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「完全」について思うところを教えてください。

私は
「決して全貌を現さないイデアの一つであるが
ある限られた条件下で、例えば、美しい光景、芸術、数式等の中に垣間見えるもの」
であると思います。

A 回答 (10件)

 どうも今晩は。


数式などに、限定的に垣間見れるという全貌、。
それを感じられるのは正にエチカ第5部で顕揚される「第3の認識」であり、 完全・全体?=神・自然への愛です。 想像や推論による認識ではなく、いわば‘厳密な直観’による認識。
 さて一方、宇宙を全部記述するのは「万物Everythigの理論」というそうで、重力抜きの大統一理論からそれ含むSuper大統一理論の上位概念だとのこと、。できますかね?
 止めときなさい!やりなさい!~どっちも言いたいです^^。
重力波[子]Gravitonの観測も難しい。クォークより極小物質の観測は原理的に無理。 となるとクォークまでが唯物論、その先は良い意味での観念論だと私は捉えてます。
 元々、引力等から始まり弱力(β崩壊等)や強い力(核結合力だっけ?)・場の理論・空間理論と、 物質理論や量子力学は、シロート目には公理系が異なるようで、ネットでも数学科と物理科が言い合ってて面白いです。 今は大統一の候補は超弦と、派生のMブレーン論ですかね。
 んhk神の数式」は小倉久寛ナレーションの?、、以前同じメンバーの「ポアンカレ予想」「リーマン予想」録画して面白く何度も見てたので、どうせそれの使い回しだろう、どうせアイン博士だろうし、前後編は長すぎる!と敬遠しましたが、そうですか、そんなに面白かったか!じゃあ再放送見てみよう、 超弦理論も扱ってるなら。後編でしょうか? 私は昔入門書読んでもはや忘れてます。
 本物の理論物理学ノーベル受賞者;南部先生の南部ひも弦も出て来ますか?  南部ひも~スピノール~ペンローズのツイスター・・と、。玉葱むき切ってクオークスープも蒸発?したその後の微小物質は‘点’ではなく、不思議と回転してたり振動してたり、。さあ、そこがIdealism観念論と相性が良い!と私が判じる由縁です。 物質としてはアンタ失格!見えないし観測もできないんだから。 そこで登場がベルクソンのイマージュ論。何次元も自在天。
 超ひもやツイスターを、人間のイマージュこそが捉えられるのよ!と前にお伝えしましたね。それ言うのは世界でも私だけですか?マッドでしょうか?
Visionaire幻視者と訳されますが、幻ではなく又、物質でもない‘イマージュ’を見てしまう人。聖人詩人芸術家、各地神話の宗教家、。その映像イマージュお見せできず残念ですが、単に脳内物質による電位変化の発火現象のイメージ化とは違う構造の絵Imageです。 それは兎も角、
そんな極小の場の粒子を考えるなら、観念論としての唯物論的アプローチが為されるべきと思います。・・ひも、膜・・と皆Imaginalyでしょう? きっと関係あるよ。
 詩人といえば、H様の文章は、既にいつも散文詩として読まして貰ってます。ヴィジョンがあるから。残念なのは、ここは字数等を自粛せざるを得ない力が働いてて、省略されてたり跳んでたりする事でしょうか。 何処かに纏めて発表されると良いと思います。

この回答への補足

そろそろ締め切らせて頂きます。

「完全」がこの世に無いのは明らかですが
その観念がある事が不思議です。

皆様、ご回答ありがとうございました。

補足日時:2013/10/12 19:57
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この回答へのお礼

どうもです(笑)

多分、私の直観では突き詰めると「観念論」と「唯物論」は蒸発してしまうんじゃないかと思うんですよね。
ほら、「エネルギー」と「質量」や「時間」と「空間」も同等になっちゃったじゃないですか。

まぁ、仰る通り「イマージュ」は最重要項目ですよね。
というか、それだけで、この世は成り立ってるんじゃないかと思います。
ただ、人によって「リアリティ」が違うんですよね。
ニーチェの「永劫回帰」よりはずっとマトモだと思いますよ(笑)

hazarさんの文章は今までも十分に「詩的」でしたが
一応、こちらへのレスポンスでしたので
一度、無垢からのを是非読んでみたいですね。

そらそうと「神の数式」に南部さんの「対称性の破れ」きっちり出てましたよ。
「エンピツ」を使った比喩が秀逸でした。
あの人、もっと堅い人だと思ってましたが飛んでもなく天才だと思いました。
人は見掛けによりませんね(笑)
多分、「NHKオンデマンド」でも観られると思いますので是非どうぞ。

それとついでに、今、NHKでやってる「ケンブリッジ白熱教室」でやってた
「リーマン予想」も頭クラクラするぐらい面白かったです。
ほとんど「失禁」しそうでした(笑)

おまけに、リーマンがサインカーブを利用して「素数の音楽」を探求するくだりで
ケンブリッジの教授がチャーリー・パーカーの「ヤードバード・スイート」をトランペットで吹いたのも笑えました。
向こうの教授は頭がぐにゃぐにゃみたいですね(笑)

ではまた(笑)

お礼日時:2013/10/08 21:51

こんにちは alterd1953 様


目一杯 遅れましたが、 お誕生日 おめでとう ございました。
赤い 薔薇が 花 開いてきて おられます のが 目に 浮かぶ ようです。
turukamejirou 様 の 処で 拝見させていただく sapporolov 様 も
1945 年 ですが 同じ お誕生日で、 ID 画像の 感じも 似て
いらっしゃる のですが、 お誕生日 おめでとう ございます。
3 日、 東京では 大きな 虹が 出て、 病院から 薬を もらいに
出た 途端、 正面に 大きな 弧が 立ち昇っていた ので、
がっかりし、 くたびれ果てて 中で 待っていた 母を 引っ張ってきて、
二人で 眺めました。
青空で 途切れた 後、 左の 方へ もう 少し 弧が 伸びていて、
希望は 続く、 と 示してくださった ように 感じました。
神の 数式、 ちょっと だけ 拝見しましたが、 超弦の 式から
光速の 式が 導き出される 際に、 496 という 完全数が
何度も 顕れて、 雷鳴が 俄かに 轟いた … という 処が 印象に
残り … 完全数が 古代に 発見された 際に 6 は 神が 世界を
作られた 日数、 28 は 月が 地球を 廻る 日数 … 496 は … ?
と されて いましたが …、 こんな 大切な 処に 秘められていた
のですね …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8C%E5%85%A8% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/496
この頃、前に 伺った 青い ? 蝶の 蛹を 納屋に 仕舞い 忘れられた
研究者の かたが かなり 経って 想い出され、 扉を 開けて みると
皆 蝶に なり、 うち重なって 生命を 終えていた という のを
想い返す ことが ある の ですが、 母は 私が 詩の ような ものを
書いていた のを やめないで また 書いて ほしいと 強く 願っている
のですが、 親孝行が できません … 心の 奥底に 数多 散り敷いて
いる ものが 今も 色 褪せず 消え 残っている ようにも 思う のですが …
alterd1953 様 も どうぞ 音楽と 共に 素晴らしい 絵画を いつまでも
末永く お続けくださいます よう … いつも ほんとうに
どうも ありがとう ございます。 お誕生日 おめでとう ございました。
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この回答へのお礼

お!?
お久しぶりです(笑)

誕生日のお祝いのお言葉ありがとうございます。
しっかりテーブルに深紅のバラが飾ってあります。
朝、水を替えて霧吹きで水を花弁に吹きかけてます(笑)

今回は何と子供と近くのフレンチへ食事にも行けました。
後、サックスさえ巧くなれれば、いつ死んでも良いです(笑)

虹に関して少し「MIT白熱教室」からの蘊蓄を語らせて頂きますと
あのアーチは中心から42度ぐらいの角度だそうです
そして、薄くて見えにくいんですが、10度ぐらい離れた外に
副虹が見えているはずです。
そして、主虹と副虹の間は「アレクサンダーの暗帯」と言って暗くなっているはずです。(主虹の内側は白っぽいはずです)
後、理屈は難しいんですが、副虹の色の順番は主虹と逆になっていますから
今度、確かめてください。

「神の数式」は超絶面白かったですが
私も「完全数」が出て来た時は腰が抜けました。
しかし、共同研究者が自殺したエピソードは悲痛でしたね。
ピカソが「芸術には孤独が要求される」と言ってましたが
科学も同じようですね。

それと、私も前々からhazarさんは「詩人」の感性をお持ちだと思ってましたので
是非、書かれるように私からも強くお薦めします。
ヘッセが若い頃に「詩人以外の者にならない」と決めたそうですが
hazarさんもまたそうだと確信します。

私の絵なんですが
アイディアが二つほどあるにはあるんです。
でも、自分で言うのもなんですが、どうもレベルが上がって来ているようですので
逆に、それが足枷になっているようで煮詰まってます。
まぁ、期待せずに気長にお待ちください。

ではまた(笑)

お礼日時:2013/10/05 11:55

 今晩は、毎度どうもです(笑)


全ての個体Individual(それ以上分割するとその本性が変ってしまうもの)は完全である。
 より小さな完全性と、より大きな完全性があるだけだとエチカに記されてました。 相対的に大小が有るだけで、其々は皆、欠けてる所は無い。 欠如でものを見るのは間違いという事。
 これは福音と為り得ます。 片腕片足でも皆その時点での完全性を備えてる。
近親の誰かを喪っても、喪失感や欠如で思い悩む事からは早く脱しよう。
元々皆ひとりじゃないか!?という事でしょう。 相対主義から離れれば、各自が絶対の存在なのです。 卵は完全!幼子には足す処も引く処も無い、性善でも性悪でも無い、只強度が有るだけ。
でもそれが成長とともに完全ではなくなっていくのは、観念が生じ、それに突き動かされるように成るから。「全ての観念は非十全である。」これもエチカ。 不十分で余計な知恵を十全と思い込んで疑わず、やたら敵対的になる青年が、各国で原理主義やウルトラ愛国主義に捉えられてますね。 
 人は己れの思考が非十全である事を認識する限りにおいて、完全性を志向する資格と可能性を得られるのでは? 我は疑いつつ在る事!ですね。 この‘非十全と不完全’の意味の差は重要です。原語が解れば良いのですが、和蘭語やラテン語はちょっと解らないのでスミマセン。
 神の数式、完全な数学? 無いですよね? それが基づく一つの公理系は必ず‘不完全’である事を、ゲーデルが証明しちまいました。 数理物理学者は夢見るのですか?宇宙の完全な記述を。
E=MC二乗、は完全で美しいか? カントならどう判断するか知らん?
光もエネルギも重力も、暴力孕んでます。 恐ろしい美しさだ! 崇高Sublimeには恐怖も含まれてるという、カントからハンナアーレントまでの美学批評は重要です。
 宇宙は崇高ですが、それを語る者には、哲学Kritic批評をかましてやらないと危ないですよー。
そうです、決して<全貌は現さないイデア>なるモノの本質を、仰るような事象が表現expressしてることが有りますね。 でもそれら現象界のは、小さな完全性に過ぎないのでしょう。
 ところでプラトンのイデアは無論、実体のあるモノではないですが、只の観念・思惟でもない。
物体でも人の想念でもないモノと捉えたほうが良いと考えられます。
数学者は週末には、レアリストからイデアリストに変身して考える、とよく言われますが、それは理想主義者に成るというだけでは御座いません。
 純粋な線や点は、この世では面積が無く存在しない。しかし人間の只の思惟でもなくて、明らかに物理空間で作用もしている、何だか解らないモノ。そんなのの集合がイデアリズムではないでしょうか。 その事を唯物論者は理解しません。全て物質の作用で説明できると思ってるけど違います。 レーニンは哲学者としてはそれを良く解っていたそうです。だから本当は唯物論者ではないのです。
イデアが只の観念だと思ったら間違いです、そこが恐ろしい処ですね。 何度も言いますが、それを‘イマージュ’として思考したのが、ベルクソン~ドゥルーズだと思います。
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この回答へのお礼

どうもです(笑)

なにやら私が言わんとしている事に肉薄されているようで(笑)
エチカの、小さな完全と大きな完全のお話も興味深いです。
まぁ、下世話に言ってしまえば「一寸の虫にも五分の魂」みたいな事かもしれませんが
「魂」に「完全」も「不完全」も無いようにも思えますね。

障害者の人達の中で言われている事で
「失った物を数えるな。残された物を生かせ」と言うのがあるそうですが
これは、全く健常者にも言えることだと思います。
置かれた状況で、最大値を目指すしか無いんですよね。
ただ、その方向は「好み」ですけどね。

後、「神の数式」は滅茶苦茶面白かったんですが
度々、出て来て気になったフレーズが
「この世の全てを表わす」でした。

その度に
「いやいや。高々、物理に関してだろう」と
心で突っ込んでました(笑)

実際、DNAの塩基配列は全部解読されたみたいですが
肝心の文法は分かってないみたいですし
赤ん坊が、どうやって言葉を獲得するかも分かってないみたいですし
人間の性格を決める要因も
「先天的50%後天的50%ぐらいのようだ」なんて
腰がくだけそうなくらい陳腐な見解のようですしね。

それに、物理に限っても
元々「原子」ってのは「それ以上分割出来ない最少単位」だったはずなのに
その中に「電子」やら「陽子」やら「中性子」やらが出て来て
これまた「クォーク」に分かれて
そんでまた「超弦」が「11次元」の中にあるってんですから
「玉ねぎをひたすら剥いてる」状態ですよね。

まぁ、自然を安易に擬人化してはいけないと言う鉄則があるみたいですけど
そう簡単に全貌は表わしてはくれないんでしょうね。
実際、人間も自然の中から生まれた訳ですから
ひょっとすると永遠に分からないかもしれませんね。

最近どこかで読みましたけど
「人は、その一生では完結出来ない事を背負って生きている」と言う言葉に共感を覚えました。
問題は何を背負っているかですね。

後、中学からの親友が昔マルクスにかぶれてて
酔うと「唯物論」をぶつんです。
言いたい気持ちは良く分かるんですが
「運命論」を聞かされた時と同じで
いつも「半面の真理」のように思えてもどかしいんですよね。

まぁ、ドゥルーズを読んで的確なフレーズをひねり出します(笑)

ではまた(笑)

お礼日時:2013/10/02 04:04

 人間は不完全ですが、ある分野を徹底的に追及すると、その分野についてはほぼ完璧、完全に近い状態に持っていける人たちはいるように思います。

いわゆるプロ意識ですね。多くの人が、何かにおいてその分野のプロとして生きていければ、みなさん有意義だと思いますが、そのためのプロセスとかはまだまだ未知ですね。10年がんばればという話もききますが、プロ野球選手のように、その世界のプロになるということは、かなり有能で厳選された人にしかチャンスはないのでしょうか。まずはその人のやる気とかがやっぱり問われるのでしょう。なりたいと思えば誰でもその道のプロになれる方法とかを知りたいですね。自分で考えろといわれそうですが。
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この回答へのお礼

そうですね。
NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見ていると
ほとんど「神」のような人が出て来ますね。

私なりに感じたことですが
当然ながら皆さん自分の仕事に対して怖ろしく誠実ですね。
後、これもまた当然ですが、プライドを持っていますね。
それと、「博愛」と言うか「人の役に立ちたい」と言う感情が共通していたように思います。

世の中の人が全員そうなれれば言うこと無いんですが
なかなかそうは行かないでしょうね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/01 03:22

お礼、ありがとうございました。



山崎のCM、懐かしいですね。
しかし、その情報がもしかすると私がそう思うに至った起源かもしれません。

alterd1953さんが美に興味があるということなので、もう少しお話しを。

人としての完全と判断するのは、人が持つ美を感じる感覚です。
美しさを感じることで、人間はそれを判断基準としています。
詳しくは、カントの「判断力批判」をお読み下さい。

石は石として完全であり、草は草として完全である。
そして人は人として、存在として完全である。

向上心が働くのは、行動としての成長ですが
内面の充実を図りたいのは、生物ゆえでしょう。

自己の美意識が「完全」だと判断している。
それゆえに、完全も人の数だけあるのかもしれません。

ミロのビーナスを完全とするも有り、モナ・リサを完全とするも有り
かと言って全員が賛成は難しい話です。

好みとしての完全と、数学のような一義的な完全もあり
「完全」と一括りにしているが、内容さえ多様かもしれません。



>生きている間にどれだけ出会えたかでしょうね。

確かにそうですね。
多くと出会えるといいですよね。

その出会いは「気づき」というもので出会えるというのが
なんともいえないじれったさを持つところであります。

長々と失礼しました。
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この回答へのお礼

どうもです(笑)

>山崎のCM、懐かしいですね。

その大分前に開高健の
「トリスを飲んで人間らしくやりたいナ」なんて傑作もありましたね。
味はニッカの方が好きですけど
CMは、サントリーの方が圧倒的に上手かったですね。

人が「完全」と判断することには「美」が関わっているのは頷けます。
私は「美」を「より複雑な秩序」であると考えていますが
複雑さに秩序を見い出す能力は人によって違いますし
同じ人でも年代によって変わると思います。
いわゆる「目や耳が肥える」と言うのは
最初「混沌」だと感じたことに、隠れた「秩序」を見い出せるようになったのだと
考えています。

ですので、年齢を重ねることの功徳の一つに
日常のなにげない事の味わいに気付くと言うことがあると思います。

後、私は
ヴィトゲンシュタインが言う
「他者は、私が本当に言わんとしていることを決して分かってはならないことが
本質的である」と言う言葉を基本的に支持します。

逆に言うと
例え、一部分でも
私が言わんとした事が他者に伝わったと感じた瞬間が
私にとって、かけがえの無い財産であると思っています。

ではまた(笑)

お礼日時:2013/09/30 18:08

こんばんわ。



私はこの世に「完全」ってあるのかな、むしろ、ないのではないか?と思っています。
この世に、というか、人間に、と言った方がいいかもしれませんが…
「完全」はないなんて最初から諦めることは、怠慢な人間なのでしょうか。
イデアとしては分かりませんが、完全な善、完全な悪、完全な美、完全な調和、、
というのはあるのでしょうか。
性善説も性悪説も両方共に正しいと思いますし、美は主観ではないかと思います。
数式に「完全」があるのかどうかは、私には未知です。
私のように怠慢でない人は、やはり完全を求め、真理を追及し続けるのでしょうね。
とんちんかんな回答でスミマセン。
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この回答へのお礼

どうもです(笑)

「イデア」を「理想」とするなら
「完全」はこの世には無く、あくまで人間の心の中にあるものでしょうね。
「数式」の完全性にしても、ある公理系の範囲内でのみ成り立つみたいですし。

性善説と性悪説についてですが
最近の心理学の研究では、生まれつき意地悪な心を持った子供も
6人に一人ぐらいはいるみたいですから
一部は性悪だと言えるのではないでしょうか。
優しい心を持って生まれた子供でも酷い環境によって意地悪になるかもしれませんしね。
言い替えますと、生涯、優しい心を保ち続けられるかどうかが問われるように思います。
もし、生涯を、例え一部分でも綺麗で優しい心を持ったまま終えることが出来た人がいたなら
少なくとも、その点に関しては「完全」だっと言えるのではないかと思います。

ではまた(笑)

お礼日時:2013/09/29 21:58

完全とは、すべてが揃っているということだと思います。


足すものも引くものも無いもの。

人は往々にして、一部の完全の表現を「完全」とみなす事が多いですが
それもそれで一部に限った完全ではあると思います。

受け取る側が、あるいは発信する側が
どの認識で受け止めるか、あるいは発信のバックボーンとするか。

そこで大きな誤差が生まれやすいものだと思います。
いわゆる話しが噛み合わないって奴ですが(笑)

暗黙知としている認識により、想定できるもの
その形は、ある意味無限にあるかと思います。
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この回答へのお礼

>完全とは、すべてが揃っているということだと思います。

正しくそうだと思います。
昔、サントリー・ウィスキー「山崎」の名コピーで
「何も足さない。何も引かない」ってありましたね。
老子の「足ることを知る」にも通じるでしょうか。

向上心を持ち続ける者にとって満足することは決っしてないでしょうが
限られた範囲で、確かに「完全」と思える瞬間はあるように思えます。

仰る通り、それは原理的に無限にあると思いますが
生きている間にどれだけ出会えたかでしょうね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/29 16:18

球体、あるいは円でしょうか。



他には思いつかないです。
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この回答へのお礼

ああ。なるほど。
物凄く完全なイメージですね。
性格等を円の中心から出た放射状の線に目盛を打ったグラフで表わすものがありますが
あれが完全な円になる人は神でしょうね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/29 09:55

alterd1953さん おはようございます。



プラトンのイデア(観念)を支持しますか。

キリスト教でも、聖書解釈にあたり、ギリシャ哲学は、まずプラトンが最初に聖人アウグスティヌスらにより支持され、アリストテレスは、イスラム圏を経てかなり遅く導入されたようです。

私も天国・浄土はイデア界かもしれないと、落ち葉の落ちるのをタバコを吸いながら見ているこの頃です。

ところで、alterd1953さんは、哲学をもっと端的に「真・善・美」に分割するとしたら、どれを優先順位的に並べますか?

まあ、おそらくイデア界はこのすべてが統合されていると思います。

まだ、眠く思考が回らないのでこの辺で。

Smoke get in your eye.

Here look at your eyes,Kid

べっぴんの美女とその旦那を飛行機に無事乗せたら、今夜、日本の山梨県産のワインで飲み明かしましょう。

でも、その、ピアノは弾くな(笑)。
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この回答へのお礼

そうですねぇ。
ニーチェ辺りだと、たわけた形而上学だと嘲笑うかもしれませんが
理想あっての人生だと思っています。

そして、ヴィトゲンシュタインも言っているように
「論理形式」そのものは決して取り出せないのかもしれませんが
イデアが多くの人々に共有されているように見えることに驚異を覚えます。
フッサールが「意識には指向性がある」と言ってますが
やはり、多くの人が「イデア」を指向しているのではないでしょうか。

但し、「なんだそんなもの」と言ってゴミ箱に捨てる人にとっては
正しく「無い」のだと思います。
そういう人と私は違う世界に住んでいるのだと思います。

さて「真・善・美」ですが
どれも横綱クラスなのは間違いないですが
どちらかと言うと「芸術至上主義」である私にとっては
やはり「美」が1番になるでしょうか。

「真」は私にとって科学法則や哲学の英知等が対象になりますが
これらは、もっぱら受け身で享受するものになります。

そして「善」については
マクロのレベルで言えば「社会正義」になるかと思いますが
重大事故を起こした企業やブラック企業等が刑事責任を問われないことに怒りを覚えます。
しかし、社会の本音は、全体の利益の為なら弱者が犠牲になっても仕方無いと言う所にあるのではないかと思っています。

後、ミクロなレベルでも
4割ぐらいの人が浮気を肯定していることからも分かるように
かなりの人が「善」からかなり離れているかと思います。

私としましては
法律は勿論、モラルも守り
可能な限り、せめて、身の周り人達ぐらいには親切にするしかありません。

ではまた(笑)

お礼日時:2013/09/29 09:48

イデアが完全という視点なら?、完全の完全という集合


状態の繰り返し・拡大の果てが、現世に表現されている
物全てに当てはまるといえるだろう、という事からする
と?

精妙・絶妙な完全の多重・複雑化に拠って、愚・負も表
現されているといえるでしょうし?
完全でない物は本質的にはない、とも一応はいえるのか
も?

そういえば?w、以前伺った事がありました、道上の犬
のフンさえ天界の御体と想念の表現物なんだ、と

理屈は分かっていても、現世は酷い汚物・汚物臭の世界
なのだそうで、大天使や高次元の存在達というのは、直
接的には現世に関わろうとはしないそうですが?w

拙いながらも何度とない自己確認からすると?、どうや
らそうらしい、という事から、大天使・天使と繋がって
いると自称する人達が、それを知らないというのはある
意味では疑問です

それはそれで個人・集団に与えられた物語のようなので
否定する必要は感じませんが、かといって許容すべき物
ともいえないかな?などとも


そういえば?、素晴らしい芸術家には人格的に問題があ
る場合が多い、、人の観点になりますが?、花は綺麗だ
が、毒があるので品種改良で毒なしにすると、綺麗な花
が咲かなくなる、という話しなどを聞いた事もあります

愚・負・毒・悪・問題?などには大局的に見ると、なに
か意味があり、欠かす事が出来ない?バリエーションの
担いの面も多々あるのかもしれませんね?

野生の薬草を栽培で育てると、なぜか薬効成分が下がる
なんてのも?、なので優れたシャーマン達はそれが分か
り、薬草を栽培などはせず、そして森や山を歩きながら
適切な成分の割合の薬草を探したり、植物達と会話しな
がら、目的の植物を教えて貰ったり、なんて事もあるそ
うで?

余計事も含めてこんな事をつらつら書いてみると?、も
しかすると?、全てが完全の塊なのかな?と思えてくる
気もします
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この回答へのお礼

なるほど。

「愚・負・毒・悪・問題」等をも含んだ高次の完全があるのではないかと言う
問いかけですね。

親鸞の「善人尚もて往生をとぐいわんや悪人をや」にどこか通じるように思います。

私はなかなかそこまで言い切れませんが
そこまで思えれば「日々是好日」と言う言葉も完全に肯定出来るでしょうね。

ただ、仰るように、人格的に破綻している芸術家から素晴らしい作品が生まれることが度々あるように
この世には「何かを得れば何かを失う」と言う法則は働いているように思います。

ひょっとすると、その「バランス・シート」の帳尻が合っている状態を「完全」と呼ぶのかもしれませんね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/29 05:40

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