安や恐怖感は、現実の目の前の世界が真実の世界と気が付いた時収まります。

死に対する恐怖感は『死の受容』によって収まります。生きながら死の受容を説いた事が、釈迦の功績と思います。

若いとしても、年老いていたとしても、『死の受容』が可能になった時点が、不安が解消する時です。今の精神医学に於いての『ストレスからの回避』と言うやり方も致し方ないとしても、何時か誰にでも訪れる、確実な死に対する考え方を、考えて行くやり方も、『一つの選択肢』として、可能性を探る試みが欲しいと思います。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
いろいろと教えていただきましたが、私の頭が鈍いのか結局質問の答えは読み取れませんでした。
つまるところ、釈迦の本来の教えは一神教でも多神教でもなく、哲学だったということにつきるのでしょうか?

お礼日時:2013/09/16 21:48

ごく簡単に説明しますと、



1.リアルに存在したのは釈尊(ゴータマ・シッタータ)。
  阿弥陀如来や大日如来、薬師如来などは架空のものです。

2.約2500年前にネパールにいた釈尊が悟りを開き、弟子に口伝えで教えた。

3.釈尊は自分で「仏教」とは言わなかった(と思う)。宗教かすらも不明瞭。

4.釈尊が亡くなった後、弟子たちは考え方から分裂し、革新的な考え方の一部が後に大乗仏教と言われるようになり、中国→日本へ伝わる。(正式に伝えたのは最澄や空海などの僧)。

5.釈尊は「神」などの存在については説明していない(弟子の質問に答えなかった)。

6.釈尊の教えは、だれでも仏(覚者。二度と生まれてこないですむ)になれますよ。修行すればね。と言っている。神を崇拝させたり、まして自分を神と崇めるようなことは一切言っていない。

7.だがいつの間にか仏教も、架空の大日如来などを崇拝する宗教になってしまい、釈尊の教えは薄くなってしまった・・・

8.だが釈尊は亡くなる前にそれすら(分裂したり、教えが変わってしまったりすること)も予見していた。それだけ悟りに至るのは容易ではない、ということなんでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
架空の存在ですか。道理で阿弥陀如来についての逸話がないわけですね。
つまり、(1) 釈迦が始めたのは無神哲学、(2) その後、弟子たちが釈迦を神格化し信仰する一神教を広めた。(3) さらにいろんな分派ができて、釈迦以外の架空の存在も信じる多神教に発展した。
…ということでよろしいでしょうか?
となると、うちの檀家の真宗大谷派などは、阿弥陀信仰ですから、かなりオリジナルの教えから外れてるわけですね。

お礼日時:2013/09/16 19:21

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